エピローグ そしてこれからの事を
――結局根回しは、少しだけ保留、と言う事になった。
叙勲の時にどんな姿を取るか黒衛が決めあぐねて、もう少し考えさせて欲しいと言ったからだ。
後始末が終わった後も領主であり続ける事を考えると、元の姿で公の場所に出た方が良いのかも知れない。
私としては。ここまで私達を助けて来てくれた黒衛は、彼の望み通りに元の姿に戻って欲しいと思うけれど。
黒衛は私にこう言った。
「メタモルフォーゼを使って、一時的に自分の元の姿に変身は出来るんだけどね」
そう私に伝えて来て「こんな使い方、本末転倒だよ」と苦笑していたけれど。多分、黒衛なら魔法的な感知も無効化してすり抜けるぐらいの事はするから、メタモルフォーゼで公の場所に出ても大丈夫だろう。
その姿を見せたいから後で一度、センテメロス王城の中庭で待ち合わせしようと。そう言われた。
だから私は、夜の中庭で彼を待っている所だ。
青白い月明かりに照らされた中庭には、噴水から聞こえてくる水の音だけが静かに響いている。
少し……緊張しているのかな、私は。
黒衛として話をするなら伝えたい事があるから、答えを聞かせて欲しいと。
あの人は以前私にそう言った。「クローベルの事が好きなんだ」と、そう言ってくれた。
それをとても――嬉しく思う。
赤晶竜から私を庇ってくれたあの時から? それともゴブリンシャーマンと戦った姿を見た後で? 或いは――私に名前をくれた時から?
私だって、とっくに黒衛の事が好きになってしまっていたから。
「お待たせ」
男の子の声がした。振り返ると、果たしてそこに――彼はいた。
黒い髪と、黒い瞳の。
どこにでもいるような奴だよと、そう黒衛は言っていたっけ。
彼自身が言った通りなのかも知れない。
元々の彼は特別な事なんて、きっと何もないのだろう。
だから私も彼に、普通の少年という――そんな印象を受けた。
戦いなんて無縁そうな少年。
こんな優しそうな普通の少年が、私達の為に戦ってくれていたんだなんて思うと何と言うか――とても、愛おしく感じる。
傷を負って。自分の弱さに泣いて。それでも立ち上がった。
私の言葉があったから戦えるんだなんて、言ってくれた。
だから彼の事が……抱きしめたくなるほどに好きだ。
「ええっと……平坂黒衛です。改めてよろしく、クローベル」
「――はい」
はにかんだような彼の笑みに、私も笑顔を返す。
「クローベルにはちゃんと、見せておきたかったんだ」
「黒衛は……やっぱり素敵な人です」
その言葉は紛れも無い本音だけれど。
思っていたより可愛いだなんて言ったら気分を害してしまうだろうか。
……うん。男の人に言う事じゃないな。自重しなければ。
でも、私の言葉に照れたような表情をする黒衛は、やっぱり可愛いなと思ってしまう。困る。
それに、どんな姿をしていても黒衛は黒衛という事もよく解った。コーデリア様の姿をしていた黒衛の中に垣間見えていた男の子は……うん。やっぱりこんな感じだった。
「本当はもっと早く見せられたかも知れないけど」
メタモルフォーゼを覚えたのは暗殺者ギルドと戦っていた時だ。
それからレリオスを倒すまで待っていた……という事かな。その後も忙しかったし機会を失ってしまっていたんだろう。
でも私に、最初に見せに来てくれた。
律儀な、そういう所が好きだ。
ラーナとの事の後でも私の近くにただ居てくれて、何気ない話し相手になってくれて。
「クローベルに渡したい物があって。本当はもっと色々タイミングとか、考えてたんだけど」
と、黒衛は私に小さな箱を差し出してきた。
「開けてみても良いですか?」
「勿論」
箱を開けると。
それは銀細工の髪飾りだった。緑色の宝石が四つあしらってある。この宝石はエメラルド? でも猫目石みたいに白い縞が入っている。
珍しい石だけど、エンチャントとかはされていないみたいだ。魔力を感じない。
何かの植物をモチーフにしたデザイン。
初めて見る四葉の植物だけれど。何となく……その名が解ってしまった。
「クローバーってさ」
――ああ、やっぱり。
「花には復讐っていう花言葉があるけれど、本当はもっと有名な意味があるんだ」
四葉のクローバーは幸運の象徴なんだと、黒衛は言った。
「クローベルは前に、自分の言葉が重荷になっていないかって言ってくれたけれど、それを言うなら俺も同じでさ」
復讐の意味がクローベルの生き方を縛ってしまってはいないかと、黒衛は言う。
……戦う事以外の事にも目を向けて欲しいと。黒衛の言いたい事は、そういう事なんだろう。
そればっかりで過ごしてきた私には、少し難しいけれど。
私が黒衛が自分を度外視するのを心配するように、私が私の剣以外の事に重きを置かない所を心配してくれているんだろう。
うん。とても嬉しい。嬉しくて優しい贈り物だ。
でも幸福、か。
レリオスが倒れた今だからこそ。
戦いが先に控えているから触れずにそっとしておいたけれど、目を向けるべきものが色々とあるのではないだろうか。
だから黒衛もフェリクス陛下への返事を保留にしたのだろう。
黒衛との事は、とても上手く行っている。
だから思うのは、まずコーデリア様の事だ。
――もし「私」がそんな事を言い出したら、私を信じてあげて。支えになってあげてね。
コーデリア様は何を思って、私に黒衛の事を頼んだのだろうか?
黒衛は確か以前、コーデリア様が両親と居る時の気持ちが伝わって来て嬉しくなるんだって、そう言っていた。
人が人を好きになる気持ちが、こんなに暖かくて優しいのだとしても……いや、だからこそ、か。そういう気持ちは黒衛とコーデリア様の間に共鳴する。
ああ。だとしたら。
私は黒衛に言わなきゃいけない。それから皆と話をしなきゃ。
「これを付ける前に……話をしておきたい事があるんです」
「何?」
「黒衛が先ほどのお話に即答しなかったのは、やはりフェリクス陛下やコーデリア様の事が気になったからですか?」
「うん……。だけどクローベル。それを掘り下げる意味を、解ってて聞いているんだよね?」
黒衛は少しだけ困ったような表情になった。私は頷く。
「コーデリア様の、共鳴の事」
「……うん。さっきの話が終わった時にね。一瞬だけ不安そうになって、すぐ共鳴を抑えてた。フェリクス陛下がもしも口にしたら話が纏まってしまうだろうし」
フェリクス陛下はご自身がああいう仲睦まじい夫婦だし、黒衛に対しては誠実にあろうとしているから言わないと思うけれど。それでもコーデリア様の不安は消せないだろう。
きっとコーデリア様は黒衛が貴族になると言う事の意味を考えた時に。フェリクス陛下が思った事に気付いてしまったのだろう。
それで同時に、黒衛もコーデリア様の事に気付いた。
だって黒衛が貴族であれば。そこは私達の気持ち一つで色々解決出来てしまう問題ではあるのだ。黒衛は一途で、それは美徳だしとても嬉しいけれど。だったら私がするべき事は黒衛の背中を押してあげる事なんじゃないだろうか。
「黒衛が貴族になって、気持ち次第で解決出来てしまうというのなら、確認するべきだと思うんです。私は黒衛が私の事を好きでいてくれればそれで足りていて。あなたを独り占めするのは多分、私のわがままになってしまいますから」
フェリクス陛下の願いと、コーデリア様の内心。
思考がややごちゃ混ぜになっているか。少し話を整理して行こう。
フェリクス陛下の心配事はコーデリア様の事だ。
コーデリア様には今も国内外の貴族から求婚の話が数多く舞い込んでいるが、それを受けるわけにもいかない。担い手であるコーデリア様が誰かの所に嫁ぐというのは火種の元になって危険性が高いし……コーデリア様もそのつもりはないだろう。
かと言ってトーランド国内でコーデリア様の立場を宙に浮かせておくのも貴族達の不満を抱えてしまう事になるのであまり良い選択ではない。
黒衛が元の姿に戻って叙勲されるのなら、フェリクス様だって親心としても王としても、黒衛とコーデリア様の婚約の事ぐらいは考えるだろう。そう言った問題が、黒衛が相手の時は唯一発生しないからだ。
そしてコーデリア様は私と黒衛を応援してくれている。
でも自分の共鳴が黒衛の心に影響を与えてしまうと知っているから、そうならないように注意をしている。普段は――黒衛でさえ中々気付けない程に繊細に抑えている。
――最初から……黒衛に対してはズルが出来てしまうから自分は近付いてはいけないだなんて、如何にもコーデリア様が考えそうな優しさじゃないか。
だからコーデリア様の心の内にはまだ見えていない所があって。
何より黒衛の気持ちだってコーデリア様に共鳴で伝わってしまう以上は、もしそうだったなら……それはきっと、とても辛い事だろう。
ちゃんと確認もしないままで、私は幸せになるだなんて、とても言えない。
ベルナデッタ様やマルグレッタ様の事だって。
きっとあの二人は人間を好きになる事が出来ても、黒衛だけはずっと特別であり続けるだろう。
あの人が永遠を歩くのに、家族のような存在を求めたのか、黒衛だけを特別に求めたのかは……多分聞かない方が良いと思っていた。
だけどもう、状況が違う。
あの人が見せる夢の中でみんな一緒に。それも――悲しいながらも幸せの一つの形かも知れないと私は思えたのだし。
黒衛と、みんな一緒というのは。それはそれで幸せなんだろうな、と思う。
どうであれあの人は黒衛との約束をちゃんと果たして、黒衛の日本の家族を安心させてくれるのだろう。そこは絶対に違えないはずだ。
長く苦しい孤独の運命を今日まで耐え抜いたあの人には、当たり前に幸せになって欲しいと心から願う。彼女にとっての特別である黒衛にしか与えられない物があるならそれも、彼女の所に運ばれて欲しいと思う。
メリッサさんは……判断基準がどこにあるのかよく解らないが……まあ、貴族の妻となる事を考えたなら、旅の仲間までであるなら私は許容出来るかな、と思う。だから。
「だから独り占めは、黒衛が私にして下さい。そうすれば私はきっと幸せになれるし、黒衛に大切にされる自分を大切に思えますから」
「でもそれが俺やクローベルの、考えすぎだったら?」
「その時はその時で、私も黒衛を独り占めします」
勿論、私の考えた事が間違っているならそれはそれで構わない。
コーデリア様は本当に兄のような人として黒衛を見ていて、私達を純粋に応援してくれているのかも知れないし、ベルナデッタ様はたくさんの大切な仲間に囲まれている今の状況こそが望んだ幸せなのかも知れない。
「解った。コーデリアに確認しよう」
「ん……それなら髪飾り、付けてもらえますか?」
頷く黒衛が私の髪に触れて、髪飾りを付けてくれる。
ふと顔を上げると、間近に黒衛の優しい顔があった。私は目を閉じる。
少しの間があって、唇に柔らかい物が軽く触れる感触があった。
目を開けると、黒衛は少し顔を赤くしていた。
それは私もだ。戻ろうかという彼の言葉に頷いて、後ろからついていく。
うん。私だって黒衛が好きだ。だから黒衛が私の事を好きだって言ってくれた事を、軽んじたくない。
黒衛にはずっと私の事を好きでいて貰いたい。その為の努力もしたい。
だから今は――これくらいは許して欲しいな。
そして、これからの事を考える。
閉じていた蓋を開けて。それでどうなるかは解らない。
これから先も、色々な事があるだろうけれど。
黒衛と一緒なら私はどこにだって歩いていける。だからいつもみたいに、少しだけ黒衛の後ろを行く。
願わくば、みんなが幸せでありますように――。




