78 シャーロットの憂い
挨拶もそこそこにシャーロットに頭を撫でられた。
にこにこ笑いながら、普段より長い時間を使って、という感じである。
私が今まで忙しそうにしていたので自重していたようだ。
いつもの事ではあるのだが、実体がある分やや気恥ずかしい。まあそこはコーデリアとのリンクのお陰で心情的には寧ろ落ち着く感じなので、不快なわけではないのだけれど。
そんな風にして壮行会は妙に和やかな雰囲気で始まった。
運ばれてくる料理と飲み物は流石に庭園の方がバリエーションに富んでいるが、センテメロスの王城で出される食べ物が不味いはずもない。
「クロエ君、ちょっといいかしら」
食事をしながらのんびり寛いでいると、シャーロットが話しかけて来た。
「何でしょうか?」
「そちらのバルコニーでお話ししたいのだけれど、良いかしら?」
「勿論です」
私は頷いてシャーロットについて行く。
センテメロスを一望出来る見晴らしのいいバルコニーに出ると、シャーロットははにかんだように笑った。
「ごめんなさいね。クロエ君、この所忙しそうだったから」
チャージ期間が長かったから撫でるのも更に念入りになったわけか。
「いえ、別に嫌ではないのですけど」
「そう言ってくれると嬉しいわ。明日はみんなで出発だし、寂しくなってしまうから許してね。あの人も……国軍を動かせない事を残念がっていたわ」
「行き先が空じゃどうしようもないですよ。コーデリアには怪我をさせずに戻ってきますので。シャーロット様は朗報を期待していて下さい」
そもそも場所がどこであろうが魔竜に軍で挑んでも無駄だしな。
それを防げるとしたらグリモワールを持っている者や断章化した者だけだし。最後まで同行しようと決意を固めているメリッサには奴からの侵食を防ぐ為の魔道具を何種類か渡してある。
コーデリアの事が心配なのは勿論なんだろうが……それとも私の中にいるコーデリアにも挨拶しておきたいのかな?
「ありがとうクロエ君。でも、私がお話ししたいのはあなたの事なのよ」
「私、ですか?」
「ええ。クロエ君のお話よ。確かにコーデリアの事も心配だけどね。私達が王族としてあの子にしてあげられる事は少ないように思うし、歯痒くはあるの」
一国の王、王妃をして、してあげられる事が少ないというのは……。
ある面では確かにそうなのかも知れないが。魔竜との戦いで、彼女を「守る」事はフェリクス達には出来ないだろう。
だがそれでも二人はちゃんとコーデリアを守ろうとしてくれている。
コーデリアを政治的に利用したりしないという、それだけで充分過ぎるほどだ。
あの子にとってかけがえのない、代わりのいない二人だ。
「コーデリアは……あなた達が必要ですよ」
「ええ。家族として愛しているし愛されていると思う。それは嬉しいわ。フェリクスや私は、きっとそれだけでコーデリアが足りてしまうというのが……悔しいのね。無い物ねだりだって、解ってはいるけれど」
ああ。他にしてあげられる事が無いのが解ってしまうから、歯痒いと言う事か。
例えば彼女なら、フェリクス達の庇護が無くても生きていけるだけの実力というか、強さがあるのだから。
だけど、なくても生きていける能力があるから大事じゃないなんて事には、絶対にならない。
ただそれは多分コーデリア側から見た話で。二人からコーデリアを見た場合は、また違うのだろう。
「まあ、こんなのは子離れ出来ない親の愚痴みたいな物ね」
シャーロットは苦笑した。いや、まあ。七年行方不明で離れていたわけだし。
「話が逸れてしまったわね。私は……クロエ君が出発してしまう前に、どうしても言っておきたい事があってね」
「何でしょうか?」
うん。自然とコーデリアの話題になってしまったけれど、私の話だったはずだ。
シャーロットはいつもの穏やかな笑顔から真剣な面持ちになって、私にこう言った。
「どうか……怪我をしないで無事に帰って来てね。私やフェリクスが、あなたに望むのはそれだけよ」
……菫色の瞳はコーデリアによく似ていて。
真っ直ぐに見つめられると、何もかも見透かされているような気持ちになってしまう。
黒衛に話をしていると前置きをしたのに、自分の子供を心配している時のようなシャーロットの表情だった。
だから……黒衛のつもりで答える。
「……ん。行ってきます。かあさん」
シャーロットは少しだけ困ったように眉尻を下げて笑うと、私を抱きしめて来た。
普段、彼女から撫でられるというのは多いけれど、抱きしめられるっていうのは……少ないよな。シャーロットはコーデリアに対してはよくそうしているけれど。
「あなたはやっぱり……とても優しい子ね。逆に気を遣わせてしまったのかしら。ごめんなさい」
もしかしたら私が帰らない理由を察したのだろうかとも、思う。
シャーロットは俺が帰りたくても帰れないのではと、心配してくれているのかも知れないな。
だから親の代わりになれるのならばなりたくて、トーランドを故郷のように思ってくれたらと。
でもそれを俺に押し付けたくもないから、色々な言葉を普段から飲み込んでいたのだろうし、私を抱きしめたいのも抑えているのだろう。
黒衛としての言葉なら。それで彼女が安心してくれるなら、シャーロットを母と呼ぶ事も自分に許してやれるけれど。フェリクスやシャーロットに甘えるのは、平坂黒衛の役割ではないと思っているから、普段二人を父や母とは呼んでいない。
これは二人を好ましく思っているのとはまた別の話だ。
私の胸の奥にあるコーデリアの思い出は、彼女の為に使われるべき物だからだ。コーデリアの心が必要な時には共鳴で彼女に返しているのだし。
私がそんな風に思っている事を、普段の行動や、発してしまいたい言葉を抑えているシャーロットは、きちんと解ってくれている。
だからシャーロットも今はただ、心配する言葉だけをかけてくれた。魔竜に勝ってほしいとは、決して求めなかったんだ。
でも、シャーロットは少しだけ誤解していると思うんだ。
私がこちらに残るのは、断じて諦めなんかじゃないし、立ち止まるのが怖くて振り返りたくないだなんて、もう思っていない。
「そんなお顔をなさらないで下さい。シャーロット様のお気持ちは、ずっと嬉しく思っているんですよ」
言ってしまえば、今から魔竜と戦うのだって全部自分の為なんだろう。
ここに来るまでにしてきた事。出会った人達。これからの選択。
その全部が誇りなんだと人に言えなければ、それこそ誰にも顔向けなんかできやしない。前を向いてさえ歩けなくなってしまう。
だからもう、どこで何をしていたって私は大丈夫。
「いってらっしゃい、クロエ。どうか無事で帰って来てね」
シャーロットは困ったような表情ではあったが優しく笑った。
翌朝。私達はセンテメロス王城の中庭に面する崖の所に集まっていた。
「断章解放。ゴーストシップ『ティターニア号』」
ティターニア号を呼び出すが、その有様は以前と大きく違う。
宙に浮かぶ、船体のその色は黒。
金属とも岩石ともガラス質とも判別しにくい、不思議な質感の材質で作られている。
時折、緑色の光のラインが、船首から船尾に向けて走る。マストはあるけれど、生物的な魚のヒレみたいな翼も両舷からせり出しているし、普通の船とはまるで別物だ。
グリモワール内に保管されていた、アルベリアの遺物、黒き浮船――である。
操縦者はティターニア号の核。
ベルナデッタがティターニア号がこれを操縦しやすいように調整してくれた。船首にあるフィギュアヘッドだけは黒き浮船の方に流用させてもらっている。
このままこれで、アルベリアの廃都へ向かうわけである。これならば最後の分身との空中戦に置いても戦力となるだろう。
勿論これだけでは不安があるので他の航空戦力を召喚する必要はあるのだろうけれど。アルベリアに向かうまで、飛行モンスターの体力を消耗しないで済むというのは大きい。
私達はティターニア号に乗り込み、フェリクスやシャーロット、ベリウス老やウィラード、セドリックと言ったお城の面々が見守る中、センテメロス王城を出発した。
「必ず! 必ずみんな無事に帰ってきてね!」
シャーロットは大きく手を振る。
私達も甲板の側壁から、遠ざかる王城の人達へ何時までも手を振って。
空へと、飛び立っていく。
やがて、彼らの姿も小さくなって。見えなくなった。
別れはいつも名残惜しいな。
「コーデリア、大丈夫?」
「ん。私は大丈夫。あ、それよりお兄様、凄い景色!」
コーデリアは甲板から見える海とトーランドを指差してそんな事を言った。
私と視線が合うと、にっこりと微笑む。
「普段箒で空を飛んでいますが……こんな高空を飛ぶのは初めてですよ。空を飛んでいるのに、全然寒くないし風も無いんですね」
と、メリッサが言う。
今は……甲板に出ていても気圧も温度も快適だったりする。箒でどこまで行けるのかは知らないが……まあこの高さは当然無理なんだろう。
「小規模でもアルベリアを飛ばしている原理と同じ魔術が用いられているからね。浮船に組み込まれた術式でフィールドを発生させて、温度も気圧も一定に保たれているわ」
「この高さで甲板に出られるとか……ある意味飛行機より凄いな」
「通常航行時の速度は大して速くないけれどね。予定の場所に着くまで少し日数があるから、ゆっくり過ごせそうではあるけれど、それまでちょっと暇になるかも知れないわ。景色は楽しめるかも知れないけれど」
「ベルナデッタ様は生まれた時から見ていらっしゃる景色なのですか?」
空を飛ぶアルベリアで育ったと言うのならと思ったのだが、クローベルの言葉にベルナデッタは首を横に振った。
「……島の端っこの方なんかに行ったら怖いじゃない」
まあ……それもそうか。庭園の隔離空間で見た記憶では、ベルナデッタは城下町にも行っていたし地上にも降りていたけれど。
人のいない、島の端なんかにベルナデッタの用は無いよな。
女王モードのマルグレッタも普通に飛び回っていたから高所恐怖症なんて事は無いだろうけど……あれ?
マルグレッタはぬいぐるみを抱きしめたまま、船室に続く扉の所から動こうとしない。心なしか不安そうだ。子供モードの時は高い所がダメだったりするのか……?
反対にファルナは側壁から身を乗り出したりしている。彼女の場合は空も飛べるから落下の心配はいらないが。こっちはこっちで、解ってはいても見ていてひやひやする光景だな……。
そんなわけで暫く景色を楽しんではいたが、やがてみんな船室に戻った。
ベルナデッタは忙しくて出来なかったからと、手の中に魔法陣を作り出して色々調整をしている。
出力装置と入力装置だけを現実世界に引っ張りだすつもりらしい。モニターは映像を映して音楽を流すだけだが、コントローラーは実物ではなく、合成術式で体裁を整え、信号情報を魔法的に再現するという……無駄に高度な技術をゲームに継ぎ込もうとしているわけだ。
情報のやり取りさえ正しく出来れば、庭園内に情報再現したゲームを現実世界で遊べる……という理屈のようだ。
庭園のベルナデッタとメールのやり取りを出来ていたのと一緒だな。
ところが、ベルナデッタの作業は終わらなかった。というか中断させられた。その日の夕方頃に、背後の方から迫って来る巨大な魔力反応を感知したからだ。
慌ててみんなに声を掛け、甲板に飛び出して後方を見ると、巨大な竜が追いすがって来るという場面であった。
鮮やかな青い鱗を持つ美しい竜であったが……巨大な魔力を持っている。メリッサなどは分身の襲撃かと身構えたが、私やコーデリアの反応は違った。
「イシュラグア様!?」
コーデリアはそんな風に驚いたような声を上げる。
そう。エルダードラゴンのイシュラグア。
トーランドの北部を統治している竜王の名だ。普段は領地の大渓谷の奥にいるはずで、滅多に姿を見せないのだが……。
何で竜王自らが、私達を追いかけて来てるんだろう?
 




