76 女王の解放
「あ――わ、私……」
女王は周囲の状況を把握して、身体を小さくした。
何だか、子供が悪戯を見つかってしまったかのような反応だった。
……閉鎖空間の壁は、こうして砕けた。
みんなに心を開いても……いや、だからこそ、さっきの事を後悔しているんだな、これは。
私は最初から許すとか許さないなんて話に捉えていないけれど。ベルナデッタにとっては違う。だって、彼女は過去の自分も許していないのだし。
だから女王はみんなが許してくれるのか不安なのだろう。
それでも彼女は受け止めようとしているし、歩き出そうとしている。
今回の一件の一部始終を皆に話して聞かせ、それから頭を下げた。
「ごめんなさい。私は……黒衛に甘えてしまったの」
女王はそう罪の告白をする。
ベルナデッタも、一緒に頭を下げた。
悲しそうな顔をする女王に、ベルナデッタは言う。
「この子の罪は……私のものでもあるもの。私は……黒衛や皆が、私の庭園で楽しんでくれるのが、とても嬉しかった。優しい人達と一緒に笑って過ごせる時間を、昔から何度も夢に見ていたから。ずっと……このままでいられたらって思ったくらいだわ」
ベルナデッタは、空を仰いで目を閉じる。
「分身は残り一体で。そうしたら、みんなと一緒にいられる時間は後僅かなんだなって気がして……寂しかった。岐路に立つのも、決断をするのも、あいつに相対して憎悪を爆発させてしまうのも……何もかもが怖かった。だから……きっと黒衛を夢に捕えてしまっていたら、私は、もう――」
大切に思った人を夢に捕えて……その優しさに甘えてしまう方が、殺す事への恐怖や忌避感が無い分、歯止めが利かなくなっていたのではないかと、ベルナデッタは言う。
つまり死なせたくない。一人にもしたくないという私の言葉が、憎悪による破壊や殺戮を回避するという彼女の大前提にしていた動機とも合致してしまったのだろう。
「黒衛を捕えてしまったらその後は……。『理由』さえ揃ってしまえば、私はそうしていたと……思う。皆といる事を、望んでいたから」
女王は俯いて、そう言った。
私を捕えるところまでは殺戮の回避と言う理由があって……そこから先は彼女の心の暴走で、我儘。だから、甘え……か。
「ベルナデッタ」
コーデリアが彼女の名を呼んで近くに歩いてくる。
女王は見放された子供のような顔で、コーデリアを見上げた。
……大丈夫。大丈夫だよ。
コーデリアは、昔の平坂黒衛みたいな……普通の奴一人、犠牲にするのを良しとしない。そういう子なんだ。
だからそれがベルナデッタなら、どうするかなんて言うまでも無い話で。
コーデリアは見上げる女王の肩を、そっと抱く。
「……うん。私ね。あの剣を見た時、なんだか怖かったの。あの剣がじゃなくて。ベルナデッタが、消えてしまいそうな顔をしていたから。そういう、事だったんだ」
「ごめんなさい、コーデリア」
ベルナデッタは俯いた。
「ベルナデッタ……一人でいなくなるとか、魔竜を倒したら終わりだとか。そんな寂しい事言わないで。私が怖がっている時も、壊れそうになった時も……ベルナデッタはずっと、ずっと一緒にいてくれたんだから……」
それを返したいと。コーデリアは、言う。
「今度は私だって、ベルナデッタと一緒にいる事を選びたいよ。私と。私達と一緒に行こう? ベルナデッタがいないなんて、そんなの私だって嫌だもの」
「み、みんなは……私を、許してくれるの?」
女王が涙に濡れた瞳で、クローベル達を見る。クローベルは自分の胸に手を当てて、目を閉じた。
「延々と恨みを抱えるのは確かに、疲れます。仇と相対した時に憎悪を爆発させて、今の自分とは違う自分に変貌していくのではと、私も随分悩みました。折角取り戻した自分の心、なのですから」
クローベルにとっては、斬った仇達の話。ベルナデッタにとっては、レリオスと相対した時と、その後の話、か。
「でもこの心も、今の状況も、元はと言えばベルナデッタ様に拾っていただいたからこそなのです。どうか、私にその御恩を返させてください」
復讐を果たさなきゃ憎悪の軽減も何もない。
踏み込んだ、その先にいるクローベルだから言える事だな……。
「わ、私は……黒衛を閉じ込めてしまっていたかもしれない、のに」
「それは……困りますね」
小首を傾げて、苦笑する。
「けれど、私も望めば呼んで下さるという話だったのでは?」
「ええ……」
「あなたが見せて下さる優しい夢の中でみんな一緒に、というのは……それもまた、幸せの形なのかも知れませんね」
「そう……かな」
……そうだな。それは多分、とても幸せな夢なんだろう。
でも私達はそれで良くても……多分、ベルナデッタはそれをいつか後悔してしまうんじゃないかと思う。
だから……今回の結末で良かったと、私は言うけれど。
クローベルは微笑んだ後で、どこか遠い目をした。
「世界には辛い事や悲しい事ばかりで……走り疲れて立ち止まった時に、陽だまりの暖かさに安らぎを求めてしまう事は、誰にだってあります。それを責める事なんて、出来ません。私は剣を振る事しか知りませんが、あの者とそれに連なる者を斬り伏せる事で、ベルナデッタ様のお心が安らぐようにと、そう願っています」
「……ありがとう。クローベル」
女王は瞑目して言った。
「私は――ベルナデッタ様とはまだ知り合って日が浅いですが」
と、メリッサが微笑む。
「私が今生きているのはコーデリア様のお陰で、ここにいられるのはクロエ様のお陰です。その運命を導いたのはベルナデッタ様でしょう。ですから、感謝こそすれ責めるなど」
その言葉にファルナも頷いた。
「私はベルナデッタもテイエンも好きだよ。私は確かに、あいつの作り物だから。ヨノナカとかセケンとか、よくわからない。だけど、クロエとベルナデッタが受け入れてくれたから、色々覚えろって言っていたラーナの言葉を守れるの」
「私は……あなた達に大した事なんて、してない……わ」
「いいえ。お一人で苦しんででも、ベルナデッタ様はご自身の高潔さを保とうとして下さった。それが最初に無ければ……きっと何もかもが違っていた」
――高潔。そう。高潔だ。自ら望んで選んだ孤独。それは孤高や、或いは高潔と呼ばれるものだろう。
ベルナデッタが外に出る事を嫌がって、拒んでいたのは……。結局、負の感情を受け持って自分をそのままに留めるという、自らの役割を受け入れていたからだ。
俺が彼女を外に誘ったのは……ベルナデッタのその孤高に、不純物を混ぜて堕落させるようなものだったのかも知れないけれど。
その頂からはもう……みんなの所に降りてきて欲しいと、そう思う。
「ベルナデッタ」
私が名前を呼ぶと、皆の視線がこちらに集まった。
「ベルナデッタを許さない人も許せる人も……自分自身しかいない。ここにいる人は、誰も責めたりなんかしないよ。今すぐ過去の自分を許してやれなんて私には言えないけれど、その手助けになれたら嬉しいんだ」
女王に手を差し出す。
「だからさ。ここから、一緒に出よう」
女王は私を見上げ、涙を拭って頷く。
そうして私の手を取り立ち上がった。
ベルナデッタは、目を閉じて微笑んだ。
「……お茶に、しましょうか」
そんなわけで……庭園で女王歓迎の意味合いを込めてのお茶会となった。
女王はまだどこか戸惑っている感じだが、ベルナデッタの方は堂々と、と言うか、いつもの飄々とした感じだ。
けれど。二人ともどこか吹っ切れたような、穏やかな表情だった。枷から解放されて、これからは外に出られるのだし。
「ところで……二人はまた一人になったりするの?」
私がそんな事を聞いたのは、元々彼女達は一人が二人に分かれただけで、私とコーデリアのように混ざっているわけではないからだ。その気になれば元の一人に戻れるはずである。
疑問に思って尋ねてみると、ベルナデッタと女王は揃って首を横に振った。
「離れていた時間が長かったもの。今更一つになってもね」
「そうね。私も統合したくはないわ。今まで耐える事が出来たのだから負けるとは思わないって、黒衛はそんな風に言ってくれたのだし。私もこの私の在り方が誇りなんだって、何時かそう言えるようになりたいの」
「ん……。そうなると良いね」
笑みを向けると、向こうも笑みを返して――。
「あっ」
「ん?」
唐突に女王が、驚いたように目を丸くした途端、身体が光に包まれて、風船から空気が抜けるように縮んだ。一瞬にしてベルナデッタより大分幼い姿になってしまう。
「……ええと」
ベルナデッタとファルナ以外の全員が目を丸くして、女王に注目する中、彼女はブカブカになったドレスの袖を見ながら、気まずそうな表情を浮かべた。
ドレスの方も光に包まれて、容姿にぴったりなサイズとデザインになる。それから顔を上げると、澄ました表情でこんな事を言った。
「……それで、何のお話だったかしらね」
その声も口調も、先ほどより舌っ足らずで幼い感じだが。
「いやいやいや。あからさまに誤魔化さない」
そう言うと、女王は唇を尖らせてそっぽを向いた。
「だって……さっきの姿になった事も含めての『わたし』だもん。出来る限りあの姿でいたいの」
「……ええっと。つまり、どういう事?」
「……本体の私と違って、そっちの私の容姿は、精神状態に左右されるの。中身がスカスカなのに、気合であの状態を維持していたのね。だから、ちょっと気を抜くと相応しい姿に戻ってしまうみたい」
ベルナデッタからネタバラシが入った。……心無しか、ベルナデッタも気恥ずかしそうだ。
「……つまり、今は怒りパワーが無くなっちゃって省エネモードっていう感じかな?」
「そんな風に理解してくれればいいわ。あの姿が良いって言うなら……いざと言う時には感情によらず、大人の姿になれるようにしましょうか?」
ベルナデッタの言葉に、女王は眉を顰めた。
「あれはあなたの力でもあるのに。それでいいの?」
「私より好戦的なあなたの方が、力は上手く使えるでしょう? 感情と関係が無いのなら暴走とも関係のない話だし、心の安定に繋がるならそっちの方がいいと私は思うのだけれど」
前までの両者の力関係は見た目に比例していたようだが、女王が外に出る決心をした事で、会った時よりはベルナデッタの力が増し、その分女王の力が落ちている、と言う事になる。
「でも、二人ともベルナデッタじゃ混乱しそうだね」
「それもそうね」
コーデリアの言葉に、幼い女王は唇に指を当てて思案に暮れる。
因みに私は内心で女王、女王などと呼んでいたが……まあ私が心の中で勝手に呼んでいただけだったりするしな。
今は女王とはとても言えない。威厳? 何それ? という感じの可愛らしい姿だ。もしも最初にこの姿で彼女と会っていたら、間違いなく別の呼び方をしていただろう。
女王は暫く頭を捻っていたが、妙案が浮かんだとばかりに顔を上げ、私の方を見ながらこう言った。
「じゃあ、ワルナデッタと言うのはどうかしら?」
ごめん。何がじゃあなのかが解らない。地球の文化が好きなのはよく解ったが。
見た目が大人でも幼女でも、そういうセンスの部分は、多分ベルナデッタと一緒なんだろうな。




