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71 庭園深淵部

 ――分身は後、一体。

 それを倒したら、私は選択しなきゃならないわけだ。

 レリオスと戦うか否か。つまり、あいつを殺すか否か。封印を解いて対峙するのか、それともそのままにしておくのか。


「レリオスは……殺せる手段があるのなら、そうした方が良いのよ。あなたの言う、通りだわ」


 ベルナデッタは苦り切った表情で言う。……またあの「枷」が彼女を苛んでいるのかも知れない。


「ベルナデッタ。辛いなら無理は……」

「……大丈夫よ。あなたにとっては、プリグリのゲーム中での話になってしまうけれど……アウグストのセリフは覚えてる?」


 魔術師アウグスト・ブラントス。レリオスの封印を解いた男。


「覚えてる、よ」


 自分を倒して、魔竜を封じても誰かがいつか、必ずその力をまた求めると。

 アルベリアの力を。グリモワールの力を。秘宝を。秘術を求めずにはいられない。

 それが、人間の業だからだと……アウグストはそう言い残して、死んだ。


「私はね、あの言葉。正しいと思うの。レリオスやアウグストみたいな人間が生まれたように。いずれ誰かが同じ事をする。だからきっと……封印じゃダメ。また誰かがアウグストみたいな事を考えて――アンゼリカやコーデリアや、あなたみたいに。誰かの力を借りなきゃいけなくなって、誰かが苦しむもの。その時、今回のように優勢に立てるという保証は、どこにも、ない、わ」


 ベルナデッタは辛そうにしながらも、そう言い切った。


「その為の力は、あなたに託したでしょう?」

「……そう、なんだけど」


 私は手の中に断章カードを出現させる。


 レジェンド ランク 42 煌剣オクシディウス

『煌めきは今や、天の頂きにあり。掲げ、称えよ。いつか約束の地に至るまで』


 あれから二体の分身を倒した事によるものか、それとも私自身の成長か、意志によるものかは知らないが……フレーバーテキストに変化が起きている。

 多分、比例して威力の方も上がってるんだろうな。そして、後一段階ぐらいはフレーバーテキストも変化するはずだ。

 確かにこれならレリオスの持つ固有魔法とか無視してあいつを殺せるんだろう。

 だけど――私はこれを。


 ……使いたくない。

 いや。違うな。

 絶対に、何があってもその為(・・・)には使わないと、私は既に決めている。

 現に、私にこれを渡した時も、それから今も。ベルナデッタは――。


「……な、んで」


 顔を上げると、ベルナデッタは呆然とした面持ちで私の方を――いや、私の背後を見て、いる?

 振り返ると……そこには今まで無かったはずの魔法陣が浮かんでいた。

 血で描いたような赤。そして、その紋章――。


「嘘――。わ、私……、私は、こんなの……作って……ないっ」


 ベルナデッタの顔は蒼白だった。

 もう立っていられないらしく、地面に倒れ伏してしまう。


「ベルナデッタ!」


 彼女に駆け寄って、その肩を抱く。軽い。小さくて細い肩が細かく震えていた。


「あ、あああ――そんな、そんな事……ッ」


 書庫に浮かぶ天球儀と魔法陣が、狂ったようにぐるぐると回転している。魔法陣の中心から黒いシミのようなものが拡がって庭園の空間に……ぽっかりと空洞が生まれた。

 でも、なんで、このタイミングで? レリオスの居場所を掴んだから?

 ……そうか。

 分身が――残り一体だと、確定したから。


 庭園に空いた穴は、ゆっくりと小さくなっていく。

 閉じる前に来るのか来ないのか選べと。そう言っているんだ。きっと。

 他の誰かを呼んで来ようとすれば、あれは即座に閉じてしまうんだろう。


「……呼んでる、のか」

「ッ!」


 私の呟きに、腕の中にいたベルナデッタが反応した。息を飲んで、私の服を掴むと首を横に振る。


「……あの子とも……ちゃんと話をしなきゃいけないって思うんだ」


 私の答えに、ベルナデッタは目を丸くする。


「黒衛は――あれが何か、解っている、の?」

「多分」


 私の返答に、彼女は目を背けて辛そうに唇を噛んだ。

 ベルナデッタの事だから枷が――いや、記憶の封印があったとしても、きっともうあれが何なのか理解したんだろう。


「だったら……行っちゃ駄目だって解るでしょう……? 上澄みを掠め取っただけの……あいつなんかとは――あれは最初から違うのよ?」


 ……辛いのは彼女だろうに。

 ベルナデッタはこんな事を、それでも私に言うんだ。

 だけどベルナデッタの頼みでも、それは聞けない。


「行かなきゃもう二度と……話をしてくれないだろ。今だから呼んだんだと思う」

「――ッ」


 私を掴むベルナデッタの手から力が抜けた。

 彼女の身体を横たえて、私は立ち上がる。空中に開いた穴の中に身を、躍らせた。


「待って! 私も行くッ!」

「なっ――」


 一瞬遅れて、ベルナデッタが黒い穴に飛び込んできた。私にしがみ付く様にして。

 次の瞬間――出口が塞がった。


「ベルナデッタ」

「私が……一緒にいる場面で呼んだって……そういう事でしょう?」


 そう、なのか。きっと――ベルナデッタの同行も求めたんだ。じゃあ……彼女の選択に何も言うべきじゃないな。

 



「……深いな」

「……」


 ベルナデッタは無言だ。その体が震えている。

 辺りは一条の光も差し込まない。真っ暗だ。

 感覚で、落下しているのが解る。

 落下と言うには速度は緩やかだから……水の底へ降下していると言うべきか。


 気泡のように奥底から浮上してくるものがある。

 それは記憶か、記録か、感情か。

 すれ違う度に、今でない時。ここでもない場所の光景が、垣間見える。


 ――少女がいた。

 とても――優しい少女だ。

 餓えた人に。怪我をした人に。病に倒れた人に。

 誰彼構わず救いの手を差し伸べた。その為の手段が彼女にはあったから。

 出来るから、そうする。そうしない理由が少女には解らない。

 だから本を片手に少女は歩く。


 その人を取り巻く問題が解決したら――環境が整えば外に出す。

 食べ物があれば。怪我を治せるなら。病を治せるなら。

 そうでなければ、どうする?


 夢を見せるのだ。優しい夢を見せる。

 その中なら誰も死ぬ事はない。だからずっと笑顔でいられる。

 誰も餓えない。誰も死なない。

 きっとそうする事が万人にとっての幸せ。誰もが望んでいる事。自分に望まれている事だと。

 そう少女は信じていた。


 ある時、少女の王国に死病が広がる。

 老人も子供も男も女も、貴族も平民も奴隷も死んでいく。

 苦しみ抜いてのたうち回る人々を、少女は当たり前のように救おうとした。

 それを周囲の者達は――快く、思わなかった。


 病を治す手立てもないのに。少女自身が病に倒れたら、どうする?

 自分達がその後で病に倒れたら、どうする?

 後に残されるのは、死病の者達を抱えた本一冊だけだろう。

 或いは少女が失われる事で、本が制御を失って大量の病人が溢れかえるかも知れない。


 それでは困るのだ。だから彼らは少女に言った。

 本の中へ行けば、疫病に倒れた者達もすぐに助けられるだろうと。


 確かに――少女にはそれが可能だった。

 本の一頁。

 記述と化した彼らをどうするのか。

 本の内側から記述を書き換えれば良いのだ。


 だけれど、それには条件が一つ。

 固有魔法を書き換えて、リスクを背負わなければならない。

 自分の意志では本の外に出てくる事が、出来なくすれば、少女の魔法は完成する――。


 少女は迷わず、周囲の人間に言われたその方法を実践した。

 周囲の者達は言う。

 そちらに病に苦しむ人を送ってあげたい。君を後から出してあげたい。

 だからその為の権限を、本を持つ者に与えるようにと。

 それに新たなルールの策定が出来れば色んな状況にも対応出来ると。

 少女は嬉しくて快く頷いた。

 だって、その周囲の者達とは――少女の肉親達だったから。


「だけど――結局、私が馬鹿だったのよ」


 背中にしがみ付くベルナデッタの冷たい声が聞こえた。


 死病は治した。残らず書き換えた。

 だけれど外に出す為の魔法だけは一向に使われない。

 来るのはまだ死病に苦しむ人達だけだ。

 死病の患者が溢れる本の中になど、誰も行きたがらないから。

 本当に死病が治ったのか、確信が持てないから。


 治った人達に夢を見せながら、少女は一人。佇んで、待つ。


 いつしか外の死病は収まった。

 外の人達とのコンタクトを取る為に意識体作成の魔法を作っても。

 それでも誰も少女を求めなかった。

 身を捧げて王国を救った聖女だなんて。

 そんな風に祭り上げながら、当の少女には手を差し伸べなかった。

 死病がまた広まったら困ると、外の人間達は言うのだ。


 けれど実際は王族の跡目争いや、宮廷内の権力争いの延長だ。少女への民からの人気に危機感を抱いた者がおり、送り込まれた患者の中には有力な貴族がいたというだけ。

 彼らは皆命の恩人である少女の派閥に組み込まれたも同じだ。

 そうやって政治の駆け引きに否応なく巻き込んでおいて、彼女の名前だけは自分達の――王家の人気取りに利用したのだから性質が悪い。


 そうして、少女達は外に出る事が出来なくなった。

 少女が彼らを出すように訴えても、政治的な混乱や死病の再発生を避ける為だと取り合ってもらえなかった。

 ならば彼らをずっと眠らせたままでは可哀想だと。

 少女は自分が作って見せる夢から解放した。各々好きなように夢を見られるようにした。お互い話を出来るようにした。

 外に出られない事に不平不満を零す者もいたが、それは仕方のない事と少女は堪える。


 そして――外の誰かは考えた。

 本をそのままにしておくのは惜しいと。

 過去から連綿と続く偉大な魔法の遺産を、王国に存在する貴重な秘宝を記述として本に収めれば……それが失われる事は永遠に、無い。


 必要なのは隔離病棟などではない。叡智を収めた魔道の大図書館と宝物庫だと。

 そうして少女の所には次々と王国内外に存在する数多の魔法、秘宝が降り積もってくる。

 それが王国の平和や民の安寧の為になるならと、少女は魔法と秘宝を管理し――それでもまだ、外の者達にも良心が残っていたのか、一応は国や民の為に本を使ってはいたようだ。

 何時しか――少女の本はグリモワールと呼ばれるようになる。


 王は崩御し、世代が変わった。

 次の王には良心の呵責でもあったのか、それとも恐怖が勝ったか。

 結局グリモワールが使われる事はなかった。

 見るには忍びなく、さりとて外に出してやるには少女の抱える魔法は膨大に過ぎる。少女の引き連れるグリモワール内部の者達からの報復も恐れ結局は――そう。ベルナデッタの言葉を借りるなら「臭い物に蓋をした」のだ。


 本は封印されて、少女は眠る。

 いつか誰かが、自分達を外に出してくれると。そう信じて、眠る。

 けれど次にやって来たのは……よりにもよってあいつだった。

 奴はまず、死病の患者達を不要と切って捨てると、記述を破り、焼き払った。

 その後の顛末は――語るまでも無い。

 アルベリアは焼かれて、滅んだ。


 憎んだのは誰で――恐れたのは誰だったのか。


 そこに「彼女」はいた。闇の奥底に、浮かび上がるように。

 白い姿がよく映える。

 一人で膝を抱えて蹲って。


 銀の――長い髪が広がっている。その髪は多分、足首より長いだろう。

 私達が暗黒の水底に降り立つと、彼女は緩慢な動作で立ち上がった。

 こちらに背を向けて、佇んでいる。

 背が、高い。大人の女性。


「解っていて――ここまで来たのかしら? 別に逃げても、良かったのに」


 肩越しに振り返る。

 恐ろしい程に怜悧な美貌だった。銀の女王――と言った風情。

 その顔には、面影がある。知っている。知っているに決まってる。

 だって、彼女はベルナデッタなんだから。

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