62 邂逅
なんだ、今の?
私は走り去って行く女の背中を見送った。
フードを被っていて顔は見えなかったが……私を見て笑ったよな? なのに感情に連動する魔力の揺らぎが、全く見えなかった。自意識が希薄だっただけの暗殺者とは違う。底の見えない穴を覗き込んだような印象だ。見通せないのもそうだが……あいつ、普通の人間とは違うな。異常な魔力を内側に秘めて、それを良く解らなくしている感じ。
……もしかして、あれがラーナか?
街全体の立体映像を表示させる。ラーナ達の動きも追跡出来ているが……この集団、他の連中と動きがちょっと違うな。誘導する予定の方向に、迷いなく自分から進んでいる。
捕捉は出来ているからフェイントを掛けられようが、包囲網の突破を狙われようが急行は出来るが、その場合、街中での戦いになってしまうのは避けられない。
敢えて策に乗って向かっているって事か? でも何の為だ? ラーナだけは……どうも動機も行動も、不可解だな。
……私がまだ知らない要素があるって事だろうか? それともラーナという人物像を私が見誤っているのか?
ラーナの実像が今一つ掴めない。対ラーナ戦用の秘密兵器はクローベルに渡してあるのだが、それがちゃんと機能してくれる程度の認識の齟齬なら良いんだが。
とは言え……ラーナの方はともかく、状況そのものは順調だ。
私は今回の作戦を行うに当たり、まず昨晩儀式魔法を用いた。
レア ランク6 啓示
『何故俺達があの日、船を出さなかったのかって? 海に出ると良くない事が起こるって思ったのさ。信心の賜物って奴かね? ――船長グレアム』
大嵐に巻き込まれる船と、酒場で酒盛りをする船乗り達の絵。
つまり「何となく不安を感じるから外出は止めておこう」とか「今日は気分が良いから出かけてみよう」みたいな、漠然とした気分を誘導出来るというものだ。勿論気分などという曖昧なものなので、強い動機がある人には効かなかったりするのだが……。
これの便利な所は儀式魔法なのでセンテメロス全域に効果がある所と、範囲内にいる相手の属性、所属集団みたいな物を指定して啓示の効果を与えられるというもの。
要するに特定の神を信仰する宗教に属しているとか、トーランドの国民であるとか、条件限定で虫の知らせを届ける事が出来る。
そんなわけで、今日のセンテメロスは出歩いている人の数が極端に少ない。兵士達の誘導もスムーズで、かなり作戦が行いやすかった。
捕獲用魔道具の網玉もかなりの戦果を上げてくれている。魔道具に関してはクローベルの太鼓判を貰ってるからな。
睡眠時間や空いた時間を削って生産しまくった甲斐がある。というか、ゲーマーの単純作業に費やせる根気を舐めてもらっては困る。
私がラーナの動きを追っていると、宿屋から飛び出て来た兵士が報告してきた。
「コーデリア殿下、宿屋に逃げ込んだ男は殺されていました!」
「……解りました」
ラーナの仕業か。自分の所に逃げ込んできた部下を殺したな……?
「……クローベル、メリッサ、そっちの状況は?」
「問題ありません。網玉の一斉投射で対応出来ています」
「こちらも順調です。指揮官はやはり、部下を切り捨てての逃げに転じますが、先ほど捕獲しました」
「ん。そっちが一段落したら合流。ラーナらしき人物を見かけたから」
私が今見たものを告げると、二人の表情に緊張が走ったのが解った。
二人にはウィラード卿とベリウス老の指揮する部隊の手伝いに行って貰っている。民家への立て籠もりなど、不測の事態に対応してもらう為だ。
こちらの掴んでいる敵の隊の数は、本隊含めて七つ。一つの隊に六名。街中の宿、空屋、借家などに分散して滞在していた。
各隊の内訳は指揮官一名、実動部隊五名という感じのようだが、指揮官の反応は感情がある分一般人と見分けが付きにくくなっているので、私の探知では逆に判別がしにくい。なのでこちらは漏れがあったが、遺跡で帳尻を合わせる予定だ。
連中の実動部隊の役割としては……滞在施設周辺の警戒に当たる者、隊同士の連絡員、生活物資の買い出し役などだ。
隊全員が連絡、監視を専門に行っている所が一つだけあり、王城、外壁、港などの兵士の動きを他の隊に知らせて回っていたが……当然こいつらは真っ先に襲撃してぶっ潰した。
後は外周から包囲網を狭めていき、敵の捕獲を狙いながら遺跡に誘導していくだけなのだが……中々連中の動きも早くて、少々の撃ち漏らしも出てきている。まあ、誘導はしっかり出来ているので問題はないが。
私の仕事としてはリアルタイムで敵の逃げる方向などを兵士達に伝えるだけだ。
敵側からして見ると、曲がり角などを先回りするように兵士達が出てくるだとか、細い路地裏に逃げ込んで撒こうとしたはずが、逆に出入り口を塞がれて挟撃を受けたりされてしまうわけで……向かっていっても網玉を食らうだけだから、これから逃げ切るのは中々困難だろうな。
さて……。センテメロス全域を巻き込んだ大捕物劇もそろそろ終幕といったところか。
袋の鼠となった連中を叩きに行くのは私達の仕事だ。クローベル達と合流を果たし次第動く事にしよう。
……郊外の遺跡。センテメロスの城下町の外れに存在する、水没した旧市街の名残。
石造りの町は日中ならば見物や散歩に来る者もそれなりにいるが、夜になると途端に人が少なくなる。特に今回は巻き添えが出ないよう、作戦が始まる寸前まで崩落の危険があって危ないと立ち入りを制限していたからね。
ただ一口に、遺跡と言っても結構な広さがあるが、どこに敵が潜んでいるとかは例によって把握済みだ。
「おのれぇッ! 何故だ! 何故こっちの位置が解るッ!?」
「断章解放、オーク『ウル』」
指揮官を袋小路に追い込むと、自棄になってこちらに向かってくる。
私はウルを呼び出して、走って来る男に対応させた。
ウルの手に握られた新しい武器――流星錘がうなりを上げ、男の膝を打ち抜く。もんどりうって倒れた所に、クローベルが網玉を投げつけ地面に縫い留めた。
流星錘は紐の先端に鉄球や苦無のようなナイフを結び付けた武器だ。ウルに渡した流星錘の先端に結んであるのは球体タイプ。ウルなら使えると思って渡してみたら、案の定という感じである。
そんな感じで端から叩き潰して行く。当然遺跡に追い込むわけだから、水晶球はしっかり配置済みである。この場所の相手の位置も人数も全部把握しているから、挟撃も不意打ちもやり放題だ。
こっちだけ衛星監視システムや無人航空機で相手の動きを把握しているようなものだから、端から勝負になるわけもない。
遺跡の風景は――水没していない事を除けば海中遺跡とほとんど同じである。昔の石造りの建物が並ぶ、無人の街だ。
やがて私達は逃げ込んだ連中を虱潰しに叩き潰して、神殿跡地に到着した。
ラーナらしき者達が逃げ込んだ場所だ。
あいつは、こっちが何らかの手段で暗殺者ギルドの動きを把握している事を理解していたようだ。当然、こう言った大きな建物の内部も把握出来るようにはしてあるのだが。私は神殿内部の映像を表示させて眉を顰めた。それを覗き込んだ、クローベルも険しい顔になった。
「これは――」
「行くしかない、ね」
私の言葉に、クローベルとメリッサが頷く。
ただっ広い神殿の中は静まり返っている。祭壇の所に、フードを目深に被った女が佇んでいた。その周りには、八人もの男女が彼女を守るように控えている。側近連中全員が姿を見せている、か。
身を隠すだけ無駄だと、まともに迎え撃つつもりなのだろう。側近は全員、感情があるようだが……。
「お見事、と言っておこうか」
フードの女が拍手をする。……若い声だ。その声に、クローベルは眉根を寄せた。
「……何者ですか? ラーナはいないのですか?」
「ん? ああ――私がそうだよ」
女はフードを脱いだ。
赤のブルネット。赤い瞳。目元にほくろがある。
「その姿は……若返ったのですか?」
「不本意ながら。だが、お前には私に、もっと他に聞きたい事があるのではないか?」
「何故――こんな真似をしたのか」
クローベルの言葉を受けて、女は口元だけで笑った。
表情はよく動くが、ラーナの魔力は平坦だ。平坦というか……魔力から感情を読めないんだな、これは。
「……私が受けた命令はこうだ。コーデリア姫と、その隣にいる『影の刃』……つまりお前を殺せ、とな。ま、正確には主従のどちらを先に殺しても構わない、とは言われたが」
「……依頼ではなく、命令ですか」
クローベルの疑問に思っている事は私にも解る。
暗殺者ギルドの長に、命令? 一体誰が?
それに、若返ったと言うのは? 不本意と言ったよな?
「……銀の髪の男」
私の言葉に根拠は無い。ただのかまかけだ。
ラーナの表情は、全く動かなかった。ただ――魔力が揺らいで感情が垣間見えた。それはかなり強い憎悪と憤怒だ。
そうして、ラーナは私を見て笑った。
「そうだな。私は確かにその男に会っている。この身も既に人間だとは言えないかも知れない」
ラーナはあっさりと認めて見せた。
「だがあの男の押し付けて来た力など正直煩わしいだけでな。私はただ――その娘との戦いを望んでいる。約束しよう。一対一である限り、私は私としての技術のみで戦うと」
「……それを信用しろと?」
「信じる信じないはお前の勝手だ。だが、邪魔をするなら私もモルギアナとやらの力も使う。お前と戦うのも……中々に面白そうではあるがな」
……モルギアナだって?
グラントの言っていた奴だ。幻楼竜。幻を操る竜だって言ってたよな。
じゃあ、レリオスへの憎悪というのは……?
「……あなたは、魔竜の分身と融合したのですか」
「そういう事になるな。命令とは言え、お前と久しぶりに会うのは確かに……今の私からして見れば、多少は面白そうだとは思えたのでね。ところがお前は王城にいるものだから、落ち着いた場所で時間を取る事も出来そうにないだろう? だから主を殺させ、釣り糸を垂らしていれば、いずれ食いつくのではないかと、な。随分想定とは違ったが、これも私の望んだ状況ではあるのかな」
「そんな理由でマスターの命を狙った……わけですか」
クローベルの目が細められ、声色が冷たくなった。
「だとしたら、それは正解でしたね。私はただあなたの名前を出されても、無視をしたでしょうから。確かにあなたは、私に戦う技術をくれた。けれど同時に、私から戦う理由を奪った。確かにそれを憎んだ事もあります。ですが、全てが終わった今となってはあなたなど。私にとって――最早どうでも良い過去でしかない」
「ふ……。この期に及んで火付きの悪い奴だな。だがそれでは面白味がない。つまり、お前はこう思っているわけだ? お前の復讐は終わったと。主従で見事それを成した、と」
クローベルの、復讐の話? 何故今そんな話をする。
仇。クローベルの住んでいた故郷を焼き払った――自らの領民達への虐殺を行った、あの貴族達の事。
彼らは、自分達の流させた血の清算をすることも無く、自ら始めた戦いの結末を着ける事もなく。
のうのうと生き延びた。
生き延びて、魔竜の侵攻が始まった時、命惜しさに自ら魔竜の眷属と成り果てたのだ。
そうして自分の祖国を蚕食し、二重の意味で民を食い物にし続けた。
コーデリアとクローベルはそんな彼らを斬った。コーデリアは自らの信念の為に。クローベルは自らの悲願と家族や友達の無念の為に。
だが。
「だとしたらお前がもう少しやる気を出せるように、良い事を教えてやろう。あの豚共に最初に暗殺の話を持ち掛けたのは私だ。長引くように煽ったのも私。私達が直接近隣の村を焼く事もあったっけな。いや、ボロい稼ぎだったよ」
「……あなたは……」
ラーナは目を見開き口元に歯を覗かせて、引き裂くような凄惨な笑みを浮かべた。
「私がお前を拾ったのは偶々だと思っているのか? 何故あんな場所に私達がいたのか考えた事は? 無いのだろうなぁ。だから私を目の前にして、そんな温い事が言っていられる。お前から戦う理由を奪った? 笑わせる。お前にその理由を与えたのも私だッ! 私が与えたものを私が取り上げて、それの何が悪いッ!」
「……なるほど。どうやら、私は仇を一人、見逃していたらしい」
クローベルがダマスカスソードを構える。ラーナはそんな彼女の戦意を受けて、笑みを深くした。
「お前達。あれは私の獲物だ。邪魔をしたら殺すぞ?」
「御意に」
ラーナの側近達は彼女の命令を受けて散開する。
「――黒衛。私の我儘を許してくれますか?」
「あいつが約束を守らないと思ったら、すぐ割って入るけれど良い?」
「はい」
クローベルは静かに頷く。
「クローベルの敵は、俺の敵だ。一対一だとしても……一人で戦ってるなんて、思わないでね」
「……ありがとう、黒衛」
クローベルが幾分か冷静さを取り戻す。
赤く燃えて何もかも焼き尽くすような憎悪から。
静かに燃え盛る青い炎のように、強い決意を秘めたものに変わった。




