59 虚心
「コーデリア殿下!? これは何事ですッ!?」
「賊の手から助けに来ました。これをお使い下さい」
剣を取り出してウィラード卿へ渡し、短く答える。ワイバーンのルーデルは、翼で包むようにウィラードの娘達の盾になった。
クローベルと刺客の女が何度も切り結ぶ。
ダマスカスソードとブラックメタルダガーが、ぶつかり合って金属音を立てる。
……驚いたな。刺客は――防戦一方ではあるのだが、手負いだというのにクローベルと剣を交える事が出来ている。
けれど、あの女の雰囲気……それに体術は、なんていうか――。
弾かれるように、クローベルと女が離れる。
「あなたは……」
クローベルは眉を顰め、女と向かい合う。
私の隙をうかがっていたもう一人の――黒ずくめの刺客へは、シルヴィアが牙をむいて飛び掛かっていった。
迎え撃つ刺客の身体がゆらりと揺れて、ブレるような動きを見せる。逆にカウンターを合わせるようにダガーがシルヴィアの鼻先に迫る。シルヴィアはそれを牙で受け止めて飛び退った。
あれは……今の体捌きには見覚えがあるぞ。クローベルが時々見せる動き、そのままじゃないか。
じゃあ、この連中は――。
「クローベル。あの子は」
「面識はありませんが……きっと、私の妹や、弟のようなものです」
クローベルの表情は、硬い。
ショックは受けない。予想していた答えだったからだ。
なら、手負いでクローベルと戦えた理由も解る。同じ技術体系を持つだけに、相手の手の内をある程度先読み出来ると言う事だろう。
勿論、何故という気持ちはある。けれどその事は一先ず脇に置いておこう。今考えなきゃならない事は他にある。
「メリッサ。こっちでウィラード卿のガードをお願いしていい?」
「はいっ!」
メリッサのガードが付いた事で私の手も空いた。
シルヴィアに制止をかけ、私はチャージを行いながら、同時に左手で障壁を展開する。チャージは接近されてしまった場合の保険だ。さて。私の攻撃の予測は出来るかな?
「――」
刺客は異常に気付いて飛び退ろうとしたようだが、もう遅い。簀巻きにするように障壁でその身体を包み、空中に浮かせる事で攻撃、防御、回避の手段を完全に封じた。
このままでは私からも攻撃出来ないが、そこはそれ。右手で展開した障壁で東屋の柱を丸ごと一本もぎ取って、左手で展開した障壁を解除するのと同時に横合いから叩き付けた。
「がっ――」
強制的に浮かされた状態では、どう足掻こうが回避は不可能だ。直前まで動きを封じているのだから、防御だって間に合わない。
刺客はそのまま吹っ飛ばされて中庭の地面をごろごろと転がり、動かなくなった。
いや、殺してはいない。柱の激突はちゃんと加減はしたつもりだ。ウィラード卿などは「うわぁ……」という顔をしているけれど。
だがあれだけの攻撃を食らっておきながら、黒ずくめの魔力には揺らぎが……つまり感情の変化が殆ど無かった。
……妹や弟のようなもの。つまり、昔のクローベルと同じ、か。
クローベルと女はまだ切り結んでいる。
だが先程までとは少し事情が違っていた。女の方が攻勢に出る時間が多いのだ。
女はクローベルの切り上げるような斬撃を、転身しながら回避する。
一瞬背中を見せての回避と同時に、斬撃の隙間を縫うような蹴りが飛んできた。クローベルの身体を蹴り飛ばすように突き放す。
そこに。
自身の身体で死角を作った状態から投げナイフが飛んできた。
だが、クローベルの体内魔力には、感情に連動した乱れがない。女のように無感情なのではない。怜悧に研ぎ澄まし、勝機を窺っているだけだ。
事実、クローベルは予め一連の攻撃を全て解っていたかのように、飛んできたナイフを打ち払いながら突進する。
今まで見せて来なかったような、目の覚めるような速度だ。あっさりと間合いを詰めると、体勢を立て直そうとした女の顎を柄頭で薙ぎ払う。
女は脳を揺さぶられて地面に崩れ落ちた。
元々刺客の女より技量で勝っていたのだ。終わらせようと思えばいつでも出来たはずなのにそれをしなかったのは、なるべく傷つけずに勝つ為。
同種の技術体系を持つ相手と解ってしまえば、向こうがそうしているように、逆手に取ってしまえば良い。敢えて攻めさせて隙を見せる事で、次の手を読み切り、カウンターを取る。それだけの話だ。
クローベルは倒れた女の腕を逆手に捩じり上げると、膝を背に乗せて動きを封じる。
「これで確保しておいて」
ロープを取り出してクローベルに渡す。気絶させたとはいえ、クローベルと同じような体術を使える相手を、そのままにしておくというのはちょっとゾッとしないからね。
「出来ました」
縛った二人に、ヒールをかけておく。
肩の傷と、柱をぶつけた脇腹と。特に城に侵入してきた女の子は顔色とか結構ヤバい感じだった。痛みとか全く無視して動き回っていたんだな。
うーん。しかし……。
あの呪法で作った魔人となると……情報引き出したりとかは期待出来ないんじゃないだろうか? 事情を説明すればフェリクスもこの子は助けてくれるだろうけれど。
クローベルやこの子に施されたのは、眠りや鎮静を司る精霊『ソムヌス』と融合させて大きな力を得る、という呪法だ。
融合時に強い感情が力に転化されるのだが……その時、心も漂白されてしまう。善悪の価値基準などがまっさらにされた状態、記憶が曖昧な状態になり、暗殺者ギルドやそれを利用する者にとって、実に都合の良い道具となってしまう。
好き勝手な価値観を刷り込めるから扱い易いし、恐怖で竦む事も、怒りや功名心で判断を誤る事もない。薬物などを用いて兵士の恐怖を消すなんて言う話と、多少似ている、か。
漂白された状態であるから、周囲の環境が良ければ時間と共に、ゆっくりと人の心を取り戻していく事は出来る。だけれど、周囲の環境を取り巻くのが暗殺者ギルドなどであったら、それを望むべくもない。
環境次第で人にも魔にも、容易に転ぶ。そして定着してしまったら、もう戻れない。同じ呪法を二度掛ける事は出来ないからだ。
「マスター。この連中が斡旋されている人材ならともかく、ギルド直属で動いているのならば、まだ終わってはいません。『兵卒』が、単独行動する事は有り得ないのです。その場合、近くに指揮官がいるはずです」
「指揮官……?」
「つまりは……ちゃんとした人格がある者の事ですね。実動部隊を率いて動くのです」
なるほどね。ウィラード卿の周囲は探った。私のソナーが届く範囲にはいなかったが。
「断章解放。フライトゴブリン!」
レア ランク14 フライトゴブリン(嵐隼)
『飛んでいるのか、連れ去られているのか。それは彼らのみが知っている』
弓矢を手に鳥に運ばれているゴブリンの絵だが。どっちなんだろうね。
現れたのはリュイスとハルトマンだ。二人羽織をするような格好だが、真正面から見るとリュイスに翼が生えたように見えなくもない。飛行版ゴブリンライダーという感じの合成ユニットである。
ハルトマンに上空を旋回させる。近くに指揮官とやらがいるのなら、この屋敷やその周辺から逃げ出せば、すぐにそれと解る。ストームファルコンの目を誤魔化すのは無理だ。かと言って、時間が経てば王城から派遣された兵士達がここを包囲する。何らかのアクションを起こさざるを得ないだろう。
と。
離れた茂みの方から風を切って、ナイフが飛来した。今しがた倒したばかりの――縛られて動けない刺客達目掛けてだ。
私は障壁を展開してナイフを叩き落とす。
それを合図にしたかのように、あちこちの茂みや物陰から四人もの黒ずくめの覆面達が出て来た。全員同じような背格好をしている。
連中は一斉に東屋のウィラード一家と、無力化した刺客目掛けて走って来た。
叩くべきは指揮官。魔力の揺らぎ。感情の反応が最も大きい奴だ。
ふむ。自分へのボディジャックを朝となく夜となく続けてたからか、感知能力も上がってるな。まだ目標とするレベルには達していないのだけれど。
一人だけ反応が違うので、特に集中せずともすぐに解った。一番後方の、安全な場所にいるそいつに向けて、私の命令を受け取ったリュイスから立て続けに矢が放たれる。
が、指揮官もそれなりにやるものだ。
ショートソードで飛来した矢を切り払う。クローベルとシルヴィアにもそいつに対して攻撃を仕掛けるように命令するが、攻撃が集中させられている事を理解したらしく、残った三人が飛び退って、指揮官を守るように密集体形を作った。
「ちっ」
後衛の男……指揮官が舌打ちする。
「どういう絡繰りだ。バレちまってるじゃねえか」
「……あなたが指揮官?」
「あぁ。そうだぜ?」
あっさりと、認める。それから指揮官はクローベルを見やって、目を細めた。どうやら覆面の下で笑っているようだ。
「――ふん。影の刃とか言われているらしいな? 兵卒如きが随分偉くなったもんじゃねえか」
「……私を知っているのですか」
「ま、ご同輩って事ぐらいはな」
何がおかしいのか、男は肩を震わせた。
「降伏しなさい。すぐに屋敷が兵士に包囲されるわよ?」
「おいおい、冗談だろお姫様。お前らみたいな甘ちゃん連中に、俺が捕まえられるか。おい手前ら。俺の盾になんな」
指揮官がそう命令すると、黒ずくめ達は武器を捨て、両手を広げて指揮官を庇うような構えを見せた。
「このウスノロ共から情報は搾れねえ。俺はこの盾を使って逃げさせてもらうさ。それとも無抵抗な連中を殺して俺を捕まえてみるか? 出来ねえだろ。そいつらに止めも刺せねえ甘ちゃんのお姫様にはよ?」
「――情報を取れないっていうなら、何故あの子達を殺そうとしたの?」
「はっ。止めを刺す手間を省いてやったんじゃねえか。こっちとしても任務に失敗して捕まっちまうような無能はいらねえのさ」
……こいつは下衆だな。もう話す事なんかない。
とっとと終わりにしよう。全く下らない手だ。
「クローベル」
「はい」
「道は開けるから。後よろしく」
言葉と共にアレンジを加えた魔法を飛ばす。盾になっていた男達は、勝手に左右に飛び退った。
「――あ?」
指揮官は間の抜けた声を上げた。
色々練習してきたのに実戦投入が遅れてしまうが、まあいいや。
遠隔からのボディジャック。全身ではなく、身体の一部のみのコントロールを奪うようにする事で、射程距離や強制力を増強させている。要するに三人まとめて足のコントロールを奪ったのだ。
シルヴィアが動けずにいる三人の男達に飛び掛かって足を咥えて振り回した。地面に叩き付けるようにしてあっさりと意識を奪う。
無抵抗で敵の攻撃を受けろだなんて。そんな命令をしたのは向こうの方だ。当然私の魔法が通らないはずがない。
そうして指揮官への道が開けた所で、クローベルが真っ直ぐ突っ込んでいった。
「下級上がりが! 一対一で俺に勝てるとでも――!」
威勢はいい。だがそれだけだ。勝負は一瞬でついた。
迫って来たクローベルと剣を打ち合わせようと指揮官は剣を振り下ろしたが、その直前でクローベルの姿が掻き消えたのだ。
体術でどうこうしたのではなく、目の前に展開させておいたダブルシャドウを解除したのである。剣を振り切った指揮官は隙だらけ。
分身の背後から絶妙の時間差でクローベルの本体が現れ、すれ違いざまに男の手足の腱を二刀で薙いで行った。
「ぐがぁっ!?」
もんどりうって地面に転げた男に、クローベルは冷たい目を向けた。
「――弱い」
「て、めえ……っ」
「手下任せで随分鈍っていますね。これでしたら最初の子の方が余程の手練れでしたよ?」
「ふざけ……っ! ぐああああっ!?」
無傷の腕の方で剣を拾おうとしたが、柄を握った所でその腕をシルヴィアに噛み砕かれた。
「しかし……暗殺者ギルドもよくもまあ、こんなの指揮官にしようなんて思ったね」
「指揮官の適性は必要な時に兵卒を切り捨てられたり、自害を命じられるような人間ですからね。任務遂行能力と戦闘能力は別という事でしょう。勿論、人格も、ですか」
クローベルの評価はかなり辛辣だった。




