54 コーデリアの帰る場所
正確な所は解らないがトーランドの地図上の面積は日本の本州と同じぐらいだろうか?
王都センテメロスはそんなトーランド本島の、南東部沿岸部に位置する場所にある。
エメラルドグリーンの洋上に、浮かぶように存在する壮麗な都だ。
旧市街と呼ばれる、海に没した遺跡が水底に見える。幽霊船はかつての町の上を、空を泳ぐように進んでいる。
干潮だと吃水の深い船は、高い建物の屋根や柱にぶつかってしまう事がある。
なのでセンテメロスに入る全ての船は、旧市街の目抜き通りを通って、かつての大広場に隣接する港へと向かうのだ。
陸地の影から段々と街並みが見えてくる。赤レンガに白い壁という様式の民家が視界に飛び込んできた。
都の中心部は海からは遠いが、ここからでもはっきりと見える。
小高い山になっているのだ。崖の上に聳えるのは白亜の城。石膏のように真っ白な壁と、目に鮮やかな青い屋根と尖塔の……美しい城だった。
――トーランド王城。コーデリアの生まれ育った、場所。
その光景を目にした途端、涙が溢れた。
行き交う船と、港で働く人達。ただそれだけの光景に、言いようのない感情がこみ上げてくる。
解っている。これは私の感情じゃなく、コーデリアの感情で。
音叉のように私達の心が共鳴しているだけなんだ。
凍り付いた人達に別れを告げて、泣きながら小舟でトーランドを後にしたあの日の記憶。あの時に見た光景。コーデリアが見た景色と、私は今同じ物を見ている。だけれど、もう、みんな物言わぬ彫像じゃない。
生きて、笑って、動いている。
それを知っているのは私じゃなくコーデリア。
あの子は……今、庭園で泣いているのか。
涙を拭う。
今からはコーデリア姫でなければならないのに、私がダダ泣きじゃ困るからな。
事前に集めた情報では、トーランド国内の情勢に大きな変化はないようだし。コーデリアが帰還する事で波紋は広がるだろうけれど……帰らないという訳にもいかない。
だってコーデリアの戦いは、トーランドを救う為に始まったのだから。
外装を偽装させたティターニア号を寄港させる。タラップを一段一段降りて……私はついにトーランドの港に降り立った。
すぐ若い役人が数人の兵士と連れだってやって来た。今、カモフラージュの魔法は使っていない。
王城に向かい、コーデリアの両親と会うからだ。そうするにはコーデリアでなければならない。
皆を安心させてやりたい。皆に会いたい。
コーデリアが一番望んでいる事は、多分それだ。けれど、俺には言えない。自由意思を曲げてしまうと思っているから。
けれど、だからこそ。そうしてあげたいと思う。
私達の入港手続きに来た役人は……一瞬私達を見て呆けたような表情になったものの、気を取り直すかのようにかぶりを振って、身分証の提示を求めて来た。
顔パスかと思ったが……どうやら私がコーデリアだと解らないらしい。
んー。そうか。旅に出る前のコーデリアって、要するに深窓の令嬢だったもんな。
城下町に遊びに行く時だって……基本的にはお忍びで護衛も付けていたし。
知らなくても無理はない。七年の月日が経っているというのもあるだろう。
「どこから来たんだ? ……ネフテレカ王室御用達? 本物のようだが海峡を通って来たのか……? いや、まさかな。商船でも軍船でもない。船員達が顔を見せないのはどういうわけだ?」
役人は神経質そうな男で、身分証を穴が開かんばかりに凝視している。
いきなり直球でコーデリアであると名乗るのもどうかと思うし、ある程度は手順に則ってから明かそうかと思うのだが、真面目な人をからかう趣味はない。
そしてあまり横柄な態度を取られてしまうと本当の事が解った時、今後の彼の立つ瀬がない。
第一、船員がいないのはどう考えても不審なので、彼の当たりがキツめな感じなのも当然なのだ。
よって、さっさとネタバラシをする事にした。
「来たのはネフテレカからですが、生まれはここです。帰って来たんですよ」
「帰って来た?」
「私はコーデリア。コーデリア・クレン・トーランド・ベルツェリアです」
「うん?」
何を言っているのか。意味が解らないという顔をして首を傾げる役人に、左手の包帯を解いて紋章を見せる。
「そしてあの船は召喚モンスターです。いいですか?」
私がティターニア号に左手を翳すと船が光の粒になって掌中に集まり断章となった。
役人と兵士達の顎が落ちる。
「というわけで、誰か私の顔が解る方に取り次いでいただけると助かるのですが」
「いっ、いやいやいやいや! ま、待ってくれ! ……い、いやっ。待っていただけますか? コーデリア殿下がそんな幼いお姿のはずが……。お、王族の詐称がどうなるのか、解っておいでですか?」
警告しながらも敬語に直した辺り、かなり混乱しているようだが。
髪の色と瞳の色は彼らが仕える王妃と同じ。コーデリアの話ぐらいは聞いた事があるのだろうし、グリモワールと断章の事だって噂ぐらい知っているだろう。
「解っていますよ。縛り首でしょう?」
私が笑みを浮かべて答えると、彼らは疲れたように肩を落とした。
「……わ、解りました。た、大変申し訳ありませんが、そのまま……い、いや。詰所でお待ちいただけますか? ええと、その……散らかっていて汚いので、お嬢さん方をお通しするのは、大変心苦しいのですが」
「ありがとうございます。お勤めご苦労様です」
「い、いえ。これが仕事ですから」
詰所は本当に作業をする場所という感じだ。手狭な場所に机が並べられ、色々な書類や道具が雑然と置いてある。私達は長椅子に座って待つ事にした。
責任者らしき人が詰所にやって来て、私の顔を見た途端血相を変えて飛び出していった。
それからまたしばらく待たされて、今度は王城から迎えの騎士達と馬車がやって来る。その一団の中にベリウス老が混ざっていたのは私も少し驚いた。
「これは……」
ベリウス老は私を見て目を丸くしていた。
長い白髭を蓄えたベリウス老。トーランド宮廷魔術師筆頭だ。雷雲のベリウスという二つ名を持つ、名うての魔術師である。
当然、ディスペルマジックやサスペクトといった魔法ぐらい使えるわけで、コーデリアを名乗る人物に遣わす相手としては申し分ないだろう。
すぐさま王城に向かい、国王フェリクスに面会という訳にはいかない事ぐらい、私だって解っている。
「お久しぶりです。ベリウス老」
私を見て硬直しているベリウス老に笑みを向けると、向こうも相好を崩した。
「これは……驚きましたな。まさか、昔の姿で現れるとは」
「諸事情ありまして。さて、どのように身の証を立てましょうか? 質問でも、ディスペルでもサスペクトでもお好きなように」
「ふむ……構わないのですかな?」
「これが終わればお父様とお母様に会えるのですから」
ベリウス老は神妙な面持ちで解りましたと頷くと、まず私に向かってディスペルマジックを掛けた。ディスペルマジックは幻覚魔法や強化魔法などを打ち破る効果がある。仄かに輝く光が全身を包んで、そのまま消えた。
次にベリウス老がサスペクトを発動したので、私は右手を差し出し、ベリウス老は私の手を取った。
「あなたは……コーデリア殿下ですな?」
「はい。コーデリアは今、確かにここにいます。トーランドに帰ってきました」
左手を自分の胸に重ね、そう答える。サスペクトによる感知は働かなかった。当然だ。
私はベリウス老の表情を見ながら、幼い頃ベリウス老の書斎で遊んでいたらインクを零してしまって怒られた事を語って聞かせた。
「いやはや。最初からその事を言っていただければ……。このような無粋な真似をしなかったものを」
いやいや。ディスペルとサスペクトでちゃんと確認したという事実が重要だからね。ベリウス老はこの思い出話だけでも良いのかも知れないけど、他の人達にも解りやすい証拠や証言がないと。
ベリウス老の証言が私の信用とも直結するのだし。
今の私なら昔の事を何でも答えられる自信がある。コーデリアと共鳴しまくりで思い出フラッシュバックしまくりだからな。やや混乱しそうだが、それと自覚して受け止めているのなら、今のところ問題なさそうだ。
「解りました。それでは王城へ向かいましょうか。そちらのお二方は?」
「紹介します。クローベルとメリッサ。私の大切な仲間です」
クローベルは「仲間」として紹介するより彼女だとか恋人だとか紹介したい所ではあるのだが、流石にそう説明するわけにもいかないので自重した。
他の召喚モンスターも呼び出して紹介してやりたい所ではあるのだが。
三人で迎えの馬車に乗って移動する事になったわけだが、結構大変だった。
「止めていただけますか?」
何度目になるだろうか。馬車を止めさせて、車窓から外を見つめる。
大通り。広い石畳の道を行き交う人々。彼らの表情は明るい。
広場の池。女神像の掲げる水瓶から池に水が注がれている。
狭い路地に駆けていく子供達。活気のある市場。
ちょっと進む度に馬車を止めさせて、一々見入ってしまう。
初めて見る光景なのに、感情が揺さぶられるのは共鳴だろう。
私じゃなく、コーデリアがそれを望んでいると理解した。
私は……あの子の里帰りに一つ一つ付き合ってあげたいと、そう思う。
やがて馬車は市街中心部の内壁を抜けて、山の上へと登っていく。
城が近付いてくるにつれて落ち着かないような、不安な気持ちになって来る。
信じてもらえず、いきなり拘束されたりしてしまうんじゃないか。
歳を取っていない娘を受け入れてくれないんじゃないか。
そんな風に思ってしまう。
深呼吸して気持ちを落ち着かせる。
大丈夫。あの人達は優しい人達だから。まず、話を聞いてくれるさ。
グリモワールだって。私がコーデリアに間違いないと証を立てる物の一つではある。
共鳴であると言う事は……こっちの感情だってコーデリアに伝播するって事だ。
郷愁は、別に良いんだ。コーデリアの大事な気持ちだからそのままにする。
けどあの子が不安に思っているなら、私が落ち着かせてやる事だって出来るだろう。
……解ってるな平坂黒衛? ここで俺がとちると、コーデリアが傷付く。
別に……他の何者かであろうとするなら、ボロを出しても良い。
けれど、俺がコーデリアである事を求められているこの場面では、コーデリア以外である事は出来ない。
クローベルが不安そうな眼差しで私を見ているが「大丈夫」と微笑んだ。
こじんまりとした森を抜けると、跳ね橋の向こうに白い城が見えた。
跳ね橋を渡り、城門を抜け――。
そして馬車は中庭で止まった。
私の手を取って馬車から降ろしてくれたのは白髪の髪をカールさせた柔和そうな年配の執事。セドリックだ。彼の手が震えているのが解る。
「爺や。お久しぶり」
私はセドリックに微笑みかけた。
何てことはない。昔やっていた通りにすればいい。感覚的にはそんな調子だ。
昔の記憶は私の中に蘇って来る。
「……お、おお。ひ、姫様……。これは……これは夢、なのでしょうか? そのお声、お顔。確かに姫様に間違いございませぬ。しかし、そのお姿は一体……」
「この姿は、魔竜退治の代償なのです」
私の言葉にセドリックは一瞬だけ悲しそうに目を細めたが、いつもコーデリアに見せていた穏やかな笑顔を浮かべた。
「そうでしたか……。さぞかしご苦労なさった事でしょう。再び姫様にお仕え出来る日が来る事を、待ち望んでおりました」
「ありがとう、爺や」
「勿体ないお言葉にございます」
中庭は静謐な、それでいて感じのよい空間だった。
よく手入れされた生け垣には色とりどりの花が咲き誇り、噴水から流れる水の音だけが満ちている。
正面には玉座や執務室、王族の居住区のある本館が見える。
「国王陛下と王妃殿下がお待ちになっておりますよ」
私は頷いて、セドリックに続く。
案内を受けなくても城の構造は把握しているけれど。
勝手知ったる他人の我が家……というのも他人行儀だな。
ここで生まれ育った記憶は、私の中にだって、あるのだから。
 




