53 洋上祝勝会と空中歩行
「おや、姐御。何か良い事があったんですかい?」
「んー。ちょっとね」
甲板にクローベルと出てみると、弓の練習をしていたリュイスが振り返って、私の顔をしげしげと眺めてからそんな事を言った。
んー……しかしヤバいなあ。一目で解るほど顔が緩んでいるのだろうか。
いや、そんな特別な事はなかったんだ。
ただ自分の事を沢山話して。それから自分の気持ちを伝えて。
彼女は頬を赤くしながら頷いてくれた。
ただそれだけだ。それだけだけど、クローベルとの関係は仲間から恋人になった。そこから先の事は……まあ、まだ告白してOKを貰ったばっかりだし。
クローベルも世間擦れしていない部分があるから、ゆっくりと一緒に歩いていければいいな、と思っている。
ああ――しかし……私は相当浮かれているな。
ムンクの『叫び』みたいに自分の顔に手をやる。その顔がにやけていたら『叫び』だって台無しだろう。
ちなみにリュイスが的にしているのはリンゴだ。ふむ。リュイスも大分船の揺れにも慣れて来たらしいな。弓弦の音を響かせると、器用にリンゴのど真ん中に命中させた。
骸骨船員達が頭の上に乗っけてヨロヨロとバランスを取っている。
……あれをやらせてるのってティターニア号なんだよなぁ。
はぁ。しかし。
……ああ。いかんな。緩んでいるぞ、今の私は。
「クロエ様、何か良い事でも――あっ」
メリッサがやって来て、私とクローベルを交互に見て何かに気付いた。
やめい。察しなくていい。
「私は急用が出来ましたのでっ」
「行かなくていいから」
「いえお構いなく。とても捗りますので」
何がとは聞かない。妙な創作意欲を燃やすのは止めろ。
「メ、メリッサさん? セクハレは禁止ですよ?」
セクハラな……クローベル。
水柱が上がって、甲板上にスミスとエリールが戻って来た。
肩に背負った網には相当な量の魚介類が詰められている。
「おお、クロエ! 喜べ、大漁だぞ!」
と、エリールが笑みを浮かべた。
うぬぬ……これはもう宴会するしかないな!?
祝勝会だ!
「あっ、コーデリアさま!」
「おお、コディ。竜は打倒したのだな!?」
「うん、二人とも。こっちはトーランドに向かってる最中だよ。怪我とかはしてないから安心してね」
ソフィーとディアスに通信を繋ぐ。こちらの進捗状況は逐一伝えている。二人にも随分心配かけてしまった。
「良かったぁ……無事だった」
「随分後ろが賑やかではないか?」
「あはは。今からみんなで海竜討伐を記念して祝勝会でもしようかと」
私が言うと、ディアスは目を細めて笑った。
「ほう。それは良いな。妾もコディの勝利を祝わせてもらっても良いか? 酒を持ってくるから待っていてたもれ」
「あ、私もお祝いする! おめでとうコーデリアさま!」
「うんっ。ありがとう」
魚と貝を焼く香ばしい匂いが漂っている。
尻込みをしていたリュイス達もウニが結構気に入ったらしい。
メリッサがリュートを奏でると、アッシュとシルヴィアが合わせるように遠吠えを始めた。
そして目の前にはソフィーとディアス。
和むなぁ。大小の狼を両脇に抱えて毛並の感触を楽しんでいると、フレデリカとハルトマンがやって来て身体を摺り寄せてくる。ああ……。毛玉天国だ。
ゴブリン三人組が料理用に買っておいた酒に酔って歌い始め、それに合わせるかのように骸骨船員達もまた踊る。
ウルと骸骨船長が酒瓶でジャグリングを始め、エリールが喝采を上げる。スミスは甲板の側壁に座ってボーっと口を開けているが、時々無造作に酒瓶から酒を流し込んでいるので、あれはあれで楽しんでいるようだ。
全員召喚なんて無茶をやらかしているけれど、まあ……しばらくの間なら大丈夫だろう。
クローベルもコップを片手に時々お酒を飲んでいるが、マスターを護衛しなきゃいけないからあんまり飲みませんよ? と笑っていた。
私もちょっと飲んだ。この身体がどれぐらいアルコールに強いのか解らないのでほんの一口だ。未成年? 私は二四だぜ。
その日、海がオレンジ色に染まっても、幽霊船の甲板上からはリュートの旋律と、酒宴の喧騒が何時までも続いていたのであった。
「……ふーむ」
甲板から見える景色は毎日変わらず海、海、海である。
戦いが終わって……肩の荷が下りたので、結構気が抜けた。クローベルとの事や祝勝会をした事もあって、心は軽い。
しかし私は日課になっている魔力操作の訓練をしながら首を捻っていた。
昨晩、ベルナデッタから言われた言葉のせいでやや混乱気味である。
――若者の人間離れってこういう事を言うのかしらね?
海煌竜から魂の分離作業をしに庭園に行った所、そんな事を言われた。
ベルナデッタに言わせると、反応速度を始めとして、魔力の制御と感知の能力が「ありえない。というか変態の域」だそうで……。
前々から変だ変だとは思っていたらしいが、海煌竜戦で確信したらしい。
実際私のような戦い方など、コーデリアが担い手だった時はしていなかったし出来ないそうだ。コーデリアはコーデリアで……また別の部分が尖った能力なのだそうだけど。
しかしまあ、そうでなければあんなゲームデザインにはならない、か。
シービショップの真似の魔力障壁でさえ「術式経由しないでいきなり見様見真似とか人間技じゃない」のだとか。
……そうだね。あれが出来たらウォールやシールドの魔法とか、いらないもんね。
しかし変態とか人間離れとか……釈然としない。体の初期値は同じようなスペックじゃないのかと聞いたら、そのはずなんだけどね……と首を傾げていた。
あれか?
融合してるから魔力絡みの処理能力が上乗せされてたりする? 魂が人より余剰にあるとかで。
それはそれで説明出来るとして……反応速度については?
よくよく考えてみると、クローベルやシルヴィア、ウルの動きを目で追えてる時点でおかしいような――。
して見ると、海煌竜がやけにトロく感じたり、赤晶竜の吐息の軌道が見えたりしたのは……それが理由だったりするのだろうか?
でもその辺って結構ムラがあるよな。普段意識しないのだけれど……なんだろう。私のテンションとか置かれたシチュエーションに直結してるのかな? ベルナデッタとの格ゲーの時は恩恵を感じられなかったし。
その上運動音痴だしな。反射神経に優れているなら運動能力も優れていて良さそうなものなんだけど……。謎が多いな。
しかしなんだ。
感情に連動する魔力の揺らぎで相手の動きが読めた、と言う事はサスペクトの魔法を覚えたのも無駄になってしまったような気がするのだが。
上手くすれば人間オシログラフみたいな事も出来るかも知れない。
それにはもう少しデータ取りと修練が必要なのだろうが。海煌竜は何だかんだ言って大きな魔力垂れ流しにしてたから解りやすかったし。
魔法は術式を用いて、決められた手順通りに魔力やマナを操作するというプログラムみたいなものだ。変数部分がいくつか設けられているからある程度の融通が利くが、魔石に刻む付与術式と、基本的には変わらない。
グリモワールから魔法の習得をするというのは、マスタリーでそれぞれの系統魔法の基礎知識を得て理解を深め、個別の術式で具体的な魔法の手順を知るという感じ。
対して魔力操作、制御で行えるあれやこれやはマニュアル操作という感じである。普通の人間はこの操作があまり得意ではないらしいのだが、理論上、マニュアル操作でも再現出来ない魔法はない……はずである。
行く行くは新しい魔法なんかを生み出しちゃったりなんかして?
妄想するのは楽しいが、あんまり人間離れしても困るよなぁ。
とか言いつつ、今は障壁を応用して空中に物を保持したり出来ないか、なんて考え始めている。要するに一種の念力みたいな使い方が出来ないものかと試行錯誤中だ。
これが可能になればまた何か色々と出来そうに思えるのだ。空間カードを手放して空中に浮かせるのはまだ無理だろうけれど……。
あれもな。空間カードの面積を広げようとすると、途端に倍の制御が必要になるからな。四枚同時制御なら偶に成功するようになってきてはいるのだけれど、やっぱり実戦投入はまだまだ先だね。
「んー……」
自身の魔力を階段状に引き延ばしてから障壁化する。
「秘技、エアーウォークとかいって」
自分の魔力障壁を、自分で昇って空中歩行するという暴挙に出てみた。
階段に足をかけ、一段二段と登ってみる。お。いける。
障壁はなんというか分厚いゴムタイヤのような感触だ。おお……。私は今、空中を歩いているぞ。ちょっと怖いけど、新感覚で中々楽しいな。
一歩踏み出す毎に視線が高くなる。気が付いたらマストの先端近い高さまで私は昇っていた。
……高い。風が強いな。甲板から見る景色と全然違う。陽光が海に反射して綺麗だ。遠くに見える島まで見通せる。
「マ、マスター? 船室にいらっしゃらないと思ったら……。そんな所で一体何をなさっていらっしゃるのです? それは……魔法ですか?」
下の方からクローベルに呼ばれた。フライともレビテーションとも違う挙動なので、表情が戸惑っている。
……ふむ。
螺旋状のスロープを作って見えないスライダーとか出来るかな。
マストの周りをぐるぐる回りながら滑り降りたら、クローベルが目を丸くしていた。中々貴重な表情が見れたぞ。
これなら仲間のアシストとか、高所での移動、落下の防止なんかに使えるかな? 飛行用の魔法もあるけれど、自分が落下中にチャージなんてしている余裕、ないだろうし。
そろそろトーランドも近い。
幽霊船の外装も偽装しておかないといけないだろうな。




