42 揺籃は遠く
海。海かぁ。
非常に綺麗な海だ。
マリンブルーとエメラルドグリーンの風景。潮の匂い。目的のある旅で、もっと暖かい季節であるなら海水浴とかしたい所なんだけど……。
しかしだ。海煌竜とやらと戦う舞台にするとなると、中々に悩ましいシチュエーションであると言える。
海をホームグラウンドにしている奴に、陸上の生き物が水中で勝負するとか。端から勝負になるわけがない。
水上歩行や水中呼吸の魔法、海洋モンスターも手札として切れない訳じゃないんだけど……。
それでもだ。はっきり言って、難敵である。かと言って放置しておいて良いとは思えない。
実際影響は出ているようで、既に何隻も船が沈められているらしく、港の人達の表情は、暗い。
無策で挑んで勝てる相手じゃないのは確かだ。何か手を考えないといけない。
ともかくだ。今日の所は休息、補給に費やす。羽根を伸ばす、と決めたからにはそうしようじゃないか。
目についた串物や飲み物を買って食べ歩きながら移動する。
こんな事が出来るのもコーデリアの姿をしていないからこそ、である。
こうやって久しぶりに男として過ごせれば、きっと開放感がある……と期待していたんだけれど。
うーん。案外そうでもないような。まあ、どうせ偽装だしな。
白い漆喰の街並みを巡り、必要になりそうな資材や食料を買い漁った。
どうせ私……俺が断章化してしまうのだから持ち運びする物もなく、気楽なものだ。
「他に必要なものってある?」
「人形の……補修の為の材料や道具を……」
沈痛そうな表情でメリッサが言った。
……うん。全部捨てて飛び出して来たからなぁ。
「じゃあパーティーのお金とは別に、各自が自由に使える枠を作っておくって言うのはどうかな? とりあえず、これだけあれば足りる?」
「ええと。お、多すぎる、ような……」
俺が渡そうとした金額を見て、メリッサは首を横に振った。
「給料というか報酬というか。オーク戦もあったし、必要な物だって色々あるでしょ?」
着替えなど、当座を誤魔化す為の物資は俺が合成術式で作ったりしていたからな。
口には出さなくても、色々困っていた事もあるのではないだろうか?
「……ありがとう、ございます。少し買物をしてきてもよろしいでしょうか?」
「いいけど、一緒じゃなくていいの?」
「個人的な事で、お二方のお時間を頂くのも申し訳ないですから」
「……んー。じゃあ後で待ち合わせしよう。昼頃、坂道の下にあった広場に集合でいいかな?」
「はいっ」
メリッサは頭を下げて走って行った。
「クローベルは?」
「え? いえ、私は。必要な物は揃っておりますので」
寧ろ意外な事を言われた、という顔をした。
確かに彼女は着替えも含めて自分の荷物を持っているわけだけど。
クローベルの場合はもっと、色々言ってくれても良いのにと思う。
確かに、そこまで金銭的に潤沢かと言えばそんな事はなく、先々の事を考えると節約していった方が良いのは確かだが……。
商人の身分は単なる偽装だからな。売り物は合成術式でいくらでも作れるけれど、商売をするより、他にするべき事があるというか何というか、時間が勿体無い。
俺が作ればと言う話をするなら、何でも合成術式で作った方が品質が良かったりするからな……。
とは言え、やっぱりこっちに遠慮してしまう部分もあるのでは、と思うのだ。
そんなわけでクローベルにもお金を渡してみたものの、何となく彼女は所在なさげにしていた。
「……必要なものとか無いの?」
「ええと……砥石とか、投擲用に使える安物のナイフとかですかね?」
と、首を傾げた。……実用主義すぎる。
とりあえず金物屋か鍛冶屋でも覗いてくるか……。
クローベルの場合、実用主義も理由あっての事だからな。
幼少期以後はかなり殺伐としていた為に、着飾るとかそういう方向にはあまり興味が向かないようだ。ナイフにしろ何にしろ、ひたすら使いやすい、実用的な物を高く評価する傾向にある。
そうなると結局、私が作った物の方が……となってしまうわけか。
んー。そうだなぁ。後で皆の防具のバージョンアップでもするか。海煌竜と戦うのに備えはしておかなければいけないし。
「お坊っちゃん! そう、そこのお坊ちゃん。あんただよ!」
メリッサと合流し皆で昼食を取って。
当てもなく街中をブラブラしていたら、元気の良いおばちゃんからそんな声を掛けられた。
竜のせいでみんなが沈みがちのようだが、彼女は元気だ。敢えて明るく振る舞っているようにも見えるけれど、そういうのって重要だよね。
「俺の事?」
「そうそう。ちょっと寄って行かないかい?」
「はあ」
気のない返事をしつつ、おばちゃんの所に近付いてみる。
「しかし、坊ちゃん。女の子みたいに綺麗な顔してるねえ。大きくなったらさぞかし女の子にモテるだろうね。いや、今もかい? そっちの二人はあんたの連れだろう?」
「あっはっはー」
引き攣った笑みを浮かべるしかない。
「折角だから店の中の物も見ていっておくれよ? 安くしとくよ?」
えーと、何屋なんだ? 壺とか小瓶が並んでいるのが見えるが。
「ああ。香炉に香油に香水に……ポプリなんかも取り扱ってるのさ。女の子へのプレゼントにも悪くないんじゃないかね?」
やっぱり……何屋と呼ぶべきかよく解らない。お香屋……とか言うんだろうか? とにかく香料関係のお店だ。
それにしてもおばちゃんさぁ。人様を捕まえて未来の女誑たらし確定物件みたいな扱いは止めていただけませんかねぇ?
少々釈然としない物を感じながら、けれど興味を引かれたので店内を覗いてみる事にした。
石鹸を作るにしても香油は必要になるし、プレゼントにも使えると言われたら、ソフィー達へのちょっとしたお土産なんかになるかな、と思ったわけで。
「へーえ……」
「綺麗なお店ですね」
店内に入った瞬間思わず感嘆が漏れた。壁に掛けられたドライフラワーのブーケ。調度品として飾られた絵画。
シックに纏まっていて感じの良い店内だな。
やや高級そうな印象があるが……香炉なんて使うのは裕福な層ぐらいのものか。向こうもこちらの懐具合をそれぐらいだと見積もっている、と言う事だろうか?
カモフラージュを使っているのに……商人の眼力って怖いよね。
淡い香気が充満した空間である。何か香が焚き染めてあるようだ。
とりあえず香炉や香水関係はパス。今回は香油を見てみよう。
香油の入った小瓶を手に取ったり、軽く匂いを嗅いだりして何を買うか吟味していく。
それなりに良いお値段であるが、石鹸に加工して今後も使う事を考えると幾つか買い込んでいてもいいかも知れない。
そう言えばこうやって匂いを嗅ぐのを、「香を聞く」なんて日本語では言うんだっけ。昔の人は雅な事を考えるものだ。
いくつか香油の匂いを嗅いでいると、一つだけやけに気になるものがあった。
ん……。何だっけな、この匂い。
凄く落ち着くっていうか、妙な懐かしさを感じるんだが。
――それは一面、紫色の花が咲き誇る庭。離れた所で穏やかに笑う優しい人達。白いお城。そんな、懐かしい、遠い、記憶。
――うん。気に入った。これを買おう。
おばちゃんに言って、同じものを何本か購入した。
「ああ、マスター。他にも見たいものがあるのでしたら、私が払っておきますが?」
「ん。じゃあ頼んでいい?」
「はい」
ああ、それにしても素敵なお店だな。
うん。他にも何か買っていこう、かな。お土産とか抜きにしてもセンスが良くて、私はこういうお店好きだ……な?
……ん? あ、あれ?
はた、と気づく。
今の、何だ?
そもそも……平坂黒衛にとって、こんな店、趣味だったっけ――?
「お嬢様? 顔色が優れませんが、大丈夫ですか?」
メリッサが小声で話しかけてくるが、答える余裕は無かった。
これ、これ、は……?
「……っ」
「あっ!?」
まずい……っ。
店から飛び出して、人目に付かないような路地裏に駆け込む。
ギリギリのタイミングでカモフラージュが解けてしまった。
頭がクラクラして吐き気がしている。路地裏の白い壁に手を付いて、荒い息を整える。
俺。俺は平坂黒衛だ。コーデリアの一部があるけれどコーデリアじゃない。あくまで演じているだけ。そこに間違いはない。
じゃあなんで、私はコーデリアであろうとする事に、殆ど無理を感じないでいられる?
どうしてコーデリアでいる事にとても自然でいられる?
どうして今、男として振る舞おうとしている事そのものに違和感を覚えているんだ?
存在規模の問題か? コーデリアとの境界が、曖昧になってるとか? でもなんで、今?
いや、決めつけるのは早計だ。まだ何かを判断するには、情報が足りない。
「マスター!」
「カモフラージュが……!」
クローベルとメリッサが追い付いてきた。
「どうしたのですか、一体!」
「だ、大丈夫。大丈夫だけど」
呼吸を整えながら答えると、クローベルに体を支えられた。
「少しも大丈夫には、見えません……っ!」
「宿に戻りましょう……!」
宿に?
戻るのなら、カモフラージュをかけ直さないと。
ああ、もう。何だって言うんだ。せっかく羽を伸ばせるって思ったのに――。
「君――辛そうだけど、大丈夫?」
私が呼吸を整えていると、路地裏の奥からそんな声を掛けられた。
視線を、向ける。
そこに立っていたのは、銀色の髪に赤い瞳の若い男だった。
恐ろしいほど……整った容姿の男だ。
……なん、だ? この、ザワつくような、かんじは。
「ふーむ。後遺症なのかな? しっかし、あれでよく持ち直したよねえ。まだ正気を保ってられるなんて、凄いと思うよ。前と姿が変わってない事と、何か関係あったりする?」
なんだ、こいつ。何を言ってる。誰だ。誰に似てるんだ、こいつは。
「ああ。この姿で会うのは初めてだよね? それじゃあ、改めて挨拶をしよう。んー……何て言うのが良いのかな、初めましてじゃあないよね。だからと言ってお久しぶりって言うような間柄でもないし、どうしたものかな?」
男は、肩を竦めて笑みを浮かべた。
 




