29 命の洗濯
意識が浮上すると、天蓋付きの上等なベッドに寝かされていた。
どこだろうここは。
ああ。ネフテレカの王城?
なんだか、身体が重い。またソフィーに抱き着かれていたとかじゃなく。普通に倦怠感がある。多分、天秤を空っぽにしてしまったからだろう。
「……お目覚めになられましたか?」
隣にはクローベルがいた。
「うん。おはよう」
そして、ただいま。
「どれぐらい寝てた?」
「三日です」
……そんなにか。庭園だと時間感覚が曖昧……というか適当で困る。前は時間停止した空間で会話をしてたのに、今度は三日とか。
庭園で気が付いてから、赤晶竜から情報引っ張り出したり分離作業したりしてたからなぁ。
気怠さから額に手をやると、クローベルが辛そうに俯いた。
「どうしたの?」
「その……マスターが私を庇われた時、手に火傷を負ってしまって」
火傷? 掌を見ると薄らとそれらしき痕があった。
太ももや頭の傷は綺麗に塞がっているから、私が気絶している間にネフテレカの誰かが治癒魔術師を手配してくれたのだろう。
だとすると、手に火傷というのは――吐息を受け止めた時か。あの時は……極度に集中してたから気付かなかったな。まるで吐息も止まっているみたいに見えたぐらいだし。
本当に危険な事態に直面すると、脳が音や色と言った『余分な情報』をカットして、何もかもスローモーションに見える状態にするらしい。脳の処理能力のリソースを視覚に回す、と言った所だろうか?
今回のは多分それだろう。お陰で綺麗にキャッチ出来たからね。
ま、痕と言っても「言われてみれば」というぐらい。ほんとに、全然大したことない。これぐらいならその内消えるんじゃないかな?
「クローベルが気に病む必要はないからね。私がやりたくて、勝手にやった事なんだから」
「で、でも、私は死んでも……」
「あの時クローベルが撃たれてたら、そっちのが私のダメージがでかいよ」
召喚した仲間が死ぬ事のデメリットは分かったし。
意志の強さにもよるんだろうけど、死の衝撃は確実に魂に蓄積される。繰り返せばいずれ必ず壊れる。
だからそれに比べればこのぐらい、ねえ?
どうもコーデリアの肉体そのものってわけでもないみたいだし、あんまり気兼ねをする必要がないっていうのは有り難いが……んー、やっぱり私の元々の体を魔改造したんじゃあなかろうか。
「というか、私の事よりクローベルの方が心配なんだよね。傷跡残ってない?」
無茶と言うなら、私なんかよりクローベルのが余程無茶をしてたから。
クローベルは拳を握って立ち上がる。
「それでしたら大丈夫ですっ。 マスターのヒールは完璧ですっ! なんでしたら背中を見ますか!?」
「待った! ちょっと待った! 解ったから!」
後ろを向いて上着の裾に手をかけたクローベルを慌てて止めた。
「す、すみません。私ときたら……」
はっとしたように固まると、椅子に座る。
それから顔を赤くして深呼吸していた。うむむ。普段は冷静なのに、時々行動がバグるなぁ、クローベルは。
「マスター。何か必要なものはありますか?」
「んー。水浴びしたい……かな」
暫くして平常モードに戻ったクローベルが問うてきたので、そう答えた。
三日間。眠っている間、清拭しかしてないはずだ。
誰がしてくれたのか、とか考え出すと精神衛生上良くなさそうなので考えない事にするとして。
天秤も回復途上で思考も重いので、少し顔を洗ってさっぱりしたい。
「ああ、それでしたらお風呂があるみたいですよ」
「ほんと?」
「ええ。すぐに言って準備してもらいましょう。マスターは……やっぱりお風呂が好きなのですね」
小さく笑ってクローベルは部屋を出ていった。
お風呂が好き、か。……リンクの影響かな。それとも元々綺麗好きなのか。どうなんだろう。
それにしても流石王城。異世界に来て初めての風呂だ。
けどなぁ。ゆっくりリラックスしながら考え事したいんだけど。
出来るのか……?
この体に今までほど気兼ねがいらないのは分かったけど。
……避けて通るわけにも行かない、か。
準備が出来るまで暇なので魔法を習得する事にした。
レア ランク4 付与術式
『聞きかじった術を無闇に使いおって! 明日からどうやって掃除をするつもりじゃ!? ――魔女ウーリカ』
空飛ぶ箒に逃げられて焦って追いかけるお弟子の魔女っ子さんの図。消費SEは五八〇だ。それだけ使っても所持SEは一四六九三もあった。……曲がりなりにも赤晶竜はレジェンドだから……な。
付与術式は物品に魔法効果を付与するというもの。つまり魔道具を作る為のものだ。赤晶竜の水晶をさっさと改造してしまおうというわけである。これも音ゲーをするわけだけれど、合成術式より難易度が高めになる傾向がある。
水晶を改造していると、侍女の案内がやってきた。
脱衣所に通されたと思えば三人がかりで服を脱がされそうになった。
このまま体を洗われる所まで流れが出来ていたとしたら敵わない。落ち着くどころかそれでは拷問である。
考え事をしたいし一人で大丈夫なのでと言ったら……多分赤晶竜の一件の後と言う事もあって気遣ってくれるらしく、傍に控えるだけで勘弁してもらえた。
服を脱ぎ、浴室に踏み込む。大理石で作られた大きな浴室だ。
装飾や備品が高価そうなので壊さないよう気を付けよう。姫なのに中身は小市民過ぎて困る。
とりあえず今までの沐浴通りに体を洗い流す事にした。
よく解らない道具やクリーム状の何かが用意してあるけれど、異世界の入浴事情はプリンセスグリモワールでは学べなかった部分だからなぁ。んー。このクリーム良い匂いがするけど……。
石鹸か、シャンプーか。それとも乳液か化粧品の類だろうか? ……よく解らない。
侍女の目もあるし自重だ。自重するのだ。
ここにある物品を誤った使い方をしたら侍女に不思議がられるが、日本式であれば、それはそれで理に適っているのでコーデリアの生国トーランドの文化だと思わせられる……という高度で緻密な作戦である。
お湯で体を洗い流しながら、いつもの沐浴で使っているタオルを利用して軽く体を擦っていく。
ここは無心にならねばならぬ場面である。
今までの沐浴でも極力意識しないようにしてきた。この体はあまりグラマラスではないのでまだ助かっている。
ああ……、石鹸やシャンプーが欲しい。けど材料が足りないな。いずれ何とかしよう。苛性ソーダとかどこで手に入れれば良いんだろう?
……苛性ソーダって水酸化ナトリウムだっけ。塩からナトリウムを分離して合成すればいいのかな? プリンセスグリモワールのルールに縛られる必要はないんだし。
じゃあシャンプーやリンスはどうやって作ればいいのやら。香油とか馴染みがなくていけない。
体を洗い流して、いざ浴槽へ。
やや温めの湯に、肩まで浸かってようやく一息をつけた。
静かだ。採光窓から降り注ぐ光の中で、私は湯に体を預ける。
溶けてなくなって行きそうな、脱力感。
目を閉じて思うのは、庭園で見た魂達の踊りだ。
あの人達は私のした事を、私と一緒に戦った事を、どう思っていたのだろう。
感謝していてくれるなら嬉しい。
全体的には好意的に受け取ってくれたと、理解はした。
だけれど人の気持ちは一人一つだけじゃないはずだ。
死んでしまって、悲しくないはずがない。最後に何を言いたかったのか。
仇を討った事を。大切な人を守れた事を。喜んでくれただろうか?
それとも流されるままに仕方なくそうしたのだろうか?
私を恨んだりしている人はいなかったか?
答えは出ない。聞ける相手はもういない。
ただあの、静かに消えていく光景だけが目に焼き付いている。
なんだかな。
こうして立ち止まらないと前に進めないんだから女々しくて仕方ない。
竜を倒したっていうのになんて様なんだか。
物悲しい気分になってしまい、湯をすくって顔を洗っていると、何やらぺたぺたという足音がした。
「おねえちゃんっ」
ぶっ!?
聞き覚えのある声に、思わず湯船に顔を埋めた。
何で?
何でソフィーがここにいるの?
「おねえちゃん、もう起きて大丈夫なの? どこも痛くない?」
浴槽の縁にしがみ付いて、ソフィーが私に心配そうな眼差しを向けてくる。全裸で。
「う、うん。私は大丈夫」
そう答えるのがやっとだった。混乱している私に、更に近づいてくる者がいた。
「ふむ。本当に昔のままなのだな。若さの秘訣はなんだ? 今後の為にも妾にも教えてはくれぬか?」
「ディ、ディアストラ陛下!?」
続いて聞こえてきた声に、私は大凡の事情を察した。
ネフテレカ王国元首、ディアストラ女王陛下その人だ。
先王が亡くなり、魔竜の侵攻が始まった所でネフテレカの玉座を継いだ。
当時弱冠一六歳。コーデリアと一緒に前線に赴き、私が敵首魁を討つまでの間、主力部隊を引き付けて防衛戦を戦い抜いた。
豪放磊落で結界魔法が得意だから、兵達から人気があるんだよ、この人。
恐らく私がダウンしていて話が聞けないから、ソフィーを王城に呼んだという所だろうか?
魔素結晶絡みか。それとも私の話を聞きたかったのか。或いはその両方か。
「ああ。いかん。いかんぞ。ここでは昔のよう呼んでたもれ」
「ディ、ディアス」
「うむっ、それでよい。あの頃を思い出すぞ、コディ」
そう。丁度姉妹と呼んで差支えのない程離しか歳が離れていない事もあって戦いの後に仲良くなった。ディアス、コディと呼び合う仲なのだ。
信頼していい人だけど、今は全裸である。
しかしながら、これで退路が塞がれてしまった感がある。
女王でなくディアスとしての時間が欲しいなんて言われたら、切り上げてお風呂から逃げられないじゃないか。
「す、すみません、マスター。お止めしたのですが」
――。
いやいやいや。何がどうなってる。
クローベルまで参戦……だと?
……はっ!? まさかっ……まさかメリッサも来るんじゃないだろうなっ?
し、しまった。こ、これはフラグ? い、いやっ、断じてフラグじゃないぞ? 違う。違うんだっ。
――メリッサは来なかった。来れる理由が見当たらない。
だがもしかしたら今回の功労者と言う事で城にいる可能性も……いや駄目だ考えるな危険だ。
世界の平和は守られたが、風呂場の肌色密度は増した。
目のやり場に困って天井の装飾などを眺めることにした。
ああ、クローベルはちゃんと服を着てたよ? そりゃそうだ。私の中身を解っているのだし。
安心したような残念なような……いや、そうじゃない。
クローベルはどこか申し訳なさそうだ。ディアスに上手く説明が出来ず、突撃を止められなかったという所だろうか。
浴室の使用許可を出してくれたのもディアスだろうからなぁ。
私が入浴したいと言って許可を出した時点で良かれと思ってソフィーを連れて突撃してきたわけか。……勘弁してくだ――
「――ふむ。クローベルであったな。そなたは風呂に入らぬのか?」
いや陛下。そこで話を振らないで下さい。ただでさえ身の置き場がないんです。
クローベルには見られたくない状況。そして私を完全に信頼してくれてるディアスとソフィーの視線に罪悪感が。ああああ。
ここにクローベルが入ってくるとか、もう何が何だか。
大して長湯もしていないのに頭がくらくらしてきた。
「え、ええと。私は」
「無礼講である。妾に気兼ねする必要もないぞ。脱いでまいれ」
「……はい」
クローベルが負けた! ディアストラ陛下強すぎーっ!?
あっ、断れば私の立場を悪くするかも知れないからか!?
気を遣わせてごめん。マジごめん。
「さて。女同士、生まれたままの姿で裸の付き合いと行くか」
にんまり笑うディアス。
いや、すみません。私一人だけ生まれたままじゃないんです。
せめても余り視線を向けるような事はすまいと、目頭を押さえてかぶりを振る。
だってBD仕様で湯気さんも光さんも、自分の仕事をしてくれないんだもの。
「おねえちゃん、目が痛いの?」
「ええ。そうなの。ちょっと疲れているみたいでね」
「む? それはいかんな。遠慮はいらぬ。見せてみるがよい」
みせられないよ!
ああ、そうだった。ディアスは治癒魔法も使えるんだ。これじゃ藪蛇も良い所だ。
離脱しようとしたのだが失敗した。ディアスに顔を押さえられて目を開けられる。
視線が泳いでしまう。
クローベルもいつの間にか戻ってきていた。こちらに背を向けて肩越しに様子を窺っているのは……さっきの話の続きとかそういう意味だろうか?
とりあえず、傷一つなくて白くて、綺麗な背中ですねと言っておく。
「……ふむ。少し充血して――ああ。そういう事か」
そういう事ってどういう事? 納得しないで下さい。怖いか……らぁぁ!?
何故だか抱きしめられた。お、大きい。何がとは言わないが。
「我が国民の為に涙してくれたか。相変わらずコディは優しいな」
いや、それは……事実なんだけど、他にも理由があってですね?
清廉潔白に違いないというその視線。結構居た堪れないんだってば。




