26 始まりの魔法、終焉の竜
「―――ッ!」
頭上から降り注いだ水晶の雨。しかしそれがクローベルを傷付ける事はなかった。
私の展開した魔力の壁に触れた途端、全て光の粒子と化し……それから無数の断章になってひらひらと舞い落ちる。
ぎりぎり……だった。乾いた笑みが漏れる。
は、ははっ。私の直感も捨てたもんじゃないじゃないか。
「こ、れは……?」
クローベルの呆然としたような声。
――そう。思えば単純な事だったんだ。
ゲームじゃないなら。現実だと言うなら。
グリモワールの機能の最もベーシックな部分を、私が自由に使えない道理がない。
ゲーム的な嘘。或いは私自身の思い込みや勘違いか。
それを私がそう扱っていなかったから出来なかったというだけだ。
グリモワールは万象一切合財を別の、扱いやすい形に変えて……情報としてグリモワール内部に保存する。魔法を含めた知識や技術といった形のない概念、あらゆる物質、そして魂さえも。
だからグリモワールに取り込まれた生物は死なないし、餓えない。素材を加工しようとすれば金属ばかりか木材でさえ鋳型に流し込むように形を変えられる。
それが始まりの魔法。ベルナデッタが作り上げた、永遠に続く楽園の為の魔法。
私の勘違いしていた部分というのは、素材化するには私が触れなければ駄目、と言う部分だ。
私の召喚モンスターに退治された生物は断章に出来る。断章は私が触らずとも遠隔でグリモワールに回収出来る。
その点との違いが、ほんの少し気になってはいたのだけれど。どちらにしても検証の手段はなかったのだが。
結論から言うなら、ある程度の密度を持つ私の魔力に触れさせれば素材化出来る、というのが正しかったようだ。
私の魔力の影響下にあれば。それは取り込めるという事。
だから私自身の魔力を展開して壁としてやれば……触れた物は条件さえ満たしていれば断章化してしまえると言う事で。
とは言え、魔力の流れを感知出来るようになっていなければ、自身の持つ魔力を展開させて壁にする、なんて芸当も出来なかっただろう。
この魔力操作はグリモワールのシステム的なアシストを受けていないものなのだし。
だがまあ、首の皮一枚で間に合ったという所か。
砕けた水晶なんて赤晶竜の物なんかじゃない。ただの路傍の石ころだ。素材カードだ。それをカードにしてしまう事ぐらい、容易い事。
ああ、そう、か。持ち主のいない物を、カードにしてしまう、か。それなら――。
私が検証を終えた所で赤晶竜が大きく息を吸い込んだ。チャージは途切れてしまっている。
やっぱりね。こっちの対応待ちだったわけだ。同じ性質を持つっていうなら何となく対策も解るって事か。
「マスター! 逃げて下さい!」
クローベルがハッとした表情で起き上がって、両手を広げて私の前に立った。
自分が前に立つ事で、私の姿を隠して吐息からの目くらましをしようと。
その間に避けてくれと。そういう心算か。
だけど駄目だ。そんなのは許さない。復活出来るにしたって、死は魂を疲弊させる。行き着く先は屍のような生。そんな物、認めるものか。
「クローベルには、これ以上傷一つ付けさせない」
クローベルの脇から抜けて、彼女の前に立つ。
呆然とするクローベルに笑みを向けて。
眼前に迫ってきたレーザー光線のようなその吐息を――右手のカードで受け、左手に持ったカードで吐き出す。
あらぬ方向に曲げられた吐息が、空を切り裂き虚空に消える。
カード一枚分の薄さの空間を私の物として取得し、断章化した。二枚のカードは元々ぴったり隣接する空間だ。
内包する情報としては文字通りの地続きだから、一方の空間カードに突入した物体は、もう一方のカード側から出てくるという寸法だ。
何故カード一枚分の空間かと言えば……空間をごっそり削るとカードに収納した時に削られた空間が閉じて手首から先が消えてなくなりそう……だとか嫌な想像をしてしまった為である。
だが、そもそも断章化する事で空間が削れてしまうというのなら、何を断章化しても解放しても、同じような問題に直面するはずだ。
そうならないのは――恐らく私の感覚と、最近ヒット続きの直感から考えるに――マナと通常の空間を相互に変換したりして穴埋めさせる事で帳尻を合わせているのだろうと思うのだが、詳しい所は不明だ。ベルナデッタにでも聞けば解るんじゃないだろうか。
だからまあ、杞憂だとは思うのだけれど念の為、という奴だ。想像力が豊かなのも困りものである。
しかしまあ、カード二枚分の空間で効果は十分。それを見た赤晶竜の表情と来たら、相変わらず笑わせてくれるじゃないか。
だけどさぁ、トカゲよ。私ばっかりに集中してていいのか? 警戒が足りないんじゃないか? 例えばほら、後ろを見てみなよ。
赤晶竜の、苦悶の声が草原に響き渡った。
――身の丈ほどのバスタードソードだ。
竜の尾を串刺しにして、地面に縫い止めている。
チャリオットのチャージで鱗を削り取った部分から貫き通したのだ。
「――ったく、好き放題やってくれやがったな」
バスタードソードを手に握るのは目つきの悪い赤毛の男。グラントだ。
更にそこへザルナック側から出てきた沢山の魔術士達が様々な属性の魔法弾を放って援護をしている。宮仕えから冒険者みたいなフリーランスまで……いっぱいいる。
が、魔法弾は赤晶竜に対してあまり効果を発揮していないようだ。鱗が固いのではなく、竜が視線を向けた方向に緑の粒子が垣間見えているから、防御膜のような能力を持っているらしい。あれもSEを使っているようだな。
赤晶竜はそれらの魔法に対して煩そうに目を細めたものの、丸っきり無視を決め込む事にしたようだ、怒りに燃える目でグラントを睨むと、これを薙ぎ払おうと巨木のような腕を振るった。
が、それは叶わなかった。あろう事かグラントが竜の一撃を受け止めたからだ。
何かが砕けるような、物凄い音が響いた。弾かれたのは竜の腕だ。
人間が竜の腕力に拮抗するような、馬鹿げた光景。
拮抗どころか、竜は爪にヒビが入り、腕から血をしぶいていた。俄かには信じられない光景だが、ちゃんとした種も仕掛けもあったようだ。
受け止めたのはグラントと寸分違わず同じ姿をした何者かだった。
但し、受け止める側も無事では済まなかったのか、腕の部分が砕けて、白い木の部品が露になっている。
自動人形。呪いを以ってダメージを跳ね返す、動く芸術品。魔法の着弾と同時に入れ替わったのだろう。
「ココココッコーデリア様に対する不埒な所業、万死に値するわ!! 私の人形も壊してッ! 殺すッ! 殺す殺す殺ーすッ!!」
――メリッサだ。地団駄を踏んでいる。はっ、ははっ。ブレないな、あの子は。
しかし、バレちゃったかー……まあ……そりゃそうだ。あーあ。
私もこの隙に行動させてもらおう。クローベルにヒールを掛けて、彼女の身体の傷を塞いだ。
その間にも戦闘は続いている。グラントとオートマトンが翻弄していると赤晶竜の脇腹の傷に馬上槍が突き込まれた。
竜の体の上体が泳いで、たたらを踏む。
「いやはや。岩を突いたような感触ですね。傷口に当てたのに、大して刺さりもしないとは」
水晶で複雑怪奇な地形になったというのに、自在に馬を走らせるその騎士。兜で顔は見えないが、聞き覚えのある声だ。ジョナスだろう。
「遅くなって申し訳ありませんでした。コーデリア殿下。何分、混乱から立て直すのが遅れてしまいましてな」
「久しゅうあるな、姫。加勢に参ったぞ」
リカルドさんとネフテレカの女王が馬を並べている。居並ぶ沢山の騎士と兵士達。
「おねえちゃああああああああああん!」
外壁の上――泣きながら私を呼ぶソフィーの声。
あの一家は――ああ。全員無事か。安心した。でも何でそんなとこに来てるんだ?
息が上がっている。兵士を振り切って走ってきたのか。うん。元気出たよ。もう痛くない。ただ、元気出たけどさ。危ないぞ。
赤晶竜が、忌々しげに咆哮を上げた。衝撃波が彼らを叩くが、誰一人として引かない。馬さえ揺るがない。
衝撃波を防いでいるのは女王の得意とする大規模結界魔法だろう。相変わらず頼りになる人だ。
複数のオートマトン、グラントとジョナス。それから大量の魔法要員と弓兵達。彼らが竜の注意を引いてくれている。
魔法と矢は弾かれてあまり効果がないようだが、外壁に設置された大型の弩だけは無視出来ないのか、爪で撃ち落としていた。
地上に落とされてしまえばドラゴンと言えど、数的な優位は十分に有効に働くという事だろう。竜周辺が水晶のせいで踏み込めないせいで遠距離攻撃が主体だが、被害を減らすという意味ではそれでいい、と思う。
実際の所……皆が加勢に来てくれたが、言うほど余裕がある状況でもない。
吐息にしろあの水晶の一撃にしろ、赤晶竜が開き直って反撃に転じた時、大きな被害が出るのは火を見るより明らかだからだ。
つまり、今が最後のチャンス。私に期待されている役割だってそれだ。
「クローベル、傷はもう大丈夫? 痛いところはない?」
「は、はい……ッ!」
何だか紅潮している彼女に頷いてから、離れて一人立つ。
倒す手立て、か。
ある。
今ならば使える。
「終わらせてくる。ちょっとだけ待ってて」
私はクローベルへ肩越しに振り返って笑いかけながら、左手に巻いた包帯を解いた。包帯は風に吹かれて飛んでいく。
――青い空が綺麗だ。
場違いにも、そんな事を思った。大きく息をついて、命じる。
「――制限解放」
グリモワールにかかっている制限を解放する。本来レギオンモードを発動させる為に使う物だ、
制限解放されたグリモワールが、地脈から力を際限なく吸い上げてくる。だけれど、今回の目的はレギオンモードではない。
力は使う者次第なんだって、あの子はそう言った。私もそれは正しいと思う。
今は皆を守る為に。誰も死なせない為に使わせてもらおう。
左手にある紋章が、制限解放と同時に全身に広がっていく。
左の甲から腕を這い上がり、肩から首、首から体。爪先から頬までの、全身ほぼ全てを紋章が埋め尽くす。
「エクステンド――ドラゴニクスフォーゼ」
私の宣誓と同時に、全身に広がった紋章が発光を始めた。
これは『味方勢力』と認識する者達との絆、因果、因縁を集めて放つ術式だ。
つまり、私の味方であるならば、召喚モンスターでなくとも良いという事。今この場にいる、味方をしてくれる皆の気持ちが、そのまま私の術式の力に転化される。
生者、死者を問わず、ザルナックの人達の心を束ね、形にしていく。
全身の紋章から放たれる光は、既に目を開けていられないほどの眩さとなって。
光の中で私という形そのものが、身に纏ったドレスごと変化していく。
束ねた力を放つのに相応しい形。相応しい姿を取らなければならない。放つ力に体が耐えられないからだ。
――それは、白い竜。
白銀の鱗を持つ竜の姿。
赤晶竜よりは一回りほど小さいぐらいだろうか。
異常に気付いて奴が振り返る。だけど、もう遅い。
まず味方を巻き込まないように局所結界を展開。
味方と奴とを分断、隔離。
それから空間を飛び越えて、目の前まで踏み込む。
反応するよりも早く、爪を叩き込んだ。
新雪に指でも突っ込んだかのような柔い感触だ。易々と胸を引き裂いていた。
引き裂きながら肉ごと掴み、ただ力任せに空へと放り投げる。
蒼穹の神域の効果に従い、赤晶竜は空中で光の柱に撃たれた。だけれどその勢いは全く留まる所を知らない。
光の柱に灼かれながら、宙を舞うそれに向かって。
私は大きく口を開き、両手を広げて息を吸い込んだ。
私の目の前に、幾重にも円型の魔法陣が展開する。
ぶっ飛べ。
それまでに溜め込んだ全てを喉元に込めて、一挙に吐息を放出した。
地から天までを貫く、それは光の柱。
赤い竜を丸ごと呑み込み、雲を切り裂いて、どこまでも高く高く――青い空へと伸びていく。
そうして。吐息を吐き終われば、全てを解放した私の体は、再び光に包まれて元の体に戻っていた。
グリモワールも通常モードに移行して私の左手に収まっている。
微塵に消し飛ばされても尚、断章化はする物らしい。
天からゆっくりと舞い落ちてくる一枚のカードを受け取る。ただし、イラストはモノクロだ。不服従である、という事だろう。
このカードが種族の物でなく赤晶竜という個体である以上、使役するのも先程の個体だから、という事か。
ま、私はこんな奴使わないので不服従でも一向に構わないが。
レジェンド ランク16 赤晶竜イグニッド
『清々したわ。 ――楽園の姫ベルナデッタ』
私もだよ。
天秤が空っぽだ。抗えない脱力感と眠気に襲われて、私はベルナデッタからのメッセージを読んだのを最後に、意識を失った。




