2 地下水脈とゴブリンと
初回なので2話続けて投稿です
「あはっ、ははっ。ざまぁ見やがれ……!」
結論から言えば俺は無事に逃げ切る事が出来た。
竜が狂ったように洞窟の入り口を爪と牙で叩き壊そうとする中、慌てて洞窟の奥に駆け込もうとして、縦穴に落ちてしまったからだ。
ダストシュートのような縦穴を滑り落ちた後、この場所に放り出された。擦り傷と打ち身ぐらいはしているようだが、行動の支障になるような怪我をしなかったのはもう奇跡と言ってもいいぐらいだ。
縦穴の出口はすぐ背後にあるが、登るのはちょっと無理そうだ。というか上で竜が待ち構えていたら目も当てられないだろう。戻るのは無しだ。
今居る場所はどこか。どうやったら脱出出来るか。
ちょっと見当もつかない。
洞窟の底であるのは間違いないが、想像していたのと少し違う。
周囲が明るい上に、傍らには水が流れているのだ。
地下水脈……と言えばいいのか。流れは緩やかだ。
光源はあちこちにある。水晶の柱のようなものがあちこちに生えていて、ぼんやりとした緑や紫と言った不思議な色合いの光を放っていたのだ。
随分と幻想的な光景だった。
食事と水分補給ぐらいはしておくか。サバイバルの時にどのタイミングで食事を採るのがベストかなんて知らないけれど、少しは落ち着ける時間が欲しい。ケロリーブロックなんていう貧相な食事ではあるけどな。
煌く水晶と水の流れる音を肴に、ゆっくりと食事を採る。
はぁ。赤い竜といいこの光景といい……もう結論を出してしまってもいいのではないだろうか?
どうやら俺は異世界に迷い込んでしまったようだ。
当然、俺が正気であれば、という前提がつく。
俺の名前は平坂黒衛だ。日本人。自分で言うのもアレだが平凡な、どこにでもいるような高校生。趣味はゲーム。
ああまあ。そんな風に確認した所で自分の正気を証明する材料にはならないのだが。
我が身に降りかかった非常識な災難を嘆いて見ても始まらない。どうにか洞窟から脱出する手立てを考えなくては。
腹が膨れたというわけではないが、多少は冷静になって腰を落ち着けられたと思う。脱出の為に行動を開始するべきだ。お茶を一口だけ飲み込んで、飴玉を口の中に放り込む。
水晶の柱に近付いて、そっと触れて見た。光っているのに全く熱を発していない。飛び出している部分に体重をかけると澄んだ音を立てて折れた。案外脆いようだ。
どうなっているのかは知らないが、折れてもそのまま光っている。
……よしよし。懐中電灯代わりには使えそうだ。携帯のライトを使わずに済むのはありがたい話ではある。
あー。左手の法則だったか右手の法則だったか。
別に右でも左でもいいのだが、迷路を抜けるコツのようなものがある。どちらかの壁に手をついて歩いていけばいずれ外に出られる、というものだ。通用しない構造の迷路があるのも知っているが、何も指針がないよりはマシだ。自然の構造物なら地上に続く道を見つけられる公算も高い。ただ食料が足りるのかという不安はある。この方法は迷路の内部をぐるっと回ってくるような、虱潰しに歩き回るような方式だからだ。
けれど何もしないで諦めるわけにはいかない。どうせ死ぬまで生きるんだから。最悪、この場に戻ってきて縦穴をどうにか登攀するという選択肢だってあるのだし。
マーカーで壁面に印をつけ、ノートに地図のようなものを書きながら、水の流れていない側の壁に沿って歩き出した。
「ギッ!?」
「うわっ!?」
出会いは唐突で、お互いにとって不幸だった。
横穴から突然現れた生物と、鉢合わせになってしまったのだ。その距離、一メートルもない。至近距離だ。
背丈は俺の腰ぐらい。二足歩行の生物だ。身体に粗末な皮の衣服を纏っている。
肌の色は緑。手足は細い。黄色い目。鼻が突き出るように長い。人間的な美醜の価値基準で言うなら……まあ語るまい。良く見れば愛嬌めいたものはあるとだけ言っておく。
あれだ。地上で襲ってきたのが竜というファンタジー定番のモンスターであるなら、目の前のこいつもまた、定番中の定番と言えよう。ゴブリンである。
とすると、これは少し拙い展開だと言える。ゴブリンも大抵の場合、人間に対して友好的な種族ではないからだ。
「ギギッ!」
ゴブリンは逃げられないと判断したのか、腰からナイフを抜いて構える。
うわ……。また錆びてて切れなさそうなナイフだな、おい。
痛そうだし、不潔そうだ。異世界で破傷風になったら、まず助からない。
俺はカッターナイフを取り出そうとして、眉を顰めた。
阿呆か俺は。カッターはコートのポケットに入れたままじゃないか。
俺の失態に向こうが付き合ってくれるわけも無い。奇声を上げながら襲ってきた。
舌打ちしてそれを避ける。さっきの竜に比べれば迫力も速度も全然だ。腰に巻いたコートを解いて、腕に巻きつけ、ポケットからカッターナイフを取り出して右手に持つ。
腕に巻いたコートは刃物対策だ。振り回して牽制したり、巻きつけて動きを制限したり、斬り付けられたときにこれで受けたりする。まあ、漫画の受け売りだ。何もしないよりはマシというものである。
「ギィィッ!」
対するゴブリンは……あまり頭が良くないらしい。正面からナイフを振り上げて飛び掛かってくる。
あの切れなさそうなナイフなら、コートを切って肉まで刃を届かせる事は出来ないだろう。俺は強気で前に出て、ゴブリンが体重を乗せてナイフを振り下ろそうとするより先に左手で受けた。
反撃。カッターナイフでは斬り付けても刃が折れるだけだ。刃を出さず、鈍器代わりに柄の部分を叩き付けるように思い切り頭に振り下ろした。
苦悶の声を上げてべちゃりと地面に落ちる。撃ち落としたゴブリンの、ナイフを握る腕を踏みつけて動けなくし、
手近にあった石を拾って――
「……っ」
拾って、一瞬、躊躇う。足元でもがく生物を、殺すのかと。
だがゴブリンの方はそんな俺の葛藤などおかまい無しだった。ギャアギャアと意味の解らない悲鳴をあげながら、俺の足を空いている方の手で掴むと、足に噛み付こうと口を開けた。意外に鋭い牙と、粘つく口内の液体が見える。
「うっ、お!?」
「ゲグッ!?」
サッカーボールを蹴るようにゴブリンの頭を蹴っていた。
ゴキッと音がして、首が曲がってはいけない方向に曲がる。それきりゴブリンは動かなくなった。咄嗟の反射的行動で力加減が出来なかった。従って、思い切り蹴り抜いてしまった訳だが……。
暗鬱な気分で目の前で倒れているゴブリンを見やる。舌をだらんと出して白目をむいている。もう完璧に。非の打ち所もなく。これ以上ないほど死んでいる。
あーあ……何ていうかもう。
連中からして見れば闖入者は俺の方だ。勝手に侵入してきた奴に突然襲われて殺される、と。
まあ……災難だったろうが、手を下した俺が謝るのも何か違う気がする。俺は身を守ろうとしただけだし、向こうだってそうだ。
俺は大人しく殺されてやる気はない。生き延びる為に必要なら、また同じ事をするだろうし。
だけれど、今のはちょっとな。明確な殺意があったわけじゃないんだ。
殺す気がなかったのに、勢い余って殺してしまった。その行為には覚悟が伴っていない。こんな大きな生物を殺すなんて経験がなかったからというのもあるのだけれど。
首を振って、そういった甘えた思考を頭から追い出す。今考えるべき事は他にある。
このゴブリンが俺の知識と一致するかどうかは知らないが、もしその知識から大きく外れていないのであれば、これは朗報であり、凶報でもあるのだ。
ゴブリンは群れる生物だ。弱さを数でカバーするという性質の。実際、今戦ったゴブリンも大した強さじゃなかった。
当然、それだけの数を補う食料はあるのだろうし、転がっている水桶を見る限り、このゴブリンはここに水を汲みに来たのだと思われる。であれば、この地下水は飲用に使える可能性が高いと言う事だ。地上に抜ける道がある公算も更に高まった。と言える。
では凶報の方は何かと言えば。
やはりゴブリンが群れると言う、その性質そのものだろう。ここを巣にしているなら、俺は単身ゴブリンの巣を抜けて外に出なくてはならないという事を意味しているのだ。その上、既に一匹殺してしまっている。見つかって捕まったら嬲り殺しも覚悟しなくてはいけない。
竜に一思いに喰われるのとどっちがマシかは判断しにくい。竜よりはゴブリンを相手取る方が生存確率から言えばマシなのだろうが、嬲り殺しなんて展開はちょっと勘弁して欲しい。うーん。
……馬鹿にされた竜が俺を嬲り殺しにしないとは限らないか。やっぱりゴブリンだな。
……一先ずナイフは頂いておくか。錆びていて質は悪いがカッターナイフよりは大分マシだ。
そうして、ゴブリンのナイフを拾い上げたその時だった。
殺したゴブリンの身体が光になって四散する。
流石ファンタジー。死んだモンスターは消滅するのか、とも思ったのだが、何やら様子がおかしかった。ゴブリンの倒れていた場所に、カードのようなものが落ちていたからだ。
「なんだ、これ」
落ちていたカードを手に取る。そこにはゴブリンの絵と共にこんな言葉が書いてあった。
コモン ランク2 ゴブリン
『何? 何故ゴブリンは臆病なのに懲りると言う事を知らないのかだと? それはな、連中は脆弱で簡単に死ぬが、それ以上に簡単に増えるからだ。だからどれだけ手酷い目にあっても教訓を得る事がない。全く、悩みが少なくて羨ましい事だ。 ――魔術師オルコット』
「これって、断章……か?」
カードのレイアウトとフレーバーテキストに見覚えがあるのだ。
……これってプリンセスグリモワールのモンスターカードじゃね? えー?