彼女の本性
R15です。性的、暴力的描写があります。レイ○(未遂)の表現があります。ご注意ください。
平穏だと感じた日常は未だ仮初に過ぎず、九条霧子は、早稲泉と久田條二を諦めていなかった。
しかも、恨みを買ってしまったようで、そこに私も入っているようで。
面倒くさいことに、九条霧子は最悪な方法に、手を出してしまった。
九条霧子は、顔がいい。強気な性格が顔に出ていて、それは自信と美貌となって現れる。そして、偉そうな分、女王の風格とでもいうのだろうか、人を従えるのがうまい。
それは、男にも例外がないようで、彼女は二人の男をひきつれて、待ち合わせをしていた私と早稲泉を、人気のない場所に連れて行った。
ドラマで見たことがあるような、そんな唐突な出来事に私たちは何も抵抗できないまま、使われない廃屋に放り出される。
早稲泉はおびえた表情で、私は、どんな表情でいればいいのか分からなくて、ただ九条霧子をじっと見つめた。
彼女は言う。
「あんたたちの好きにしていいわよ」
どうやら本当に、九条霧子は狂ってしまったようだ。
鼻息を荒くした男たちは、年齢相応に、何かしら溜まっているのだろう。
床に、ごちそうのごとく転がる私たちに圧し掛かる。
けれど、これでひるむ私じゃない。貞操の危機に、演じているほどの余裕は私にはなかった。
少なくとも、『能天気で平和ボケした天然の私』は消えていた。
圧し掛かってきた男に、私は思いっきり頭突きをくらわせた。予想していなかった反撃に、男はひるみ、頭を押さえる。
私はその隙に男の下から這い出て、完全に怯えきってしまった早稲泉の上に乗っかる男を蹴飛ばした。足は男に直撃し、男は早稲泉から離れる。そして、なんとか逃げ出そうと、早稲泉を起こそうとしたら、頭突きをされた男が私を殴った。
凄まじい痛みと衝撃に襲われ、身体が浮く感覚を味わいながら床に打ちのめされる。
意識が朦朧とし、視界が真っ黒になる。けれど、男は物足りないのか、私の体を飽きずに蹴っ飛ばした。
早稲泉が泣き叫ぶ声が聞こえた。私の中で一瞬意識が途絶えた。
ピクリとも動かなくなった私を、気絶したとでも思ったのか、彼は私に興味をなくし、代わって早稲泉の元に行った。
私は気絶していなかった。ただ、痛みに体が動かなかったのだ。
私は痛みに耐えながら、男達が早稲泉の両手首を抑え、制服の下に手を入れ、性急に体の感触を味わっているのを見る。
そして、男たちが早稲泉に夢中であることをいいことに、私は近くに転がっている開けっ放しのカバンの中に、そっと手を入れた。
九条霧子は興奮した様子で、離れた場所から早稲泉が襲われているのを傍観している。こちらには見向きもしない。好都合だった。
私は筆箱を開け、中からカッターを取り出した。早稲泉の叫び声が聞こえる。
もう、私は『平和ボケした天然な私』ではなかった。友人の悲痛な叫び声を聞いても、冷静でいられる私であった。
きっと、もう、『私』には戻らないだろう。だって、こんな面倒なことになるなんて、本当に思っていなかったから。
私は瞬時に起きだし、九条霧子の元へ、痛む身体を駆使して走った。
夢中になっていた九条霧子は私に気付くのが遅く、ましてや私が反撃するなんて思いもしなかったのだろう。彼女は小さな叫び声をあげて、私に捕まった。
男たちは行為を止めて、九条霧子と、彼女を後ろから拘束する私を見る。
私は九条霧子の首に片腕を回して、彼女の首を絞めつけていた。言葉が出ない程度に押さえ付けているつもりだが、きっと満足に息もできないだろう。彼女は暴れながら、私の腕を外そうと暴れる。
私は、カッターを九条霧子の”目の前”に突きつけた。私がカッターを引けば、九条霧子の目は切れて見えなくなるだろう。文字通りの”目の前”の恐怖に、九条霧子がすくむのが分かった。
私は出来るだけ低い声で、男たちに言う。
「早稲泉から離れろ」
男たちは目くばせをすると、ゆっくり早稲泉から起き上がった。
早稲泉は目じりから涙を流しながら、それを呆然と眺める。きっと、彼女の中で何かが壊れてしまったのだろう。乱れた着衣を正すことなく、ただ涙を流す。私は、こちらを向いて動き出した男たちに言った。
「動くな」
その時、かすかに動いたカッターの刃が九条霧子の頬骨をこすって、切れた。わざとではなかったが、九条霧子の恐怖心を煽るには十分な効果をもたらした。
「きゃあああいやああ!」
早稲泉に負けない程の声で、彼女は叫んだ。私はもう一度カッターを”目の前”に持ってくる。途端に、その場が緊張に包まれる。男も、完全に動きを止め、こちらを凝視していた。
好都合だ、と思った。
「お前ら、もうこのまま帰れ。・・誰にも言わないから」
私がそう言えば、今にも人を切り殺してしまいそうな雰囲気に耐えかねたのか、関わりたくないとばかりに二人は逃げて行った。それを、九条霧子が泣いて呼び止めようとする。喉を抑えつけられた叫び声は、まるで断末魔のようだ。
彼らはその声にますます恐怖心を煽られ、たちまち姿は見えなくなった。
九条霧子は、頬から血を流し、声を枯らして呆然としていた。これではまるで、私が悪者のようだ。
早稲泉は、男たちがいなくなったことで、やっと嗚咽交じりに泣きだし、体を起こした。
私は、非常に怒っていた。
「ねぇ、九条霧子。あんたのせいで、こんなに面倒なことになった」
そう言って、のど元の大事な血管がある場所に、カッターの刃を移動する。
彼女は、体を震わせる。
「殺したい」
私がそう囁けば、彼女は震えながら「いや」と、はっきり言った。
「こんなことになった原因の九条霧子を、私は殺してしまいたい。殺してしまえば、もうこんなことは起こらないでしょう?」
その声は、早稲泉にも聞こえていた。彼女は涙をこぼす目で、私を驚きの満ちた目で見つめる。
「やめて!」
早稲泉が、そう叫ぶ。乱れた衣服を、いい加減直して欲しい。
私は、早稲泉に淡々とそれを告げる。
彼女は慌てて衣服を直したかと思うと、また言った。
「京子ちゃん!やめて!」
私は首をかしげる。
「でもさぁ、泉ちゃんはこいつのせいで散々な目にあったんだよ?私も面倒なことに巻き込まれて、ほんと、九条霧子さえいなければなぁ」
私は『能天気で平和ボケした天然な私』を演じ続けれたのに。
ああ、でも、それでも、この面倒事は巡ってきたのだ。じゃあ、別にいいか。
喉を絞めていた腕を緩めると、九条霧子が震える声で言った。
「・・・あ、あんた誰?」
その問いは、もっともだ。だって、今の私はみんなの知る『早川京子』とはかけ離れている。面倒事が嫌いで、冷淡で薄情な私など、誰も知らない。
「早川京子だよ」
九条霧子の問いには、その答えしかない。
私は、『嘘の私』を含めて、早川京子なのだ。
そこで、一人分の足音が近づいてきた。それは、久田條二だった。今日は、彼と早稲泉と私で、帰るつもりだったのだ。きっと、探し回ったのだろう。どうやってここまでたどり着いたのか知らないが、汗が滴っている。彼は早稲泉に駆けより、私と九条霧子を仰ぐ。
「早川!」
「何?」
「・・・九条を、離してやれ」
・・・分からない。こいつは、面倒ばかり起こす、早稲泉をいじめていた張本人なのに。
私は、ふざけてそう言う。
「でも、こいつが、早稲泉をいじめていた張本人なんだよ?どうでしょうか、いっそ、ここで処分してしまえば」
こいつ、嫌いでしょう?
久田條二は、早稲泉と同じように、驚きに目を見開いた。そして、苦々しげに、九条霧子を睨む。
対して、九条霧子は、泣いていた。しきりにごめんなさいと呟いているのが、うっとしい。あまり、おもしろいものではなかった。
久田條二は、顔を顰めてもなお、告げた。
「・・・離してやれ・・・早川」
結局は、そうなるのだ。なんだ、と若干落胆しながら、私は九条霧子を拘束していた腕を離す。彼女は、悲鳴を上げて、この場から転がるように逃げて行った。
その姿を、私はぼんやりと見送る。そして、早稲泉と、久田條二に向き直った。
「行っちゃったね」
そう言うと、二人の警戒が強まった。二人の目が疑いと警戒に満ちたまま、まっすぐ私に向けられている。
私はカッターを出したままなのがだめなのかと思い、カチカチと音を鳴らして、カッターの刃をしまった。
そして、何事もなかったかのように、歩を進め、落ちているカバンを拾い、カッターを筆箱の中にしまった。
その間、二人はずっと警戒していた。カッターを片づけたのに警戒しているということは、やっぱり私を警戒しているのか。
二人の友人という立場は、いつか面倒事に巻き込まれるだろうと、ありがた迷惑な話だと思っていたのに、思っていたより早く、別れの時が来たようだ。潮時だ。
私は、二人に向き直る。
黙ったままの二人に、私は告げた。
「もうこんな面倒くさいのに巻き込まれるのは御免。だから、もう関わらないでね」
そう言って、その場を去ろうと、踏み出す。
どこか名残惜しいのに、体と口は、あべこべのことをする。けれど、私の性根からすれば、当然の行動だった。
「ちょっと待て」
久田條二が呼び止める。
「お前、本当に早川京子なのか?」
私はそんなことかと、ゆるく笑った。けれど、当然だ。今まで一緒にいたのだから。
「うん。私、早川京子だよ。でも、みんなが知ってる早川京子じゃないの。私、本当はあんな性格してないの。ごめんね、今まで騙してて」
二人の驚いたような、傷ついたような、顔。
ああ、どうしようか、また、『私』になろうか。けれど、いくら偽ったって、もう戻れない。もう、どうしたらいいのか、よく分からない。
早稲泉が、久田條二に支えられながら、言う。腰が抜けたのだと今頃気付いた。
「あの・・もう一緒に居れないの?」
「うん」
「私達と一緒にいるの、めんどくさいって思ったの?」
「・・・・うん」
そこで、早稲泉が顔を俯けて、何も言わなくなる。泣いているのかと、罪悪感を覚える。だったら、嘘でも「そんなことない」と言えばよかったけれど、私はもうこの二人と離れるのだ。
だったら、嘘を吐く必要もない。いっそ、嫌ってくれれば、私の不安定な心にも、踏ん切りがつく。
「私、早稲泉がいじめられていたことも、九条霧子がいじめていたことも知っていたよ。だからと言ってどちらの味方になるつもりもなかったし、その原因になった久田條二と、さっさと別れればいいって思ってた」
その言葉に、二人はますます傷ついた顔をする。それもそうだ。今まで友達と思っていた奴に、言われるんだから。本当の私だったら、二人と友達になることもなかったんだ。
「あんたたち二人といて、本当に面倒なことばっかりだった。正直、迷惑だった。私、面倒くさいこと嫌いなのに」
「そうだったんだ・・・今まで、気づかなくてごめんね」
早稲泉の呆然とした声。
彼女を傷つけた。ありありと伝わってくるその事実に、胸が苦しくなる。
そんなに傷つくぐらいならいっそ、嫌ってくれればいい。そして、私の心と決別させてくれ。
そう思うのに、
「でも、一緒にいてくれてありがとう」
早稲泉は、そんなことを言い出す。
なんで、そんなことが言えるんだろう。私は、二人の悪態しか言っていないのに。襲われて、それでも有難いと、頭がおかしくなってしまったのだろうか。驚いて目を丸くする私に、早稲泉は泣き顔を上げて告げる。
「私、京子ちゃんと一緒にいて、救われてた。京子ちゃんが何て思っていようと、一緒に居てくれたことに、救われていたの」
だから、ありがとう。今まで、迷惑ばかりかけててごめん。
彼女はそう言った。
最後に笑って、泣いて、彼女の嗚咽が響く。
私は、ただ驚いていた。そんな風に思われていたなんて、これっぽっちも考えていなかったから。『私』という、嘘で成り立った存在が、彼女を救っていたなんて、思わなかったから。
けれど、これからはその『私』はいない。面倒事が大嫌いで、薄情な、二人から離れていく私が存在するだけだ。
きっと、これからは何があっても、彼女を救うことなどできないだろう。
彼女が望む『私』ではもういられないのだから。
その考えが私の中を支配して、やはり二人から離れることを選ぼうとする。
今まで黙っていた久田條二が、私に言う。
「早川、俺からも、ありがとう。どんなお前であれ、泉を救ってくれたことに変わりはないんだからな」
あんなことを、別れればいいと言ったのに、久田條二までそんなことを言う。本当にもう、なんだろうこの二人は。私の予想外のことを、やってのける。そんなに私を巻き込みたいのか。もう、私は救えないのに。
私は内心動揺しながら、冷静を装って二人に告げる。
「そう、なんだ。全然気づかなかった。でも、もう『私』は私に戻るから。もう、救えないから」
さようなら、と言う前に、早稲泉は、「そんなことない」と笑った。
言葉が止まる。彼女が何を言っているのか分からない。今までのように救ってくれるとでも考えているのだろうか。お門違いだ。
けれど、彼女が言ったのは、それを覆す言葉だった。本当に、彼女は予想外のことをやってくれる。
「京子ちゃんは、また救ってくれたよ。今度は、本当に私を助けてくれたの」
ありがとう。本当に、ありがとう。
彼女の言葉が、私の中で響く。
ああ、そうだったんだ。また、気づかなかった。
私、今、早稲泉を助けたんだ。救うことができたんだ。
私でも、できたんだ。
どうしよう。そのことが、こんなにも、うれしいなんて。
胸の内から湧き上がってくる感情に、私は揺さぶられる。不安定な心がますます不安定になって、夢のようなことを考えてしまう。
このまま、一緒にいたいなんて。
面倒なことだっていっぱいあるだろうに、それでも、願ってしまうのは。
私は、そっと二人の元に、歩み寄った。
早稲泉と久田條二を見下ろして、不器用ながらも、溢れそうな思いを、言葉に乗せる。
「私、二人のこと、好きだよ」
そうだったんだ、と言ってみて実感した。好きだから、こんなに一緒にいたいんだ。
面倒事ばかりでも、私が邪魔者だと分かっていても、二人と一緒に居たいと願ってしまった。
それほど、私は二人が、二人と居る空間が好きなんだ。だから、二人と別れるのが名残惜しかったんだ。
二人の驚いた顔が目に映る。そして、早稲泉がまたぽろぽろと泣き出した。けれど、それはさっきまでのとは違う。悲しみなんてなくて、あるのは驚きと、喜びの色。
「私も好きだよ」
早稲泉は、泣きながら、ぽつりとそう言った。
その言葉が、たったそれだけの言葉なのに、私はうれしくて、思わず頬が緩んで笑ってしまう。
そんな私たちに、久田條二が、
「なぁ、お前は本当に俺たちと関わらないつもりか?本当に、それを望んでいるのか?」
そんなことを問うから、
「本当は、一緒にいたいよ」
と、素直に答えてしまった。
久田條二はそれにうれしそうに笑う。
「じゃあ、一緒にいればいいじゃないか。確かに、面倒事ばかりかもしれないが」
「それでも一緒に居たいと、思ってしまったの。自分でもびっくりしてるぐらい」
その言葉に、早稲泉と久田條二の笑みが深まる。
私は、もう二人を救えないかもしれない。もしかしたら救えるかもしれない。
けれど、どちらにしろ、二人が、私のことを友人だと、好きだと言ってくれるなら、私は一緒に居たいと思う。たとえ、どんなに面倒事に巻き込まれたとしても、構わないと思うほどに。
私は、こんな私を知ってもなお、一緒に居て笑ってくれる二人が好きで、そんな二人といる空間が好きなのだ。
だから、そんな二人が私を望んでくれることがどれだけ有難くて、嬉しいことか。
一緒にいることを望んでくれたことに思わず「ありがとう」なんて言えば、二人はおかしそうに笑う。
その度、私はますます二人を好きになっていくのだ。
以上で、養殖天然の彼女は終わりです。読んでくださりありがとうございました。