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アリスズシリーズ

ロジューの黒い獣【アリスズ164部の後】

作者: 霧島まるは

「スレイピッドスダート…」


 ロジューは、苦笑していた。


 黒く野性的な男が、バルコニーから彼女の部屋に入ってきたからである。


 本当に、どこからでも現れるな、と。


 彼女の部屋は二階だったが、この男にとっては何階だろうと、さして気にならないことのようだ。


「見られた…気がする」


 スレイは少し怪訝そうに、斜め下の方を見た。


 ふむ?


 ロジューはソファに身を預けたまま、そんな彼の言葉を吟味する。


 こんな夜。


 闇夜に紛れる彼の姿を、見た者がいるかもしれないというのか。


 ああ。


「ケーコだろう…ちょっと変わった目をしているようだからな」


 命の光が、見えるというのだ。


 疑う要素はなかった。


 それは、ロジュー自身の身体で、はっきりと証明されたのだから。


 まだ、自分が妊娠しているという自覚は、彼女にはなかったし、男と身を交わした事を、あの娘が知るはずがない。


 これまで、誰ひとりとして知らなかったことなのだから。


「ああ…あの馬鹿な女か」


 ふぅ。


 スレイは、何かを思い出したように、そしてまっすぐに彼女を罵倒した。


「あっはっは、馬鹿な女か」


 その淀みなさに、笑ってしまう。


 同時に、思い出しもしていた。


「私に会った時も、お前はそんなことを言っていたな」


 もう、8年ほど前になるか。


 ジャングルの中。


 しかも、夜。


『馬鹿な女だ…』


 ロジューは、この男に両手首を捕まえられていた。



 ※



 ロジューは、暑季地帯を愛していた。


 初代イデアメリトスは、中暑季地帯の出身だと言うが、太陽の名にふさわしく、都は暑季地帯にすればよかったのだと、子供の頃から思っていたほどだ。


 だから、旅に出た回数も、圧倒的に南方が多い。


 その年の旅も、暑季地帯にした。


 単に暑季地帯と言っても、東西に広いために、その気候はさまざまだ。


 乾燥した砂地の地域もあれば、密林の生い茂る高湿地帯もある。


 ロジューは、高湿地帯を選んだ。


 道楽の庭に植える、新たな南方植物を探そうと思っていた。


 本当は獣が欲しいのだが、彼女の気に入った獣は、獰猛なものが多く、魔法を使わなければ飼い慣らせないだろうと判断したからだ。


 魔法、ではな。


 美しい艶のある、短い毛並みの獣が多かった。


 その野生の美しさに魅了されたロジューは、数人の現地案内者を従えて、またもジャングルに入ったのだ。


 そこで、事件が起きた。


 野営の時に、獣よけに張っていた結界を、出て行ったガイドがいたのである。


 結界は、外側から入ってこれないが、内側から出れば破れてしまうのだ。


 おかげで。


 ロジューは、全てに後手に回ってしまった。


 肉食の獣は、美しく──速く強い。


 彼女が飛び起きて、右手を振り出すより、確実にそれは速かったのだ。


 野営の際は、両手に髪の毛を巻いて寝ている。


 その準備があってなお、間に合わなかった。


 40年ちょっとか。


 ロジューは、自分の人生を軽く振り返っていた。


 髪の長いイデアメリトスでは、一番短命だな。


 そして。


 自分の命の終焉を、奥歯で噛みしめようとした。


 その時。


 グシャっと。


 骨の砕ける音がした。


 目の前で。


 砕けたのは──獣の頭蓋骨だった。


 ロジューの目に映ったのは。


 くの字に突き出された膝だった。


 その膝が、飛ぶように獣の頭の骨を撃ち砕いていたのだ。


 闇夜に溶けるような。


 黒褐色の肌の男だった。



 ※



「こんなジャングルのド真ん中で、呑気に野営か?」


 動かなくなった獣を足もとに、男はロジューの方を振り返った。


 焚火の灯りに映しあげられた男は、身体のほとんどを影で覆われている。


 肌だけでなく、目も髪も黒いため、その双眸の白目の部分だけが、際立って見えた。


「結界を張っていた。入ってこられるはずが…」


 ロジューは、そこまで言って、はっと案内者の方を振り返ったのだ。


 一人、足りなかった。


「ああ…キュズの葉を噛んでいた男なら、とっくに食われて死んでいる」


 言われて、彼女はようやく全てを理解したのだ。


 結界を破った馬鹿がいたことを。


 キュズは、暑季地帯に自生する植物だ。


 その葉は、この地帯の男たちの半分近くを魅了している。


 いい気分になるらしい。


 だが、噛みすぎて頭がおかしくなる者も出ているため、都でも扱いに困るものでもあった。


 一度口にすると、どうしてもやめられなくなるらしいのだ。


 死んだ案内者は、野営に来る途中で、キュズがあることに気づいたのだろう。


 そして、我慢できなくなったというわけか。


「この獣に、こんな細腕で殴りかかる気だったのか?」


 従者の失態と、己の油断にロジューが怒りを浮かべようとしているところに、男があきれかえったため息をこぼした。


 男には、ロジューの動きは殴りの仕草に見えたのだろうか。


 ボムッ!


 彼女は、右手に真っ赤な炎を燃え上がらせた。


 さっきの獣に、食らわせるはずだった炎だ。


 ただでさえ、怒りに捕らわれかけていたところをこの男に馬鹿にされ、ロジューの怒りに完全に火がついてしまった。


「この力を、使うつもりだったのだ。あの獣だって、ひとたまりもない炎だ」


 暗に。


 私は、魔法の使えるイデアメリトスである。


 それを、この不遜な男に宣言したかったのかもしれない。


 その火を、ちらりと見て。


 男は、ふぅとため息をついた。


「馬鹿な女だ…」


 見えな、かった。


 気づいた時には──ロジューは、男に両手首を掴まれていた。



 ※



「どんな変な力を持っていても…速さの前では、ただの玩具に過ぎん」


 お前は、もう二回死んだぞ。


 男はロジューの顔の近くで、またも吐息を漏らす。


 彼女は、これほどの屈辱を、味わったことがなかった。


 強いことは、ロジューの生きる証明であったのだ。


 だが、両の手首は万力に締められたかのようにビクともせず、痛みに歯を食いしばらなければならなかった。


 だが、彼女にはまだ左手があった。


 髪の毛を巻いたままの、魔法を使っていない方が。


 痛みに耐えながら、そこにロジューは黒い炎をともした。


 影の魔法だ。


 影の魔法は、人の心を操れる。


 この魔法で──!


 ロジューは。


 両手の炎を、消した。


「やめた…私の負けだ。お前の言う通りだな…速さには勝てん」


 そして、抵抗しようとしていた身体から、力を抜く。


 さっき、ロジューを襲おうとしていた獣も、この男も。


 どちらも、野生の生き物なのだと、理解したのである。


「…左手で何か出来ただろう?」


 男の声に、怪訝が混じった。


 あっさり彼女が引きさがるとは、思わなかったのだろう。


「いや、いい。そういうのは、私は好きではない…第一、死者が反撃出来るはずがないからな」


 彼の言う通り、ロジューはもう二回死んだのだ。


 命二つ分の借りが、この男に出来ている。


 最初の一回目だけでも、本来ならば恩人として感謝してもしきれないほどだった。


 男は、両手を離してくれた。


「ロジューストラエヌル=イデアメリトス=ソレイクル16だ…礼を言う。助かった」


 赤くなった手首を見た後、彼女は男の方を向き直る。


 彼は、しばらく黙ったままロジューを見ていた。


「…スレイピッドスダートだ」


 イデアメリトスの名を名乗ったが──やはり、まったく効いている様子はなかった。



 ※



 事件の後、彼女はしつこくスレイをとどめようと努力した。


 ここで別れたら、二度と会えない気がしたのだ。


 これきりにするには、余りにも惜しい男だった。


 しかし、男はこう言ったのだ。


「キュズの葉を取りに来ただけだ。俺は村に帰る」


 ロジューは、驚いた。


 この男が、あのキュズに手を出しているとは、とても思えなかったからだ。


 だが。


 キュズは、彼のためのものではなかった。


 妹が熱病にかかり、強い痛みに苦しんでいるという。


 痛みを少しでもやわらげてやるために、キュズを噛ませようと考えたのだ。


「私が同行しよう」


 即座に答えたロジューに、彼は首を微かに傾ける。


「私は、キュズより役に立つぞ…命の恩は、命で返そう」


 スレイは、信じてはいなかったのだと思う。


 だが、キュズにしか頼る術のなかった彼は、ロジューを自分の村へ、そして妹の元へと案内したのだ。


 彼女は、右手に金の炎をともした。


 熱と痛みで苦しんでいる状態を、まずやわらげようと思ったのだ。


 だんだん落ち着いてくる妹の呼吸を、スレイは黙って聞いていた。


 身体の中に、毒が入っている。


 炎の感触で、ロジューはそれを察知した。


 左手にも、金の炎をともす。


 自然毒で、そう大量にも思えなかったため、死の魔法は使わずに済みそうだった。


 夜明けが来る。


 妹の熱は下がり、彼女は安らかな寝息で、やっと幸福な睡眠を味わい始める。


 ロジューは炎を消し、立ちあがった。


 不覚にも、微かによろけてしまう。


 その身体を、スレイに支えられていた。


 本当に速い男だ。


 朝の光が差し込む中、側に立つ彼を見る。


 獣たちの徘徊する密林を駆け回っているというのに、傷ひとつない美しい黒褐色の肌だった。


 そんな彼を太陽の下で見た時、ロジューは思ったのだ。


 この者が、欲しいと。



 ※



 余りに深いジャングルの中にあるために、ここは陸の孤島と化し、都の政治的影響も届いていないようだった。


 こんな奥地まで、税金の取り立てにくる、気合のある役人はいないということだ。


 だが、男たちは広いジャングルを抜け、他の村や町に行く。


 村では手に入らないものを、物々交換で仕入れるためである。


 そのため、強靭な肉体が要求されるのだ。


 一番、よその土地へ行くというスレイは。


 イデアメリトスの名を、本当は知っていた。


 だが、他の村や町と違い、子供の頃から信仰心を刻まれていないおかげで、何にも感じないのだ。


 だから、夜でも彼らは自由に動く。


 不吉な19日の夜であろうとも。


 そんな、完全に満ちた月の下。


「私と、一緒に来ないか?」


 この男が欲しいという気持ちを、彼女は隠さなかった。


 だが、こんな言葉ごときでは、首を縦に振るとは思えない。


「何故だ?」


 案の定、スレイは怪訝な視線を返すのだ。


「あー…そうだな、腕の立つ護衛が欲しい…いや、違う、お前を側に置いておきたい…これも、何か違うな」


 自分の中の感情を引っ張り出しては、ロジューはそこらに放り投げて行った。


 そんな彼女を、スレイは眉間の皺を深くしながら見ている。


「ああ、そうだ…私がお前を見ていたいのだ」


 ようやく、分かりやすい言葉を引っ張り出せ、ロジューは満足した。


 その満足げな顔に、ますますスレイは表情を険しくするのだ。


「報酬は、お前の欲しいものを…お前は、金では動かないだろうからな」


 満足しながらも、ロジューは分かっていた。


 この男は、断るだろうと。


 それも、心のどこかで覚悟は出来ていたのだ。


 ただ、口に出さずにはいられなかった。


 なのに。


 ふと、スレイは考え込むように黙ったのだ。


 その目が。


 まっすぐに彼女を捕えた。


「報酬か…ならば、お前を寄こせ」


 そして彼は──事もあろうに、イデアメリトスの日向花を希望したのだった。



 ※



「報酬か…ならばお前を寄こせ」


 それは、考えていなかった。


 第一、ロジューは断られると思っていたのだ。


 ふむ。


 昨日からの騒ぎの間で、どうやらこの仏頂面に見えるスレイも、彼女に何かしら思うところがあったようである。


 抱きたいと思われたワケか、光栄なことだ。


 野生動物のようなスレイに、そう思われたということは、純粋に子づくりの相手として認識されたということだろう。


 子か。


 それについては、ロジューには考えるところがあった。


 彼女は、イデアメリトスで。


 血族ではない男の子供を、気軽に産むわけにもいかなかったのだ。


 だから、こう言ったのだ。


「子は産めぬかもしれんが…それでも構わないか?」


 イデアメリトスの君主の妹である彼女に、手を出そうなんて豪気な男は、これまで一人もいなかった。


 だが、せっかく女に産まれたのだ。


 この野生の男に、自分が女として欲されているのならば、それは喜ばしいことのように思えた。


「…構わん」


 答えは、ゆっくりだった。


 なのに、その声の残響を残しながらも、ロジューは彼に抱き寄せられていた。


 唇を、奪われる。


 ああ。


 本当に、速い男だ。


 こんな不吉な満月の下。


 湿気が深すぎて、汗は肌を滴り落ちるばかりだというのに。


 黒い獣は、ロジューを引き裂いた。


 愛の言葉もなく。


 ただ、スレイは己の本能に従っているだけ。


 遠慮のない彼が、自分のために息を乱している。


 そして、初めてロジューは思ったのだ。


 男とは。


 可愛いものだったのだな、と。


 その──短い黒髪に指を絡めた。



 ※



 それから、スレイはロジューの護衛になった。


 いや。


 彼は、自分が護衛という気は、まったくないようだ。


 自分の女を、自分で守っている──ただそれだけ。


 短い剣が使いやすいからと、それをいくつか身に着けた。


 利き腕はなく、どちらの腕も彼にとっては同じ腕だったのだ。


 側についていることもあったが、大抵は少し離れたところから、いつもロジューを見守っていた。


 そして、時折部屋に忍んできては、彼女を抱いて去ってゆく。


 彼女は、そんなスレイとの関係を楽しんでいた。


 あの事件が起きるまでは。


 旅の夜。


 都よりも北西の中季地帯に、捧剣の神殿がある。


 イデアメリトスの先祖たちは、暑いところで産まれたくせに、中季地帯に旅をしたいから、そこを選んだのではないかと思う場所に神殿を作っていた。


 北東に捧櫛、北西に捧剣。


 同じく南の中季地帯である、南西に捧帯、南東に捧舞。


 四大神殿は、全て中季地帯にあった。


 全て、違う代のイデアメリトスが建造したものだ。


 そんな、捧剣の神殿への旅の途中。


 月の連中を、ひっかけてしまった。


 そして、運の悪いことに、魔法を使える血の者がそこにいたのだ。


 月の者が、イデアメリトスに負けたのは、その魔法の力のせいだと、ロジューは思っていた。


 彼らの魔法は、使えば使うほど老いるのだ。


 それでも、魔法は使われ、ロジューは身体の自由を奪われた。


 髪がなければ魔法を使えない彼女は、大勢の月の者が襲いかかってくるのを、ただ待たねばならなかったのだ。


 そんなロジューの前に。


 黒い獣が跳んで来た。


 ああ、無茶だ。


 いくら、速い男であろうとも、大波のような人の群れには呑まれてしまう。


 逃げろと、叫びたい口も動かない。


 言ったところで、逃げるはずなどなかった。


 スレイが、自分の女を置いて逃げるはずがない。


 あぁぁぁぁああああああ!!!


 ロジューは、声に出来ない叫び声をあげた。


 身体中の血の管が、引きちぎれるほどの力を全身に込める。


 この身を拘束する、見えない糸を断ち切らねばならなかった。


 なにがなんでも、だ。



 ※



 スレイは、倒れなかった。


 ロジューが、右手の拘束を引きちぎり、己の髪をがむしゃらに掴み、何十本も掴み取るまで、彼はその大波を止め続けたのだ。


「スレイピッドスダート!」


 唇の拘束を、血を滲ませながら引き裂き、彼の名を呼ぶ。


 泣き叫ぶ声ではない。


 怒り狂う声で、だ。


 激しく右手で燃え上がる色は、純白。


 それを、空に向かって解き放つ。


 ドォンっと。


 地面が、大きく揺れるほどの衝撃が走った。


 ロジューは、祈った。


 祈るしかなかった。


 全てを飲み込まぬ大技は、雷しかなかったのだ。


 水も風も火も地も。


 どれも、等しく目前の命を奪う。


 いま降り注ぐ雷の雨に、スレイが撃たれずに生き残ることを、ただ祈りながら撃ち込んだのである。


 半分以上を、人の肉から炭に変え果てた後。


 ようやく、月の者は逃げ帰った。


 ロジューは、すぐさま炭をかき分けて彼を探した。


 スレイは──倒れていた。


 いつ倒れたのか、ロジューには分からなかった。


 ただ、彼がついに倒れていたおかげで、雷の悲劇からは逃れられたのだろう。


 だが。


 その全身は、隙間なく斬り裂かれ、縫い合わせるまともな皮膚もない状態だった。


 骨も、その身のほとんどが砕かれている。


 ああ。


 ロジューは、彼を抱きかかえた。


 生きている。


 それでもまだ、息をしているのだ。


「命の借りは…命で返すぞ」


 右手には死を。


 左手には太陽を。


 ロジューは、二つの相反する炎を、その両手に灯したのだった。



 ※



 傷ひとつない、美しい身体だった。


 鋭い両の瞳も、愛していた。


 だが、ロジューの魔法を持ってしても、既に失われた左の目と、大きな傷は消すことが出来なかったのだ。


 彼女は、泣かなかった。


 罪悪感も、抱かなかった。


 ただ。


 前の無傷の時よりも、もっと傷のある今のスレイを愛した。


 ささいな傷ひとつさえを、震えるほど愛したのだ。


 スレイは、フードつきのローブを纏うようになった。


 傷を、恥ずかしいと思っているわけではない。


 これほど傷があると、目立ちすぎるため、人にすぐ覚えられてしまうからだ。


 多くの傷のある片目の男と、ロジューが一緒にいる。


 そんな間抜けな情報を、どこにも流れないようにするためだろう。


 前よりもなお、離れてすごすようになった。


 ケーコは気づいていないだろうが、祭で都に移動していた時も、彼は遠くにいたのだ。


 さすがに、宮殿には入ってこなかったが。


 あそこは、外から入る人間の警備が、特にうるさい。


 宮殿の中は、どこよりも安全だと言っていたので、彼はそれを信じてくれたのだ。


 だが、事件が起こった。


 勿論、ロジューは無事だったが、ケーコはそうではなかったのだ。


 何とか治療を終え、動けるようになった端から、甥との間に子を成す離れ業までやってのけた。


 その時、自分の妊娠を知ったケーコを見ていたら。


 自分の中で、埃をかぶっていた母性本能とやらが、疼いたのだ。


 子は産めぬかもしれんと、スレイには言った。


 あの言葉は、嘘ではない。


 事実、スレイに抱かれた後は、いつも己の身に死の魔法を使っていたのだ。


 そうでなければならないと、思っていた。


 だが。


 身ごもったケーコを、うらやましいと思ってしまった心を、彼女は止められなかった。


 ケーコの父親について、スレイに頼むという口実を抱えた──夜。


 初めてロジューは、自分から彼の小屋を訪れた。


 死の魔法は。


 使わなかった。



 ※



 そして──今夜。


 彼は、ロジューの部屋へと現れた。


 子をみごもったことを、ケーコから間接的に聞かされたスレイは、しかし驚いている様子はない。


「子は産めぬと、言っていなかったか?」


 ただ、多少の怪訝を持って、ロジューにこう聞いてくる。


 ソファに座る、彼女の前に立って。


「産めぬかもしれんと言ったが…産みたくなったので産むことにした」


 あけっぴろげに言い放つと、スレイはそんな彼女の奔放さに、ため息を漏らすのだ。


 いつも自分の思うよう、好き勝手な生き方をするロジューに、ほとほと呆れかえっているのかもしれない。


「ケーコの子と同じように、私の子も訳有りの子になるな…だが、どちらの子も、守らねばならん」


 自分のおなかに触れるロジューを、彼は目を細めて見下ろしている。


「面白いだろう。おそらく世間は、この子を愚甥との間の子だと思い、ケーコの子は、お前との間の子だと思うのだぞ」


 どちらも、半分イデアメリトス、半分それ以外の血の子だというのに。


 想像するだけで、見事な笑い話だ。


 ロジューは、それを想像するとおかしくてしょうがなくなる。


「何が面白いか…まったく分からん」


 だが、彼はこの世紀の冗談が、理解できないらしい。


 それだけは、哀れだと思った。


「これからは…まとめて守ってもらわねばならんな」


 ロジューは、ゆっくりと立ち上がる。


 そんな彼女の身体を、スレイは当たり前のように抱き寄せた。


「勝手に守れ…俺は知らん」


 そして、いきなり職務放棄の発言を浴びせてくる。


 だが。


 ロジューは、その胸の中で笑いを止められなかった。


「だが、私は子供らを守るぞ」


 そんな笑う彼女の髪を、軽く後ろに引っ張るようにして、スレイは上を向かせる。


「お前が、誰を守ろうとどうでもいい…俺はお前を守るだけだ」


 唇が、吸われる。


 ほうら。


 ロジューは、目を細めた。


 結局、子供らは守られる──それだけは、間違いなかった。

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― 新着の感想 ―
[一言] アリスズ、読ませていただいています! まだまだ途中ですがとても面白いです。 ロジューはとてもかっこ良くて大好きです。こんな女性になりたいなぁ。 スレイのこの先もとても気になります。 まだ…
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