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Dark to Dark  作者: 神衣舞
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「……往生際が悪いと言うか……」


 アシュルからの伝言に、少女は深々と溜息をついた。


「引き続き、こちらでも捜索しますので」

「……」


 少女は僅かな間を開ける。

 それから「頼むぞぃ」と投げやりに言い放った。


「我々は信用できませんか?」

「できぬ」


 続く返事はまったくもって容赦がない。

 男は目を見開き、そして苦笑する。

 ここはアイリンの公園。

 周囲には屋台が並び、賑やかな声がそこらで交わされている。

 買い物をし疲れた父親と娘にも見える様子だが、余りにも二人の様相は異なっていた。

 かたや何の取り得もなさそうな男。

 五分もすればその存在を二度と思い出す事はないだろう。

 かたや銀の髪に翠の瞳。

 フリルがこれでもかと付いたドレスに小さな体をすっぽりと包んだ、いかにも貴族のお嬢様然した少女。

 忘れようとしても忘れられない。

 余りにもアンバランスな取り合わせに対する妥当な想像として、買い物に来たお嬢様とその御付きというところか。


「手厳しいですね」

「ぬしみたいなタイプには酷い目にあって居るからのぅ」

「へぇ……」


 暗殺者集団とあっさり戦う覚悟を決めるこの少女が『酷い目』と称する事柄が思い浮かばずに感嘆の声を漏らす。


「元より、いつでもわしはぬしらの敵になりかねんし、そもそもアレに興味を持たぬ国などあるまい」

「……貴方を敵に回す云々はさておき、アレの価値という点ではごもっともです」


 男は微笑み、腰を上げる。


「争奪戦ですかね」

「どんな手を用いてもわしはあれを回収、もしくは消去する」

「ではいただくならこっそりとさせていただきましょう」


 男は悠々と言ってのけると小さく頭を下げて人混みに紛れていった。


「やれやれ」


 少女も静かに浮かび上がると、ゆっくりとその場を離れていく。




 サン・ジェルマンの秘伝書が持ち出されていることが発覚したのはカーン家の断絶の数日後だった。

 生き残った闇の牙が持ち逃げしたというのが大方の予想であり、そして正解だった。

 そうなると問題は闇の牙の性質である。

 彼らは暗殺者、追っ手を撒くのも誤魔化すのもプロである。

 国境の警戒を厳にしても発見に至らない。

 そうこうしているうちに十の日が過ぎた。

 ここのところ、ティアの日課はバールに立ち寄っては稀書を借り、店番の最中に読むと言う単調な物だった。

 表舞台に立つことを良しとしない彼女には有力な情報網も、配下もいない。

 これでは行方知れずの暗殺者を探すなど到底無理な話である。

 一応ミルヴィアネスの配下である男に情報の収集を依頼しているが、入ってくるのはバールも捜索に苦戦しているという情報だけだった。

 しかし日が経つにつれ一つの可能性に彼女は顔を顰めていた。

 サン・ジェルマンが開発した物理魔法。

 その中に一つ厄介な魔術があることを彼女は聞き及んでいる。

 自身に襲い来る全ての魔術を無効化する。

 つまり完全な対魔法防御魔法である。

 普通に考えればこれが脅威とは思うまい。

 なにしろ一切の魔法を消去するということは防御魔法の恩恵に授かれないどころか、自身の魔術すら封じてしまいかねない。

 魔術師が使うにはリスクが高く、前衛系ではそもそも使う事すら叶わない。

 そんな珍奇な魔術。

 だが、これをある者が習得すると事態は一転する。


 それは魔族──────


 魔族を純粋な物理攻撃で撃破するのは一般的に不可能と言われている。

 何故なら彼らの本質はアストラルにあり、ただの入れ物たる体が破壊されたところで多少痛い程度。

 また作り直せばいい。

 だが、その戦闘能力はあまりにも絶大である事は言うまでもない。

 もし魔族がその術を知れば人間が対抗する手段の殆どを失う事になるのだ。

 それだけは避けなければならない。

 だが、今の彼女には地図とにらめっこをする以外に出来る事はなかった。




 クラウディアという少女が居る。

 盆栽をこよなく愛する快楽主義者。

 苦になる事をなるべくやりたくないと明言しながら、木蘭、カイトスというアイリンの二強を戦術の模擬戦で下すという快挙を成し遂げた異才である。

 そして彼女はティアが最も警戒する異分子である。

 ただの天才であれば捨てておけばいい。

 力不足のアイリンにはちょうどいい人材だろう。

 しかしその才能が自身の意志とは関係なく発揮されていると知った今ではその動向を注視していた。

 それはセラに通じるところがあるからかもしれない。

 天才的な『勘』で船を操り、海の上では無双の強さを誇る海賊騎士。

 彼女の『勘』がどこから来るのか。

 ティアはあまり良い想像をしていない。そしてその根拠は彼女に巣食う存在に起因する。

 その要因はあっさりと人間の天敵に成り果てる。

 そして、クラウディアという少女にはそれに通じる物を感じていた。

 ただ、最も恐ろしい事はそれがいまだに無自覚であるという点である。


 その日。

 ティアがなんとなしに女神亭に訪れると彼女が熱心に盆栽を広めようとしている光景に出くわした。

 別にそれだけならどうと言う事でもない。

 最近の指定席であるソファーに腰をおろすと本を開いて視線を落とした。

 どうするべきか。

 文章に目が行くより先に、魔道書の行方が脳裏に浮かぶ。


「真っ先に国から離れようとした時、行く先はルーンかアイリンの二択」


 ん? と思う。


「高飛びするなら船が一番で、隠れるなら人混みの中」


 それは、口にすら出していない問いへの回答。

 ティアは視線を回答の主に向ける。

 少女は今自分が口にした事すら無関心に話題へ戻っていた。

 だが、相手をしていた客もいきなりの発言に目を丸くしている。


「……」


 木蘭とカイトス。

 ともに演習で敗れたのはミスを徹底的に突かれたからだと聞く。

 有能であれば有能であるほど自身の失敗には敏く気付く。

 もしその思考が読まれていたら?

 ミスのフォローは最悪のパターンから埋めていく。

 その計算を読まれたら。

 取り返そうとした一手先を次から次へと侵食されなし崩しに負けたと言う結果と結びつく。

 リカバリーとは道からはずれた馬車のようなものだ。

 直線距離を行く者には追いつけない。


「黒のはおるか」


 だが、まだ説明できない部分がある。

 いや、増えた。

 もしも相手の思考を読むだけであれば今の回答は出てこない。

 なぜなら木蘭達の例とは違い、今のティアに解法は用意されていなかった。

 つまり先ほどの解は自身が何らかの方法で引き出したということになる。

 前に睨んだ通り、常にインスピレーションやディアゴットが掛かった状態ではないかとの推測もあるが、確証には至らない。


「ちわー。みかわやです」


 思考を断ち切るような間抜けな声。

 どこか抜けた、ふざけた挨拶でやってくる男を見遣る。

 黒の軍に属するイニゴ。

 主に女神亭周辺を監視している諜報である。

 すんなり姿を表したということは、事情を知っているのだろう。


「条件に合う街は1つしかないな」


 デスバレーから海方向へ伸びる街道を進んだ先にある街の名前を上げる。


「一時間もあれば回せるが?」

「わしは先に行こう」

「ああ。

 すぐに追いつく」


 周りの客が呆然とする中、少女は転移術でその姿を虚空へと消し、黒の男はゆらりと外へ出ていった。




「……」


 彼は周囲に気配がない事に安堵する。

 深夜の船着場は人気がなく、不気味なほどに静まり返っている。

 大事に収めた手記は彼のこれからを左右する物である。

 当初はルーンを目指そうとしたが、あそこには川がある。

 渡河船は関所を兼ねているため、警戒が厳重になれば突破は難しい。

 そうなれば返還騒ぎに人の出入りが激しいデスバレーを抜けるのが得策と言う物だろう。

 実際意外にすんなりと抜けることができた。

 こうなればこちらのものである。

 幾多のルートがある以上追撃は格段に困難になるだろう。

 ましてや自分は影の住人である。

 同業者でも仕掛けぬ相手に悟られるとは思わない。

 もう少しすれば雇った船頭が来るはずである。

 これでセムリナ行きの船に近付き密航するのが彼のプランだった。

 運行中の船は追い詰められれば逃げ場所がないが、なかなか発見が難しい上に、転移座標も定められないため逃走にはうってつけである。

 彼はその後のプランを脳裏に描きながら時を待つ。

 やがて、約束の刻限になり顔を上げると向こうから一隻の小船がゆっくりと近付いてくるのが見て取れた。

 彼は周囲に気配がない事を再度確認すると、船着場に留めた船頭の下へ慎重に進んでいく。


「おまたせしやした」


 船頭が頭を下げると彼は上機嫌で頷き、船へと近付く。


「死出の旅へようこそ」


 月の光に何かがほんのわずか、輝く。

 それは囚われれば決して抜け出す事の叶わぬ死の導き手。

 だが腐っても『牙』を関された者。

 咄嗟に船を大きく揺らしバランスを崩させると大きく後退する。


「だが、やっぱり三流だねぇ」


 痛みとどうしようもない寒気が体を駆け抜ける。

 馬鹿なと思う。

 目の前の男は確かに船の上に居る。では第二の男はどこから現れた?


「ずっと傍らに居るのに気付きもしないなんて」


 疑問へのシンプルな回答が偶然にもはじき出され、男を絶望させた。

 もっとも、絶望するほどの時間は彼に残されてはいない。

 一瞬で肝臓とすい臓を貫かれた男は倒れ、物言わぬ死骸と成り果てる。


「これはイニゴさん。

 横取りとはえげつない」

「『黒糸使い』が出張とは珍しいねぇ」


 イニゴは素早く目的の物を奪おうとするが、踊り来るそれに身を退く。


「おや、油断も隙もない」

「命狙って来て良く言うねぇ」


 風斬り音すら立てぬそれは金属で作られた極細の糸。

 その先には小さな針が付いており、黒糸使いの僅かな動きに鋭い機動を描き出す。


「イニゴの壁掛け標本とか面白そうじゃないですか?」

「言うねぇ」


 互いに姿を晒した暗殺者は軽口を叩きながらミリ単位の間合いを計る。


「ぜひ私と組んで劇団を作りませんか?

 貴方は間抜けな人形の役で。

 なに、踊りは私に任せてください」

「残念だが俺はレディとしか踊らない主義でね」


 黒糸使いの本領は針を刺した後にある。

 微弱な電流を発する指輪を用いて相手の筋組織を支配すると相手を意のままに操る事を可能とするのである。

 だが、彼は非常に腕が立つ故に有名になりすぎた。

 結果、彼は第一線を退き部隊長を勤めているはずであった。


「表じゃ和平交渉、裏じゃ秘密兵器の取り合いか。

 全く持って大した平和だねえ」

「仰る通りで」


 互いに一流。

 故にほんの僅かなミスがすべてを決する。

 千日手の状態に陥った二人はいきなり発生した力に大きく間合いを取る。

 三つの魔力波が天空から舞い降りる。

 気付いた黒糸使いが秘伝書に伸びそれを掠め取るが、即座に起動を変えた魔力波は本を食い破るように走り抜ける。


「迷いがないことで」


 イニゴが苦笑し、腕を下げた。

 倣って黒糸使いもその糸を何処かへ収める。


「ふん。

 言うたであろうに」


 稀代の天才が生み出した奇蹟の術式。

 これを失うのは魔術として莫大な損失に違いない。

 それを惜しげもなく吹き飛ばすのは、彼女の身体能力で争奪戦に参加するのは不可能と踏んだからだ。

 もしここに二人揃っていなければ、彼女は奪取に動いていた。

 だが腕利きの暗殺者二人を出し抜くのは彼女の安全基準に基づけばレッドゾーンであった。


「まぁ、入手できなければ最悪消去、がお互いお達しだろうからねぇ。

 ここは痛み分けということで」

「そうですね」


 まずイニゴがその姿を闇へ溶かせ、続いて黒糸使いも闇に消える。


「……まぁ、惜しいとは思うておるがのぅ」


 本質的に研究者肌の少女は珍しく深い落胆を見せ、踵を反そうとする。


「……」


 腕が動かない。

 腕だけではない。

 全身が動かない。


「あっと、忘れてました」


 気楽な声が闇の中から顔を出す。


「隙があれば危険分子を抹殺せよという指示を受けておりまして」


 黒糸使いは倉庫の上で微笑みながら左手を振るう。

 何かが巻きつく感覚。


「殺させていた─────」


 ぱん!


 と、黒糸使いの左手が爆ぜる。


 あまりの出来事に呆然とする間に右手の手応えが次々と失われていく。

 全ての針が抜かれていく。


「ふん」


 体の自由を取り戻した少女が冷ややかな瞳を向け、処刑鎌を思わせる杖を突きつける。


「こ、これはこれは……

 私の糸を介して『接触』しましたか」


 男の『黒糸』はサーラ銀で出来ている。

 魔力により形を変える特性を生かした糸の操作こそが彼の真骨頂であるが、その優秀な魔力伝達能力を逆手に取り、『杖』として扱ったのだ。


「貴方おかしいですよ」


 さしもの暗殺者も溢れ出す脂汗を感じながら軽口を続ける。


「どんな達人でも私の技を受ければ困惑する物です。

 なのに貴方は一瞬足りとも迷わない。

 異常ですよ」

「……ふん」


 杖の先に光が灯る。

 死を覚悟する、など今更しない。

 微笑みのまま光を受け入れると左腕に激しい痛みと熱さがある。


「……おや?」


 数瞬後、無残に骨をさらけていた左手は見事に再生を果たしていた。


「……どういう風の吹き回しで?」

「最初から殺す気なぞあるまい」


 つまらなそうに肩を竦めた少女は杖を持ち直し背を向ける。


「今は、ですが」

「その時は事を成す前に殺すよ」

「……あはは。

 今本気で殺したくなりました」


 ティアは年老いた老人のような薄笑いを贈り、その姿を虚空に溶かした。


「末恐ろしいですね」

「同意だ」


 黒糸使いの下、壁に背を預け沈黙を守っていたイニゴは深い溜息とともに、今度こそその場を立ち去った。




 ここに一つの闇が終わる。

 しかし闇の中で芽吹いた物達は着実に世界に根を張っていく。

 それは光を求め、また恐れるように、ゆっくりと、ゆっくりと。

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