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Dark to Dark  作者: 神衣舞
3/4

3

※間に「水上雪乃「新生バール帝国の誕生」」を入れてお読みください。※

 ぱきり

 爆ぜる音が静謐を揺るがし、圧倒的な沈黙に幻の如く消え逝く。


 球技のミニゲームくらいは楽に出来そうな豪奢な部屋に主は一人。

 深奥の豪奢な椅子に腰掛け、声なく佇む。


 華やかな美女がそこにある。

 豪奢なドレスを当たり前のように着こなし、ちりばめるように己を飾る装飾品は素晴らしい一品だが、彼女の引き立て役でしかない。

 歩けば誰もが振り返るような美女はその全てを台無しにするほど鬼気迫る表情で爪を噛んでいる。

 手入れを欠かすことのない自慢の爪はすでにぼろぼろで割れている物すらあるが、その痛みは彼女に届かない。

 たったそれだけの、生存本能の根幹である痛みすら彼女に気付く余裕はない。

 思考の渦が彼女を深く飲み込む。


 ────何が間違っていたのか。


 全ては望むままに進んでいたはずだった。

 知恵の巣である魔術師ギルドをたばかり、さらに偉大なるサン・ジェルマンの秘伝を盗み出して子飼いの牙に教え込んだ。

 元より選定皇家。

 その権力は絶大で、このままいけば次は自分の足元に全て転がり込むはずだった。


 それが、どこで食い違ったか。


 あの鬼姫に任せてしまった事か。

 ウィザードを駆使し、首都アイリーンにまで甚大な被害を齎したのにも関わらず、ジャズモード会戦にまで持ち込まれ大敗を喫した。

 バール最高の智将が聞いて呆れる無様さ。

 もてる知を総動員して組み立てたお膳立ては見事に台無しになった。

 全てはあの四カ国同盟によって決しているはずなのだ。

 アイリンは屈し、ルーンとドイルはバールの手中に落ちる。

 そうすれば残るセムリナなど如何様にでもなるはずだったのに。

 

 ガズリズトの病には気付いていた。

 恐らくこの時期にガズリズトが崩御することも。

 そうすればその時点で一番力を持っているのは間違いなく自分であり、すなわち世界に覇を唱える者となれたはずなのに。


 妄想、絵空事ではない。

 魔術師ギルドを手中に収め、ガズリズトが病に冒された時、その全ては天命のようにこの手の中に零れこんできたのだ。明確な未来像として。

 その全てがまるで外の世闇のように今は欠片も見えない。

 敗北したガズリズトから取り立てられることもなく、また大敗から民は穏やかで平和を望む皇帝を望んだ。


 アシュル、ネヴィーラ。

 忌々しい二人はこの胸の奥の痛みを知らず暢気に譲り合うなど戯言を交わしている。

 許せない。

 自分たちが筆頭候補であることを疑わないなど。


「あぁあああああ!」


 肘掛を叩く。

 痺れるような痛みも焦燥に勝てはしない。

 最後の手段が断たれた事を知ったのはほんの数分前。

 かろうじて生き残った闇は、たった三人に数十名からなる牙を潰されたと報告した。

 一人で数十人を相手にしても不足ないほどの技術を得たはずの部隊が事実上壊滅したのである。

 最精鋭たる数名は自分の護衛に残っていた。

 だからと言って刺客として放った者達は氷の牙ですら圧倒するという自負があった。


「……一体どうして……」


 四カ国同盟の崩壊から全てがうまく行かない。

 魔術師ギルドはわけもわからないうちにサン・ジェルマンの死が露見し、手持ちのウィザードのほとんどを失った。

 セムリナに放っておいたウィザードは急に連絡が取れなくなり、

 セムリナ大神殿の大崩壊という前代未聞であろう事件の関与者に疑われた。

 必殺のつもりだった。

 だが退けられた今、全ては露見したも同然である。

 手を打つなら今夜しかない。


「私はまだ終われませんわ……」


 そう、これは始まるためのプロセスのはず。

 進退窮まる事態など起こるはずもない

 疑問が回り、前に進まない。

 考えられる限りの敵は抑えたはずだ。

 なのに何故、放って置けば事が成就するだけの状態がここまで破綻するのか。

 まるで自分が解を知らない事を知った上で出された設問のような、どうしようもない苛立ちが胸を焼く。


 どんっ!


「ひっ……!」


 扉を叩く音に体が竦み上がる。

 思わず無様な声を挙げてしまった自分を恥じ、心に自制を強いて身構える。

 ノブがゆっくり開く。

 その先に居るのは自分の父の姿。


「お父様、脅かさないで下さいますか?」


 当然だ。

 まだ闇の牙全てを失ったわけではなく、自分は守られている。


「如何なさいました、お父様?」


 護身剣を傍らに置きなおし、自然と優雅さを纏う物腰で腰を上げると微笑を浮かべる。


「………」


 しかし父親は応えない。

 扉を開けたまま立ち尽くすのみだ。


「……お父様?」


 自分にかける言葉に迷っているのか。

 無理もない。

 窮地に立たされたのは彼も同じであり、きっと私は悪役なのだろう。

 だが叱咤など恐れるほどでない。

 叱咤したところであの男に何ができようか。

 そう考えると落ち着いてきた。

 そう、私はまだ何も失っていない。

 闇の牙の襲撃も知らぬ存ぜぬで通してしまえば他の家も強い事は言えない。

 多少のペナルティは仕方ないがまた次の手を考えればいい。

 じんと指が痛む。

 ようやく己の惨状に気付き、しかし今は目の前の男を宥め透かす事が先決であると見定める。


「お父様、憤りは────」


 ゆらりと父の足が前に動く。

 その傍らに輝きが伴なうのを確かに見た。


「……え?」


 一歩、近付く。

 薄闇の中、おぼつかない足取りで真っ直ぐ近付いてくる影に揺れる光が付きまとう。

 それは背後の明かりが光源であり、返すは刃の輝き。


「……お、お、おとう、さま……?」


 思わず手を伸ばし護身剣を握り締める。

 何時でも抜けるようにと──────


「ぇあ?」

 ない。

 そこにあるのは鞘のみ。肝心の刀身が────。


「ひぃっ!?」


 あった。

 数歩先まで迫った父の手に。


「な、あ……いぃ……!?」


 血迷ったのか。

 人一倍プライドが高く、しかし無能という恥ずべき親だが、それ故に扱いやすくうまく行くたびにまるで自分の手柄のように笑っていた。

 そんな父がこんな潔い真似などできるはずがない。


「お、お父様、おちつ────」


 上げようとした手は動かない。


「え?」


 手だけではない。

 足も首も。

 体の感覚はいつの間にか消失し、口だけが道化の人形のようにぱくぱくと喘ぐ。


「ごきげんよう、お嬢様」


 父の後ろから聞きなれぬ声が軽やかに響く。


「ご機嫌は如何でしょうか?」


 それは男だった。

 男性。

 成人男性。

 それ以上の感想が思い浮かばないほどありふれた男。

 彼女は理解する。

 この余りにもありふれた、まるで形骸化しすぎ、誰も気にしないような存在を。


「何所の手の者か。

 痴れ物め」


 声を絞り出したつもりだが、腹筋がうまく動かない。

 結果掠れるような情けない声が覇気を空回りさせるように漏れる。


「さすがはカーン家の才女。

 惜しい逸材ですね」


 場違いな軽口の合間にも幽鬼のような足取りで父は進む。

 やがて剣の間合いに入り、足が止まった。


「……」


 気付いた。

 その心臓を深く、深すぎるほど深く貫いた剣に。

 父はすでに絶命している。

 そして、これは─────


「ご明察です」


 男が微笑む。


「進退窮まったカーン家の二人は覚悟を決めて自害する。

 互いの心臓を刺し貫くあたりが詩的で美しいと思いませんか?」


 ゆっくりと体が持ち上がる。

 自分の意志は何所にも介在しない。

 手が伸びて胸に抱く剣を握った。


「護衛は、どう、した、のです」

「護衛?」


 男は大仰に首を傾げ、それからおもむろに顔面を抑えて体を揺らす。


「ああ、あの雑魚どもですか?」


 雑魚。

 ありえない表現に男を睨む。


「おお、怖いこわい。

 ですが、あんな正真正銘の雑魚を頼りにしてはいけません。

 現に、たった三人に壊滅させられ、たった一人の暗殺者の侵入を防げないではありませんか」


 ぱちんと、指を弾く音が暗闇に反響。

 すると窓の外にだらりと全身を弛緩させた人型がぶら下がる。


「『牙』の名前を冠して置きながら無様なものですね。

 まったく面汚しもいい加減にしていただきたい」

「あなた……」

「おおっと、察しの良い」


 男の言い回しが物語る。

 つまり、この男も『牙』の一人。

 だが決して『闇』ではない


「こんなこと……」

「これは総意です」


 続きを制す。


「カーンのお嬢様。あなたの才能は実に惜しい。

 だが、貴方は逸脱しすぎた。

 何にか、わかりますか?」


 わからないわけがない。

 少なくとも彼女の罪状が知れればバールのデメリットは余りにも大きい。

 その筆頭がサン・ジェルマンの殺害。


「もし、貴方がバールの国益のために動いていたのなら、我々は貴方を許したでしょう。

 しかし、貴方は違った。

 長き歴史の中で重大な欠損を我らに強いたのです」


 すなわち、と男は手を広げる。


「六皇家が一つ欠けるという、悲しい選択を」

「……っ!」


 声にならず漏れるだけの呼気に男は笑う。


「ああ、心配しないで下さい。

 あなた方の死は『病気』と公表しておきます。

 いやぁ、怖いですね、病気。

 それで数百年続いた家があっという間に消えるんですから。

 健康は大切です」


 ぐっと、父の腕が上がる。

 永遠に力のこもることのないはずの手が剣を握り、構える。

 瞳孔が開ききり、黄色を帯びてきた目が自身の目に映る。


「最後に一つ。

 貴方の無能な鼠が調べきれなかった事を教えてあげましょう。

 冥土の土産なんて、私悪役っぽいですね。

 素晴らしい」


 あまりにも饒舌すぎる暗殺者は必要以上に顔を近づけ一言。


「貴方の全てを奪ったのは、小娘のお節介です」


 意味がわからない。

 嫌悪感に顔を顰め、


「こむす……」


 思い出す。

 サン・ジェルマンを殺したと───────


 とす


 衝撃はやけに大きな音を従えて体内を侵食する。

 痛みはない。

 ただどうしようもない熱さだけがあった。

 それが、彼女が最後に感じたものだった。




 覇王ガズリズトの死から僅か数日後。

 突然の病に血筋を途絶えさせた王の血族を惜しんだ。

 しかし、惜しみながらも首を傾げる。

 心に過ぎる予感は王に関わる事であるために、誰もが口には出さない。

 が、何か大きなことが起きると確信しているようでもあった。

 その予感が正しい事を知るのはもう少し時を必要とする。

 今、ここに一つの時代の終わりを告げる。

 弔辞の鐘が鳴り響く。

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