05
『あのご令嬢が、離縁を突きつけられたらしい。家からも追放だとか』
かつては幸せな結婚生活を送っていると評判だったイリスが、異母妹に夫を奪略されて離婚した噂はあっという間に広がった。
「ねぇ聞いた? イリスって、富豪のメサイア夫人になったあの子。妹に旦那さんを取られちゃったんだって。離婚よ、離婚! ビックリよね」
「えぇっ。双方のご両親は、妹さんのことを咎めないわけ。離婚って、家族はみんな妹さんを選んだの」
「さあ? ただ神父さん曰く、教典のソロレート婚の応用だから元から妹さんも妻にしているようなものだとか。よく分かんないけど、教義に反していないからあんまり強く言えないんじゃない。元から子供が出来た方が正妻になる予定だったとかで……」
今どき珍しい姉妹を両方娶るソロレート婚だが、メサイア邸のある田舎はまだ古い信仰を続けている者も多い。それらの事情から考慮して、教典の教義を前に出されると誰も文句を言えない状況だった。
「それに……以前から囁かれていたけど、イリスさんって実は拾い子で本当の娘さんじゃないって説があったじゃない。だとすると、納得よね」
「真実はともかく、ソロレート婚じゃ産めない方が追放も無理ないか。イリスさんは生きているわけだし、本来のソロレート婚よりはいくらかマシよね」
ジョナサンやハンナの目論見通り、教典の古い教義を前に出すことで辛うじて一族の威厳が守られてることは確かである。
(もういろんなところで、ジョナサンの離婚は噂になっているみたい。私が拾い子なんじゃないかって話まで……巡礼仲間にも、離婚するなら付き合えないとはっきり言われたし。みんな、イリスではなくメサイア夫人と親しくしたかっただけなのね)
女学校時代の同級生アマンダが『何か協力できることが有れば……』と連絡を寄越してくれた。男爵夫人時代に一緒に行動を共にしていた巡礼仲間達とは、家同士の関係で縁が切れてしまったが、夫ジョナサンの家と付き合いのないアマンダとは気軽に会える。
「わざわざ来てくれたのね、ありがとう。ここのホテルのカフェの魔法ハーブティーがすごく美味しいの。錬金で作っているらしくて……今なら夏休み限定のアイスハーブティーが頂けるわよ」
「思ったより元気そうで、安心したよ。じゃあ私もそのお勧めの魔法アイスハーブティーを頂こうかな?」
ホテルに併設されているカフェで、アフタヌーンティーを愉しみながら思い出話に花を咲かせる。話題は次第に、これからの展望について移っていく。
「それで、イリスは男爵様と別れたあとは、一体どうやって暮らすつもりなの? 一応領地からは出ていくように言われてるんでしょう。女の就職先は、魔法ギルドか飲食店かって感じだよね。都会に出れば、いろんな仕事があるんだろうけどさ」
地元で髪結いをしている活発なアマンダは婚姻歴もなく独身で、自由に過ごしている分、イリスよりも輝いて見えた。かつてイリスが既婚だった頃は、結婚を急ぐようにと急かされていた独身者のアマンダ。それがこんな風に輝いて見えるとは、人生とは不思議なものだ。
「取り敢えずは、一人でも生きていけるように資格を取って、手に職をつけようと思うの。十六で嫁いだから、学歴もないし……取れる資格は限られちゃうけど……」
「そっか。アタシみたいに髪結いの資格でもいいんだろうけど、結構髪結いもハードだし。まずはイリスがやりたいことや目標を見つけて、学校探しするといいんじゃない。隣国にある西の都辺りなら資格の専門学校も沢山あるよ、部屋探しが終わったら連絡先教えてね。じゃあ、頑張って!」
* * *
アマンダから隣国にある西の都を勧められて、何となく方針が決まったところで、移動先を検討することに。避暑地とはいえ、いつまでも一か所に留まり続けるのは、意味のない日々に感じてきたからだ。そろそろ定住出来る場所が必要となるだろう……別荘を財産分与してもらわなかった分、自分で住まいの工面をしなくてはならない。
(都会ならば仕事が見つかりやすいし、知り合いとすれ違っても人混みに紛れて声がかけられづらい。気楽で自由が見つかる場所がいいわ)
「えぇと、隣国で一番大きな街は西の都よね。そこに辿り着くまで一体どんな観光名所があるのかしら、住みやすいベッドタウンを探すのもいいわね」
二十八歳にして初めて一人暮らしをすることになったイリスは、世間知らずから脱却出来る機会に新しい生きがいを感じるようと努める。
旅行カートとボストンバッグの荷物を確認して、出発の準備を初める。部屋を出ていく際にふと鏡を見ると、離婚前よりも少しだけ痩せたイリスが映っていた。
巡礼に励んでも何も残せなかった自分に嫌気が差したが、ここまで来たら自分を救えるのは自分だけだと言い聞かせる。
「大丈夫、きっと上手くいくわ。もう私は神様を当てにしない。自分で自分を救い出す旅を始めなくてはならない。何もない私だけど、女の武器は愛嬌だって女学校時代の先生が仰っていたわ。私にも出来るかしら……イリス、笑顔よっ」
自分で自分に励ましの言葉をかけて、決して後ろは振り向かずに……田舎町を後にした。
『そうよ、イリス頑張って! 世界で一番大切な私の片割れ』
鏡の向こうで遠い昔に離れたはずの誰かが、優しく微笑んだ。