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04


 十二年の結婚生活にピリオドを打ち、イリスが邸宅を出て三ヶ月後。いつの間にか梅雨明けし、世間はすっかり夏休みである。

 田舎町のホテルで取り敢えずの暮らしをしているイリスに会うために、足を運んで結婚報告に来たのは異母妹のハンナだった。


(いつもハイヒールばかりのハンナが、珍しくペタンコ靴で現れたわ。洋服もゆったりとしたワンピースで……心なしかお腹も結構膨らんでいるような。ハンナ、本当に妊娠しているのね)


 ラウンジでレモン水を片手に、異母妹の自慢とも蔑みとも取れるくだらない世間話を散々聞かされた後の報告。


「イリスお姉様……実はね私、ジョナサンと結婚したの。お姉様とジョナサンが正式に離婚してから、まだ三ヶ月だけど……お腹の赤ちゃんのことを考えて早くって。一応、これでも離婚からすぐに入籍するのは、お姉様のことを考えて見送ったのよ」


 我が国の法律上、男性の場合は離婚した次の日に、別の配偶者を作り入籍することが出来る。だが、女性の場合は前夫の子供を妊娠している可能性を見極めるために、離婚から半年間は他の男性と入籍することが出来ない。

 無知なイリスが知らなかった法律は、社会に出ている前夫は当然のように把握していて、離婚から僅か三ヶ月でイリスの異母妹であるハンナを妻に娶った。


「わざわざ田舎町のホテルまで、ご足労してそんな報告をしに? どっちにしろ私には、もうジョナサンが誰と結婚しようと関係ないわ」


 ざわつくホテルの朝のロビーラウンジでは、観光客や出張風のサラリーマンが穏やかなひと時を過ごしている。平穏な時間に、異母妹からさりげなく添えられた不穏の種、イリスはそれを心の中で握り潰す。

 黒い羊革の上等なブランドショルダーバッグを退屈そうに弄りながら、ハンナは長い爪をカチカチと弾いて、会話にひと呼吸おく。ようやく口を開いたと思ったら、嫌味のオンパレードが始まった。


「ふうん……頼るところも無いくせに、お姉様は強気なのね。せっかく、田舎の別荘を財産分与で譲ってやる話があったのに、自ら断ったんでしょう? たかだか十年やそこらの夫婦生活で、子供のいない妻に対する慰謝料なんて知れているのに」

「子供が出来ていれば、養育費が貰えたって言いたいの? それこそ子供すら産んでいないのに、別荘なんか財産分与でもらったら何を言われるか分かりゃしない。あの人との間にできた亀裂の証拠は、慰謝料だけで充分」

「せっかく、お姉様が生きていけるようにと思って、別荘を譲ってもらおうと私とお父様で頭を下げたのにっ。それにお姉様、実は拾い子だって噂が流れているわよ。本当のことは私には分からないけど、拾い子が事実だとしたら一人で生きていけるの? 自分から別荘を断るなんて、ありえないっ。あの別荘は、今日から私が出産準備のために使うことにしたから!」


 別荘を譲るように頭を下げたと言う話は本当らしく、せめてもの厚意が無駄になったことを心底恨んでいるらしい。怒りの限界なのかハンナは、イリスを睨みつけながら怒鳴り散らす。仕方なく、イリスとしても素っ気なくお礼の一つでも言うことに。


「そんなこと頼んで無いわよ、けどありがとう。今まで拾い子かも知れない私を姉と呼んでくれて。別荘は気持ちだけ頂いておく……出産が上手くいくように祈っているわ」

「もうっ。いい加減やんなるわっ。変なところで、見栄っ張りなんだからっ。後悔したって、知らないわよ。悪いけど、お父様はもうイリスお姉様のことは、面倒見たく無いって言ってるし。せいぜい、その慰謝料を元に、一人で細々と生きていくことね。では、さようならお姉様……永遠にっ」


 おそらくそのまま別荘へと向かうのであろう異母妹ハンナは、自慢の赤い髪を揺らして気丈に立ち去っていった。姉への罪悪感で、こぼれ落ちる涙を必死に隠しながら。


(何よ、ハンナったら! 身重のくせに、わざわざ私のところまで来なくたっていいのに。拾い子説のある私なんかより、お腹の子供のことだけ考えてればいいのにっ。馬鹿はハンナの方だわ……財産分与だって別荘なんか譲り受けるように頼んだら、縁が切れないじゃない。まるで、私が自分一人じゃ生活出来ないって決めつけて。あぁ……私は、本当に何も出来ないイメージなのね)


 イリスは黒い髪をイライラとかき上げて、はらはらと落ちる涙を他人に見られないよう誤魔化した。そして、あの嫌味な夫とお節介で生意気な異母妹をいつか、見返してやろうと心に決めるのだった。


 家族からの最後の厚意を無駄に棄て、自分の強情さを棚に上げて。異母妹ハンナの高圧的な態度は、彼女なりの優しさの裏返しであることも見て見ないフリをして。

 ――仲が良かったはずの異母姉妹の会話は、これが最後となった。


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