03
「嗚呼、昨日は動揺してしまったけれど。一時的な浮気かも知れないわ。本当に愛があるなら今は忍耐をして、流れが変わるのを待つというのも」
もしかしたら、夫の気が変わり異母妹とは別れるかもしれないと、イリスは敢えて異母妹との浮気を追及しなかった。
しかし別れの日は、静かに忍び寄るように訪れた。ハンナとジョナサンの関係に気付いてからと言うものイリスは気が気ではなかったが……。しばらく静寂が続いたと思ったら、突然の雷雨のように『最後通告』されたのだ。
「今までありがとうイリス、僕は君の異母妹であるハンナと新しい家庭を築こうと思う。もちろん、生活は何不自由なく送れるように保証しよう」
ある日の夕刻、イリスは久しぶりに夫婦の寝室に呼ばれた。別れを切り出すジョナサンは既に迷いの色はなく、新たな家族を迎える準備をしているようだった。
(何かと思ったら、離縁を言い渡されるとは……夫は冷血な男なのだろう)
なんとか説得しようと、イリスは首を縦に振らずジョナサンの腕にしがみついて涙ながらに訴える。そこで気づいたのは、もう随分と長い間……夫に触れていないということだ。
「ジョナサン、あなた本気なの? 私は今まで一体何のために、ずっと神様に巡礼をしていたの。あんなに苦労して十二年間も……!」
「だから、もう因果解消の巡礼はしなくていい、充分だと言っているんだよイリス! 因果解消の巡礼の結果、キミより先に身篭ったのはハンナの方だったんだ」
「身籠った……不倫で身籠った子供を跡継ぎとして迎え入れる気なの? 因果解消は離婚することだとでも言いたいの。貴方、正気? 私も嫌だけど、世間の目だってあるのよ」
まるでイリスが十二年かけて巡礼して得たものは、異母妹ハンナを夫ジョナサンと結びつけるためだったかのような言い回しにイリスは強く反発する。
「キミ達姉妹との付き合いは、姉妹を両方妻にするソロレート婚だったことにすれば良い。あれだけ巡礼に励んでいたんだから、教典の教えに反さなければ世間の目だって大丈夫さ。まぁ今の法律に従うと、キミとは離婚する羽目になるが。我が一族の血を絶やすわけにはいかないのは、キミだって分かっているだろう?」
「ソロレート婚って、いきなり教典の教えをここで都合よく持ち出すの。私はまだ生きているし、あれは古い教えでそうしなければならないくらい、子孫を残すのが大変だったんだと思うわ」
「うるさいっ。わざわざ気を遣って、キミの異母妹を後妻にするんだぞっ。子を身籠もれないキミの立場が、これ以上悪くならないように」
もはや、悪いのは子を身篭らなかったイリスで、自分とハンナは正しいような流れにするジョナサン。
「何よそれ。ただ単に、魔力が高くて有望な若いハンナに乗り換えたかっただけなじゃない。酷い、酷いわっ」
「ああそうだよ! 巡礼で留守ばかり、強情で分からずやなで呪文の一つも唱えられないキミよりも。魔力堪能で従順なハンナの方が、良いと言っているんだっ」
――魔力堪能で従順な女。それが、夫ジョナサンのハンナに対する評価だった。
(必死に家のために因果解消の巡礼してきた私を無視して、二人で逢瀬をしてきたくせにっ)
バシッ……!
怒りと失望で血が沸騰したイリスは、次の瞬間思わず夫の頬を思いっきり叩いていた。これ以上、会話を続けるよりも態度で示し、夫と縁を切るのが正当のように思えたからだ。
「最低、最低な男……そして妹も二人して裏切っていたのね……私のこと。いいでしょう……! 雨がいつか止むように、この涙もいつか止まる。私は新しい幸せを探すわっ」
延々と溢れて来る涙は、全て梅雨の雨粒だとイリスは自分に言い聞かせる。そうしなければ、正気を保っていられないほどイリスの心は参っていた。
その日から、あからさまにイリスのメサイア邸での扱いは悪くなっていった。散々いいように扱ってきたメイドのマホが、イリスを見限りあまり口を効かなくなるなど見るからに顕著だ。
(この家に私の居場所はない……ううん、元から居場所なんて無かったのね。巡礼ばかりして家庭を省みなかった。メイドにも知らず知らずのうちに八つ当たりしていたんだわ。今更、気づいてももう遅いけれど)
* * *
結局、イリスとジョナサンの関係が修復することは無く、弁護士を通して協議離婚することになった。
「本当によろしいのですか、イリスさん。この慰謝料だけでは、これまでのような生活は出来ない可能性がありますよ。せめてもっと財産分与をしてもらった方が……別荘を一軒貰っておくのが賢明かと」
「別荘なんか貰っても、不自由な籠の鳥になるだけだわ。元・夫と異母妹に見下されながら生きるのはもう沢山。都会に出て勉強をして、自分の人生を見つめ直そうと思います」
信頼していた夫と異母妹の両方に裏切られ、さらに両親は異母妹の味方だ。孤立無援のイリスはこれから、たった一人でやっていく能力を身につけなくてはならない。
けれど、それはイリスにとって、本当の恋の相手と出会うための試練にしか過ぎなかったのだ。