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02


 夫と異母妹が通じているとは、信仰深く世間知らずなイリスには想像すらつかないことだった。イリスは自分が正しいという自信があり、何が原因で夫ジョナサンと不仲なのかも検討がつかなかった。

 メイドのマホに命令する時の冷酷さは、おそらく夫ジョナサンに嫌われる原因であるはずだ。が、もはやそれが当然だと思い込んでいるイリスには、自分は常に清く正しく生きている淑女なのだ。


 雨粒がイリスの涙を共に流すために、ポロポロと彼女の頬を伝う。


(……嗚呼、神様。私が長い年月をかけて巡礼してきた結果がこれなのですかっ?)


 現実を直視出来ないイリスの脳裏には、まだ夫が優しく自分だけを愛してくれていた日のことが、走馬灯のように流れていた。



 * * *



「イリス、キミはこの領地の誰よりも美しい! キミのような美女と一緒になれるなんて、オレは幸せものだ」

「うふふ。楽しい家庭にしましょうねジョナサン」


 社交界デビューしたばかりの十六歳で結婚した田舎のご令嬢イリスは、年上の男爵ジョナサンに見初められて男爵夫人となった。田舎とはいえその富は目を見張るものがあり、庶民が一生住むことはないであろう広い庭の豪邸には、季節の花々が咲き誇る。


『羨ましいわぁ……イリスさん。同じ女学校に通っていたけど、あんなに素敵な男爵様に気に入られて』

『けど……あの二人って、仲が良い割にお子さんを授からないわよね。跡継ぎとか平気なのかしら?』


 最初は仲睦まじいイリスとジョナサンだったが、不思議なことにいつまで経っても子供を授からなかった。イリスもジョナサンも子供を作ることが出来る健康な身体で、夫婦としてのコミュニケーションも週に数回は取っている。

 ただ単に、二人の波長が合わないだけなのか。それとも神がイリスの未来を予知して、敢えて子供を授けなかったのか……定かではない。


「私達、お互いに健康で夫婦のコミュニケーションも普通にあるのに……。もしかしたら、何か因果を背負っているんじゃないかって。お義父さまが私に因果解消の巡礼へ行くようにと」

「あまり気を落とすなよ、イリス。まだ若いんだから、ゆっくりと二人の時間を楽しもうじゃないか? 親父は少し、孫のことを気にし過ぎなんだ」


 いつしか子供ができないことを気に病んだ義父は、しつこくイリスに巡礼の旅を命じた。


「先祖供養が足りない、いや前世の因果解消が足りないのだっ。イリス! 跡継ぎを授かれるように、巡礼に行きなさいっ」

「お義父さま……分かりました」


 それゆえ、次第にイリスも義父の言うことが気になり、豪邸を不在にして巡礼へと出かけることが多くなった。ある日から、ジョナサンは妻の動向が不安になり、仕事仲間に愚痴を漏らすようになる。


「若くして嫁いだせいかイリスは我儘だが、巡礼は懸命にやるし。きっと、根は悪い女ではないはずだ。けれど……巡礼先に男がいたら? クソッ……オレのことは物見遊山に必要な財布としか思っていないのか」

「まぁまぁ。気晴らしにジョナサンも飲んできたらどうだい。まだ女学生でもおかしくない年頃で嫁いできて、学生気分が抜けないのさ」

「ああ……妻のいない寝室で一人で過ごすのも虚しいしな。飲むか……」


 そして、ジョナサンも寂しさのあまり外で酒を飲むことが増えていく。さらに、イリスは知らず知らずのうちに周囲の人を道具のように扱う癖が身についていた。

 巡礼で共に行動する仲間は皆セレブという部類の人種で、中には付き人を奴隷のように扱う者もいたが、誰もそれを咎めなかった。巡礼先への献金が多ければ、司祭も神父もその行動に文句を言わない、そんな人間関係にどっぷり浸かっていたのだから仕方がない。


「あの……ジョナサン様、イリス様にキツく当たられるので退職したいとメイドが」

「イリスの奴、またメイドを奴隷扱いしているのか。だんだんやることなす事、巡礼仲間に似て来ているな。あんな見てくれだけの女、妻にするんじゃなかった」


 二人の間が冷え込んでいくのは、時間の問題だったと言える。話は冒頭に戻り……結婚から十二年の月日が流れた。


「ねぇお義兄様、今日はお姉様はいらっしゃらないのよね。だったら、私と……」

「ハンナ、しかし……キミはオレにとって義理の妹で」

「いいえ、むしろ姉の代わりに私が……これはそういう結婚なんだわ。奥さんがいなくなった時には、姉妹を妻にして血族を絶やさないようにする昔の偉い人の知恵よ。そういう結婚をソロレート婚って言うんですって。本当は姉妹が亡くなった時に適用されるんだけど、子供を授からないわけだし。あれだけ巡礼しているお姉様ですもの、きっと理解して下さるわ」


 イリスとジョナサンが結婚した頃はまだまだ子供だったハンナは、気がつけば華奢な体つきに似合わない豊満な胸が魅力的ないい女になっていた。二人の夫婦が子供を授からないうちに、それだけ年月が経ったということを示しているかのようだ。


 今夜も寝室にはイリスはいない。

 異母妹ハンナをベッドに迎え入れても、きっと彼女は帰って来ない。大きく胸の開いた黒いワンピースは赤毛のハンナによく似合っていて、ジョナサンはその胸元に手を這わせた。手のひらには収まりきらない柔らかな胸を揉むと、ハンナがみじろぎ軽く声をあげる。


「あっ……義兄さん……! 来て」

「ああ、ハンナ! ハンナ……!」


 口付けと共にベッドの波間を泳ぐのは、妻ではなく義理の妹。


 だがこれは、教義で赦されたソロレート婚。


「理解……巡礼……。そうだよな、イリスはオレより神の教義が大事なんだ。巡礼していればまるで神になったかのように、メイドを扱き使う。だから、ソロレート婚が神の教義に反さなければ文句は言えまい」

「ふふ。こんな素敵な方を放っておいて、馬鹿なお姉様」


 そう……結婚十二年目の記念日が近づいてきた梅雨の時期に、破局が訪れたのだ。


 ――異母妹ハンナが、イリスの夫を奪うという形で。


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