没落し孤独の身となった私の元に来た執事は仕事が出来すぎてどうにも胡散臭い
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私の家の経済状況が悪いことは知っていた。
徐々に使用人の数も減っていき、父と一番長く仕えてくれている執事と私の三人になった。
それでも畑もあったし土地も持っている。家もあったし今すぐ路頭に迷うことはないと思っていた。
けれど、それはどうも思い違いだったらしい。
いつも通り朝を迎えたジナ・クラウンドは、ダイニングテーブルの上に一枚のメモを見つけた。
【ジナ、本当にすまないと思っている。しばらく辛抱してくれ。必ず金を取り戻して戻ってくるから】
「は?」
何度読み直しても書いてあることは変わらない。
ちょっと待って。一回整理させてほしい。
ジナはメモを乱暴に掴むと父の部屋へ駆け込んだ。
だが、部屋の中はもぬけの殻。
窓を開けて外を見ても目の前に広がる畑には姿が見えない。
いったい、どういうこと?
「ジナ様」
「ヨーク!!」
途方に暮れるジナの背後から聞き覚えのある声が聞こえる。
パッと振り返ったジナは部屋に入ってきた執事のヨークに駆け寄った。
「お父様の姿がないの。このメモだけ置いてあって
「驚かせてしまい申し訳ありません。お嬢様には苦労ばかりおかけして……」
「ヨーク……」
父が幼い頃からこの家に仕えていたヨークは、ジナにとって祖父のような存在だった。
そんなヨークが皺を携えた目元を歪める。
「ロンダー様もいつも家事ばかりさせてしまうお嬢様に申し訳なく思っていらっしゃいました。だからあんな……」
「お、お父様はどこに……」
「うまい話にのせられて、畑も土地も財産のほとんどを奪われてしまったんです」
「は!?」
ヨークは膝をつく。
「お許しを……。ロンダー様にはジナ様についているように言われたのですが、私は、あの人をお一人にしておけない」
お父様は心優しい良い人だ。
母を亡くしたときも、使用人がどんどんいなくなっても、いつも私のことを一番に考えてくれていた。
自分の食べる分を減らして私にお腹いっぱい食事をとらせてくれるところも。
誕生日にはいつもドレスを買ってくれるところも。
誰にも見せる相手はいないのに、父が喜ぶから私はすぐに袖を通して父の前でくるくると回ってみたりしたのだ。
優しい。
人が良くて、優しくて、大好きな、お父様。
けど、私は分かっていた。
この人は……本当に頭が悪い。
いつか騙されるんじゃないかと思っていたが、いつもそばにはヨークがいたし、私も父を一人にしないように気を付けていた。
それなのに騙されてしまった。
あの人を一人にしておいたら、そっちのほうが心配だ。
考えられないほどの借金を抱えて戻ってくるかもしれないし、そもそも戻ってくる保証もない。奴隷として他国に売られたと聞いても驚かない自分にびっくりするくらいに……。
ジナは、はぁと大きなため息を吐いた。
「そうね。私もお父様を一人にしておくのは心配だわ」
「ジナ様」
「この家は?この家も取られてしまったの?」
「いいえ、この家は亡きアルティア様の為にロンダー様が建てたもの。これだけはまだ当家の物です」
「そう。それなら、私はこの家に残ります。ヨーク、お父様のこと頼みましたよ」
じわっと浮かび上がる涙を拭ってヨークは深々頭を下げた。
「私の命をかけて、ロンダー様を連れて戻ります」
「ヨークも一緒に戻ってきて頂戴。私に……これ以上家族を失わなせないでね」
「もったいないお言葉……ありがとうございます」
ヨークを見送って、私はその場に座り込む。
心配させないように、精一杯虚勢を張っていたが、急に力が抜けたのだ。
家は没落し、今頼れるのは自分だけ。
(しっかりしなければ)
そういえばヨークが古くからの知人に声をかけてくれたと言っていた。
だから、新しく来てくれる執事と上手くやって、この家を守っていかなくてはいけない。
「あのー……」
「っ!」
突然聞こえた声に勢いよく立ち上がる。
いつの間に近くにいたのだろうか。目の前には長身の男が立っていた。
整った顔立ちと優しそうな雰囲気に彼から目を離せなくなる。
自分が相手のことを不躾にじろじろと見ていたことに気づき、ジナはハッとした。
「ヨークの知り合いの方?」
ジナがそう尋ねると、男は体の前で組んだ手を握り替えた。
そして丸い眼鏡の奥の瞳を少し細め微笑む。
「今日から執事としてお仕えします」
「あっ、執事といっても私は自分のことは自分で出来ますから」
「ジナお嬢様の話はよく聞いています。あなたに仕えられることが出来てとても幸せです」
恭しくそう言って頭を下げる男にドキドキした。
ヨークの知り合いというから、てっきり歳が上だと思っていたがこの男は自分とそれほど変わらないように見える。
家のことばかりしてきたジナは社交界デビューの年を超えたというのに、男に対して免疫がほとんどなかった。
「そ、そんなこと……それよりあなたのことは何と呼んだらいいかしら?」
「私のことは“クラウディア”と」
「クラウディアね」
手を差し出して握手を交わす。
父ともヨークとも違う、男の手の強張りに緊張していたのは内緒だ。
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最初のうちは仕事に慣れるところから、と思っていたがクラウディアという新しい執事は、とんでもなく有能だった。
畑も土地も奪われたというのに何をどうやったのか、クラウディアは小さな土地を買い戻し、今は二人分が食べていけるくらいの小さな畑を作っている。
家事も完璧でジナのやることがなくなるほど。
料理は美味しいし、洗濯物はふかふかで、部屋にはホコリ一つ落ちていない。
あまりにも仕事が出来すぎる。
ただクラウディアの有能さはそれだけじゃなかった。
「ジナ様、社交界に出る機会がなかったとはいえ、これじゃ年下の子に笑われてしまいますよ」
「あっ、……ちょ、っと、っ!……はぁ、っ……あっ!!ごめんなさいっ」
「そこは右足を引くんです。一歩引いてから、もう一度踏み出して交差。……はい、もう一回最初から」
「えーっ。まだやるの?……今までやったことがないのよ、私には無理」
「自分で自分の可能性を潰すような発言は許しませんよ。今日はこのステップが覚えられるまでやりましょう」
「そんなぁ……わっ、っ、え、っと……きゃぁっ!」
派手に転びそうになるのをクラウディアに抱きかかえられる。
至近距離で見るクラウディアの顔にジナは思わず頬を染めるが、彼はにっこりと笑みを浮かべて「はい、もう一度最初から」と言った。
何度も何度もステップを叩きこまれ、そのたびに何度クラウディアの足を踏みつけたことか。それでも彼は一度も諦めなかった。
「ジナ様、今は母国語以外も使えるようになれないと。そこの発音は舌を奥に引っ込めて」
「……レ、ェ」
「違いますよ。舌先はどこにもつけないんです。ほら、口を開けて」
「ん、んんっぅ」
クラウディアに顎を掴まれ、口を開けるように促されるがさすがにそれは拒んだ。
無理やり開かされることはなかったが、代わりにクラウディアが口を開けて舌の動きを教えてくれる。
人の口の中なんて……。そう思いながらこれも勉強のためと、私は薄目で舌の動きを目で追った。
「マナーは……及第点ってところですね。でも、お皿の上が少し汚れています。フォークを使った後にのこったソースはナイフで塗り付けるように仕上げてください」
「こ、こうかしら?」
「えぇ。上手ですよ。ジナ様」
「本当!?」
唯一少しだけ自信があったマナーは褒められることも多かった。
思わず顔を見上げるとクラウディアは「ジナ様は覚えるのが早い」と微笑んでくれる。
妥協はしてくれない厳しさはあったが、クラウディアはどんなに出来ないことが多くても、駄目なところがあっても、一切怒ることなく根気強く教えてくれた。
それに、少しでも上手くできると心の底から褒めてくれた。
最初はなんでこんなことを、と思っていたが、クラウディアに褒められるのが嬉しくて、私は彼のレッスンに没頭していった。
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月日は流れ、あっという間に父がいなくなってから半年が経った。
私は、というと。
早く父やヨークにこの姿を見せたいと思うほど、立派な淑女になっていた。
それもこれも全てクラウディアのおかげだ。
自分で言うのもなんだが、どこに出しても恥ずかしくないほどの完璧な仕上がり。
そういえばヨークも無事に父と再会できたらしく、月に一度手紙が届いた。
まだ家に戻ることは難しいらしいが、元気にしているようで安心する。
定住しているわけではなく、こっちの状況が伝えられないのがやきもきするが、まぁ戻ってきたときに驚かすのもありだろう。
「ジナ様。今日も満点です」
「ありがとう。もうこの国の言葉も完璧ね」
ようやく採点が終わったのか顔を上げたクラウディアに微笑みかける。
さりげなく伸びてくる手を受け入れた。
クラウディアは宝物のように優しく私の髪の間に長い指を滑り込ませる。
「よく頑張りましたね」
「クラウディアのおかげよ。今まで隠してきたけれど本当は、私も勉強をしたかったの。マナーは一人でもなんとかなったけど、勉学は教えてもらわないと分からないことも多いし、とくにダンスは実践が大事だから……」
「えぇ。そうだ、この機会にジナ様のお話をゆっくり聞かせてください」
クラウディアに誘われるままソファに腰かける。
半身がくっつきそうな距離に心臓の音が聞こえないか心配になった。
ちょっとだけ横を向けば優しい眼差しがジナを包み込む。
「別に面白い話はないのよ?……貴族とは名ばかりだったけど、男親一人でお父様は私のことを大切にしてくれた。自分では無理をしたつもりはないけれど、家の為にあきらめたことも多かったの。だけどそれをクラウディアが全部叶えてくれた」
「私が?」
「そうよ。いつもそばにいてくれて、厳しいと思ったこともあったけど。でも諦めそうになる私を叱ってくれて、出来るって信じてくれて、それで出来たらたくさん褒めてくれる。それがすごく嬉しかった」
「ジナ様……」
「だから、私クラウディアに会えてよかったわ」
ジナがそう言うと、突然クラウディアの腕が伸びて肩を抱かれた。
そのまま引き寄せられて気が付くと、クラウディアの胸の中にすっぽりと収まっている。
「クラウディア!?」
「……ごめん」
ドキドキと聞こえるのは自分の心臓の音か、それとも彼の物か。
突然謝られて戸惑いを隠せないでいるジナの身体をゆっくりと離したクラウディアは、丸眼鏡を外した。
下ろしていた前髪を立たせるように掻きあげたクラウディアは、まるで別人のような雰囲気に変わった。
少しオーラが増したクラウディアにたじろぐジナを他所に、彼は口を開く。
「全部俺が仕組んだことなんだ」
「え?」
「君の父を騙したのも、この家に来たのも、全部俺が……俺が、俺の野望の為」
何を言われているのか理解したくない。
「それは、どういう……」
「俺の名は、クロウ・リーマード」
「リー……、マード?」
ジナは瞳が落ちそうなくらい瞠目した。
「俺はリーマード家の第一王子なんだ」
知っている。
というか、知らない者はいないだろう。リーマード家というのはこの国の王家の名前だ。
「え、っと、それは本当なの?でも、なんでそんな方が私の父を騙すの……?」
「第一王子と言っても、俺と第二王子の差はたった30分。それに、俺は王妃の子ではなく、王が気まぐれに手を出した城使いの子なんだ」
そう言ったクラウディア、改めクロウはゆっくりと目を閉じた。
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物心ついたときから、自分の置かれている立場がなにかおかしいと気付いていた。
第一王子というのに宮殿の隅に追いやられ、父の姿は見たことがなかった。
第二王子は正妻の子で、俺と同じ誕生日で、俺がたった30分早く生まれてしまっただけなのに、ただ第一王子というだけで目の敵にされていた。
俺が生まれる前から散々虐げられてきただろう母は、俺を生んだあと心を病み別棟に移された。生きてはいるようだが、もはや俺が自分の子だということも分からないらしい。
母も気の毒だろう。
気の迷いで抱かれ、子を成したせいで、こんな目にあったのだから……。
「下賤な女が産んだ子より私の子が王にふさわしい」
王妃が直接そう言ってきたときは、正直驚いたがまぁそんなものだろうと思っていた。
俺はお飾りの第一王子だ。
それでいいと思っていた。
だけど、ただ物分かりのいいフリをするのもむしゃくしゃして、何もかも第二王子の弟より優れようと努力をした。勉学も帝王学も頭の良さや運動能力は絶対に負けてなるものか。
俺は王には興味はないが、ただの“下賤な子”ではない。
しかし、それはさらに王妃の不興をかってしまう。
ある日、珍しく柔和な笑みを浮かべた王妃が俺の部屋にやってきた。
「……このような場所にお越しになるとは、何かありましたか?」
「喜びなさい。お前がこの国の役に立つことがありましたよ」
いったいなんのことだろう。
一瞬訝し気な顔をしてしまった俺を見て王妃は笑った。
「お前の結婚が決まりました」
「……はい?」
「ついでにいうと、ウルティアも結婚をします」
ウルティアというのが王妃の子。
第二王子だ。
二人そろって結婚というのは、どういうことか。
「以前もお伝えしましたが、私にその気はありません。王位に興味もない。ウルティアが結婚し、王に就くことに反対もしないと」
「当たり前です。下賤なお前が王になるなどありえない。ただ、いつお前が心変わりするとも限らない」
「それはありえな……」
「黙りなさいっ!いつから私の言葉を遮っていい立場になったのかしら?」
喉の奥が縮こまる。
それでも口を閉じ頭を下げると、王妃は「ふん」と鼻を鳴らした。
「ウルティアは、隣国のアイラ姫と結婚し公式に王位継承権を正式に一位に上げます」
王妃の言葉に頭を下げたまま、なるほど、と納得した。
アイラ姫は近国の中でも一番大きな国の第一王女だ。そんな人がよくこの国に嫁ぐことを決めた、とも思うがこの国の王妃の座を約束し嫁いでくると言うのなら、分からない話でもない。あちらはあちらで、王位継承権をめぐって姉弟間の争いがあると聞く。
「そして、あなたには、クラウンド家の一人娘を嫁がせることに決まりました」
「クラウンド家?」
思わず言葉を漏らしたが、王妃はそれを咎めることなく、声高に笑う。
「この国の王家の血筋をたどった末にアルティア・クラウンドという女がいます。その女の娘ですよ。れっきとした王家の血を引く子なのに文句があるとでも?」
クロウをもってしても、そんな名は聞いたことない。
ほとんどないと言っても過言じゃない血筋の娘を嫁にもらった俺の立場は、さらに下になるということか。
「まぁ、今は没落寸前の家ですけどね。母を早くに亡くし碌な教育を受けていない。お前にはお似合いよ」
言いたいことを言って王妃は部屋を出て行った。
碌な教育を受けていないことに片親は関係ないだろう。
そう言い返せたらこの苛立ちは少し晴れただろうか。
けれど俺はただ王妃の言葉を受け入れるしかないのだ。
王妃は、俺の元に何の教育も受けていない田舎者丸出しの女を嫁がせバカにしたいだけなんだ。この子に罪はない。ただ俺に巻き込まれる不憫な子。
それならば、いっそ俺のようにしてみればいいのではないか。
大国の王女に引けを取らない完璧な淑女に。
血筋なぞ関係ない。
邪魔で仕方がない俺も、この頭の良さがあるから今まで生かされてきたと言っても過言じゃないのだから。
俺は、俺の為に、勝手に巻き込んだ女を完璧な人間にしてみせる。
幸い宮殿の隅で息を潜めて暮らす俺は、宮殿を抜け出してもバレる心配はほぼなかった。それに、一応信頼のおける部下もいる。
全ては自分の野望の為だった。
――――――――――――――――――――
「だから、そんな勝手な理由で君を巻き込んだ。あっ、家族のことは心配しなくていい。簡単に説明は済んでいる。君の父親も執事も安全な場所で暮らしているよ」
「クラウディア……あっ、え、っとクロウ様……」
「ジナの呼びたいように呼んでくれて構わない」
いつの間にか敬称が取れている。
“ジナ”と呼ぶのは父だけだ。久しぶりにそう呼ばれ心臓が縮み上がった。
知らぬ間に私は大きな渦に飲み込まれていたらしい。
話を聞いて真っ先に思ったのは恐怖というより、腑に落ちた気持ちだった。
そうか。
だからこの人はこんなになんでもこなせるんだ。
それはすべて自分の努力によるもので、私は怒りよりなんだか言葉に出来ない熱い気持ちが胸の奥から込み上げてくる。
なんでもできる胡散臭い執事ではなく、自分の力を認めさせるためになんでも出来るようになった王子。
今度はジナが両腕を目一杯広げてクロウを抱きしめた。
「経緯は分かりました。けれど、それでも、……何もできなかった私を一度も突き放さなかったじゃないですか」
「それは……ジナは弱音を吐くけど素直で頑張り屋でいい子だったから」
「全部クロウ様に褒められたかっただけなんですよ」
顔を上げるとクロウは瞳を濡らしていた。
「色々なことをたくさん教えてくれた。あなたは……私に恋も教えてくれたのよ?」
「ジナ……」
「王子様に嫁ぐとか、王家の血筋を引いているとか、信じられないことばかりだけど、私はあなたと一緒にいられるならどこにいっても大丈夫」
まばたきをしたら、頬が濡れた。
いつの間にか私の目にも涙がたまっていたらしい。
クロウの長い指が涙の跡をなぞり、そのまま後頭部に手を添えられた。
「俺もそのまっすぐさに救われた。ずっと孤独だった俺にジナは人を愛する気持ちを教えてくれたんだ」
「ありがとう。愛しているよ」
そう言って近づいてくるクロウの顔を受け入れる。
唇が触れ合った瞬間、身体の表面が沸騰したかのように熱くなった。
「俺が、何に変えてもジナを守ることを誓う。俺の元へ来てくれるだろうか?」
唇が離れるのはこんなに名残惜しいのか。
ぼぉとした頭でそんな破廉恥なことを考えてしまい恥ずかしさで消えてしまいそうだ。
けど、ジナは花が咲いたようにその顔を綻ばせる。
「はい。私はまだクロウ様に教えてほしいことがたくさんある。今度はあなたを守る術を教えてくれますか?」
「っ。……君さえ良ければもちろんだ」
泣き笑いの顔で二人はそう誓いあうのだった。
短編を書く練習です!
どうしても長くなってしまうので、色々削りながらも一応短編としてまとめられたかな、と思います。
最後までご覧頂けて嬉しいです。ありがとうございました!