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ミリー

その日、私は教室という小さな社交界の中心にいた。


ここ最近の彼らの噂話は専らウィリアムとリリアンに関することだった。侯爵家の次代である婚約者を裏切り不貞を働いたウィリアムと、そんな彼の手を取ってしまったリリアン。二人が学園を去って既に数日経つが、いや本人たちがいないからこそか彼らの噂には尾びれ背びれが付き、真偽も定かではないものまでがまことしやかに囁かれていた。


しかしそんな色恋のスキャンダルは昨日飛び込んできた一報で今はすっかり鳴りを潜めてしまった。


その一報とはリリアンの死を伝えるものだった。



皆の噂によると、三日前、彼女は自分の領地へ帰る途中に首都の北にある大きな街で誘拐されたらしい。彼女がいた部屋には中身のないバッグと靴だけが残されていたそうだ。彼女がいないことに気付いた御者がその街の兵士に伝え捜索を行ったところ、街の外れにある森の中程の崖のそばでズタズタに切り裂かれ、血が付いた彼女のドレスと、散らばった彼女の髪が見つかったそうだ。


崖の下には流れの早い川があった。その場の状況と、近隣の街まで探したが彼女が見つからなかったことから、リリアンは死亡したと判断されたそうだ。


親友の死を悼み、喪に服すようにアクセサリー類を何も着けず、胸に小さな黒いリボンだけを着けた私に、クラスメートの令嬢たちがさも友人であるかのように声をかけてきた。


「ミリー様はリリアン様と親しかったですよね。辛い心中、お察しいたします」


悲しむ素振りは見せているけど、恐らく目的は新しい情報を私から得ることなのだろう。白々しくも見える私を気遣う演技に合わせて、私は彼女たちにこう言ってあげた。


「ありがとうございます。でも私に彼女のために泣く権利などありませんわ。あの噂に関することで彼女があんなに怯えていたのに、何もしてあげられなかったのですから」


向こうに負けないぐらいの大根演技だなと思いながら、それを誤魔化すように私は例の軟膏を仕込んだハンカチを目元に当てて、涙をポロリと流した。


「まあ、噂ってもしかしてウィリアム様とのことです?」


私の狙い通りご令嬢の一人がすぐさま食いついてきた。私は腹芸は得意でないので、ハンカチで口元を隠しながら「ここだけの話にしてくださいませ」という彼女たちが大好きな枕詞を添えながら、こう話し始めた。


「いつだったか、リリアン様からウィリアム様のことで悩みを打ち明けられたことがあるんです。最初は婚約者のいらっしゃる相手を好きになってしまったという悩みなのだと思っておりましたわ。けど、話を聞いていると彼女はウィリアム様に気持ちを寄せていただくことが辛く、怖いのだと泣いたのです」


「まぁどうしてかしら?二人は仲睦まじいように見えておりましたのに」


「そうでしょう?だからリリアン様に貴女はウィリアム様をお慕いしているのではないのですかと聞いたのです。そしたら彼女は泣きながら、彼といるのは父親に脅され、命じられたためだからと言ったのです」


「リリアン様のお父様が?自分の娘が婚約者のいる方をお慕いなどしたら家名にもキズが付きますでしょうに」


「それは……庶子が勝手にやったことと切り捨てると言われていたそうです。貴女もそんな噂を耳にされているでしょう?」


「ええ、少し聞いておりますわ」


「彼女が怯えながら『父に切り捨てられる』と言っていたのに、私はそんなことにはならないわよと軽く答えてしまったのです。だって婚約者のいる男性が簡単に彼女に手を出すとは思えませんでしたし、それに切り捨てられると言ってもせいぜいしばらく領地に戻されるぐらいだと思っていたんです。それなのに、まさか彼女が殺されるだなんて……」


そこで言葉を切って再びハンカチの軟膏が染みた部分を目元に当て、私はポロポロと涙を流した。相手のご令嬢たちは予想外の話になったためか、動揺をあらわにしていた。


「まさか、ミリー様さすがに考えすぎですわよ。伯爵からすればリリアン様はご自分の血を分けた娘なのですよ」


「私だってそう思いたいです。けど、リリアン様は拐われたとき使用人の一人もそばに付けてもらっていなかったと聞いています。それに御者が彼女がいなくなったことに気付くまで一時間ほどかかったそうです。貴族の令嬢が知らない街でそんな扱いを受けること、あり得ないではないですか。

だから私、なぜあのとき彼女の話をもっと真剣に聞いてあげなかったのだろうって後悔ばかりしていて……ううっ」


そこまで言えれば仕込みとしては十分だった。その後はたださめざめと泣く振りをして、ご令嬢たちに慰められる役に徹した。


結局その後はご令嬢のうちの一人に背を支えられながら寮の部屋へと戻った。「あまりご自分を責めないでね」と言った彼女の言葉に本心からの気遣いが感じられ、少しの罪悪感を感じながら私は自分の部屋に戻った。


部屋に入ると、相変わらず他のご令嬢の部屋と比べるとこざっぱりとした飾り気のない部屋が目に入った。

そんな部屋を見ながら、私はあの日この部屋で初めてリリアンと話した頃のことを思い出していた。




私がリリアンのことに気がついたのは偶然によるものだった。それなりに貴族令嬢としては振る舞えるようになってはいたが、未だ心中は染まりきれていない私にとって学園のご令嬢たちはどこか別の種類の人間のように見えていた。そのため表面上の付き合いはするが、彼女たちに馴染みきれぬまま学園での日々を過ごしていた。


クラスメートになってしばらくはリリアンのこともただの優秀なご令嬢だと思っていた。特に親しく話をすることもなかった。

しかしある日の昼休み、中庭の人気のないベンチにいた彼女を見たとき、その印象はガラリと変わってしまった。最初は侯爵家の令息をじっと見つめるリリアンを見て、彼女も普通に高位の子息に興味があるのね、ぐらいに思っていた。しかし近づいていくと、その視線が鋭く値踏みでもするようなものであることに気付いた。それは王子さまに憧れるご令嬢の目でも、玉の輿を狙う打算的なご令嬢の目でもなかった。幼い頃から誇り高き貴族たれと育てられたご令嬢には決してできないような鋭い視線だった。

それと同時に自分はあの目を知っているとも思った。あれは市井で生活している頃に見た、自分が生き残るために何かを必死に掴もうとする者たちの目だった。


その日寮に帰ってすぐ、母にリリアンのことが知りたいと手紙を出した。すると、親しい同性の友人も作らず学園で過ごしていた私がご令嬢に興味を示したことを喜んだ母からすぐに返事は来た。

手紙にはリリアンは体が強くなく、幼少期は領地で過ごしていて、首都に移り住んだこの数年もほぼ自分の屋敷の中で過ごしていたようだと書かれていた。その表現を見て、私は彼女もきっと市井で育ったのだろうと思った。

なぜなら、その表現は人に言えないところで育った者を語るときの常套句だったからだ。


そこからしばらくリリアンのことを観察した。今までは率先しててきぱきと動く優秀な人だなとしか思っていなかったが、視点を変えて見ると彼女は人に何かをしてもらうことに慣れていないようにも見えた。その他リリアンから感じる小さな違和感を積み上げていき、私は彼女が市井育ちであると確信をするようになった。


そうして、あの日リリアンに鎌をかけるために話しかけたのだった。


私がリリアンに声をかけたのは、利己的な理由によるものだった。同じ市井育ちの彼女であれば貴族に馴染みきれない私の気持ちを分かってくれるのではないかと期待したためであった。



あの日彼女に伝えた通り私は庶子だった。ただ、私の父と母は禁断の恋でも、不義でも何でもなく、お互いの家にも認められたごく普通の貴族の恋人同士だった。

この学園で出会い恋に落ちた彼らは、順調に愛を育んでいた。何事もなく結婚し、普通の生活を送ると思われていたが、ある日二人は急に引き裂かれることとなった。

ある高位のご令嬢が父を見初め、結婚したいと言い出したのだ。そのご令嬢は国外へと留学していたらしく、夜会で初めて会った父に一目惚れをしたらしい。性格に問題があるご令嬢だったが、地位は父と母よりも高かった。ずっと抵抗はしたそうだが、最後にはご令嬢の家が父の領地へと続く主要道路の通行税を大幅に上げると脅しをかけてきたため、彼らは泣く泣く別れることを決めたそうだ。


最後にせめて思い出を、そう願い母は父に純潔を捧げたそうだ。そのときに奇跡的に授かったのが私という訳だった。


未婚の母となった私の母は、家に迷惑をかけないため自ら貴族籍を抜けることを希望した。このまま貴族として生きるとなると社交界で他人の夫となった父を見ることになる。それに耐えられないとも思ったのもその理由の一つだった。

母の両親は反対をしたが、母の決意は固く、最終的には金銭的な援助は受けること、手紙には必ず返事を書くことを条件に母の希望を叶えた。


そうして私は市井で産声を上げることとなった。


幼い頃は母に十分に愛され、何不自由もない生活を送り幸せに過ごしていた。しかし成長し周囲のことが理解できるようになると、針仕事をする母の収入だけで何不自由ない生活ができることが変であることに私は気付くようになった。そのときに初めて、私の生まれのこと、父親のことを母から聞いた。不思議な気持ちにはなったが、そのときは「そうだったんだ」ぐらいにしか思わなかった。見知らぬ父親も祖父母も、どこか絵本の登場人物のような架空の人物であるような感覚でいた。


しかしそれから二、三年経ったある日、それらの架空であるはずの出来事が急に現実として、私の前に姿を表した。


きっかけは父の結婚相手が外国から来ていた画家と駆け落ちをしたことだった。それまでも彼女はまだ自分の時間が欲しいとずっと伯爵夫人としての責務も果たさず、気ままに生活をしていたそうだ。そんな生活の中で出席したお茶会で、父を見初めたときと同じく彼女はその画家に一目で恋に落ちたそうだ。そして、彼女は父と全てを捨ててその男と外国へ逃げた。始まりも急であれば、幕引きも唐突であった。そうして父は莫大な慰謝料と共に独身へと戻ったのであった。


独身になった父はすぐさま母を迎えにきた。街中の狭い部屋に似つかわしくない綺麗な服を着た男が急に現れて、玄関で母を抱き締めた日のことは今でもよく覚えている。急なことに私は驚き、混乱していたが、喜びの涙を流し続ける母の姿にこれは良いことなんだと自分に言い聞かせることにした。


そうして私は想い合う両親の子でありながら、市井で生まれ育った婚外子、庶子として貴族院に登録をされることとなった。



母が結婚してからの生活は全てが一変した。食べるもの、着るものから始まり、椅子への座り方や言葉遣いまで全てを変えなければならなかった。そのとき既に11歳だった私は、その生活に自然と馴染むにはとうが立っていて、理性で自分の気持ちを律して環境を受け入れるにはまだ子供であった。


新しい生活はもちろん以前より裕福なものだった。しかし父や母のような生まれつきの貴族ではない私にとって全てを好意的に受け止めることは難しかった。馴染めない空気とチクチクと刺さるような周囲の視線。けれど両親も周囲の人たちも本当に幸せそうにしていたため、私はこの気持ちをぶつける場所を見付けられずにいた。そしてその気持ちは同じ両親を持ちながらきちんと貴族として、嫡子として生まれた弟ができたことで、さらに複雑なものになった。


リリアンのことに気付いたとき、彼女なら私の気持ちを分かってくれるのではないかと思った。自分が異分子であるような、この気持ちを持つことを肯定してもらえるのではないかと思った。なので私はリリアンが庶子であると打ち明けてくれたあの日、自分のことをリリアンに話した。


しかし私の期待はリリアンの生い立ちを聞いたことで全て吹き飛んでしまった。

私はどこかで自分は親の都合に振り回された可哀想な子なんだと思っていた。リリアンもきっとそうで、私たちは分かり合えると思っていた。

でもそんなのはただの思い込みだった。両親にきちんと愛され、家族の側で貴族生活に慣れきれぬ部分があっても許容されている私と、誰にも頼ることなく一人立つ彼女は全く別物であった。


気付けば、よく考えもしないまま彼女の深い部分に踏み込んでしまっていた。ごめんと謝った私に、リリアンは気にすることはないと答えてくれた。


「私の悩みもミリーの悩みも家族のことじゃない。大切な人のことだから悩むのは当然よ。大小を比べるような話じゃないわ。

それと誰にも話すことができない辛さも分かるわ。私も今日ミリーに話を聞いてもらえて本当に嬉しかったの。久々に母さんやあの人の話をしたわ」


リリアンはそう言って、私に優しく笑いかけてくれた。


本来なら無神経だと思われても仕方がないことを私はしていた。けれどリリアンはそんな私に自分も嬉しかったと言ってくれた。

私はそんなリリアンを見て、彼女は強くて、優しくて、そしてきっと何でも自分だけでしようとする人なんだろうなと思った。だってリリアンはあんな自分の境遇を淡々と語っていた。そこには同情を引こうとしたり、助けを求めたりする気持ちは見られなかった。


だからこそ私は、そんな逆境の中一人前を向きつづける彼女を助けたいと思った。リリアンを今の家から救ってあげたいと切に思った。

そこで私は彼女に逃げてしまわないかと提案をした。最初こそただの思い付きみたいなものだったが、話す内に私なら、うちの家なら不可能ではないと思いだした。

だからリリアンの意思を確認して、私はその計画を進めることにした。



リリアンとその話をした週末、私は久々に自分の家に帰っていた。リリアンに伝えたあの話は、家の協力なしでは進められない。そのため両親にこの話をする必要があったからだ。


昼下がりに両親の時間を取ってもらえたので、私は早速二人にリリアンのことを話した。もしウィリアムを落とせたら、逃亡の手助けをして欲しいと頼んだ。


「それで、そのリリアンというお嬢さんの言うことが本当である証拠はあるのかい?」


父の第一声はそれだった。リリアンの身の上に同情することもなく、まるで商談でもしているかのように冷たい声でそう言った。


「この計画は私からリリアンに提案したし、彼女が私に嘘を言ってメリットがあるとは思えないわ。それに会えば分かるけどあの子は嘘で人を騙すような子じゃないわ」


「なるほど。では証拠になるようなものはないんだな。なら、その話は受けられないな」


先程と同じく、父は冷たくそう言って席を立ってしまった。何とか引き留めようと声をかけたが、父はそのまま部屋を出ていってしまった。


それは余りにも呆気ない、とても短い時間の出来事だった。残された部屋で私は顔を伏せ、スカートを強く握りしめていた。自分から言い出した癖に初手からつまずいてしまった情けなさと、父の非情な対応に対する怒りをどこかにぶつけなければ、叫びだしてしまいそうだったからだ。

俯いたままの私に、同じく部屋に残っていた母がそっと声をかけてくれた。


「ミリー、今のはお父様が正しいわ」


てっきり慰めの言葉をかけられると思っていたので、私は驚いて母の顔を見た。母は困ったような顔をしつつも、優しく私にこう言った。


「貴女は貴族に馴染みたがっていないように見えたからこういうことは教えていなかったけど、学園もまた貴族社会の縮図ですものね。きちんと伝えないといけないわね。

ミリー、貴女が友人を思う気持ちは素敵なものよ。私だって同じ話を聞いたらリリアン嬢を助けたいときっと思うわ。けどね、それを実行するとなるときちんと確認をしなければならないことがいくつもあるのよ」


母が私を見つめる表情は優しいままだった。けれどその目はとても真剣なものであった。


「私たちは確かにその子を助けられる力を持っているかもしれない。けれどこの力は私たちのためだけに使っていいものではないわ。領地を支える領民を守り、彼らの生活を守るために使うものなのよ。

それに強い力だからこそ、それを使うときは慎重にならなければいけないわ。だからお父様も真偽の確認をされたのよ」


確かに母の言うとおりだった。私はリリアンを助けたいばかりで、何も調べもせず勢いのまま両親にこの話をしてしまっていた。


「分かったわ。リリアンのこと、きちんと調べるわ。彼女の言葉が本当だと証明してみせる。

でもリリアンの言うことが本当だと証明できても、彼女を助けることは難しいのかな。だってこの話は領地のためになるかとか、そういう話じゃないもんね」


肩を落としながらそう言った私に、母はいつもの貴族の夫人らしいゆったりとした笑みのままこう言った。


「あら、そういう話でないなら、そういう話にしてしまえばいいのよ」



思わずポカンとした顔をした私に、「ミリー、顔」と短く注意をしながらも母はその言葉の意味を説明してくれた。

確かに今の時点では、リリアンを助けることはうちの家にメリットがある話ではない。それでもリリアンのことを助けたいなら、彼女を助けることでうちにもたらされるメリットを探し出しなさいと母は言った。


「まずはリリアン嬢のことと同時に向こうの家のこと、当主の伯爵のことをよく調べてみなさい。あとはうちの現状も改めて確認すること。そうすればきっと何かきっかけが見つかるわ。

情報収集は交渉の基本よ。がんばりなさい」


優しい微笑みはいつもの母のままであったが、初めて見せられた母の貴族としての一面に私は驚かされていた。私が貴族に馴染みきらない態度を取っていたので、母もこういう面を見せないようにしてくれていたのだろう。

自分はきっとそういうところに甘えていた。改めて私はそう感じていた。



そこからは昼間はウィリアムの観察を手伝い、放課後や週末は調べものを進めた。

リリアンについては、彼女の生まれ故郷に調査に行ってもらうとすぐに証言を得ることができた。多くの人間が彼女が連れ去られるのを目撃していたらしく、十分な証拠を得ることができた。


メリットについても、母の助けを得ながら何とか目星は付けられるようになってきていた。情報を得る中で家同士の関係やそれぞれの利害など色んなことを知ることができた。その中で、表面上は優雅に、腹の内は黒く生きているだけだと思い込んでいた貴族も、あの頃市井で見ていた日々の糧のために汗をして働く人たちと同じく、自分たちの領地のために笑顔という仮面を被りながら必死に生きているのだと知った。今まで見えていなかったものが段々と見えるようになるにつれ、私は自分はもっと知らなければならないと感じるようになっていた。



そんな生活を二ヶ月ほどしたある週末、私は再び家で両親と対峙していた。目的は一つ、自分なりに考えたメリットで父を説き伏せることだった。


色んな人の協力を得て、調べられることは全て調べた。リリアンの出自については証言を得られたが、彼女の父親の考えについては、伯爵の屋敷で彼女がよい扱いを受けていなかったということしか確認することができなかった。

他にも足りない部分はあったが、私は今手元にある情報を全てかき集め、そこから得られるものを考えに考えて、父に改めて彼女を助けて欲しいと訴えた。


リリアンの死を偽装すること、彼女が死んだ原因が父親にあるよう疑惑の目を向けさせること、そして伯爵の評判が落ちれば事業の被っている部分でうちが優位に立てる可能性があることを父に懸命に説明した。疑惑を向けるためには私が噂を仕向ける必要があるが、伯爵がリリアンを利用して捨てようとしていることは真実だ。嘘を言う訳ではないので絶対にやってみせると説明した。


「あれから二ヶ月、ずっとリリアンといるけどあの子は強くて優しくて、本当に素敵な子なの。私リリアンが大好きなの。あの子が笑って過ごせるようにしてあげたいの」


証拠も並べて説き伏せてみせると意気込んでいたはずなのに、最後に出てきたのはそんな感情に訴えるような言葉になってしまった。けれどそれは私の心からの言葉だった。どうか父に届きますようにと願いながら、私は父の返事を待った。



「まずはミリー、この期間でよく調べたね。まだ不確かな部分もあるけど、君の話は分かったよ。


けれど、今の君の話には一つ重要な部分が抜けているよ」



聞こえてきた父のその言葉に、私は膝から崩れ落ちるような気持ちになった。私の力では届けることができなかった。父の返事に私は思わず泣きそうになったが、唇をぎゅっと噛んで何とか涙を押さえ込んだ。それでも肩を小さく揺らした私に、父はこう言葉を続けた。


「ミリー、君の案にはリリアン嬢が逃げきった後のプランがないんだよ。平民となるなら尚更、彼女は自分で生活をしていかなければならなくなる。


彼女は昔パン屋で住み込みで働いていたんだろう?うちの領地内でいくつか新しく若い娘を雇っていいというパン屋を見付けておいたよ。彼女は優秀と聞くからそう問題はないだろうが、人には相性もある。来週からでも君がそれらの店を回って、彼女に合いそうなところを選んできなさい」



一瞬、意味が理解できなかった。


しかしじわじわと父の言葉の意味が頭に入ってきたとき、張り詰めていた気が緩んだためか、耐えていたはずの涙がポロリと一粒流れた。


「ミリー、どうしたんだい?」と焦りだした父に、「貴方の言い方が悪いわ」と母が怒ったように言っていた。そんな二人のやり取りを見ながら、やっと理解が追い付いてきた私は声が震えそうになりながらも父にこう聞いた。


「リリアンを、助けてくれるの?」


「そうだよ。計画の細かな部分は変えるかもしれないが、君の願い通り彼女を拐ってあげよう」


その言葉に、安堵から一気に涙が出てしまった。ぐすぐすと泣く私の背に、母がそっと手を添えてくれた。


母の手の温かさを感じながら、私は両親にこう話しかけた。


「ありがとう。お父様、お母様、本当にありがとう。私の話を聞いてくれて、私に考える機会をくれて本当にありがとう。


それからごめんなさい。

私今まで市井育ちの自分は貴族の生き方に馴染めないんだと思ってた。けど、今回お母様に言われて家のこととか色んなことを知って、私は『馴染めない』んじゃなくて『馴染もうとしなかった』んだと気付いたわ。私、最初から決めつけて周りのことを全然見てなかった。


市井での11年の生活はまだまだ私の中に根付いている。知ってもやっぱり変わりたくないと思うかもしれない。でも今回のことで、私まずはお父様やお母様の生き方のことを知りたいと思ったの。

今さらなのかもしれない。けど、どうかお願いします。私に貴族としての生き方を教えてください」


そう言って私は頭を大きく下げた。


これは計画のために色んなことを知る中で、私が出した結論だった。リリアンとは比べられるようなものではないけど、私ももう目を背けるのも、逃げるのも止めたいと思った。今の自分の環境と向き合い、自分がどうなりたいかを真剣に考えるためには、こうするべきだと思ったのだ。


下げていた私の頭に、お父様の大きな手が乗せられた。思えばお父様に頭を撫でられるのは初めてかもしれなかった。


「ミリー、君は今回本当によく考えたんだね。私たちは君が貴族になることを望まないなら、大きな商会に嫁ぐのでもいいのではないかと考えていたんだ。けど君が望むなら断る理由は何もないよ。存分に学びなさい」


父の言葉に再び涙が込み上がってきた。両親の温かさを感じながら、私はもうしばらく泣いた。



そこから私は週末に度々実家に帰り、貴族としての生き方を学ぶことになった。父と母が最初結ばれることができなかったように、そこは綺麗事だけではない世界だった。けれどリリアンのために動けたように、大勢の領地の人たちのために自分が何かをできる可能性があることも知れた。まだ自分の全てを家のために投げ出せるような考えはできないが、少しずつ貴族という生き物を私は知るようになっていった。


それと同じくして、私は父の探してくれていたパン屋にも順に足を運んでいた。候補の中の一つ、夫婦で経営している温かな雰囲気のパン屋を訪れたとき、ドアに見習い募集の貼り紙があることに私は気が付いた。それを見たときに、私はいつだったかリリアンが想い人がパン職人を目指していると言っていたことを思い出した。

見た瞬間にこれだと思った。ついすぐリリアンの故郷に人を遣ろうと思ってしまったが、前回のことを思い出し、慎重に情報を集めながら話を進めた。話を整えてからリリアンの想い人に連絡をとると、彼は可能性が少しでもあるならとこの話に飛び付いてくれた。これがリリアンと彼の幸せに繋がりますように、そう願いながら私は手回しを進めた。



そこから数ヶ月後、ついにリリアンはウィリアムを落とし、噂となることに成功した。家に戻された彼女からの手紙には四日後に領地に戻ると書かれていた。計画を実行する日が決まった。ここまで来たらあと私にできることは何もなかった。


その日私は学園を休み、母と共にリリアンを助けるために従業員として宿に配置した使用人からの連絡を待った。時計ばかりを見てしまい、時間がやたら長く感じた。食事を摂る気持ちも起きず、気持ちを紛らわすようにお茶を飲んでいたそのとき、裏門から馬車が入ってくる音が聞こえてきた。

私は弾かれたように部屋を飛び出し、急いで使用人を出迎えた。玄関まで走ってきてくれたその使用人は、「やりましたよお嬢様。連れ出すのに成功しました!!」と息を切らせながらも伝えてくれた。


追い付いてきた母が背を支えてくれなければ座り込んでいたかもしれない。母に「よかったわね」と声をかけられ、やっと安堵が、喜びがじわじわと実感できるようになった。やった、ついにやったのだ。リリアンは自由になった、ずっと焦がれていた相手と再会することができたのだ。


「本当に彼女やりきったのね。貴女と彼女の努力の結果よ、おめでとう。

さあミリー、後は貴女の番よ。大丈夫、貴女には私たちが付いているわ。存分に暴れていらっしゃい」


そう母に背を押され、私は学園に戻りご令嬢たちの前で一芝居を打ったのだった。


もちろんリリアンは死んでもいないし、伯爵が殺したわけでもないので物証など何もなかった。しかしセンセーショナルな噂ほど人の興味を強く引くものである。私の話は瞬く間に社交界へと広がっていった。どこからか伯爵家のリリアンに対する扱いまでもがその噂と共に流れ、伯爵家は周囲の信頼を大きく失うこととなった。



それから約一年が経ったよく晴れた日、私はシンプルなワンピースに身を包み、ある街の教会を訪れていた。そこには近所の人たちが若い夫婦の門出を祝おうと集まっていた。その人の輪の中心で、純白のドレスを着て幸せで頬を染めているのは私の大事な親友だ。

平民になった彼女が着るのは決して上等なドレスではない。けれどどこの着飾ったご令嬢より、幸せそうに微笑む彼女は綺麗だった。


そんな美しい花嫁は私の前までやってきて、眉を下げながらこう言ってきた。


「何よもう。あんた今日、最初っから泣きっぱなしじゃない。こんなことならブーケよりハンカチを用意すべきだったわね」


自分の持っていたブーケを私に握らせながら、リリアンはそう言った。


「……ブーケ、投げるんじゃなかったの?」


「そのつもりだったけど、何か手渡したくなったの!」


ブーケを握った私の手を両手で包みながら、リリアンはこう続けた。


「ミリー、あんたがいなかったら私今日ここにいなかった。本当に、本当にありがとう。気軽には会えないけど、あんたはずっと私の大事な親友よ」


リリアンがそんなことを言い出すから、私は懲りずにまた泣き出してしまった。「めでたい日なのよ、笑いなさいよ」と私に言うリリアンの目にも光るものがあった。


あの日のように、私たちは泣きながらも幸せに笑い合った。

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