八、魔王の願い
(まさか、本当にやるとは…)
今、僕は目の前でテキパキと動く五人の姿を前に成す術もなく、立ち尽くしている。
ステラがティーダスと二人で魔城に聖魔法で結界を張り巡らし、シルセナがジルと二人でニヤニヤ笑いながら精霊達の力を借りて罠を作り、そこにハヤタが横から改良を加えた改訂版を論ずる。
一つ感動した事があるのなら、前世のルーカスから生きてきて、僕は初めて本物の精霊達を見た。
もとより精霊達は悪戯好きで、好奇心が強いと聞いていたが、まさかこれ程とは知らなかった。
彼ら、もしくは彼女らは、シルセナが『魔王の城で一緒に面白いことしようよぉ』と古代語で歌うように誘いをかけると、あっさりと姿を現したのだ。小さい子供や美しい成人、または獣や植物と融合したような姿をした精霊達は、最初はチラチラと、最後には堂々と、あらゆる角度から僕を観察し、各々の方法で魔城を楽しむと満足し、力を貸す事を約束して姿を消していった。
「にゅふふふ…楽しみだなぁ」
「やべぇ!穴にでもハマって、あの隊長が怒り狂う顔が早く見てぇ」
精霊達に負けじ劣らず、仕掛けた罠ににやけた笑いをこぼす二人。
「人の部下を我が物顔で使う代償は、きっちり払ってもらおう」
シルフィに、風にも負けないスピードを弓に与えてもらったハヤタが、悪人的な笑いを浮かべて呟く。
「こんなところかしらね 、ティーダス?」
「さすがステラ、この短時間であれだけの結界が張れるなんて尊敬しかないよ!」
そこそこ満足したようなステラが、鼻先に落ちてきた丸い眼鏡を押し上げれば、ティーダスが両手を握りしめて瞳を輝かす。
(いや、皆、自分に与えられた本来の使命を忘れてるだろっ!誰から突っ込めばいいんだよ?)
僕は痛みだしたコメカミを抑えながら、ゆっくりと窓辺に顔を寄せた。空は夕焼け色に染まりながらも、夜の色味も加えていく。
そんな器用なグラデーションを見ていると、今までの嫌な思い出までもが、境目を持たずにボヤけていくのを感じる。
ふと、自分の近くに人が立った気配を感じ、視線を上げる。
そこには思い当たった人物が、不安そうな表情を浮かべて僕を見下ろしていた。
「ティア?」
「大丈夫?ルークス疲れたの?」
「いいや、疲れるなら君らの方だろう」
「やだ、わたし勇者よ。けっこう体力的には底無しなの」
クスクスと笑うティーダスの言葉に、ああ、僕もルークスの時には疲れ知らずだったな、と思い出す。勇者で良かったと思えたのは、王位に就いて、死にゆくティアの夢を見るのが怖くて激務に励んだ時…無現像に沸いて消耗しない、化け物じみた体力の事だけだ。
ただ、あまりにも健康すぎて病気にすらなれず、老衰に至るまで死が訪れなかった点については、その瞬間まで僕を苦しめただけだった。
「ずっと、ティアの事ばかり考えていたんだ」
「え?」
突然の告白に、ティーダスが瞳を丸くする。
「僕がルークスだった時、ずっと君のもとに逝きたいと思ってた。食べ物も美味しくなかったし、夢を見るから寝るのも嫌だった。あんなに楽しいと思えなかった王政の仕事をこなす時だけは、君の語る夢を叶えるからなのか唯一、穏やかな君を思い出せる時間で…」
僕はまっすぐにティーダスを見つめて言った。
「要するに、ただ君だけを想い続けてた」
「ルークス…」
「君がいない日々は、本当に空虚でしかなかったよ」
目の前にいるのは、か弱く笑顔が美しい女性のティアではなく、凛々しき男性で今世の勇者ティーダス。そして自分は、前世で勇者に選ばれた皇太子ルークスと違い、魔王という力を無くせば、ただのひ弱で小さな女の子。
それでも、こうして同じ時間を同じ世界でもう一度送れたのは幸せな事だ。
ルークスからルークレナに生まれ代わっても僕は変わらずティアを想い、ティアはティーダスに生まれ代わっても変わらず僕を愛してくれる。これ以上の幸せはない、だから…。
「だから僕を…」
静かに向き直り、僕は頭を下げた。
「僕を殺してくれないか?」
僕の言葉に、ティーダスが息を飲み、皆の話し声が途絶えた。勇者は魔王を倒すから勇者なのだ、魔王を倒さない勇者の末路はどうなるというのだろう。
「僕はもう二度も、君を失いたくない」
自分の足元を見ながら、僕は小さく微笑んだ。