四、ティータイムの終わりにわかること
あ、やってしまった。
しかし、一度口にしてしまった言葉は無かった事には出来ない。僕が空にしたカップに、新しく紅茶を注ごうとしていたスラリーヌが、そのままの形で固まっている。
そろりと伺うように見つめた先に、泣き出しそうな表情で唇を噛み締めるティーダスの横で、焼き菓子の追加を試みようとしていたスラ坊も同じように固まっているのが見えた。
ただ、二匹のプルプルボディのど真ん中…中枢機能を司る魔核が、赤黒く色を変え初めているのを確認して内心焦る。
(やばい、僕の感情に引きずられてる…落ち着かないと…スライムだけど、あの二匹は僕が造ったんだ、ふざけた見た目だけど並の魔物より強い)
くしゃりと前髪をかきあげ、溜め息をつく。
実は、魔物は大きく二種類に分類されている。魔王が産み出したモノと、造り出されたモノの二種類だ。魔王が産み出したモノは、どちらかといえば獣に近い。魔王に逆らいはしないが、食欲と破壊欲を基本に己の本能に従い私的に動く。
対して、魔王の手により造り出されたモノは知的にも高く、言葉を理解して緻密な作業をこなすことが出来る。
この二種類は、総じて魔王の精神的な面に反応し行動をとるのだが、造り出されたモノの方がその傾向が強い。つまり、魔王が友好的なら大人しいが、反感をもてば容赦なく攻撃行動にうつる。
僕は今、彼らに…過去の僕を誇らしげに語るティーダスに、あっさりと僕の罪を許しているような態度に、なぜか苛立ちを感じてしまったのだ。
僕は前世での自分の行いを、罪だと感じている。
ティアを愛していながら、その他大勢の命を天秤にかけ迷った挙げ句、結果的にはこの手でその命を奪った。
だが、誰も僕を罰しない。
私怨に染まり血で染まった僕を英雄だといい、感謝を告げる。自分の人生を否定したくとも、誰もそれを認めてくれない。
彼女を殺せと言ったあらゆる人間を、魔女を、魔物のように踏み潰し切り殺した。それでも、誰も罰してはくれない。
生き続ける間に、オリモノのように罪の意識だけが塗り重ねられ、怒りを向けるべき場を奪われ続けた僕は、魔王になり勇者に罰してもらう未来だけを拠り所に今世の死を待ち望んで生き続けた。
(ところが、現実はどうだ?)
罰してくれるはずの勇者はティアの生まれ変わりで、僕は再び許されてしまった。せめて君に罵られれば、嘘つきだと責めてくれたら良かったのに。僕だと気付かず、首を切り落としてくれれば良かったのに。罪を罰してくれるのが君なら、僕は喜びに満たされたのに。
そんな事をつらつらと考えている内に、罪悪感をぬぐう場を失ばわれた苛立ちが増してゆく。
その時だ、バン!と机を叩く音と、ガチャン!と乱暴にカップをソーサーに叩き返す音が響いた。
「…んなの、ただの八つ当たりじゃねぇの?」
「ああ、全く同感だ」
ゆらり…と、神気の陽炎を背負って、ジルとハヤタの二人が同時に僕を真っ直ぐに睨み付けた。
「お前の過去に対する独りよがりの罪悪感なんて、今も昔もティーダスには全然関係ねぇじゃん!お前が、ただたんに、惚れた女を忘れられなかったってだけじゃねぇか!!」
「ああ、そうだな。魔王の器と勇者として廻り合った結末は、確かに悲惨なものだったかもしれん。だが、その後の人生で幸せにならなかったのは君自身の選択であり、ティーダスには何の落ち度もない。それを責めろだと?認めて欲しくなかっただと?」
二人は納得出来ない!とばかりに、僕に詰め寄る。そのあまりにも真っ直ぐな怒りに、思わずポカンと二人の顔を見てしまった。
当のティーダスも、まるで自分自身の事のように本気で怒りだした二人の横顔を、驚いた様子で見上げている。
「だいたいお前、王様になったんだろ?妃も愛娼も、いっそ酒池肉林に溺れたって誰も文句なんか言わねぇじゃん!しなかったのはティーダスを、ずっと忘れられなかった、愛してたからだろうが、違うのか?」
ジルの言葉に、思わず目を瞬いた。
「ティーダスが歴史書を読みあさって、それを考えなかっとでも思ってんのか?好きな男が死ぬまで自分に操を立ててくれたんじゃないかって喜びに震えて、再開に期待を持ってたコイツに、実は自分のせいでテメェが幸せになれなかったって謝らせたいのかよ!違うだろ!!」
「ティーダスの夢を実現させた国を、本来なら傍で一緒に見て欲しかったのだろう?ただたんに、他の誰かでは嫌だった、ティーダス以外に横に立って欲しくなかったと、なぜ素直に言えないんだ?君は」
一気に捲し立た二人の頬は赤く、息も荒い。特にハヤタの方、普段寡黙だろうに一気に話して酸欠気味になったのか、どさりとソファーに腰を落とした。ジルは相変わらず立ち上がったまま、僕を真っ直ぐに睨み付けている。
僕は目をしばたいた。
この魔王城に辿り着く間に、五人の中に確かな絆が出来ていたのがわかる。
仲間のために自身の事のように怒る二人は、なんていい仲間なんだろう。ティアは今世で、なかなか幸せな人生を歩んで来たのだな。
罪悪感が少しでも減ると、素直な気持ちが心に充ち始めたのを感じる。
確かに僕はティアを愛していた、いや、今も変わらず愛している。
生まれ変わり再会してみれば、現世では女性ではなく逞しくて強い男性になっていたけれど、中身は変わらず愛すべきティアそのものだ。
「ジル…それにハヤタまで…」
あたふたと立ち上がり、僕を睨み付けている二人を落ち着かせようとするティーダスの足元で、ぷるん…と体を震わせて再び活動を再会したスラ坊の核も、僕のカップに紅茶を注ぎだしたスラリーヌの核も、元の透明な色に戻っていた。
僕は安堵の吐息をつくと、つかつかとティーダスのもとに歩み寄った。
「ティア」
「あ、ルークス。ごめんなさい、二人とも決して喧嘩を売ったんじゃないのよ?私のために…」
「会えて良かった」
「え?」
前世よりゴツくなって、反対に小さくなった今の僕の手には大きいけれど、握りしめてみればその温もりにすら愛しさを感じる。
「僕らは立場は変わらないままだけど、今度こそ二人ともに居られる未来を一緒に探さないか?」
「ルークス…」
「僕とまた、一緒に暮らそう」
ティーダスの青い瞳が、驚きに大きく見開かれた。しかし、すぐに細められ、潤んだ瞳からぽろりと涙が落ちてくる。
「…はい」
前世のティアと全く同じ笑顔が、そこにあった。