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一、別れと再会

鳥の囀ずる声が聞こえる。

昨晩の強い雨が嘘のように、カーテンを開け放った窓ガラスを通して、朝日に照らされた窓の木枠が、居間の床に影を伸ばす。


「ルークス、いつものお茶でいい?」


森の中にある小さな小屋。

街に建ち並ぶ家とは比べ物にならない程の、粗末な家だ。それでも使い勝手のいい、小さいながらも整理された清潔なキッチン。

朝のお茶の支度をし始めた愛しい人が、水を満たしたケトルを火にかける。二人で暮らしはじめて一年近く、すっかり馴染んだ朝の一時。ティアは、何の疑いもなく僕に背を向けている。

握りしめた小剣を背後で抜き取り、振り向く筈の彼女の心臓にあたる位置に剣先を合わせ握りこむ。

預言の魔女が言ったように、ティアが僕を少しも疑っていない事は、今朝からの変わらぬやり取りで確信した。

預言通り、名前を呼べばきっと彼女は振り返る。なぜ呼ばれたのかを問うように、金色の少しだけ癖のある髪を肩にのせながら小首を傾げ、あの泉のように清んだ青い瞳を和らげ、いつもの愛らしい笑顔を薄めの唇に浮かべて、僕の顔を見上げるだろう。

迷うな、ティアは生きてはならない。

ティアが生きれば、必ず傀儡の魔王の器になってしまうのだ。彼女ではなくなった彼女が魔物を産み出し、操り、全てを破壊する。人も国も魔物に食いつくされ、生き残った人々から増悪の対象として後世に長く語り継がれていくのだ。

最悪の厄災、傀儡の魔王ティア・ルセール、と。

預言の魔女が口にしたことは、未来視なのだ。決して、間違う事はない。ただ一つ救いなのは、現時点での未来視だと言うことだろうか。人が滅ぼされる未来を変えるため、預言の魔女が口にしたのがこの方法だった。


「なぁ、ティア…」


震える手で小剣を握り直し、魔女に言われた通りに名を呼んでから、小剣の切っ先を定めた場所に向けて僕は走り出す。

先代の魔王が産み出した魔物の多くがいまだに跋扈するこの世界に、新たな魔王の器が生まれた事は滅びを宣言されたに等しい。

魔王になったティアが、新たな魔物を次々と産み出したら討伐など不可能に近くなる。

だからこそ、器であるティアを懐柔し懐に入り込み、魔王になる前にその命を奪わなくてはならないのだ。そして残った魔物を討伐し、自らが先頭に立ち滅びかけた国を再建すること。それが今世の王族に生まれ、勇者に選ばれた僕の使命。

行商の途中で盗賊に襲われ両親を失い、幼い頃から寂しい独り暮らしを強いられた彼女に近付き、取り入るのは簡単な事だった。彼女の両親と同じように行商人に身をやつし、魔物に襲われ命からがら逃げ延びた哀れな男を演じた。

怪我を理由に居座った僕の世話をするティアに、甘い言葉を、愛の言葉を囁き続けた。

最初は、ただの演技でしかなかった。

だが、森の中にあるこの小さな家で二人きり、支え合い笑い合いながら暮らしていくうちに、嘘が誠に変じてしまうなど僕自身考えもしなかった結末だ。自分の気持ちを自覚してから、何度も繰り返し自分自身に言い聞かす。


(迷うな…世界を、自国の民を救え。)


自分には、この世界で暮らす顔も知らない多くの命を自国の民を救う使命が、課せられているのだから。

それでも、ふと考えてしまう。そんな顔も知らない人達のために、目の前の愛しく想い始めた彼女を殺さなければならないのだろうか?

何度も打ち消しでも打ち消し切れない考えに、運命に逆らいたい衝動に、ティアを失いたくない心の慟哭に、気付けば小剣の切っ先をずらしていた。小剣とはいえ、引くには遅い。

軌道をずらし、振り返るだろうティアの体ギリギリを小剣は掠め、背後の壁に刺さる筈だ。

ティアは驚くだろう、恐怖を感じ僕から逃げるかもしれない。それでもいい、でも、もしその場に残ってくれたなら全てを打ち明けよう。

ティアは魔王で、僕は勇者だと。

そして分かり合えたら、二人でもう一度、預言の魔女の元を訪れて視てもらえばよいのだ。

ティアが生き残ることが出来る、別の未来を。


「…っ!?」


瞬間、剣が皮膚を突き破り肉を貫いた感触に全身が震える。

内臓を貫き、骨を断ち、ティアの薄い体を背中から貫通した鈍い手応えのあと、生ぬるい鮮血が小剣の腹を滑り、握りしめた柄を伝い、ポタポタと音をたてて床に流れ落ちた。


「なぜだ…?」


信じられないまま、誰にともなく問う。

預言の魔女は言った、名前を呼べば振り返ると。その向きから見た心臓を狙え、と。

だからわざわざ逆に剣先を変えたのだ。

なのに、なぜ、ティアは振り返らなかった?なぜ、動かなかった?名前を呼べば振り返るのではなかったのか?なぜ預言が外れた?あり得ない…あり得ない…あり得ない…。

混乱する思考を読んだように、振り絞るように紡がれる、血に濁されたティアの言葉が答えをくれた。


「預言の魔女は私の所にも来たの…未来は二つしか見れなかった。諦めろ、男を愛するなら名を呼ばれても振り向くことなかれ。汝、死するが世界のためとなる、て…だから下手だけど…最後にアナタに朝御飯作って…あげ…」

「…っ!!」

「黙って…て…ごめ…な…い…」

「ティアっ!!」


崩れ落ちる小柄な体を、思わず抱き止める。

流れ出る血にまみれ、抱き締めた腕の中で僕を見上げたティアの表情は、怒りでも嘆きでもなく、いつものように柔らかい微笑みだった。


「世界を…ま…もるには、こうする…しか…ルークス、王様…なって…いい国…して…」

「君はその事まで知って…ああ!ごめんティア、君を騙すような事をして!でも信じてくれ、愛してるんだ君を、失いたくなかったんだ!なのに僕は…僕は最後まで迷った…最低な男なんだ!!」

「違う…よルークス…それに魔女…もう一つ預言…私達来世であ…会える…から」


咳込んだ口から、赤い血が音をたてて溢れていく。

命の源がこぼれ落ち、抱き締める体の温もりを奪っていく。

ティアの薄めの唇の横に寄り添うようにある小さなホクロ。

そこに悪戯心でキスをすると、くすぐったそうに笑う照れた表情が可愛くて、何度も飽きずに軽いキスをしてきたホクロが、溢れだす血に隠れるのが嫌で、何度も何度も震える指先で拭う。


「大丈…わたし…アナタさが…て…またい…に…」

「ティア?」


瞳の光が失われ、微笑みが消え、音をたてて彼女の腕が床に落ちる。


「ティア…」


愛しい人の亡骸を抱き締めて、僕はただ泣き続けた。

ティアの温もりを失った僕の心は、この時に共に死んでしまったのだと思う。

僕はその後、魔王の器を失い大きく戦力を削がれた魔物の討伐に日々明け暮れた。

あらかた討伐が終わると、荒れ果てた国を父である国王から受け継ぎ、大がかりな粛清をもって乱れた国政を力ずくで強制した。

逆らうものは容赦なく切り捨て、ただひたすらに、ティアが望んだ豊かで笑顔に満ちた国を作り上げることに没頭した。


「皆よ、今まで苦労をかけた…あとはダグラスに任せる」

「御意に」


僕は長年座り続けた玉座から腰を上げ、頭を垂れる忠臣達を見下ろした。

長い政務に日々明け暮れ、年をとり王位を退く日が来ると、僕は弟の子供の中から一番優れた者を選び次の王に指名した。なぜなら、僕は愛娼どころか正妃すら作らなかったからだ。

治世を導き国を豊かに保ち、行く末を見守ってきたこの世界と国が…ティアが望み夢見た国が、僕と彼女の子供のようなもの。

だからこそ、ティア以外には手を出して欲しくなかったし、隣に立って欲しくなかったのだ。何度も説き伏せられたが、僕は決してそれだけは受け入れなかった。

やがて老いて、死を待つだけになった僕は、愛と美を司る女神に願った。生まれ変わるなら、次代の魔王にして欲しい、と。

彼女を犠牲にして造り上げたこの世界を、国を、ティアと僕の子供を、新たに生まれくる魔王に壊されないように。


「僕を魔王の器にして欲しい…」


愛する者を手にかけた罪を、次に生まれくる勇者に死をもって罰してもらうために。

どうか女神よ、愛する人を手にかけ、それゆえに誰も愛する事が出来なくなったまま死する男を哀れと思うなら、一片の慈悲を。

魔物を産み出し、自由に操る傀儡の魔王となり、押さえつける力を与えよ。

僕はこの首を、命を、次の勇者に捧げよう。

この世界の、とこしえなる安寧のために…。


「さぁ、待っていたぞ勇者よ!僕を討て!この世界のとこしえなる安寧のために!!」

「…嘘っ!こんな所でアナタを見つけられるなんて!!」

「貴様、何を…ん?んん?」

「ルークス!私が分からないの?わたしよ、ティア!ティア・ルセール!!」


んんん?女神よ、君には一片の慈悲すらなかったのかい?目の前で、さっきまで凛々しく毅然とした態度で僕に剣を向けてきた勇者が、突然、ハッとしたと思ったら泣きながら女言葉で話しかけてきたんだが。

ほら、パーティーを組んでた面々がギョッとして見ているではないか。しかも、僕の前世の名前を呼んで、前世の彼女の名前も叫んだと思ったら、口元覆って更に激しく泣き出したよ。

でも、その泣きかたに、どこか昔見たような近親感を覚える。

良く見れば、その少しだけ癖のある金色の髪も、泉のように清んだ青い瞳も、薄めの唇に添うように存在している小さなホクロにも、僕はありありと前世の彼女の面影を見いだせてしまい、驚愕でつい、その名を口にした。してしまった。


「…ティア?」

「ルークス!!」


魔王の玉座から恐る恐る立ち上がった僕の胸にティアが、いや、元ティアであった勇者ティーダスが猛然と飛び込んできた。


「がふっ!!」


破壊力半端ねぇ。

思わぬ再開に感動したのか、昔のティアのようにティーダスが思い切り僕の体を抱き締めてきた。しかし、今と昔の違いが二点あるので言っておこう。

ティアは今はティーダスと言う男であり、勇者であり、ガタイが良かった。

そして僕は魔物を生み出す母体…つまり女であり、魔王であり、小柄で細かった。

うん、ここ大事だからもう少し詳しく、繰り返し言っておこうね。

鍛え上げられた大型の猫化のように、無駄のないしなやかな筋肉に覆われた体は、一般企画から大きく外れてはいないが細マッチョ体型である現ティア(元カノ)は、魔物と平気で渡り合える人外級の力を有した勇者であり、れっきとした成人男性だ。

かたや僕(元カレ)は、つい一年半程前に自力でこの魔王城にたどり着き、ようやく器から魔王になりたてのホヤホヤ。

体的には立派に魔物を生み出す機能はあるが、世界平和のために魔魂を取り込み受胎することを善しとせず、魔王の御霊しか受胎していない。ただの平民出の少女だ。

とりあえず、魔王の御霊とともに取り出した一握りの魔魂でコネコネとセコイ魔物を作り出し、現国王に魔王誕生しましたよアピールをしたばかりだ。


(…そういえば、あのドラゴン帰って来ないけどどうしたかな?)


下手くそな粘土細工のような竜を、唐突に思い出す。

追加で弁明させてもらえば、勇者カモン!と魔王城の門扉を開き、現国王の命を受け魔王城に乗り込んでくるであろう勇者御一行を害し、無駄に体力を消費させるような罠を解除するのに忙しかった。

ゆえに、自力ではまだ一匹も産み出していない真っ白な身。

だからなのか?それともマトモな食事を取らずに魔王城改修をしていたからなのか?体は同年代に比べても小柄で、凹凸の少ない少女の体のままだ。

まぁ、魔王の御霊を体に取り込み覚醒した時に、色々とそれらしきパーツは各所に付属されたけどね。


「羽根…が…折れ…る…」


魔王の証となるコウモリのような羽根が、ミジッて言ったよ。さっき急に思い出した竜って、俗に言う走馬灯だったのかな?

ギブギブの意味を込めて、必死に泣きすがる勇者ティーダスの万力のように締め付ける腕を、自由に動くトカゲのような尾でベシベシと叩く。空気が吸えないせいか、いつもは気にもならないネジくれた山羊のような角すら重く感じ、自然と頭が後方に倒れていく。


「な…何してるんだティーダス!魔王だ、そいつは魔王だぞ!!」

「え?」


誰よりも先に我に返った赤髪の青年の声に、ティアが…もとい、勇者ティーダスが万力のような力を持つ、鋼のような両腕をパッとほどいた。

危なかった…肺の中の空気が押し出されて、ほぼ真空になりかけていたし、背骨が羽根と一緒にミシミシと音をたてていたのだ。

もう少しそのままでいたら、背骨が粉砕されていたか窒息していたかもしれない。

空気って大切、普段何の気もなしに吸っているが改めてその大切さに気付かされる。

ぜーぜーと荒い呼吸を繰り返し、その場に崩れ落ちた僕の頭上から、あい変わらずの低音ボイスなのに違和感が全くない女性的な話し方で、一つの爆弾が落とされた。


「違う違う、魔王だけど魔王じゃないよ?彼はルークス、私の探してた彼氏だよ」


見上げた視線の先。

こちらを見下ろす青い瞳が、柔らかく細められている。ね?て顔をして、勇者ティーダスが小首を傾げて微笑んだ。

あ、これ、間違いない。

愛を唄う女神に、願った僕が悪かったのか。

僕らは前世の因縁のまま、立場だけが逆転して生まれ変わり再会してしまったのだ。


「ティア…あ~今はティーダスって呼んだ方が?」

「ううん、ティアがいい!」

「…ティア」

「なぁに、ルークス?」

「僕と君は色々話し合わなければならないと痛烈に思っているんだよ。その…君の連れてきた仲間の為にも」


深々と溜め息をつきながら、僕…魔王ルークレナはキラキラとした瞳で自分を見つめる勇者ティーダスに向けて、急ぎ提案を一つ、打ち出したのだった。



お読みくださる気になってくださり、ありがとうございました。なるべく短い期間で上げていきたいと思います。

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