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魂の隣人

作者: 夜ノ仔

 休日でもなければ、夏休みでも冬休みでもない。それはただの普通の平日のこと。そんな日であっても、空港には必ず人が行き交い、それなりの賑わいを見せている。殆んどが家族連れや出張らしき風体の大人たち。眺めの良い窓際には点々と並んだ柔らかなソファー。その殆んどにはまたスーツの人たちが腰掛け、ノートパソコンや書類を睨み続けている。広い滑走路を見ようと子供たちが硝子にぴったりとくっついて、白い機体を指さす。

 そんな人々を眺めながら、少年が一人、冷めたコーヒーを片手にだらんとベンチに座っていた。

 足許には小さな荷物が一つだけ。コーヒーとバッグ、それだけが今の少年の全てだ。他に連れがいる様には見えず、ベンチの前の受付にはこう書かれていた……空席案内。彼自身は何処にでもいるような少年だが、引っ越しでも旅行でも、まして出張ということもないようで、いっそ場違いな雰囲気すらある。

 そこに、足音も立てず一人の青年が歩み寄った。

「やあ。」

 その二文字が少年の耳に届いたのか否か。そんな不安を他人に抱かせる程、少年は無反応だった。しかし不自然に片手を挙げたままのにこやかな青年に、ゆっくりと間をあけてから、渋々少年がちらりと目配せをする。

 青年もまた、何処にでもいる様な姿の男だった。少年が見た限り、自分と同じく大した荷物も持っていないようで、遠くの土地へ出掛けるというよりは、ふらりと迷い込んで道でも尋ね回っているかのようだ。

 知らない人間とは口を訊かない。少年のそんな頑なな態度にも構うことはなく、青年はあくまでゆっくりと、他人と他人の一線を越えようとする一言を口にした。

「隣、座ってもいいかな。」

 不自然なやり取りになろうとしていることを意識し始めたのか、少年は眉間に皺を寄せる。マイペースを貫く青年は人の良さそうな笑顔のまま、やはり少年の目の前を動かず、片手をポケットに突っ込んで立ち続けている。辺りには他にも空いているベンチなど沢山ある。それにも関わらず、目の前の青年はわざわざ無愛想な少年の隣に座りたいと言うのだ。

 馬鹿みたいな話だ。そんな表情で青年を上から下まで眺めるが、少年は何を思ったのか、断るでも席を立つでもなく目線でそれを許した。そんな態度を前にしても変わらず青年は笑顔のままで、「ありがとう。」と礼すら告げて、隣に腰を下ろした。

「君は何処へ。」

「×××。」

「空席待ちかい。」

「……まあ。」

 素っ気なく続く短い会話。それでも少年は、いきなりずかずかと現れた笑顔の隣人に興味を持ち始めたらしかった。漸く面を上げ、こっそりと青年の様子を窺っていた。気付いているのかいないのか、無防備な青年。しかし、恐らく油断出来ない相手。彼に対してどう話しかけるべきか、少年はじっくり時間をかけて言葉を選び、そして初めて自ら言葉を発する。

「オニーサンはどこに行くのさ。何をしに。」

「別に、用事とか旅行とか、お仕事とかでもないよ。ただ、ちょっと昔のことを思い出してね……、」

 青年が遠い目をしながら、「だから急に出掛けたくなったんだ。」と続けて答えた。酷く曖昧な返事だったが、少年は「ふうん、」とだけ返し、まるで何事も無かったかのように受付に視線を移す。空席はまだ出ないらしく、受話器を握る受付の女性と目が合う。気まずくなったのか、待ちくたびれたのか、そのまま溜め息をついて俯いた。そして、コーヒーを一口。

「……君を見ていると、昔を思い出すよ。」

 唐突な青年の呟き。少年は適当な相槌を打つが、それはまるで玩具やご馳走に飽きた子供が構って貰えずに拗ねているような、そんないい加減さをしている。それさえ懐かしいのか、それとも少年の態度が単におかしかったのか、青年はそれを眺めながら静かに微笑むばかりだ。

 少年が現状に居心地の悪さを感じだすまでさして時間はかからず、不機嫌をアピールするように乱暴に足を組む。無言の圧力、とでも言うのだろうか。遂に少年は、青年が自分に会話を強いている様な錯覚すら感じ始める。まるで我慢比べにでも負けたような気分。

 気の晴れないまま、再び少年は気だるそうに口を開こうとした。言葉が出る迄にまた時間がかかるのだが、青年は相変わらずの穏やかな表情で、黙ってそれを見守っていた。

「昔って、何があったの。」

 余りにも捻りのない質問に、青年はふっと笑顔を深くする。

「良く有りそうで無い話かな。つまり……、」

 意味深な数秒の間に、焦らされる少年が青年の方を振り向く。凛とした横顔に少しだけ目を離せなくなると、青年がそれを横目で捉える。最初で最後の、二人が目を合わせた瞬間だった。

「その時僕は、とある人に身を持って教えられたのさ。『救いは何時でも必ずあるものだ。』ってね。」

 救い。その一言に、今まで寝惚けたように無反応を装っていた少年が目の色を変える。さっきまでしまりのなかった口角は唇の色が変わるほど噛み締められ、一目で感情的になっているのがわかる程、耐えきれないとでも言いたげな目をして青年を睨んできた。

「そんなの夢まぼろしの嘘っぱちだ。現実的じゃない大人だな、いい歳して。」

「こう見えてももう三十代だよ。いい歳というより、君から見たらおじさんかな。……でも、結構若く見えるだろう。」

 ちょっとした自慢話をするように弾む声色と、絶えない笑顔。そんな青年に、怒りを露にしていた少年は程無く肩を落とした。再び、何もかもに無関心な貝のように足許を眺めておし黙る。

「……最後に頼みがあるんだけど、いいかな。」

 青年の呟くような言葉に、目を合わすまいと床を見つめている少年は「それで気が済むのなら。」と返事をした。

「そのコーヒー、一口くれないかい。」

 冷えてますが。あくまでも壁を作ろうとするような口調で、少年は紙コップを差し出した。青年はまた礼を言って受け取ると、コーヒーに口を付ける。

「コーヒーというより、砂糖の味だね。」

「五月蝿い。」

 まるでこの時を待っていたかのように、受付にいた女性の高めの声が響いた。

「×××行き、空席待ちの×× ××様、空席待ちの×× ××様。六番カウンターまでお越しください。」

 少年が腰を上げる。しかしそれを優しく押し退ける手があった。青年の白い手だ、青年が少年を押し留めて席を立ったのだ。またも唐突な出来事に、少年は思わず呆気に取られてしまい、白い手に従う様にストンとベンチに逆戻りしてしまう。

「ごめんね。でもこれが、君と僕の運命なんだ。」

 人の良い笑顔。それはもう腹が立つ程、忘れられなくなる程の、優しい笑顔。少年は金縛りにでもあったかのように動けなくなり、受付を済ませて搭乗口へ消えていく青年の姿を無言で見送ってしまったのだ。

「………なんだよ、あいつ。」

 受付に確認をすると、青年は自分より一足先に空席案内を頼んでいたそうだ。釈然としないまま次の空席を待つことにする少年だったが、更に一時間もしない内にとあるアナウンスが入った。

「××行きの便にて飛行機事故が発生したため、本日の××行きの便は全て欠航とさせて頂きます。お客様には大変なご迷惑をおかけ致しますが、………」

 後に飛行機事故という記事が新聞を賑わせ、搭乗者リストには少年の名前が載ることになる。しかしアナウンスを聞いた時に、少年は既に悟っていた。あの青年は、自分にとっての救いの形だったのだ、と。

 それから間も無く、少年もまたロビーから姿を消した。ベンチには生かされた証として破り棄てられた手紙が残され、空港には変わらぬ喧騒が響き続けていた。


(2008/03/01)

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