無知の知
お久しぶりです。生きてます。
「んー?それってどうなん?」
「都会とも田舎とも呼べない街」と表すのが正しい気がする、そんな所の、何の変哲もない全国展開しているコンビニの前で、生身の太腿を震わせながら、白い息を吐く。白い息は曇天に吸い込まれていった。
「由香の親父さんさー。なんか、よくわかんないねー。何考えてんだろ」
3人の女子高校生。お互いの不満を只只、肯定し合う。私達はそれが心地良かった。好きな事をやって、何が悪いんだ、そう言い切る茜。私みたいに親嫌いで家に帰らなくなった千佳。
「ほんとそれ。あいつ、いなくなんのはいいんだけど、急すぎ。よくあいつ社会人できるなーって思う」
いつも通り。このまま、ホットのミルクティーを飲み終えたらカラオケかスタバに行って、時間潰して帰る。私の日常。
「…由香、あんたさ。親父さんと話したことあんの?」
ここからは私の非日常。千佳が、ましてや親の話で突っ込んで来るとは思わなかった。いつもなら千佳も親の文句を並べて、白い息のように曇天に吸い込まれていくような軽い共感をしていた。私達はそれで良かった筈なのに。私は間違ってないよねって、そう叫びたかった。何でよりにもよって今日なんだ。
少しだけ、八つ当たりのように苛立ちを感じた。
「どしたん?千佳、珍しくね?」
「別に?ただ、由香の親父さんみたいな人が親だったら良かったってだけ」
「へ?」
初めて知った。場が凍ると言うのはこういう事なんだ。困惑で頭がぐちゃぐちゃで、次の言葉が見つからない。千佳が何を考えてるのか分からない。彼女とは何度も何度も互いの親がどれだけ悪であるか、どんなウザイことをされたか、語らいあった。時に彼女は私より暴力的だった。そんな、彼女に共感して貰えない事に何処か失望に似た感情を抱いた。それは怒りであったのかもしれない。
「羨ましいよ。家族の事考えてないとか言う割に、無理矢理引越すとか言わなかったんでしょ」
「いや、でもさ、どう考えたって急だし、ママにも話してなかったし、絶対一人の方が楽とか思ってんだって」
「そうかな?」
「そうだよ」
半ば意地だった。父は悪であって欲しいが為に、私が悪にならない為に、口から溢れ出た虚勢だった。
千佳には今の私はどう見えているのだろうか。やはり、醜いのだろうか。それとも滑稽なのだろうか。どちらにせよ、いい印象では無いだろう。
「ま、いーや。今日はうち帰るね、あのクソ野郎は今日帰ってこないらしーし」
千佳は「んじゃねー」とか言いながらひらひらと手を振り帰って行った。左右に揺れる長い黒髪は痛々しい痣を時折隠し損ねながら、気高く輝いていた。
「あーもう、千佳のやつー。気まずい空気残したまま帰りやがってー」
「ごめん、茜。巻き込んじゃって」
「別にー。てかあんま重い話は勘弁してよ?馬鹿だから何言ったらいいか分かんない」
茜はそう言って笑う。彼女は自分の事が大好きだと良く言う。そして、それと同じかそれ以上に私達が好きだと言ってくれる。その優しさが今は本当に嬉しかった。
「何それ」
そう言った私はきちんと笑顔を作れていただろうか。千佳の言葉で揺らぐ私に、強い彼女達の隣で笑える自信は薄れていたから、とても心配だった。
「由香、スタバ行く?」
「新作とか出てたっけ?」
「新作無くてもいいだろー。行こ?」
「うん。行こう」
ただ少しだけ、あと少しだけでいい。貴女達のその強さをください。
千佳の言葉を受け入れるだけの強さを。
父と話すだけの強さを。
臆病で、卑怯で、何も無い、ハリボテのような私に。
母の陰りの原因を父と決めつけ、それを言い訳にし続けた私に。
勇気をください。
「由香、どこ行くの!」
その声でハッとする。少し考え過ぎていた。
「ごめんごめん、ぼーとしてた」
少し小走りで、茜のいる方へ。
「しっかりしてよー。ってまあ仕方ないか。あの後だもんねー」
悪戯っぽく笑う茜は茶化すようにそう言った。それが有難くて、罪悪感が加速する。
「ホント、ごめん」
「いいっていいって。私にとっては別に大した事でもないし。
道間違えたって戻るなり、別ルート探すなりすりゃいーし」
「……ふふ。何それ、酷くなーい?」
「だって由香の事じゃーん」
「もう少しくらい興味持てよー」
私は今日のこの非日常を忘れないだろう。惰性的に動き続けた今迄を否定する事は多分出来ない。私はまだ父が悪いと思っている。母の頭上にある曇天は紛れも無く父だと今の私はそう、思う。
だから、その事を父に、
言うのは少し勇気が足りないから
先ず母に言おうと思う。
何せ10年近くの迷子だ。きっと迂回するにも後戻りするにも時間はかかるだろう。
でも、この悩みと不安と決意を白い息みたいに曇天に吸い込まれていくのは嫌だった。
私は雪が嫌いだ。
だから曇よ、どうかどこか遠くへ。
「そーだ、茜。私6時には帰るね」
「たまにはそーいうのもいいね」
強く煌めく星を見せて。