孤独
第二部であり、完結編です。
今日は雪が降っていた。チラチラとまう白い物体。それを口々に綺麗だ、ロマンチックだと宣う有象無象に、唾を吐きかけたくなる。
真っ暗な空に点々とした白は私の心を掻き乱すカビのように思えた。第一に空に舞う白い物体なら、埃だって大差ないではないか。
だから冬は嫌いだった。
「何処行ってたの?!心配したんだから…」
「…別に。何処だっていいでしょ。こうして帰ってきてるんだし」
「そういう事じゃなくて…」
「ッ…。兎に角、ご飯も外で食べてきたから。私、部屋戻ってるから」
「由香…」
母は快活な人だった。そう、「だった」のだ。ed、過去形だ。ある日を境に母の言葉に余韻が増えた。まるで言ってはいけない言葉が有るみたいに。
幼少の記憶なんてさほどあるわけでもない。でも、子供は親の事を親が思っている以上に見ているし、知っている。急激で多大な変化であれば、気付く。親とは子供が真っ先に手本にする大人だ。そんな大人が揺らいでいたら、どうしたらいいか分からない。
一方で父は私に無関心だった。話をしても「ああ」と「そうか」くらいしか返事をしない。まるで機械の様な人だった。仕事のために生きて、感情など無駄と言い切る、そんな人間に違いなかった。
そして何より、母の影が最も濃くなるのは決まって父の前だった。父が母に影を落としていた。それが堪らなく許せなくて。
だから私は父が嫌いだった。
気付けば親との会話が減った。
気付けば家にいる時間が少なくなった。
気付けば毎週、父が休みの土曜日と日曜日は遅くまで家に帰らなくなった。
世間では私のような娘を不良だと言うのだろう。
それは外で上を指さして、あれは空だと言うかのように当たり前の事で私自身受け入れていた。そうする事で父と口を聞かないのも、影で暴言を放っても許されるような気がした。
それが私の父親へのささやかな反乱であった。
けれども、父は意に介さないのだろう。
愚かだと一蹴して見せるのだろう。それが堪らなく私を苛立たせた。
「…由香」
だからこそ、その呼び掛けが父からであると気付くのに少し時間が必要だった。気付いた時、心臓が高鳴るのを感じた。悦び等ではなく、もっと鈍色の質量のある感情だった。ふと、気付いた。
私は怒られた事が無かった。
「…」
怒声を恐れた。その事実がどうしようも無く私に子供を実感させた。それが私に屈辱を与えた。どう足掻いても、私は父の娘で父から一生逃れられないのだと。実際、私の足は前に動く事が出来ずにいた。父の冷たいその視線で凍りついたのだろうか。
凍りついた表情のまま父の口が動き出すのを呆然と眺めた。開けっ放しのドアを閉めたかった。ただ時が流れている事を秒針が教えてくれた。
父は瞬きをした。ゆっくりと。何故だろう。その瞬間を私は一生忘れないと直感でそう思った。ほんの少しだけ、そう、ほんの少しだけ普段と違う動作。それが私には妙に印象的だった。
続く言葉でその直感は正しかった事を確信した。
「私は来週から転勤する事になった。暫く家を空ける。母さんの手伝いをしてやってくれ」
その言葉はある種夢にまで見た程待ち望んでいた事で、喜ばしい筈だった。でも、そうはならなかった。
そんなのは狡い。
そんなのってない。
如何してそんなに。
哀しそうに言うんだ。
父は機械だ。感情など無いのだ。
そうじゃなきゃ。
私は何に反乱していたのだ。
母が取り乱していた。そんなの聞いてないと。
父は答えた。言っていないのだから当たり前だと。
母の大声は久々に聞いた。
父との会話を久々に見た。
母が泣き崩れるのは初めて見た。
父が。
父が寂しそうに母に謝るのも初めて見た。
私は見て見ぬふりをして、階段を駆け上がる。母の部屋の向かいにある自分の部屋に逃げ込んだ。朝起きたままの乱れたベッドに身を委ねた。学校で禁止されてるメイクも落とし忘れていた。短く折った制服のスカートのまま、皺も気にせずうつ伏せる。
やめて。
もうやめて。
まるで、
まるで私が、
悪者じゃないか。
メイクの色素をすった涙はそんな心を表すかのようにグチャグチャの色だった。