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純愛に嫌われる  作者: 河篠てる
日常にサヨナラを。
7/9

後悔と展望

「契約…?」


 当惑するのも仕方ない。私だってこんな結論で良いのか、分かっていない。それでも今の私にとってこれが最良の選択であると信じていた。


「ああ。…期間は1年。最初の更新は今日から一年後の6月7日。その1年の間で支障があったのなら、契約は1年で打ち切り。そうでないなら更新して、もう1年。…最高で由香が高校を卒業までとしよう。それ以降契約の更新はしない」


 これが私の出した結論だった。明確な論理がある訳では無い。感情で決めた。感情が無いと謗られたこの私がだ。実に滑稽な怪物だ。


 彼女はその目に微かな光を宿していた。が、最後の条件は多少なりとも受け止めずらいものがあったようだ。巧みにそれを心の奥底に仕舞おうとも、12年の関係が隠匿を阻んだ。


 こんな小さな変化が分かっても、彼女のもっと大事な何かを理解出来なかったなんて、皮肉の効いた話だ。


「…分かった。貴方とまた、仮初でも、やり直せると言うなら…」


 そう言って物分りが良い様に妻は笑った。少し寂しさを残してしまっている彼女は女優には向かないな。そんな笑顔に合わせて、私も少しだけ笑ってみせた。


 そうすると、妻は驚いて、器用にも泣きながら微笑むのだ。涙こそ無かったけれどその顔は確かに私が愛した妻の顔だった。


「貴方は…優しすぎるのよ…。だから、こんな悪い女に捕まっちゃうの…」


 何処か嬉しそうにそう呟いた。今回のその言葉は酷く私を困惑させた。私はこの答えが優しい物だなんて欠片も思っていなかった。



 私は酷い男だ。


 私は娘と見知らぬ少女の命が狙われたのなら迷わず娘をとるだろう。


 私は友人と妻が困っていたら妻に手を差し伸べるだろう。


 私は協調と合理の二択であれば、合理をとるだろう。


 そういう生き方をしてきた。勿論好かれることなんて殆ど無かった。寧ろ嫌われていると自覚していた。


 私は人より愚かだ。感情も理解出来ないほどに。であるなら人より考えねばならなかった。だがそうすればそうするほど、思い描く人間から離れて行った。


 終いには怪物である事を認め、分からないものを諦め、分かりやすいモノ(合理)に従った。

 それなのに今更甘えて父としても、男としても半端な答えを出し、愚かしくもそれが最良だと信じている。


 これが優しいなんてそんな事がある訳が無い。


「きっと…。貴方はその優しさに気付いてない。それでも、これだけは言わせて欲しいの」


 妻の言葉の意味は、やっぱり分からなかった。でも、少なくとも期間は1年はあった。妻への怒りが燃え尽きた訳でもないけれども、愛を無くしたわけでも無いから、また考えようと思った。私は人より愚かだから。


 妻は頬を伝う雫をその華奢な指先で拾い上げた。充血した眼は私の眼を捉えていた。未だ詰まったままの鼻をすすり、妻は徐ろに立ち上がる。


 私は相も変わらず、ただただ見つめていた。


 妻は噛み締めるようにゆっくりと机の脇まで、歩いた。一歩一歩、己の過去を振り返るかのように。


 雨はとめどなく降り注いでいた。雨粒のアスファルトへの無意味な猛襲は何時までも報われることは無い。


 妻はその膝を折り床に座した。


 止めようとして、掌に滴る赤い液体を見た。ならば私の行動は無意味なのだろう。妻がその目をする限りは私は雨粒の如き者なのだろう。


「貴之さん。度重なる無礼、本当に、本当に申し訳ありませんでした」


 そう言って床に額をつけた。


 謝罪は通過儀礼だと、誰かが言っていた。例え、どんな形であろうと謝罪をして然るべきだと。それは終わった証拠などではなくて、当事者の関係が再構築出来る物であると確認し合う為の物だと。


 なら、私がかける言葉は一つだけだった。


 妻と同じ様に床に膝を折り、肩に手を掛ける。



「由香に打ち明ける、その時まで、私はそれに応えない」


 顔を上げた妻は微笑んでいた。


 恐らく私もまた、同じであっただろう。

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