激情
雨脚は強くなる一方で、私の心によく似ていた。考えにノイズが交じる。結局、私は唯子さんを愛せていなかったのだ。ただ隣に立つことすら許されない今だから、机が嫌に大きく感じる今だから分かるのだ。
會澤君が言った通りなんだな。
客観的に見ても、主観的に見ても、私は唯子さんを幸せに出来ていなかった。たった一人の女性を愛す事すらままならない男だった。
だから、私は棄てられたのだ。
ああ、恥ずかしい。唯子さんに言われた途端にこれだ。悲劇のヒロインとでも言いたいのだろうか。馬鹿馬鹿しい。男で、31にも成って、未だにこんな幼稚な考えをするなんて。
この分では私は父にすらなれないのかもしれない。
―――それだけは。それだけは嫌だった。
あの子にこんな気持ちの片鱗すら与えてはならない。毛ほどの不安感も与えてはならない。あの子に罪は無く、また、不幸になる道理もない。
子供は時に大人より残酷だ。嫌悪感を隠す事など無い上、奇異な物を排斥する傾向が強い。まして女の子ならその傾向にも拍車がかかる。
私のような怪物も親であるのだ。我が子の幸せを願わない訳が無い。
考え過ぎなのかもしれない。だけれども、人生で無知は罪だ。知らなかったでは済まされない。どんな事も考え抜いた上で行動する方がいいに決まっている。
現に知らなかったせいで、このような事態を引き起こしたのだから。
「………さい」
とても。とても小さな呟きだった。アスファルトに叩きつけられた水滴達が唯子さんの声を阻害していた。まるで、聞かない方が幸せだとでも言うように。
「何ですか?唯子さん。落ち着いて、ゆっくりでいいですよ」
そう言って、俯き続ける唯子さんの背中を優しく擦るのは私ではない。
ああ、似合っているな。そう思った。元気で美人な彼女と、仕事も出来て気遣いも出来る好青年。考えてみれば止まらなかった。そもそも私には不釣り合いだったのだ。大した長所もなく、ただ高校で部活が同じだっただけの私なんか。幸運であったに過ぎない。そうだ。ここまでが出来すぎていたのだ。
だから。
だから。
だから。
妻が他の男選んでも。
仕方ないんだ。
涙は流れなかった。枯れてしまったのか、まだ唯子さんの口から真実を聞いていないからか。それは分からないけど事実として涙は流れなかった。
「…ごめんなさい、貴之さん。私は、私には貴方の隣に居る資格がないの」
ああ、伝わらない。如何してこうも私の想いが通じない。掌の傷が深くなる。産まれて初めてだった。父であることを言い聞かせても、歯止めが効かない。女性に対して非常識だという認識すら飛び越えた。
私は激情とでも言うべきほどの焔を心に宿していた。
力のままに拳を机に叩きつけた。そんなに高級な家具でもない。量販店で買った組み立て式の机だからなのかもしれない。机に空いた穴はまるで、私の心のようだった。
轟音は二人の目線を引き寄せた。やっと、唯子さんは私の方を見た。止めどない涙が伝っていた。
その事が私の焔に油を注いだ。
「巫山戯るなよ。私を言い訳にするな。私は君の心が聞きたいんだ。…私から、由香から、逃げるのだけは許さない」
我が言葉ながら底冷えする程に冷たい言葉だと思った。普通、心中など隠すものだ。わざわざ他人に晒すようなものでは無い。
それを分かっていて、それを強要するなどおよそ人間の所業ではない。だけれど、今だけは、今だけはそれで良かった。その為なら怪物であるとさえ甘んじて受け入れよう。
だから、お願いだ。
私に希望を残すような言い方は辞めてくれ。
自分が悪いと勝手に逃げるのは辞めてくれ。
彼との間をなあなあにするのは辞めてくれ。
ハッキリと要らない、そう告げてくれ。
そうでないと私は、惨めにも一生この想いから逃れられない。
彼女は顔を歪める。けれど俯くことはしなかった。その目にはいつもの彼女の片鱗が写っていた。
「貴之さん。もう一度だけ私にチャンスを下さい」
設定を他のと混ざってました。
ただ近くに住んでいて、幼い頃から一緒に居ただけ
→ただ高校で部活が同じだっただけ
アホ丸出しで申し訳ないです。