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純愛に嫌われる  作者: 河篠てる
日常にサヨナラを。
1/9

不倫から始まる物語

初めまして。河篠てると申します。

ちまちまやって行こうと思います。

 生まれてから、ずっと、悩み続けていた。


 自分が本当に人であるかどうかを。


 太宰治氏の人間失格に深い共感を覚えたと言えば、通じるだろうか。


 だが、私と''彼''の違いは単純だ。


 私は彼の様な演技派ではなかったし、恐らく彼ほどの深い悩みではない。

 彼の様に仮面を被る事は出来ない。

 だが、代わりに彼の様に常に押し潰されそうな訳ではなかった。


 小さな炎が燻り続けていた。


「違うの!!ねえ、お願い聞いて、違うのよ!!」


 私は愛という言葉が分からなかった。

 何を以て愛とするのか。私にとって軽々しく口に出来る言葉ではなかった。難しく考えすぎだと学生の頃、妻はそう言ってよく笑っていた。


 結局、私は人間らしさが分からない。

 怪物とも呼ぶべき異形であったのだろう。


 私はそう考えていた。


 だが、どうやら私も人間であったようだ。


 露という言葉は儚く、命の暗喩として古来日本では用いていたそうだ。


 露が頬を伝い、黒く塗り潰された頭は活動を停止している。ドス黒い感情が芽生えなかったのは私の中の怪物の片鱗なのかもしれない。ただ、哀しみが心の臓を握り潰そうとしていた。

 愛していた。


 良かった。


 こんな形だけれども、私は君に嘘など吐いていなかったと、ようやく分かった。この12年。私が君に語り続けた、愛の言葉に偽りなど無かったよ。


「私は下のリビングで待っているよ。二人共、少しだけ、由香が帰るまで大人の話をしよう」


 そう言ってシーツでその裸体を隠す男女から目を離した。妻は何かを言っていた。私には君達が遠すぎて聞き取れなかった。


 私は妻を愛していた。


 そして、愛した妻は私の手の届かない、遠い何処かへ、行ってしまった。


 ポツリ、ポツリと戻ってくるのは無慈悲なまでに美しい思い出だった。


 高校の部活で一緒になった生意気な後輩と活動した事。


 そんな生意気な後輩に卒業式で告白された事。


 戸惑いながらも、どうしてか断る気もなくて、どこか嬉しくて付き合い始めた事。


 大学はお互い好きな事をして、それでも合間を縫って笑いあった事。


 同棲を始めたら割とズボラだったのに少し笑ってしまった事。


 このままの生活で居たくて、二人でプリンを食べてた時にプロポーズした事。


 その事を3年近くいじり倒して来た事。


 娘が生まれた事。


 名前がなかなか決まらなくて、色んな本で読み漁ったのに、君が一言で由香と決めてしまった事。


 父親になった事。


 そして、今日家に帰ると妻が他の男と同衾していた事。


 その男が自分の部下であった事。



 あのベッドはこの家を建てた時に私達の子供が寂しい時は一緒に寝られるようにと買った少し大きめのモノ。一昨日に由香が怖い夢を見たと言って一緒に寝たばかりだ。


 妻はどんな気持ちであのベッドで嬌声をあげていたのだろうか。


 知りたくはなかった。

 臆病な私には到底受け止められない。


 階段はそこまで長くない。


 恐ろしい程にゆっくり降りた。


 全てを噛み締めて、全てを飲み込んで、吐き出すのは

 涙だけで十分だった。


 降りてすぐのリビングのノブに手をかける。


 こんな簡単な事だが娘には一大事であった。このノブにやっと手が届くようになったのだ。満面の笑みで、ほら!と私の目を真っ直ぐに見つめた。



 あの笑顔は失わせてはいけない。


 私が父親と呼ばれる限りは。




 ゆっくりゆっくり歩いて椅子をひいて座る。

 いつも笑顔が咲き乱れたこのテーブルに蕾はあるのだろうか。そんな女々しい思いに苦笑いする。まだ頭の中はグチャグチャで、マトモな考えは出来そうもない。




 だから、それ迄は泣こう。

 喚こう。

 近所迷惑など知らない。

 男の嗚咽など聞きたいないかもしれない。


 でも。


 ああこんな感情は初めてだ。


 どうだっていい。誰にどう思われようと構うものか。

 これは私の悲しみだ。

 これは私の苦しみだ。

 これは私だけの悲劇だ。


 誰にも分からないだろうし、分かって貰いたくもない。

 これは、

 妻を思って泣くことは、


 私だけの物だ。


 男の、最後の、意地汚い独占欲。


 誰もいないリビングルーム。


 テレビも付けないと、本当に静かだ。


 堪えきれなくて、決壊した嗚咽は、

 多分彼等には聞こえている。


 少しでも罪悪感があるならば、私の惨めな所等見なかった事にして欲しい。聞かなかった事にして欲しい。



 妻が私のこの惨めさを笑っている所を想像するだけで、私は、この首を括りたくなる。


 少しだけ笑う。



 あれを見ても、未だ私は妻を愛している。

何となく察する方も多いかと思いますが、ざまあはないです。ある種それより残酷です。

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