002 その男の名はジョニー
突然現れた、場違いな燕尾黒スーツの男。
場違いな男だが、オレが持っているココアの味を知っているという事は、この状況について何か知っているという事だ。
少なくとも、何が何やらわからないオレよりも詳しいだろう。
そしてこの男がここに来たという事自体が、オレに何か関わりのある人間である事を示している。
「……オレは今、どういう状況なんですか?ここが何処なのかも、分からないんですけど。」
質問をしようとすると、黒スーツの男は遮るようにこちらに手の平を向けた。
ドサッという音をさせて、男の手にあったスーツケースのような鞄が置かれる。
「まずね、良いニュースと悪いニュースがあるんですけど、どっちから聞きたいっすか?」
ハリウッド映画の台詞で、聞き覚えのあるフレーズだ。
大抵の場合、エンターテイメント映画の様式美として、この台詞の後は滑稽で酷い展開になる。
黒スーツの男は、やけに楽しそうな表情だ。
「そんなに深く考えなくて大丈夫です。説明しなくちゃならない事は沢山あるんで、サラッといきましょう。むしろ悪いニュースの方が、楽しい位ですよ。」
少し嫌な予感もするが、男のニヤニヤした表情からして深刻な事態ではないのだろう。
いや、こういうタイプの人は、他人の深刻な事態をこういう表情で楽しむ可能性があるな。
まぁ、どんな状況であるにしろ、何も聞かないままこの男を追い出しても意味はない。
良いニュースと悪いニュース、先に知っておくべきなのは……。
「じゃあ、悪いニュースから。」
状況がよく分からない以上、気を付けるような事を先に知っておきたい。
もし、『二度と興奮してはいけない』なんて状況だった場合、すぐに手遅れになるかもしれない。
体に異変は感じないが、酷い病気から快復したようなものだろうし慎重にいきたい。
「……いやいや、良いニュースからじゃないと、あんまり面白くないんですよ。」
コイツまんまと騙されやがった(笑)、みたいな表情で回答を拒否された。
なんだそりゃ。
オレは呆れながらも、少し笑ってしまった。
「答える順番が決まってるなら、どっちか選ばせる意味ないでしょ。サラッといきましょうよ。」
オレは一刻も早く、今の状況を知りたい。
そもそも、ここが何処なのかすらわからないんだから。
「そりゃ、そうですね。じゃあ、良いニュースの方から。ジンさん、貴方は今、かつてないほどに健康です。あと、治療費とか入院費等の金の心配もいりません。どうです、なかなか良いニュースでしょ。他にもいろいろと、非常にお得な事になってますよ。」
言い方が若干気になったが、『健康』という単語でとりあえずはホッとした。
これからの人生を、怪しいウイルスとの戦いに消費するなんて真っ平だ。
すっかり失念していたが、治療費や入院費について心配がいらないなら、これほど有難い事は無い。
そういえば、近所の医者が『私のミス』というような事を言っていたから、口止め的な意味で、いろいろと手配をしたのかも知れない。
オレを『ジンさん』と呼んだという事は、人違いなどではなく、ちゃんと処理されているだろう。
「良かったぁ。何にしろ助かったんですね。それに、今月オレんち金関係ヤバイから。治療費とかの心配がいらないなら、助かります。あ、焦って言い忘れてた。もう、知ってると思いますけど、オレ、玉垣 仁っていいます。いろいろ聞きたい事あるんで、よろしくお願いします。」
本来なら最初にすべき名乗りと挨拶をすます。
尋常でない状況に焦っていたとはいえ、恰好悪い事だ。
安心した勢いで、ついつい余分な我家の経済状況まで喋ってしまった。
「知ってますよ。俺の事は、ジョニーって呼んでください。」
随分とフレンドリーな扱いを期待されているようだ、まぁいい。
悪気はないだろう。
ジョニーは屈んで、先ほど床に置いた鞄を開けようとした。
「悪いニュースの方は、言葉で説明するよりも、目で見てもらった方が早いんで……。」
鞄の中には、どうやら服や靴等が入っているようだ。
それから、見慣れた財布とスマホと鍵束、これらは多分オレのだ。
「スマホはここじゃ使えません。他の着てた服とかは再生処理してません。廃棄されてもう存在しないです。代わりの物は持って来たんで、着替えてください。」
オレの服を、勝手に捨てたのか。
少しムッとしたが、ウイルス感染がどうとかいう事態なのだから、仕方が無いのだろう。
財布とスマホは無事だったのだから、我慢しよう。
「ちなみに、服とかはそのままだと臭そうだからやめたんであって、ウイルスとかは一切無関係ですからね。」
……この野郎、ふざけやがって。
ニヤニヤと笑いながら、わざわざオレの顔を覗き込んで、そんな事を言いやがった。
まぁ、笑っちゃったけどさ。
ジョニーがベッドに置いてくれた服は、袖がデカくなっている高そうだが変ったデザインの白いワイシャツと、黒いジーンズの様なズボンだった。
真夏には少し暑すぎるかと思ったが、他に着るものも無いので、とりあえず着てみる。
デザインは変っているが、サイズはピッタリで、着心地は悪くない。
下着や靴下はもちろん、ベッドの脇に置かれた短いブーツのような靴も、完璧なほどオレの身体に合っていた。
「じゃ、行きますよ。」
ジョニーが空っぽになった鞄を手にして、さっさと歩き出す。
あのスピードだと、急がないと置いてかれそうだ。
「はいはい、行きますよっと。」
急かされるままに立ち上がり、財布等をポケットに押し込む。
オレは、後ろを見もせずに歩くジョニーの後に続いた。
病み上がりだが、足腰は全然問題なさそうだ。
ベッドの枕側のドアを開けて、真っ白い病室の外に出た。
病室の外には出たのだが……。
ドアを抜けた次の瞬間、眼前に広がっている光景があまりにも非現実的過ぎて、呆然と足を止める。
そこは、言ってみれば、『謁見の間』だった。
そう、ファンタジーゲームなどで王様がいるような広大な部屋だ。
そして、奥にある王座には巨大な青いドラゴンが鎮座していた。
白い大理石のような床と柱、それらに刻まれた細かい金銀や宝石の装飾、道筋のように中央を横断する金の刺繍が施された赤い絨毯。
絨毯の両側には、列を作るようにして、甲冑と兜を身に着けて槍を持った兵士が並んでいる。
何よりも目を引くのは、首や口が動いている青く輝くドラゴンだ。
「あ、超気になるでしょうけど、この辺は基本的に全部スルーで。さっさと、目的地に行きましょう。」
もちろんジョニーの言葉の意味は理解できたが、スルーなんて無理だ。
なんで病院に『ドラゴンが居る謁見の間』なんてものが必要ある?
アホか、病院にそんなもんいる訳ねぇだろ。
「……いやいやいや、あのドラゴンは何?ここは一体、何処なんですか?テーマパーク?」
ジョニーは手招きをしながら後ろ向きで移動して、進むのを促している。
オレが話を聞く為に近くまで移動すると、スタスタと歩き出した。
もうちょっとドラゴンのロボットを見ていたかったが、説明を聞くためにオレも続く。
「あれは《スカイドラゴンロード》。で、ここは《スカイドラゴンロードの城》です。今、江戸城の真上にいるんで、エレベーターでさっさと降りましょう。こっちとしては一刻も早く、『くノ一』とか『ダークエルフ』とかに会ってもらいたいんでね。まぁ、口で説明すると分かり辛いうえに長くなるんで、とにかく今は、質問無しで俺に着いて来てください。」
……コイツ、真面目に答える気は、全然ないみたいだ。
ドラゴン、江戸城、『くノ一』、『ダークエルフ』……。
ここがテーマパークだとしても、盛り込み過ぎだろ。