足利義政が「北の3代目に」
「室町幕府8代将軍・足利義政にございます。」
「本日、私はどのようにすれば家が衰退することになるのか?
について話をしていこうと考えております。」
「まず私が在世していました頃の日本は
どのような状況であったのか?
と申しますと
一言で言いますと
『食糧難』を通り越しまして『飢餓』の時代。
今風の言葉に直しますと
『大学は卒業したけれど仕事無し』
を通り越しまして
『親の仕事すら無い。
あっても給料が増えないにも関わらず
大学の学費だけは上昇の一途を辿り続けているため、
たとえ国公立でありましても
とてもじゃないが
子供を大学に送り出すことが出来ない。
なら奨学金でやりくりしようにも
奨学金は借金であることに加えまして
今の奨学金は昔と違い
基本。有利子。
4年で卒業出来たとしましても
700万円近い借金を抱えた状態で
社会人生活を始めなければならない。
にも関わらず仕事が無い。
返済期限が近付く中、
その返済のために
更に利息の高いところからお金を借りまして急場を凌ぐも、
その高い利息で借りたところへの返済の猶予が迫って来る。』
そんな時代が
私が将軍職に就任した頃の日本の姿でありました。」
「ですから比較的取り分の多い
守護大名家でありましても
逆に得るものが多かったことが原因なのかもわかりませんが
当主になれば、それだけ身入りが増えるとばかりに
当主候補。
更には、その候補が当主なった暁には
自らの身入りが増えることになる家来に担がれる形での
争い事が絶えなかった。と……。
結果、最期それらの家のほとんどが
戦国時代を乗り越えることが出来なかったことを思いますと
無意味な戦いであったのでありましたが
なにぶんその時は
食べるのに精一杯。
これだけですと戦後すぐの日本のように
分かち合いの精神で乗り越えることも可能なのではありますが
当時と戦後すぐの日本との違いを一言で述べさせて頂きますと
戦後の日本とは違い、
当時の守護大名には
『武力』
力による現状変更を可能とする術を有していたため
諍いが絶えず発生し、
あのような大乱に繋がることにもなったのであります。」
「その時、将軍であります私。義政は何をしていたのか?
と申しますと
元来が将軍を継承するような立場では無かったところに
兄の早世もあり、順番が回ってきたこと。
家来たちは家来たちで
権限の強い将軍が上に来ると
祖父義満や父義教の時のように
守護大名の権限が封じ込められることを嫌ったこともありまして
将軍である私。義政が出来ることは
ほぼ皆無の状況に置かれてしまったため、
正直な話。
なにもしなかった。
何も出来なかった。」
「ただ何も出来なかったことが幸いしましてか
特に身の安全が脅かされることのない生涯を送ることが出来たのは
幸いなことなのかもしれません。」
「室町幕府並びに
守護大名が衰退の道を辿った理由。
景気が良い時でありましたら良いのでありますが
景気が悪くなりますと
どうしても不平不満
と言うモノが頭をもたげて来るものでありますし、
タワケが『田分け』から発生していることからもわかりますように
経済基盤が弱くなると……。
でありますので
富と権力(軍事力)は極力1か所に集約させて置きまして、
後継者以外は仏門の道での出世を目指す。
と言いましたように
次の代の当主が困らぬよう
手を打たぬまま
手を打てぬまま
この世を去ることになってしまったから。
なのでありましょうね……。
ただそこに腹違いの子供が複数存在しますと
その子供の母親たちが。
とか
自分の母。乳母の一族の。
と言いましたところからの力が働いたりしますと
当主でありましてもなかなか……
(私も飢饉が無ければ、
のちの世の教科書で取り上げられることのない
一将軍の立場で終わったのでありましたけどね……
要はめぐり合わせであります。)」