足利義満が「北の3代目に」
血統は申し分ありませんが
将軍に就任するまでは
必ずしも権力基盤が盤石では無かった点で
北の3代目と共通するのが
室町幕府第3代将軍・足利義満。
そんな彼の事績から
もし足利義満が北の将軍様・第3代を継承しました場合、
どのような政策を実行に移すことになるのか?
について考えていこうと思います。
義満が将軍に就任してから
まず最初に行ったことは何か?
と言いますと
権力基盤の強化であります。
義満は就任早々
幕府ナンバー2とも言えます管領人事に不満を覚えた
その管領とは仲の良くない守護大名の手により
家を取り囲まれ、
管領人事の変更を余儀なくされる。
と言う苦い経験をしています。
将軍就任以前にも
都から退避しなければならなくなることがあるなど
征夷大将軍家
と言う
武士の棟梁の地位にありながら
実際は
部下の争いごとに
将軍自らの立場が揺れ動く
不安定な地位にありました。
ただ幸いなことに
本来部下でありながら
将軍を将軍と思っていない
これら守護大名にしましても
同じ名字を持つ守護大名の仲間内同士での
喧嘩が絶えなかったこともあり、
そこに楔を打ち込む余地が残されていた。
ただ楔を打ち込もうにも
武力が無いことにはどうすることも出来ません。
そこで義満が行ったのは
これまで朝廷と幕府で二分されておりました
京の都における
行政権と課税権を
幕府に一本化することに成功すると共に
守護大名に対抗し得るだけの
義満直属の常備軍と実務官僚を整備することにより、
同じ家の中で喧嘩している
守護大名の弱体化や、
これまで日本の6分の1を支配していました
山名家を挑発。
武装放棄させておいて鎮圧するなどすることにより
幕府の権力を強化することに成功しています。
ここまでは
現・北の3代目も似たようなことを行いながら
権力基盤の強化を図っていることかと思われます。
で。この次、義満が行ったことはどのようなことであったのか?
と申しますと
そもそも守護大名と守護大名。
もしくは
同じ守護大名の中で
なぜ喧嘩が絶えなかったのか?
と申しますと
自らの行いに対し、
正当な行為である
と言うお墨付きを与えてくれる
朝廷が2つ存在していたから。
であります。
足利将軍家は北朝でありますので
その北朝側である足利家の基盤が強化される。
と言うことは
相対的に
足利家と対立します
南朝側の力が弱くなることになります。
経済の封じ込め
と言う兵糧攻めを行って。
と言うのは
つい最近の世界でも行われている戦術でありまして
本当に封じ込めることが出来さえすれば
絶大な効果を齎すことになる
この封じ込め政策により、
弱くなりました南朝に対し義満が
和平案を提示。
後醍醐は既に。
の時代でありましたので
渡りに船とばかりに
南朝側も和平を受け入れ、
50年以上続きました
朝廷分裂に幕を下ろす。
(その後、再び分裂するのではありますが)
と言うことは
=守護大名が何かを起こす際、
正当である。
と認める窓口は
北朝。
要するに足利義満のみ。
そのお墨付き無き行為は
全て朝敵と扱われることになる。
と言うことはつまり
義満は常に正義の軍隊として行動することが出来るようになった。
と……。
今、北の将軍様の視点から
2つに窓口が分立しているモノ。
となりますと
(……南なのでありますが)
どちらかと言いますと
(……石油などの物資は
タダ同然で入手することは出来るのではありますが)
経済的に弱いのは北であることを思いますと
(南から北への落とし所があるようにも思うのでありますが
如何せん。南と義満との違いは軍事力で圧倒することが出来ていない。)
志しはあれど。思うようにはいかないのかな?と……。
ここから対外政策に移るのでありますが
北の将軍様は現在。
内部の基盤強化に重きを置いていることもありまして
どちらかと言いますと
対外的にキツイことを行うことを
内政に利用しているところがありますので
落ち着いてみないことには
何とも言えないのでありますが
少なくとも現時点では
もし義満が北の3代目に就任しました場合、
義満は真逆の政策を採ることになると思います。
経済基盤強化のため
積極的に中国に近づいて行く。
危うく中国の一部に取り込まれる。
独立を失うことになるかもしれない
朝貢国の下の地位に甘んじながらも
実利を得ていく。
その実利は何か?
と言いますと
信用される『お金』。
外貨であります。
どちらかと言いますと
2代目の対外政策に近いことを
義満は行うことになると思います。
これはあくまで
国内で確固たる地位を得ることが出来たあとの話になるのではありますが。
最後に共通点をもう1つ。
共に文化振興に力を入れる事になると思われます。