表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
望まない結婚  作者: 小鶴
第二章
9/21

舞踏会、再び

 一つの招待状が届いたのは王宮の夜会から一月が経った頃だった。ユースハイム侯爵家の、舞踏会の招待状。ノーベラルト侯爵家と似たりよったりの家柄ではあるものの、二年ほど前には娘の一人が第一王子――つまりはローデリアの兄に嫁いでいたことから、現在は少々、あちらの方が力関係が上の家である。これに夫婦も出席するようにと、ノーベラルト侯爵が手紙をよこしたのだ。

 その知らせはアレイズが直接、ローデリアに持ってきた。招待状の日付は九日後で、今度は仕立屋に新しいドレスを頼み、きちんとした御揃いを二人分準備した。深い夜のような紺色の生地に、白でラルトーナの花が刺繍されている。髪は前と同じように結いあげ、飾りをシンプルなものに変更した。王宮の夜会よりも、本来の舞踏会の役割――つまりは未婚者のお見合いの要素が強いので、舞踏会で既婚者はあまり派手には着飾らないのだ。

 そしてアレイズは、家を出るときから完璧なエスコートをしてくれる。馬車の中でも他愛もない会話をし、侯爵と会い、一緒に会場入りする。ユースハイム一家に挨拶をして、そして舞踏会は始まった。


 そのあまりの変わりように、ローデリアは目を伏せた。





 毒の所為で二週間寝込んだローデリアが目を覚ましたのは、あまりに酷い頭痛に襲われたからだ。まるで内側から金槌で殴られているような痛みに額を押さえて辺りを見回すと、見慣れた天蓋と部屋のベッドの上。起き上がろうとすると眩暈が押し寄せ、目前が暗転して慌てて手を付きながら、時間を掛けてくらくらする脳味噌を落ちつかせて、おそるおそる起き上がった。

 そして身体を起こすと急激な渇きを覚え、サイドテーブルの上の水差しからコップに水を注ぎ、口をつけた。そのまま暫くぼうっとして、記憶が甦る。ローデリアはその時自分の両腕がそこにあることを確かめて、ああ、と声が出た。


 失敗したのか。


 それは落胆だった。薬を飲んだ瞬間に、意識は途切れていた。あの量を飲んで助かるなんて、運が無いに違いない。誰かが気が付いてしまったのだろう。最後の最後で不手際を犯したことに、自分を叱責したくなった。そしてそれと同時に、部屋に飛び込んできたアレイズを見て、自分が取り返しの付かないことをしてしまったことを悟った。


「目が覚めたのか!」


 ベッドで身体を起こすローデリアにそう言ったアレイズの瞳は、罪の意識で悲しんでいた。



 *



 会場に入って儀式のようにアレイズと二曲踊ると、友人を見つけて去っていった彼を見送ってから、ローデリアは再び壁の花になった。オーケストラの演奏が響き渡る部屋の隅で小さくなりながら、歓談している人々をそっと覘き見る。知り合いもいない会場内で、肩身が狭い。


「あら、ローデリア様ではございませんの」


 デジャブを感じながら後ろを振り返ると、そこには前とまったく同じ顔ぶれが揃っていた。規模が大きいだけあって、招待客は幅広い。


「ごきげんよう、システィナ様、ステイ様、レイクリー様、ネイデリア様、ティーゼ様」


 返事を返しながら辺りを見回した。逃げ道は見つからず、当たり障りなく微笑む。「人を不幸にして楽しいですか?」まるで昨日の事のようにその言葉が鮮明に蘇って、顔が強張った。

 少女たちは顔を合わせて、くすくす笑う。それからまた、ティーゼ以外の四人が口ぐちにお喋りを始める。前と変わらない、ローデリアに対する侮蔑だった。


「そういえば、王宮の夜会以来、催し物には全くご出席なさらなかったみたいだけれど……ローデリア様は、こういった行事がお嫌いなのかしら?」

「まさか!身分の高いローデリア様が?どうして」

「ほら、噂ではダンスがとても下手だとか」

「立ち振る舞いもぎこちないとか……」


 くだらない言葉を右から左に流しながら、目覚めた時の記憶をなぞる。



 *



 けたたましくドアを開けて部屋に飛び込んできたアレイズは、驚いているローデリアなどお構いなしと、ベッドの側に駆け寄ってきて、あろうことか額に手を当てた。熱はないようだとか、毒の効果がどうだとか、栄養がどうだとか、慌ただしくひとしきり話した後に、間抜けな顔をして自分を見ているローデリアに気が付いたのだろう、はっと息を飲んで一歩下がると、その頭を下げた。


「すまない」


 アレイズの美しい髪が重力のままにさらりと下を向く。その言葉の意味が理解出来ず、困惑した。けれどそんな戸惑いに彼は気付かず、その美しい瞳に懺悔を乗せながら言葉を紡いだ。宝石のようなそれが、真っ直ぐにローデリアを見つめていた。

 父親と国王の企みにまんまとひっかかったこと。ローデリアについて勘違いしたこと。浅はかな行動で傷つけたこと。申し訳ない、とその言葉が何度も登場した。


 それらの言葉はローデリアにとって、なんだか空に浮いているような現実味のないものでしかなく、返すべき言葉が出て来ずに俯くしかなかった。けれどもその時にアレイズが発した言葉で、自分が仕出かした“とんでもないこと”に気が付いた。


「もう、死ぬなんて考えないでくれ」


 その言葉は、胸に深く突き刺さった。言葉の意味が響いた訳ではない。死ぬのはいけないことだと理解した訳でもない。アレイズがそれを口にしたこと、その意味に衝撃を受けたのだ。


 ああ、どうして、一度で上手くやれなかったのだろう。


 押し寄せたのは後悔だった。自害しようとしたことは、絶対に露見するべきではなかったのだ。

 死のうと考えた時、恐怖はなかった。自分がこの先生きて、自分もそして全ての他人も、何一つ良いことは無いと思うと、それは正解に思えたのだ。しかしそんなローデリアの気持ちなど、目の前の男には何一つ関係ないことだった。

 自分の行動が、自身に手を掛けたことが、アレイズの心に重たい鎖を巻いてしまった。彼がローデリアに対して引き裂かれた恨みを消し去ってしまった今、きっと次にローデリアが死んだ時、それがもしも事故や病気であったとしても、自殺を疑って悔やみ、嘆き、後悔することになってしまう。ローデリアという存在の生死が、アレイズに傷をつけてしまう。そんなことにも気が付かずに簡単な準備で死に向かったことが、大きな罪悪感を与えてしまったことに間違いが無かった。

 彼をローデリアという不幸から解放したくてしたことなのに、結局、アレイズを益々縛り付ける結果になったのだ。その後ミーナからもこっぴどく怒られて、また彼女も謝罪した。侍女にまで植え付けてしまった罪悪感に、後悔してもしきれなかった。

 他の使用人たちも、前とはローデリアに対する態度が変わっていた。前はどこかよそよそしく、必要以上の会話もせず仕事をこなしている雰囲気だったのに、この頃は話しかけてきたり必要以上に世話を焼いたりと、前よりもずっと様子を窺っているのが感じられる。


 全部、自殺未遂の所為。


 自分の浅はかさに、溜息が出た。



 *



「ちょっと、聞いていらっしゃいますの?」


 イラついた声に引き戻されて、ローデリアは慌てて口元を扇で隠した。失礼いたしましたわ、と口先だけで謝罪をする。四人の少女たちはあからさまに嘲笑をした。ティーゼだけは相変わらず口を開かず、友人たちの会話を俯きながら聞いている。薄茶色の柔らかな髪が綺麗に編み込まれているのがよく見えた。彼女が口を開くのが、一番怖かった。他の少女たちが何を言っても気にはならない。

けれど、ティーゼの口から出てくる批判だけは真実だ。


「会話さえもまともにできないなんて、流石ですわね」

「アレイズ様も苦労なさっているでしょうねえ」

「本当、好きでもない女と結婚して、それがまさかこんな出来の悪い方では」

「ねえ、だって本当だったら、アレイズ様と結婚するのは、ここにいる……」


「私について、何か?」


 ソプラノの会話に、突然のテノールが加わってびくりと身体が震えた。すっとローデリアの腰に手が回される。


「失礼、私の名前が聞こえたもので」


 ローデリアの後ろから会話に入ってきたのは、アレイズだった。いつから話を聞いていたのだろう。そんな疑問を持ったのは彼女だけでは無かったらしい、少女たちも慌てたように視線を彷徨わせた。

 そんな中、俯いていたはずのティーゼだけが、驚いた顔をしてこちらを見ていた。


「お譲様方、少し妻をお借りしても?」

「……え、ええ、勿論」

「それでは失礼。ああそうそう、お喋りを楽しむのも素敵ですが、せっかくの機会ですから是非、憐れな男達の相手をしてあげてください。貴女方をダンスに誘いたそうに、大勢の男が会話の様子を窺っていますよ。さあローデリア、行こうか」


 強く腰を引かれ、ローデリアはその力に引っ張られて足を動かした。直ぐに会場の外に連れ出され、準備中の食事用の会場に繋がる人通りの少ない廊下で立ち止まった。


「大丈夫かい?」


 廊下で向かい合いながら、アレイズが小さな声で聞いた。首を縦に動かして、そっと会場入り口の扉を見る。


「私よりも、ティーゼ様が。このようなことをされては、誤解されてしまいます」

「ローデリア。君は、気にしなくていいんだ」

「ですが、あれでは」

「いいから」


 有無を言わせない口調で、それ以上何か言うことは出来なかった。


「それよりもローデリア。ユースハイム侯爵家の子息達は、俺の古い友人なんだ。是非君と御話がしたいと。一緒に来てくれるかい?」

「……ええ、勿論です」


 差し出された腕をそっとつかみながら、斜め前を歩く美丈夫の横顔を見た。


 アレイズは、驚くほどに優しくなった。多分これが彼本人の元々の人格なのだ。悪感情を取り払った今、その優しさがローデリアの生死に彩られて自身に注がれていることを。しっかりと感じ取っていた。

 目を覚ましてから一週間経ちローデリアの体調が回復し、普通の生活を送れるようになったとき、彼女の生活は一変した。アレイズは食事を共にするようになり、時間があればローデリアの部屋に来るようになったのだ。彼はいつもありきたりな世間話をしたり、仕事での出来事を話したり、時には家族の噂話をしたりして、退屈させないでくれた。未だ知らないことの多い彼女にとって、彼の話は新鮮だった。

 けれども彼が欠かさず食事を取りに来、仕事から帰ったら彼女の部屋に足を運び、というその日々が続けば続くほど、ローデリアの心は重たくなったのだ。


彼はローデリアに縛られている。


 縛り付けてしまおうなんて、思っていなかった。なのに、一番嫌な方法で、縛り付けてしまっている。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ