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望まない結婚  作者: 小鶴
第一章
7/21

懸念と不安

 屋敷は、酷く静かだった。アレイズは久しぶりの休暇を、どこかに出かけることもなくゆっくりと過ごすことに決めていた。憎らしくも妻であるローデリアの顔は見えず、王宮での夜会の日から一度も顔を合わせていない。その方がずっと、彼の心は平和だった。 

 しかしそんな幸福な休日に、部屋の外に出していた従者のルーゼが青い顔をして飛び込んできた。


「若旦那様。ローデリア様が――――」

「……あの女の話は聞きたくない」


 彼女が嫁いできた初日に、屋敷の全使用人に彼女をアレイズに取り次がないよう命を出していたはずだった。それはこの半年以上守られてきたというのに、初めてそれを破るのが自身の従者とは思いもよらないものだ。しかしいかに優秀な従者の言葉であれ、彼女についてはどんなことであろうとも耳に入れたいとは思っていない。そうしてにべもなく遮ったと言うのに、ルーゼは「しかし、若旦那様」と食い下がってきた。いつもと違うそのしつこさを不思議に感じ、仕方なく言ってみろ、と続きを待つ。


「この一週間、ずっと体調を崩されておいでだったのですが……とうとう今日、医者が、もうあと数日かもしれない、と」


 驚きで、持っていた本を手から落とした。


 ローデリアは夜会の次の日から原因不明の体調不良が続き、日に日に身体が弱って、熱が下がらないことから解熱剤のみを処方され、それを飲んでいると言う。

 そこまで聞いて彼女の顔を見ようと足が向いたのは、心配や気まぐれでは無く、弱っているローデリアを見てやろうと思ったからだ。彼女は王族出身だからか、立ち姿やその所作に気品があり、文句をつけてやろうと思っても中々アレイズにつけいる隙を与えなかった。それが、彼をますますイラつかせていた。

 ノックをすると同時に部屋のドアを開けると、侍女が驚いた顔をしてこちらを向いた。侍女の目の端が赤く、泣いていたのが窺える。こんな性悪女でも、死に掛けるのを泣くほど悲しんで貰えるとはと心の中で笑う。確か、唯一ローデリアが連れてきた侍女だった。輿入れの時も、一人しか着いてきてくれなかったのかと笑ったものだ。部屋の端にも二人、青い顔をした侍女が立っていた。

 ローデリアは部屋の真ん中にあつらえられたベッドに、ぐったりと横たわっていた。たった一週間見ない間に酷く痩せ、眼は落ち窪んで頬はこけ、蒲団の上に乗せられた腕は棒のように細い。気品のかけらも無かった。


「憐れだな」


 その姿を見て、アレイズは鼻を鳴らした。その言葉はローデリアの耳に入ったのか入らないのか、そんなことはどうでもよかった。ローデリアは空虚な瞳で、どこを見ているのかもわからなかった。

 このまま苦しんで死んでしまえば良い、とさえ思った。そうすれば、改めてティーゼと結婚できる。


「お前が我儘で結婚など望むから、罰が当たったんだ」

「よくもそんな……!」


 もう言葉を発する力も無いのか、返事をしないローデリアに代わって返事をしたのは、その枕元で涙をこらえながら懸命に世話をする侍女だった。侍女はキ、とその瞳でアレイズを睨みつけた。


「ローデリア様が、どうして貴方との結婚を望むのよ!」


 その侍女の言葉に、アレイズは眉を潜めた。他の侍女が驚いたような顔をして駆け寄ったけれども、誰かが何かを言い返す前に、侍女は無礼にも言葉を続けた。


「貴方のような男との結婚なんて、国王の命でなければしたりしないわ!」

「無礼だぞ、下がれ」

「無礼ですって? 貴方のローデリア様に対する態度のほうが、よっぽど品が無くて最低だわ!」


 侍女は大声で叫び、その声は屋敷中に広がるほどだった。大きく息を吸い、肩を怒らせながら涙の零れそうな瞳で、そう言った。不敬を犯して歯向かってくる侍女の言葉は迫力がある。しかしその言葉の内容は、アレイズを怒らせるには十分だ。退出と首を命じようとしたその時、小さな声が聞こえた。


「ミーア、やめて」


 その声は掠れ、今にも消えそうだった。


「でも、ローデリア様!」

「いいの。アレイズさま、ミーアはすこしつかれていて……どうか寛大な御心で、御許しを」

「ローデリア様!」

「ミーア……いいの。これが、いちばんの、正解」

「そんなの……」

「……頭がいたい。薬とってくれる……」


 ローデリアは、酷く話しづらそうだった。ミーアから手渡された十錠ほど入った薬の瓶を開けるのも一苦労と言った様子だ。水差しを用意する侍女を待っている時、ローデリアは初めて横目で、アレイズのほうを見た。


「アレイズさま、本当に、申し訳ありませんでした。私が死んだら、どうぞ、ティーゼさまとお幸せに」


 どうして、ティーゼとの仲を引き裂いたお前が俺とティーゼの幸せを願うのだ。そう考えて、その言葉に自身の疑問が被さったのを、アレイズは心のどこかで分かっていた。けれどその先を考えるのが嫌で、他のことに意識を飛ばす。

 それにしたって、どうしてローデリアは、まるで死が決まったようなことを言うのだろう、生きることをとっくに諦めているような――――そう考えながら棒のようになった彼女の腕の先に目をやると、その掌の上に、空っぽの瓶がのっているのが分かった。もう一方の手には、すでに水差しがのっている。先程見た時、瓶には十錠以上入っていたはずなのに。まさか。自分の行き当たった答えに、青ざめた。


「待て!」


 ことに気が付いたアレイズが思わず叫ぶのと、ローデリアが水を飲むのは、同時だった。



***



 ローデリアが大量に“薬”を飲んで一週間、彼女は一命を取り留めたものの意識は取り戻さず、未だに予断を許さない状態が続いていた。

 

 それは紛れも無く、自殺だった。

 

 死ねばいいと思っていたのに、アレイズは思わずその自殺を止め、そして口に手を突っ込んで飲み込んだばかりの薬を吐き出させた。思わずの行動だった。

 心の中に芽生えた小さな違和感が、そうさせたのだ。

 十錠近くこぼれ落ちてきたその薬を、掛け付けてきた医師は処方したものではないと驚愕した。驚いて侍女が部屋を探すと、医者が処方したはずの解熱剤はベッドの下に転がっていたのだ。直ぐに調べたところ、ローデリアが口にしていたのは紛れも無い毒だった。どこからか毒薬を持ちこんでいた彼女は、侍女の知らないうちに医師から貰った解熱剤と毒薬の中身をすり替え、薬を飲むふりをして毒を飲み続けていたのだ。病原がわからないのも当然だった。

 またその部屋探しで同時に遺書も見つかった。その文章は簡潔で、アレイズに対する謝罪と侍女に対する指示が書いてあった。私が死んだら、直ぐに婚姻関係解消の書類を揃え、提出すること。葬式は行わなくてもよく、しかし行わないと体裁が悪いようであれば最低限の簡素なものにすること。死体は王宮の墓地ではなく、教会の無縁墓地に入れること。彼女の指示はそれだけだった。体調を崩してからはベッドから出ていないローデリアが、元気なうちに死を予見していたとは考え辛い。初めから、死を覚悟して書いたものだった。アレイズが多くの薬をのみ込んだと気が付かなければ、きっとローデリアの死は病死と判断され、その遺言の指示通りに進められていたに違いない。


 その指示内容――王宮、という言葉を見て、思い出したのは、夜会で第四王女とダンスを踊った時のことだった。第四王女のカメリアは、昔からアレイズのことを特に気に入っていて、その感情が年をとるにつれて好意になり始めていることにも気が付いていた。だからティーゼとの婚約の為に奔走していた時、どちらかと言えば第四王女が自分との結婚を望むのではないかということを不安視していたのだ。しかし結果的に第四王女ではなく第三王女との婚姻となり、王宮の夜会では踊ってほしそうな目で訴え掛けるカメリアに負け、アレイズはその手を差し出した。


「姉さまはどう?」


 元気、だとか変わらずやっていますか、ではなく、“どう”というなんとも端的な言葉で聞かれたことに違和感を覚えながらも、その時は気にもしなかった。


「変わりなくやっていますよ」


 当たり障りない返事をしたものの、その答えはどうもカメリアのお気に召さなかったらしい。そういえば、昔からカメリアは、姉であるローデリアのことを敵視するような発言が多かったかもしれないな、と思った。聞き流していたので、覚えていなかったのだ。


「あら、そうなの。意外ね」

「意外、とは?」

「だってあの人、碌な教養も持っていないし。食事作法なんかもどう? きっと下手なのではなくて。きっとアレイズ様は、私を迎え入れた方がよっぽど良かったに違いないのよ、どうして父上はあんな女をあなたと結婚させたのかしら、だいたいローデリアは――――」


 上手にステップを踏みながらカメリアのとめどないお喋りが始まったので、聞き流した所為かそれ以降の話の内容は覚えていない。けれども確かに、彼女の言葉にはおかしなところが幾つかあったのだ。

 どうしてカメリアは、ローデリアの食事作法が“きっと下手なのではなくて”と聞いたのだ。姉妹なら、一緒のテーブルを囲んでいたはずだ。下手ならそうと知っていたはずだ。そして“どうして父上はあんな女とあなたを結婚させたのかしら”という言葉。姉妹なのに、ローデリアが望んでいたと聞いていないのか。

 その疑問が頭を占めると、どうにも気になってしまって、アレイズはダーヴィットに、彼の妹に王宮でローデリアがどのように過ごしていたのか聞いてほしいと頼み込んだ。その必死の形相に驚きながらも引き受けてくれたダーヴィットは、数日後に気まずそうな顔をしながらやってきた。


「あのさあ……なんか、ほら、お前ローデリア様のこと嫌いじゃん、どうしてこんなこと聞いたわけ?」


 彼は直ぐに報告をしてくれず、そう聞いてアレイズの意思を確かめようとしていた。返事をせず早く教えろというと、ダーヴィットは妹が中々教えようとしてくれなかったことを前置きしてから、口を開いた。


「まず、俺の妹はさ、ローデリア様が王宮で何して過ごしてたかは知らないってさ」

「は? それなら別に、話し辛くもなんともないだろう」

「最後まで聞けって。それがさ、ローデリア様、どうもずっと、王宮に住んでなかったらしいんだよな」

「どういう意味だ」

「いや、その、敷地内には住んでいたらしい。しかし、どうも、妹が言うには“僻地”だっていう小さな家にずっと、住んでたらしくて……。側室である母親の見舞いに来る時以外、王城内に立入禁止だったらしいんだよ。だから殆ど会ったことも無かったって」

「王城に立入禁止になるくらい、我儘だったっていうのか」

「それは知らないって! でもさ、なんか、すげえ変な感じでさ。なんていうか、妹は、ローデリア様が馬鹿にされる理由なんて知らないけど、ローデリア様は馬鹿にしていいんだってそう言うんだよ。そういう風になってるって。きっと馬鹿にされる理由があるんだからって言ってさあ……王宮内で、使用人にまで馬鹿にされるレベルでさ、立場無かったらしい」


 俺だってまあ、噂を聞いて悪く言ってたけどさあ、そんなさあ。悪く言えなくなっちゃわね、逆にさあ。ぶつぶつと言葉を紡ぐダーヴィットの言葉に、不安ばかりが募った。





 屋敷で働く侍女であるミーアに、王宮内のローデリアの家について聞いたとき、彼女は不信感をあらわにした。ローデリアに付き添っていたところを無理言って呼び出したせいもあってか、初めから彼女は敵意を露わにしていた。


「どうして、そんなこと聞くんですか」

「その……」


 上手い理由が出てこなくて、返事が出来なかった。自分の中にある物事の整理が出来ていなかったせいもあったし、直視できていないせいでもあった。しかしミーアは、ふうと溜息を吐いてご案内します、と一言だけ言った。


 もう王宮付きの侍女ではないミーアは、ローデリアに母親の様子を見てくるよう頼まれた、と嘘をついてどうどうと侵入し、騎士として王宮内にはいつでも入れるアレイズを案内した。

 堂々とそびえる王城を壁に沿って左側に進み、使用人宿舎を通り越して、王宮の所有する林を少し歩いたところ――――そこに、小さな建物があった。


「ここです」


 まさかこの場所なわけがない、そう思ったアレイズに、無情にもミーアはそう告げた。


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