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望まない結婚  作者: 小鶴
第一章
6/21

侍女アリー

 アリーは、初等教育を終えた十三の時から街の仕立屋で針子の仕事を始め、店が倒産した二十の時から友人の伝手でノーベラルド侯爵家に侍女として働き出し、もう八年になる。女中に必須の針子を手仕事にしていたおかげか、給料の良い仕事につくことができて安堵したものだ。元々は侯爵領にある田舎屋敷に勤めていたものの、アレイズが騎士となって王都で一年を過ごす様になるときに、アレイズ付の従者のルーゼや他の数人の使用人たちと一緒に王都に移り住んだ。そのときは侯爵夫人付の侍女だったが、いつかアレイズが結婚した時、妻となる女性の侍女として、先に王都に慣れておく必要があったのだ。

 アリーの目から見てアレイズは、見目も麗しく優秀な青年だった。四つしか違わない年齢差もあり、その美しさに見惚れてしまうこともよくあった。けれども明確な身分の差と、彼が自分を一使用人としてしか見ていないことも十分に理解していたので、それが恋に発展することも無く、今では王都の酒場で働く恋人もいる。頭の良く優秀な主人と、顔は良くなくとも優しい恋人と、公私ともに万端の日々を過ごしていたのが、少しだけ変わったのは、アレイズの結婚がきっかけだった。



 私が愛するのはティーゼだけだ。


 社交シーズン真っただ中、あれは隣国との戦が始まる少し前のことだっただろう。議会の時期であるために侯爵も王都に住んでいて、その日はアレイズの家で家族皆が食事を召しあがり、夜も更けた時間帯だった。侯爵夫人も眠りに付き、自室である屋根裏部屋に向かっていたときのこと。執務室の中から、怒鳴るようなそんな声が聞こえてきたのは。

 アレイズとドミネイト家のティーゼ嬢が仲睦まじいことは、使用人たちの間でも有名だった。アレイズが隠そうともしない態度であったことから婚約は間近だとの噂もあったけれど、一方で使用人たちは、自分の雇い主である侯爵が徹底的な貴族主義者であり、身分を気にする男だと言うことは十分に分かっていた。そのことで親子が言い争いをしているのはこの数年幾度か聞いていたけれど、そこまで激しい言い争いは初めてだったように思う。

 お前はどうしてそうも聞き分けがないのだ。

 侯爵の言葉も聞こえてきた。一緒に歩いていた使用人と顔を見合わせてその場を立ち去ったが、次の日は二人ともに機嫌の悪さが最高潮に達していて気をつかったものだ。

 しかしそれから数日後、侯爵家に呼ばれたアレイズはいやに上機嫌に帰ってきて、身の回りの世話をしている使用人に「戦が終わったら婚約する」と公言した。侯爵様が許したのだと言う。そのことでノーベラルト侯爵家の使用人たちは皆、侯爵様の心変わりに驚いたものだったが、それでも優秀なアレイズ様が慕う人と一緒になれることを喜び、祝福したものだった。


 しかし。


 しかし、それは叶わなかった。

 祝賀会の日、どんよりと沈んだ空気で二人が屋敷に戻ってきて、執務室で何かを話したのち、部屋から出てきた侯爵は全使用人に向けてこういったのだ。


「第三王女であるローデリア様を、アレイズが娶ることとなった。準備をしておくように」


 またもや、使用人たちは混乱した。


 後から聞いたことだが、どうやら夜会で褒賞の一つとして発表され、ティーゼを慕っているアレイズの気持ちが汲み取られることなく決定されたのだと言う。覆せない決定にアレイズが怒り狂っていたのは言うまでもなく、アレイズは使用人たちにローゼリアと結婚しても仲良くするつもりが無いと言い切り、彼女が何か言っても絶対に自分には取り次ぐなと命令し、彼女には最低限仕えるだけで良いとも言った。それから彼女が一人の侍女を連れてくると言い、二人ほど彼女の侍女になるようにとも言った。たった三人しか侍女がいないというのは少なすぎる気がしたけれど、あんな女にはその人数で充分だと思われているらしかった。


 元から侍女になる予定だったアリーは、巷で噂の“我儘姫”が一体どんな我儘をぶつけてくるのだろうと戦々恐々としながら初対面を果たし、そして拍子抜けした。

 侯爵家のお輿入れでも馬車を五台は連ねてくることが普通なのに、屋敷にやってきたとき、王女の馬車はたったの三台で、しかも彼女は最初の挨拶で深く頭を下げたのだ。聞いていた我儘娘の様子は欠片も無く、それにはアレイズ様も少し驚いていたように思う。しかし勿論、猫を被っているのかもしれないし、どんな無理難題を押し付けられるかわからないからと最初の数日は気を引き締めてローデリアと接するようにしていたのだが――――それが全くの勘違いだと、気が付くのは早かった。


「今日も、本を読んで過ごすわ。何かあったら呼ぶから、下がっていて大丈夫よ」


 ローデリアは、侍女に何か言いつけることが驚くほど少なかった。それどころか侍女をいつも早々に下がらせてしまい、今日もだわ、と同じく彼女付の侍女に選ばれたナーと顔を見合わせるほど。アレイズ様が絶対に取り次ぐなと命を出すまでもなく、彼女が自分からアレイズと会いたいだとか話したいだとか言うことは一度も無く、三人しかいない侍女の仕事が足りないほど手のかからない人だった。


 彼女が“我儘姫”なのか。

 直ぐにそんな疑問が使用人たちの間に浮かび上がった。掃除女中や洗濯女中、料理人も、来るべき我儘に身構えていただけに気が削がれたようだった。部屋の掃除に時間がかかってしまい彼女が戻ってきて鉢合わせしてしまったときも、洗濯ものが風でローデリアの部屋に侵入したときも、食事を出す順番を間違えたときも。恐縮して謝る使用人たちに「大丈夫よ、気にしないで」と一言声を掛けるだけだったのだ。


 ことの真相を確かめるために、使用人たちが視線を向けたのは、彼女が唯一連れてきた侍女のミーアだった。ミーアはローデリアと年齢の変わらない少女で、まだ仕え初めて一年ちょっとしかないと言っていたものの、王宮でのローデリアを知る唯一の人間だった。


「我儘娘?」


 ミーアは素っ頓狂な声を上げた。


「まさかあ、あのローデリア様が? あの人は馬鹿で無知で教養は無いけれど、そんな呼称がついていたなんて知らなかったわ。本当、何処まで行っても評判が悪いのね、もうそういう運命なんじゃないの? あの人、そりゃあ受けるべき教育も受けてないしどんな嫌なこと言われても笑ってるような馬鹿だけど、我儘じゃあないわよ。どっちかって言うと、自分の不幸な境遇に不満も覚えない間抜けね。大体性根が暗いのよ、もっと明るくなってくれないと、仕えていて腹が経つったらありゃしない。そうね、“根暗娘”のほうがぴったりよ!」


 そのミーアの言い草は、自分の仕えている人間を度が過ぎて見下しているようには見えたけれど、一方でミーアは屋敷内で唯一、アレイズに対する不満も言った。くちさがの無い、よく喋る娘なのだ。


「ちょっと、今日のあのアレイズ様の態度見ました? どうしてあんなふうに女性にあたれるのかしら。あーあ、ローデリア様のことといい、評判なんて当てにならないものね。素晴らしい美丈夫だっていうから憧れてたのに、あそこまで心根が腐った男だなんて! ああ、でも大体、ローデリア様があんなに変人なのがいけないのかしら……? それもまあ、頷けるわね……」


 誰もが声に出さないことを、堂々と言うのがミーアだった。彼女はいつも、自分の主人を見下しながらも心配すると言う器用なことをやってのけた。けれどもその言葉には説得力があり、使用人たちの中でローデリアに対する印象は「我儘娘」から「部屋に籠ってばかりで変な人」というものに格上げされたのだ。

 それでもどこか警戒心を抱いてしまっているのは、長年仕えてきたノーベラルト侯爵家のアレイズにたいする同情や尊敬があったからだろう。少なくともアリーはそうだった。



「馬鹿なのよ、ローデリア様。やったことないんだから、さっさと諦めて使用人に頼んじゃえばいいのに……」


 ミーアが酷く心配そうにそう言ったのは、ローデリアが一度もやったことのない刺繍で、指を怪我だらけにしていたときだ。アリーの目から見ても、そのローデリアの集中は異常だった。食事も忘れて刺繍に没頭し、最後の数日は睡眠さえとっていなかったように思う。そうまでして完成させた刺繍は、そりゃあ普段アレイズが使うものよりも不格好であったけれど、下町で安く売られているくらいには、悪い出来ではなかったのだ。初心者にしては、十分すぎるくらいの成果だった。

 けれどその、ローデリアの二週間の努力は直ぐに水の泡になり、そしてローデリアは、此処に来て初めて涙を見せた。今までアレイズにどんなに邪険にされても顔色一つ変えなかったというのに、その時ばかりはわんわん泣いた。あんなにも号泣する人を見るのは珍しいと思うくらい、泣いていた。

 使用人たちの中には、「刺繍でアレイズ様の心を得ようとして、こっぴどく振られたのだ」とか「アレイズ様とティーゼ様の幸せを奪った罰が此処であたったのさ」等と口悪く言っていた。けれどもそれを耳にしたミーアが、「ティーゼ様って?」と顔色を変え、それにより“ローデリアがティーゼの存在を知らなかった”ことが明らかになって、大っぴらに悪く言う人はいなくなった。


 それから何があったのか、ローデリアは街中から様々な教師を集めて、勉学に励むようになった。その熱心さは体調を悪くするのではないかと思うほどで、アリーは何度か休むように定言したのだが、耳を貸そうとはしなかった。ローデリアは使用人に対して我儘を言うことはないけれど、あまり会話を好まないようでもあった。それでもミーアとは話すようだったから、信用されていないのだと、それは分かった。


 そうして月日は過ぎ、アレイズは完全にローデリアをいないものとして扱い、ローデリアもアレイズの存在を気にもかけていないように思えた。

 しかし、そうではなかったと気が付いたのは、社交シーズンの開始――王宮での夜会が開かれるという、半年もすぎたときのことだった。

 その話を持っていったのはアリーだった。伝えておくようにと言われ、そのままローデリアに伝えると、彼女は久方ぶりに、その表情を変えた。うろたえたような、焦ったような、そんな顔だった。それから彼女は、驚くべき行動力を発揮してアレイズが当日着る服を彼の従者から聞き出して来た。そして直ぐに衣裳部屋に直行し、唯一の黒生地のドレスを持ってきて言った。

「どうしましょう、黒い服はこれしかないわ。季節的には大丈夫よね?ああでも、これでは横に並んだら可笑しいし、少し流行とも違う。そうだわ、刺繍をして、金色をいれたら、まだ見られるようになるかしら」


 ひとり言のようなその言葉に込められていたのは、焦りだった。それから彼女は金の糸を用意すると刺繍を始め――――半年前のあの日と比べて、見違えるように美しい刺繍を、そのドレスに縫いつけた。新しい物を注文いたしませんか、と提案したのはもう一人の侍女のナーだったが、ローデリアはあろうことかその提案に対して「沢山教授を雇ったせいで、もうお金がないの」と言った。驚いて屋敷の女官長に確かめると、ローデリアは屋敷に来てから一銭の出費もしていないと言う。彼女がこの半年間、彼女の為に使っていたのは、お輿入れの際に持たされたお金だったのだ。侯爵家のお金を使うなどと言うことは、端から考えてもいないらしい。


「洋服を手直し致しましょうか」そう言ったのは、ローデリアから刺繍道具をとって来るように頼まれた時、その棚の中に、あの遠征の時に縫いつけたハンカチと同じデザインの物が、五十枚近く入っているのを見つけていたからだ。侯爵家に雇われている身として、アレイズ様の“最低限しか仕えるな”という命令を遵守する方が、きっと正しいことだったのだろうけれども、顔を青くしながら懸命に刺繍をする“間抜けで部屋に籠ってばかりの変な”ローデリアの、そのひたむきさを毎日見続けて、心を動かさない方が無理だった。ナーもそのアリーの提案に同意した。

 いつもは使用人の提案に「大丈夫よ、気にしないで」と返すローデリアも、この時ばかりはお願いします、と頭を下げた。使用人のアリーに、深く頭を下げた。

 


 そうして出来あがったドレスは美しく、アレイズとローデリアが二人並んだ様子は素晴らしかった。二人とも稀に見る美貌を持ち、その髪の金と黒にあわせるように、服の色がぴったりだった。けれども、アレイズがローデリアを見る瞳は氷のように冷たく、思わず、ローデリアに聞いていた。


「ローデリア様は、生涯をアレイズ様と添い遂げる気ですか」


 返事は、否だった。その言葉の端々に、ローデリアが特にアレイズを思っていた訳ではないと言わんばかりの空気がちりばめられていて、アリーは自分が、自分達が思い違いをしているのではないかと気が付いた。罪悪感が、湧きあがった。


 だから、だからこそこれからはもっと、ローデリア様に対して真摯にお仕えしたいと思ったばかりだったのに――――。



 彼女は、病に倒れた。



 ローデリアが体調を崩したのは、夜会に行った次の日のこと。朝一番にミーアが医者を呼びに行っていたが、その日の夜には酷い発熱でうなされるようになり、身体はみるみるうちに衰弱していった。原因不明のその病気に、解熱剤を処方する以外に選択肢はなく、だというのにその薬を飲んでも熱は下がらず、ベッドの上で荒い息を繰り返している様子を見るのは辛いものがあった。


 医者がもう数日も持たないかもしれないと言ったのを聞いて、大粒の涙を流し始めたミーアに代わってルーゼの所に走ったのはアリーだった。


 控えの間にいたアレイズの従者であるルーゼは足音を立てて飛び込んできたアリーに良い顔はしなかったが、ローデリアの容態と、どうかアレイズ様に顔を出す様にお伝えくださいという懇願に耳を傾けてくれた。このまま死んでしまうのは、あまりに不憫ではないか。例えその結婚が、本当にローデリアの我儘で一方的な願いによってアレイズに押し付けられたのだとしても、最後くらいは好いた人の顔を見てから死んだって罰はあたらないだろうと思ったのだ。


 ルーゼも何か思うところがあったのか、少し考えただけで直ぐに、アレイズの部屋に向かってくれた。アリーは全力で走ったせいでよろけそうになる身体と気持ちを持ち直し、息を整えながらローデリアの部屋に戻った。


 もうとっくに、“我儘娘”などは存在しないのだと、気が付いていた。


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