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望まない結婚  作者: 小鶴
第一章
2/21

ローデリアの結婚②


 結婚後のローデリアの住まいは、王都にあるノーベラルト侯爵家が所有する屋敷の一つだ。侯爵やその妻、娘は社交シーズンではない現在、領主にある田舎屋敷に住んでいる。アレイズは騎士として王都勤めの仕事をしているため、オフシーズンも王都から離れることはない。

 そのために現在同じ屋敷に住んでいるのは夫となったアレイズ、そして使用人たちだけであり、その屋敷の中にある客室の一つに、ローデリアは住んでいる。


 その結婚生活は、どこから見たって“うまくいっている”とは言えないものだった。


 初日から、当然のごとく客室の一つを寝室にするようにと言われた。それだけではなく、朝食も夕食も一緒に食べることは無い。一月が経とうとしているのに交わした会話は数えるほどしかなく、アレイズが家にいるのかさえ把握してはいなかった。

 想像はしていたものの、ここまで辛辣な拒否には戸惑ったのも事実だ。アレイズは偶然に屋敷で顔を合わせると嫌そうにしながら一言二言、挨拶をしてくれるだけ。その瞳を見る度に、ローデリアはあの日、結婚を言いつけられたあの席を思い出す。

 彼は真っ直ぐに、ローデリアを見ていた。その瞳に、憎しみを宿して、真っ直ぐに。



――――怒鳴られたりしないだけ良いじゃない。



 そう思うことで、ローデリアは気を紛らわした。よくも権力をかさにきて、と父王の決定を怒られないだけずっとましだ。父親のように他の義兄弟と差別したりしない。義兄弟達のように、皆の前で笑ったりしない。

 けれども、自分の心が、悲しんでいるということも分かっていた。少しだけ、少しだけ、期待してしまっていたのだ。

 結婚すれば、私は幸せになれるのではないかと。

 それこそ初めは、決められた結婚でぎくしゃくするかもしれない。けれどもお互いに理解を深めていけば、情熱的に思いあうことはできなくても家族としての絆を芽生えさせることができるのではないかと期待した。

 けれどそれは大きな間違いだった。

 一方的に決められた婚姻に、幸福など存在することは無い。そのことを悟るのは早かった。ノーベラルト侯爵家に嫁いだ次の日、朝食の席にアレイズが来なかったとき。

 何を話そうか、粗相の無いようにしなくては、と今までは着ることの出来なかった美しいドレスに袖を通して、緊張しながら朝食の席に向かったのに彼は来なかった。耳に聞こえてきたのはアレイズの従者の男からの「若旦那様はお部屋でお召しあがります」という言葉のみ。それに小さく返事を返すと、しんと静まりかえった部屋で一人、朝ごはんを食べたのだ。この屋敷にきて初めての朝食は、味など全くしなかった。


 夫となったアレイズは、愛するだとか、絆を生むだとか言う前に、ローデリアと顔を合わすことさえも拒んでいるのだと。このときそう知った。


 悲しくなかったと言えば嘘になる。辛くなかったと言えば嘘になる。けれども、どこかで予感していたことでもあった。十八年生きてきてこのかた、誰かが愛してくれたことがあっただろうか。誰かと心おきなく話せたことがあっただろうか。


 答えは、否だった。





「ローデリア様、おはようございます」

「おはようございます」


 ベッドからのろのろと起き出すと、されるがまま身を任す。前とは違い、この屋敷ではローデリア付の侍女はミーアを合わせて三人もいる。これでも侯爵夫人としては少なすぎると教えてくれたのはミーアだったが、今まで一人、しかもサボり癖がある人間だったのが一気に三人に増えて、身の回りの世話を何一つしなくて良い生活となったのだった。

 そしてあのミーアでさえも、他の侍女の手前かサボることなくきちんと働いていた。

 彼女に与えられた部屋は、前に住んでいた石造りの部屋の何倍の広さがあり、何倍の清潔さがあった。美しい壁紙に毎日替えられるシーツ。彩り溢れた豪勢な食事はいつだって食べきれない。


「奥様、今日はどうなさいますか」

「今日も、本を読んで過ごすわ。何かあったら呼ぶから、下がっていて大丈夫よ」

「左様ですか、それでは失礼いたします」


 服を着せられ、髪を結われ、化粧をされた後、いつもと変わらない会話で侍女を部屋から追い出した。侍女たちはこの言葉に、ちらりとお互いに目配せをした後、深く頭を下げてから出て行く。屋敷に仕える使用人たちの中で、変な人間だと思われていることは重々承知していたし、実際に「部屋に籠ってばかりで変な人」と言われている事を、丁寧にミーアが教えてくれていた。

 けれど勿論、ローデリアだって進んで部屋に籠っている訳ではなかった。

 やることも、やりたいことも、無いのだ。


 今まで暇な時にしていたことと言ったら、もう何回も読んだ本を読み返すことか、部屋の掃除をすることだった。けれどもその本は汚いという理由でこちらに持ってくることはできなかったし、この部屋はいつだって塵一つ落ちていないほど清潔だ。暇つぶしになりそうな刺繍やレース編みはその経験も無く出来ないし、ティータイムを楽しむなんていう優雅な時間を過ごしたことは無かった。

 となると何もせずにぼうっと呆けているしかなくなり、そんな姿を何も知らない侍女に見せるわけにもいかず。時々気分転換に庭を歩く以外は、一人きりで部屋に籠るのが習慣になっていた。



 そんな風に過ごしていたからか、ある日突然、アレイズが話しかけてきたときに、ローデリアの胸は驚いて早くなった。


「今度の遠征で、アンディーヌの街を通る。ハンカチを一つ頼んだぞ」


 どうかしましたか、と恐る恐る聞いた彼女に返ってきたのは、その言葉だけだった。言いたいことだけ言い捨てると、アレイズは直ぐに背中を向けて歩き出した。その言葉の意味が分からなかったローデリアが聞き返す暇も無かった。仕方がないのでミーアに尋ねると、彼女はこんなことも知らないんですか、と馬鹿にしながらも教えてくれた。


「いいですか、騎士様がどこかへ遠征に行かれる場合は、その通り道に神殿がある場合、妻が心をこめて織り込んだ刺繍を神殿に奉納して安全を祝うしきたりがあるんです。今回は、アンディーヌに神殿がございます。基本的に、騎士団の紋章と、貴族である場合は家の紋章を縫いますね」


 それを聞いて青ざめたのは言うまでもないだろう。

 急いで部屋に戻り、その日から今まで以上に部屋に籠って必死に刺繍をすることとなった。遠征は二週間後だと言う。普通の貴族の女ならば、二日もあれば出来るはずのものも、ローデリアにとっては難関だった。そうしてまず一週間かけ完成させたハンカチは、まるで子どもが描いた絵のように不格好だった。流石に人に渡せる出来ではないと、また一週間掛けてもう一つ、同じものを懸命に縫った。丁寧さを心がけた所為か最後の二日間は寝ることもできなかったが、それでも初回よりかは幾分か腕が上がって、お世辞にも上手とは言えなくとも、それなりに見ることが出来るものが出来あがってほっとした。

 針の扱いに慣れていないせいか指に針を何度も刺して傷だらけで、ミーアにいい加減にしてくださいと眉を下げられたが、それでも出来あがったものに、満足していた。

 光に照らして自分の作り上げたものを見ながら、ローデリアは口端を上げた。

 そして遠征に行く日の朝、眼の下の熊を出来るだけ隠して、ローデリアはアレイズにハンカチを渡した。


「どうぞ。お気をつけて、行ってらっしゃいませ」


 その言葉に他意は無く、心からの気持ちのつもりだった。アレイズはそれを受け取ると、ローデリアの傷だらけの指先に目をやり、彼女の目の前で広げて、そして鼻で笑った。


「刺繍も満足にできないのか。所詮は庶子の子だな」


 その言葉に、ローデリアは固まった。


「こんな不格好なもの、聖なる教会に捧げられるとでも?持っていかない方がマシだ」


 言葉と共に、ハンカチは彼の手を離れ、ひらりと床に落ちた。同時に、ローデリアの目から、熱いものがこぼれ落ちる。それは彼女の意思など関係なく流れ落ちてきて、アレイズに背を向けて、自室に走り戻った。

 部屋のベッドに倒れ込むと、枕に顔を押しつけた。久しぶりの涙だった。あのみすぼらしい石の家に住むことになった時も、服にも飾りに義兄弟と格差をつけられたときも、どんな時も泣きたいと思わなかったのに、この瞬間、涙が止まらなかった。


 何を期待していたのだろう。


 そう自問した。アレイズがお礼を言ってくれるとでも思ったのだろうか。慣れない刺繍を頑張ったことを褒めて貰えるとでも思ったのだろうか。


 そんなわけ、無いのに。


 嬉しかった。アレイズが、しきたりと雖も何か頼みごとをしてくれたことが、嬉しかった。今まで生きてきて、誰かに頼みごとをされたことなど無かったから。いつもローデリアが命令されて、文句一つ言わずに従ってきた人生だったから、その頼みに全力で応えようと頑張ったから。

 期待してしまった分、地に叩きおとされたときの衝撃は大きかった。


 アレイズは私を嫌っていた。そんなの知っていたのに。


 まだ心のどこかで、期待していたのだ。もしかしたら、まだ幸せになれるかもしれないと思ってしまっていたのだ。

 その時、慌ててローデリアを追ってきたミーアが部屋に入ってきた。

「ローデリア様」

 流石のミーアも、ベッドに倒れ込むようにして涙を流している主人には悪態をつくことは無かった。それどころか子どものように泣きじゃくる彼女を憐れに思ったのか、そっと背中に手を当てて擦ってくれた。


 誰かに背中を擦って貰えたのも初めてで、一際大きな声を上げて泣いた。今まで泣かなかった分も全部、全部をひっくるめて、疲労から眠りに落ちてしまうまで、泣き続けたのだ。

 



 ふと気が付いて目を覚ますと、外は暗く、部屋の中は一人きりだった。泣き疲れて眠ってしまった自分を恥じながら、燭台に灯りをともすとそっと寝台から降りて洗面所に向かう。目の上が重たかった。燭台を近くの机に置き、冷たい水で顔を洗う。酷い顔をしているに違いない。

 蝋燭の薄明かりでぼうっと鏡に映る自分の顔は、瞼が腫れぼったく、顔全体が淀んで見えた。母親似の長い黒髪と、唯一父親にそっくりのヘーゼル色の光彩。義兄弟たちの中で一番国王に似ていなかったのも揶揄の対象になった。逆に瞳の色も違えば王女にはならなかったのかもしれないと、ローデリアはそうも思っていた。

 外から鳥の声が聞こえて、夜明けが近いことを知る。そっと部屋に戻ってバルコニーに出ると、闇が少しずつ、光に浸食されていく様子がよくわかった。部屋から見える美しい庭は、この屋敷に来てから気にいったものの一つで、昼間は此処に座ってそれを眺めている事のほうが多かった。雇いの庭師である男性が、丹精込めて世話をしているのも知っている。前の家の周りは自分で雑草を抜いたりはしていたけれど、綺麗な花は一つも咲いていなかったからお世辞にも美しい庭園とは言えなかった。

 庭の中でも一際目立つのは、この領のシンボルでもあるラルトーナの花だった。穢れの無い、驚くほどに純粋な薄青色のその花弁は、他のどんな花も脇役にしてしまう魅力が会った。一般的にはとても珍しい、常緑樹ならぬ常花草であり、その花は一年中咲き誇っている。ローデリアとしては、本当は毎日庭にでて、その美しさを愛でたいと思う気持ちもある。それをしないのは、屋敷の使用人たちから、自分がどのように思われているのか簡単に想像がついたからだ。自分になど会いたくないことくらい、分かっている。


 アレイズが遠征に出てからの一週間、何一つとしてやること無く、ローデリアは部屋に籠っていた。食事さえも、部屋に運んで貰う有様だ。唯一変化が会ったとすれば、指の先に出来ていた沢山の傷が、殆ど治り始めたことくらいだった。

 

「ローデリア様、聞いてくださいませ」


 ミーアの声で、ローデリアは窓から外を眺めていた視線を室内にやった。先程までいなかったのに、いつの間に部屋に入ってきたのだろう。そんなことを考えながら、ミーアの話の続きを待とうとする。だというのに、どうしてだかローデリアの頭は、するりとどこかに飛んでいってしまいそうだった。考えるのを拒否するように、意識が集中しない。

 頭の中に靄がかかったように、物事に対するやる気が薄れているのを感じていた。食欲もずいぶんと無くなり、ベッドに伏せっている時間も長くなる。

 それでもミーアの言葉に耳を傾けようと、意識をどうにかそちらに持っていく。


「どうやらアレイズ様は、ローデリア様と結婚する前に、ドミネイト男爵家のティーゼ様と婚約をする予定だったようです。ですから、アレイズ様はきっと、ティーゼ様と引き離されてしまったことが嫌でローデリア様に当たっていらっしゃるだけです。ローデリア様が気に病まれることなど、一つもありません」


 ミーアはこの頃、ローデリアにいやに優しかった。夫からあんなふうに言われた彼女を酷く憐れんでいるらしく、悪口はなりを潜めていた。それを正直に、ありがたいと思う。今、自分がこれ以上の悪意にさらされるのは、辛いのではないかと思っているのだ。そんなミーアの言葉は、ゆっくりとローデリアの中に入っていった。そんなことがあったのなら、アレイズがローデリアに当たるのも仕方がないのかもしれない。頭の片隅でそんなことを思う。

 

「ですから、きちんと食事を――――」

「私はいつも、人を不幸にしてばかりね」

 思わず、そんな言葉が口から出た。

「お母様は、私を生んだ所為で側室になってしまった。義兄様や義姉様たちからは、私の存在で王宮の価値が下がるとよく言われたわ。それで、結婚したと思ったら、アレイズ様とティーゼ様を、引き離してしまって」


 頭が痛い、と思った。そんなことありません、とミーアが否定してくれた。

「でもミーア、貴女だって、私がいなければ王宮で出世の道を歩んでいたのかもしれないじゃない」

「いいえ!それは、いいえ、そんなことありません!」

 ミーアがかぶりを振って否定したが、彼女は確かに、初めて会った時にそう言ったのだ。気を使って否定されても、悲しくなるだけだった。どうして生まれてきてしまったのだろう。そんなことを考えてしまう。


私なんか、いらないのに。


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