気持ちの行方
ティーゼ・ドミネイトが事件の計画者だと言われても、ローデリアは驚かなかった。きっとそうだろうと思っていたし、それが事実だっただけのこと。そして知っていながら誘いに乗った自分に非があることは分かっていたので、顛末を話しに来たダーヴィットと言う騎士にどうか彼女に処罰を与えないようにと頼んだのだ。事件自体が隠蔽されるのだから、そうも難しいことではないだろう。
その日のうちに話を聞いたアレイズが、本当にそれでいいのかと何度も確かめてきたけれども、勿論ですと答える以外に最良の返答も見当たらなかった。
そもそも多分、この事件の主人公はローデリアでは無い。アレイズだ。
ティーゼが首謀者であることがばれなければ良いとさえ、ローデリアは思っていたのだ。ティーゼをそこまで駆り立てたのはきっと自分であったし、結局自身に危害が及ぶことはなく、それならば“犯罪に手を染めた”という事実が好ましくないことは子どもだって分かる。その願い虚しく、優秀な騎士団は直ぐにそれを突き止めたらしかった。
アレイズとティーゼの間に、何があったかは分からない。それについて彼は一言だって言及しなかったし、ローデリアから聞くことも無かったからだ。しかし何かがあったのは事実で、このところアレイズは、ローデリアとあまり顔を合わそうとはしなかった。それでも一時期のように優しさを全てぶつけてくるようなことが無くなっただけで、相変わらずローデリアに対しては紳士的な態度をとっていた。それでも前のように足しげく部屋にやってくることも、罪悪感に背中を押されたような様子を見せることも無い。
かわりに時々、話をするでもない中途半端な距離から、彼はローデリアを見ることが増えた。観察されているような視線には慣れなかったけれど、アレイズがそうしたいのならばそうするべきだったし、一つだって文句を言う気はない。何よりもそうしているときの彼が、前に比べて驚くほどに脆い物に見えるのが、酷く不安だった。
ティーゼとの間に起こった出来事のせいだろうとは、考えてはいた。仲たがいしてしまっていたら。喧嘩してしまっていたら。二人の間にどんな亀裂が入っていたとしても、その責任の一端をローデリアが担っていることに間違いはなく、現実としてアレイズは元気が無い。
死のうと思っても上手に死ねない自分に嫌気が差していた。何をやっても上手くいかない。自分ひとりで空回りして、迷惑を掛けてばかりで。
今回のティーゼの行動は、少女がもうローデリアの存在を耐えがたいまでに嫌がっていることは明確に示していた。
だから、言ったのだ。
「アレイズ様、今回のことを、公表してはいただけませんか」
アレイズの部屋を訪ねたのは初めてだった。ローデリアの部屋よりも少し広いくらいで造りはそう変わらない。しかし執務用の立派な机と椅子だとか、壁一面にある書物だとかが、屋敷の主の部屋であることをきちんと主張していた。登場早々口にした言葉に、顔色の良くないアレイズは訝しげな顔をした。
「何故だい」
「事件が表沙汰になれば、私は修道院へ行くことになるでしょう。そうすれば、アレイズ様と私は離縁出来ます。これ以上、アレイズ様とティーゼ様を、傷つけたくないのです」
ティーゼ、と口が紡いだ瞬間、アレイズがぴくりと反応した。悪くない提案だと思う。最初から公表するべきだったとさえ、思う。そもそもティーゼの計画は間違っていなかったのだ。ローデリアが所謂キズものになれば、少しローデリアの名誉が傷つくだけで、人々が収まるべき場所に収まり、ローデリアも路頭に迷うことなく残りの人生を静かに暮らすことができる。
「それが、君の望みだと?」
問うたアレイズの声が、少しだけ震えていた。初めから顔色が良くなかったというのに、彼は今では顔の色を失っている。
「それほどまでに、俺が、嫌いか」
続いて聞かれたことは、予想とは違っていた。
「いいえ、その、嫌いだとか、そう言ったことではないのです。ただ、私の存在は、やっぱり人を傷つけてしまうから」
「だから、死にたいと」
「え?」
話は、ローデリアの予想もしない方へ転がっていた。アレイズの蒼色が、揺れている。
「ローデリア、男達が変なことを言うんだ」
「変な、こと」
「ローデリアが殺してくれと頼んだと。誘拐はしたものの、殺すつもりはなかったと。ローデリア、そんなことないだろう? 彼らが責任を逃れるためにそう言っているんだろう?」
アレイズは眉を下げ、今にも悲しみが溢れだしそうな重たい顔をしていた。嘘だと、そう言うことができたらきっと楽だろう。彼がそれを言ってほしいと思っているのも痛いほど分かった。しかしきっとアレイズ自身も、真実が何かは理解している。だから何も言えなかった。一つも、言えなかった。
殺すように頼んだのは、私が死んでしまって、男達が逃げ伸びてしまえば、その真実は一生露見しないと思ったから。しかし現実として私は生きていて、男達は捕まった。考えうる限り、最悪だ。
「君の望みは、俺から離れることなんじゃないのか。君は、酷い仕打ちをした俺を恨んでいる。俺から逃げるためなら、死んでもいいと、そう思っている」
「誤解です、アレイズ様から逃げたいわけではありません!」
「ならどうして、君は死を望む。欲しい物が中々見つからなかった君が、初めて自分から望んだのが、死ぬことだなんて」
「違います、違いますアレイズ様。私はアレイズ様に何か不満や嫌悪があるわけではないのです。私が、私自身が許せないだけです。私の存在など、消えてしまった方が良いと、そう思って……」
「そうだとしたって、そう思わせたのは俺だ」
アレイズのこんな悲痛な声を聞くのは初めてだった。どうしたらいいのだろう。誤解を解くには、何て言ったらいいのだろう。
「違います。私は、許せないのです。人を傷つけてばかりの私が、アレイズ様の、ティーゼ様の幸せを奪った私が、嫌なのです。だから、死を望んだのも、こんな自分を消してしまいたいとそう思ったから。私が生きていることを望んでくれる人がどこにいるのでしょう。私の存在に迷惑しなかった人間がどこにいるのでしょう。私を、愛しいと求めてくれる人がどこにいるのでしょう。一人だっていませんでした。だから」
だから、死を望んだのです。
その言葉を口に出すと、ずしんと重たさが襲った。出来ることなら時間を巻き戻したいとさえ思う。婚姻を結ぶ前まで巻き戻して、そこで消えてしまえたら良かった。そうすれば少なくとも、こんな気持ちを味わうことは無かった。味わわせることはなかった。
「やめてくれ」
アレイズが言った。
「お願いだ、それ以上言わないでくれ。少なくとも俺は、君の死を望んでなどいない。君の存在に迷惑してなどいない」
彼はずいとローデリアに近寄ると、その二の腕を掴んだ。美しい瞳で見つめられて視線を逸らす。彼の宝石のような瞳を直視するのは辛かった。その瞳の中にある色を、知るのが怖かった。
けれどもそんなローデリアの気持ちも知らないで、アレイズはその手でローデリアの頬を掴み、覗き込むようにして視線を合わせてきた。吐息が掛かりそうなくらい近い距離まで顔を寄せた彼は、懇願するような声を出した。
「俺はきっと、君が好きなんだ、ローデリア」