表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
望まない結婚  作者: 小鶴
第二章
13/21

お茶会

 恋愛小説、というものがこの世にあると知って、ローデリアはミーナに頼んでそれを取り寄せた。身分差の恋を描いた物語が多いそれを貴族の子女が手に取るなど恥ずべきものであるらしかったものの、それを聞いたからこそどうしても読んでみたかったのだ。ミーナは辞めた方が良いですよ、と言いながらも素直にそれを持ってきた。侍女たちの間では夢を見られるからと人気で回し読みしているのだ。

 しかしそれを二、三冊読み、彼女は飽きてしまった。特に面白いと思えなかった。

 自分の恋とは、根本的に違う。そう思った。

 物語の中の彼女たちは恋をした。それは相手のその絶世の美しさにであったり、互いに一目見ただけで引かれあっていたり、それとも相手の心根の、澄んだ水のような優しさに。何一つ、ローデリアには当てはまらなかった。

 ヘンスは決して美丈夫ではなかった。どちらかと言えば軽薄で、初対面の相手に適当な美辞麗句を口にしてしまう様な男だった。そして何よりも、ローデリアを好いてくれはしなかった。


 初めての恋に揺さぶられ、戸惑いばかりが心に残っていた。


 心の奥底に、じくじくと痛みが巣食い、どこか正気ではいられない。気が付いた瞬間に失った恋の残滓に、苦しめられていた。

 この痛みを消したくて読んだ恋愛小説も参考にならず、それをミーナに返してから窓の外を見た。庭を眺めるための習慣だったのに、今では鮮やかな赤色を探してしまう。

 恋を知らなかった。恋の苦しみを知らなかった。人をこんな風に思うことが出来るなんて、知らなかった。


 他の人たちも、こんな恋をして生きていたのだろうか。アレイズとティーゼは、この気持ちを、しかも通じ合っているはずの気持ちを、関係の無い人間によって引き裂かれたのか。味わわなくても良かったはずの痛みを。


 その事実を知ってしまったことも、ローデリアを傷つけた。今までで十分分かったつもりになっていた。私が引き裂いた二人は辛いに違いないと心から思っていたつもりであったのに、しかし現実に体感してみるとそれは想像よりもずっと痛みを伴っていた。過去に感じたことのない新しい痛みに、気分が落ち窪んだ。

 そんな時に、アレイズからある提案をされた。


「ノーベラルト侯爵家での、お茶会ですか」

「公式な物では無いんだ。妹のアズリアが主催する、少女たちの為のものなのだけれどね。妹が君が社交界に出てこないことを気にしているみたいなんだ。だからぜひどうかって」

「……勿論、うかがわせていただきますわ」


 彼の妹、アズリアが自分の事を嫌っているのは百も承知である。けれどもアレイズの提案を断る理由が見つからなかった。彼の優しさを無碍にすることは、彼に逆らうことと等しい。だから、了承した。


「アズリア様、本日はお招きいただきまして、真にありがとうございます」

「……私が、招きたくて貴女を招いたとでも?」


 向けられた言葉は辛辣だったが、しかしローデリアは丁寧に挨拶が出来たことだけでもう十分だという思いに駆られていた。馬車に揺れられてやってきた、そう遠くもない侯爵家。中庭にある東屋の中、今日のお茶会の会場に着いた瞬間、“これ”を狙って彼女が自分を呼んだのだときちんと理解してしまっていた。


「舞踏会ぶりです、ローデリア様」


 桃色の可憐なドレスに身を包んだティーゼ様がそこにはいた。全部で六人ほどと聞いていたのに、どうやら今日のお茶会は三人きりの簡素なものであるらしい。お茶の用意を済ませた侍女を下がらせて、アズリアが口火を切った。


「私が貴女を仕方なく招いてあげた理由は勿論、ティーゼ様の為よ。お兄様の、本当の結婚相手でいらっしゃるの」


 ちらりと交わされた目配せを見て、ローデリアは彼女たちが前から、つまりはローデリアと言う存在が彼女たちの脳裏に現れるずっと前から仲が良かったのだろうと見当をつけた。

 

「私、ティーゼ様がお兄様と結婚することになるんだってずっと信じていましたのよ。ティーゼ様なら、素敵な義姉さまになれますもの。全てを不幸にした貴女とは違ってね」

「アズリア様、そんな」

「いいえ、本当に思っていることを言っただけなのよ、私」



 ティーゼは何故か、今までの舞踏会の時とは違っていやに饒舌だった。友人たちの後ろに隠れることも無く、彼女自身の口から、しっかりとした言葉が飛び出てくる。一通りアズリアがティーゼを貶すのに、その通りだと言わんばかりの相槌も何度も打っていた。

 ローデリアは話を耳の中に入れながら、どうして自分が呼ばれたのだろうと思考を巡らせていた。ティーゼの為ということは、彼女が自分と話したがったのだろうか。ならば何を言われるのだろう。謝罪しろと言われるだろうか。頭を床に擦りつければ、彼女の気は少しでも晴れるだろうか。


「それで、ローデリア様。貴女はアレイズ様に、何を吹き込んだの」


 そう問われて、ローデリアは急いで思考の波から意識を浮上させた。

そこにはティーゼが、憎しみを含んだ表情で、ローデリアを見上げていた。どんなふうに責められても、謝罪をしよう――そう心構えていたものの、その問いは謝罪を返すような言葉ではなく、予想外だった。何を吹き込んだのかという問いに答えられる記憶が見つからず、図らずも不思議そうな表情をした。


「知らないはずはないでしょう。アレイズ様は、こんな手紙を送ってきたのだもの!」


 そのローデリアの表情が気に入らなかったのか、ティーゼは泣きそうな顔でそう言って一枚の封筒を投げてよこした。目の前に落ちてきた封筒には、ノーベラルト家の紋章も何も無かったが、だからこそローデリアはそれが極めて私的な文通なのではないかと気が付いて躊躇した。叶わない定めにある男女が手紙を送るときは何かしら偽装をすると、恋愛小説で読んだばかりだ。

 しかしローデリアの躊躇などどこ吹く風と、二人の少女の視線は手紙を読むことを強要していた。仕方なく手を伸ばし、ゆっくりと封を開け、一枚の便箋を取り出した。

 手紙は想像よりもずっと短く、愛の言葉も無かった。ローデリアについて誤解していたという内容と、そして舞踏会での出来事を、柔らかく優しく、婉曲に、しかし詰問するような文章が書かれていた。


「暫く手紙を送って頂けないと思ったら、こんなものが届いたのよ! 貴女が何か言ったのでしょう? 一体何を言って、アレイズ様を誑かしたの?」


 ぽろりと彼女の瞳から涙がこぼれ落ちるのを見て、ローデリアは自分が何かを言った訳ではない、という言葉を口に出せなかった。この手紙が送られてきたとき、ティーゼはどれほどまでに失望したのだろうと思ってしまったからだ。

 それはきっと、恋の痛みを経験したからだった。より現実的になった痛みが、ティーゼの悲しみと同調したせい。自分の愛する人が、自分を愛しているはずの人が、他人を、しかも妻と言う確固たる立場を手に入れている人を庇い、その妻に対する自分の行動を批判し。苦しみが、ローデリアをも襲う。

 誤解を解く発言が出来ず、他に発する言葉も見つからず黙り込んだ。しかしその沈黙を肯定と受け取ったらしい二人は、目に見えていきり立った。


「まあ、やっぱり! お兄様に何を言ったの?」

「こんな手紙を私に送らせて、あんまりだわ」


 二人の勘違いがどんどんと過熱して行くのを目の当たりにしていき、それを収めるには謝罪の言葉を口にするのが良いのだろうとはローデリアにも検討が付いた。しかし、と先程読んだ文章を思い出す。ここで謝罪をするべきなのか分からなかった。

 この場で謝罪をすることはつまり、誤解を真実だと認めることになる。それは、アレイズにとって気に入らない事実だろうと思ったのだ。彼が態々この手紙を書いたのは、彼自身がローデリアを思っての厚意からに違いが無い。それをローデリア自身が反故にするのは、彼に対する侮辱になってしまう。

 分からなかった。

 自分が現在のアレイズの思い通りに動くべきなのか、それともティーゼとアレイズの恋を成功に導くためにアレイズのローデリアに対する優しさに逆らうべきなのか。恋愛小説に、その答えは書いていなかったのだ。


「私の存在が、お二人を傷つけてしまっていること、申し訳なく思っております」


 暫く思案した末、結局ローデリアは謝った。アレイズの文面についてではなく、それ以前の問題についての謝罪だった。その言葉に、目の前にいる二人の少女はぎょっと、少し驚いたような顔をした。


「何よ、いきなり謝って! 今度は何を企んでいるの。 これ以上人を不幸にしないで頂戴!」

「何かを企んでいるつもりなど」

「謝るくらいなら、最初から我儘を言うべきでは無かったと、簡単なことがどうしてわからないの?」


 どうやら謝罪は彼女たちにとって逆効果であったようで、二人の語尾に強さが増した。何を言っても、これからどんな善行を行ったとしても、許されはしない。分かってはいたもののその事実が、重たい石のようにローデリアにのしかかった。




「それでは。もう一生招くことなどありませんけれど」


 別れ際、ふんと気の強そうなアズリアの言葉を聞きながら、ローデリアは屋敷の前にまでやってくる家の馬車を待っていた。ティーゼもいたが、もう口もききたくないと言わんばかりに下を向いている。ローデリアとしても長居したい環境では無く、一番にやってきたノーベラルト家の紋章が入った馬車を見て胸を撫で下ろした。ティーゼが先に居なくなってしまい、アズリアと二人取り残されるのも辛いと思ったからだ。

 しかしそれでは失礼しますと礼をして、馬車に乗り込もうとした時、ローデリアは違和感を覚えて足を止めた。そっと馬車を前から後ろまで眺める。何が違和感だったのだろう。よくわからなかった。

 思わず後ろを振り返って、二人の顔を見る。

 アズリアは相変わらず気も強そうにローデリアを眺めていて、その隣のティーゼも、真っ直ぐにティーゼに顔を向けていた。

 痛い。

 咄嗟にそう思った。視線が痛い。何を思った表情なのだろうと一瞬じいっと眺めそうになり、はっとして両足を動かし馬車に乗り込んだ。侯爵家の従僕が扉を閉め、舗装された乗り心地の良い道を馬車は進み始める。

 ローデリアはティーゼの、最後の表情を思い出していた。彼女はとても、緊張していた。今までローデリアに向けていた敵意や嫉妬や悪意や怒りや悲しみや、そう言った感情があの時ばかりはすっぽりと消え、ただただ馬車に乗り込むローデリアをじいと見つめていた。 


――――どうしてあんな顔をしていたのだろう。


 ローデリアはそう思った。しかし考えにふけっている間に馬車が段々と、揺れを激しくし始めるのに気が付いた。王都の、侯爵家とその別邸を繋ぐ道には無い揺れだ。疑問に思ってそっと外を覘き見ると、夕焼けが照らす馬車の行き先は、王都から出る方向へと進んでいる。

「ねえ、道を間違えてはいない?」

 御者に問掛けるが、返事は無い。そこで先程感じた違和感の正体に気が付いた。行きと、御者が違う。気にしていなかったけれど、確か行きは細身の男性だった。しかし帰る為に乗り込んだときは、体格の良さが目立っていた。御者は侯爵家で待機していたはずだから、変わるはずが無いのに。


――――逃げなくては。


小さく深呼吸をして、履いていた靴を脱ぐ。馬車から飛び降りて、どうしたら良いのだろう。とりあえず反対方向に走るしか無い。

 けれどそう覚悟したその途端、馬車が急停止して、外側からドアが開けられる。悲鳴を上げる暇は無かった。太く臭い腕が伸びてきて、口を塞がれたと思った瞬間、ローデリアは意識を失った。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ