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望まない結婚  作者: 小鶴
第二章
12/21

少女の初恋

 ローデリアが彼と出会ったのは偶然だった。

 その時は気分転換に散策しようとしたのだったか、とにかく庭へ行こうと邸内を歩いていた。けれどもエントランスでアレイズと彼の従者が真剣な顔で話していたから、遠慮して普段は殆ど使わない裏口から外に出ようと、踵を返したのだ。

 裏口は表とは違い、名前の通りエントランスとは正反対の位置にあり御勝手が近い。普段は使用人が使うことの多い出入り口だ。しかし庭にあるラルトーナの花の側に行くにはそちらからのほうが近いので、この頃はローデリアもよく利用していた。

 いつも通り足早に歩を進めて近づいた時、外から声が聞こえてきた。


「おーい、誰もいない? 俺、今日集金に来るって言ったと思ったんだけど……。値上げ交渉もしたいんだけど! それに、姉さんの結婚式近いから、早くお金欲しいんだけどー!」

 

 男性にしては少し高めの、明るい声色だった。ドアをノックしながら、外からとめどなく色々なことを話していた。ちょうどお昼とティータイムの間で、使用人の多くが休憩をしている、タイミングの悪い時間帯だった。

 知らない人の来訪に少し躊躇したものの、集金の言葉が気になったローデリアは内側からノブを回して恐る恐る顔を外に出した。敷地内にいるということは門番が彼を通したと言うことであり、危険は無い。


「こんにちは、あの」

「あっいるんじゃん!でも見たことの無い顔だね、新入り?」

「あ、いえその」

「というか、新入りさん美人!髪もつやつや!もっと華やかな場所で働いたら?店の看板娘とかなら、男性客も押し寄せそうじゃん」


 そこにいたのは顔にそばかすの痕がのこる、背の高い青年だった。繰り返される早口に圧倒されて中々言葉を挟めない。しかし誤解されては大変だと、ローデリアは首を横に振りながら、とりあえずドアから外へ出た。


「あの、私は此処で働いているわけではなくて」


 弁解はそこで止まった。ここで働いているわけではなくて、の続きが、見つからなかったのだ。妻という肩書はあまりにも薄っぺらなもので、他人に教えられる真実とは言えなかった。しかしローデリアが弁解しなくとも、外に出てきた彼女の、その使用人とは考えられない装飾と生地の服を見て、青年は自分の思い違いにいち早く気が付いたらしかった。


「え?あっうわ、失礼いたしました!こちらのドアは使用人しか使用しないと思い込んでおりまして。マーディスの肉屋で働いている、ヘンスと申します」


 すぐに改まった口調で謝罪した彼に、ローデリアはこちらこそ紛らわしいことを、と口にした。彼は先程までの軽口が嘘のようにしゃんと背筋を伸ばして他人行儀になっていた。

 さっきのほうが良かったな。

 一瞬ローデリアの中にそんな気持ちが浮かぶ。あんなふうに親しげで、馴れ馴れしい言葉で話しかけられたのは初めてだった。友達みたいだった。そうも思う。


「こんな綺麗な女性が使用人だなんて、そんなわけがありませんでしたよね」


 何も言わないローデリアが怒っていると判断したのか、ヘンスはその言葉と共に再度謝罪をした。気になさらないで下さいと謝罪を止めながら、しかしローデリアの頬は赤くなった。

 侍女の決まり文句以外で綺麗だと褒められたのは、初めてだった。人に褒められたときはこんなにもくすぐったい気持ちになるのか、と火照った顔に手を当てながら、褒められた時はどうしたらいいのだっただろうと、作法教師に習ったことを必死で思い出す。

 ヘンスは長身に血色の良い肌、高い鼻を持ち、頬に残るそばかすの痕があどけなさを演出していた。そしてその顔を彩る鮮やかな髪が目に入り、口から言葉が出てきた。


「貴方のその髪、とても素敵ね」


 褒められたら褒め返すこと。挨拶の作法の正解はそれであったが、ローデリアがそう口にしたのは作法でも何でもなく、純粋な気持ちだった。

 ヘンスはローデリアの言葉に間抜けな顔をして、自分の髪を指さした。ローデリアが頷くと、彼は驚いたように目を丸くする。


「……でも赤毛ってあまり、品が無いと言われてますよね」


 思わずといったようにそう問い返されて、今度はローデリアがきょとんとする番だった。

 赤色の髪の毛。

 鮮やかなその髪色を、ローデリアは生まれてこの方見たことがなかった。記憶の中で探っても、貴族の中にいた試しはない。世間一般では赤毛の印象が良くないことを彼の返事で知りながら、それでも自分の意見を変える気にはなれなかった。暗く見える彼女の黒髪より、赤色は自信に満ち溢れた色だった。しかし、ヘンスが赤毛を気に入っていないのなら、それを褒められることは気分が悪いことなのかもしれないと気が付いて、ローデリアはごめんなさい、と言った。


「気に障ったのなら謝ります」

「え、あ、いや、そんなつもりじゃなかったんです、そんな、謝って頂かなくても」

「なら、良かった」


 彼が気にしていないことを知って、ローデリアはほっとした。そんなローデリアを見てヘンスもほっとしたのか、へらりと気の抜けた笑みを見せてくれた。


「なんか、普通の貴族の人じゃないみたいですね、ええと……」

「申し遅れました、ローデリアと申します」

「ああ、ローデリア様」


 自分に何と呼びかけたらよいのか迷っているヘンスに、ローデリアは名前を教えた。苗字を言わなかったのは、若奥様という呼びかけが自分には似あわないことを知っていたからだ。そうして一度会話が途切れ、ローデリアはやっと彼が来訪した理由を思い出した。


「ええと、ヘンスさん。集金に来られたと言っていたけれど、今の時間は皆出払っていて」

「え、そうなのですか。ではまた出直そうかと」

「あっ!」


 失礼します、そう言ってくるりと背中を向けたヘンスに、ローデリアは思わず小さな叫び声を出していた。自分の口から出た品の無い声に急いで口元を手で隠したが、彼の耳にはきちんと届いていたらしく、不思議そうに振り返った。

もう少し話してみたい。

 そんな欲求がローデリアの中に浮かび上がる。こんなことは初めてだった。


「あ、ええと、今は皆休憩時間で。あと少しでやってくると思うから、きっともう一度くるよりも、待っていたほうが楽なのでは、あ、いいえでも、何かお急ぎの用があるのなら、別に無理に引き止めはしないのだけれど」


 自分の口から出たなんとも情けない、しどろもどろな言葉が恥ずかしかった。けれどもそれにヘンスは気が付かなかったらしく、そうなんですか、じゃあ待たせていただきます、とまた気の抜けた微笑みを返してくれた。良ければ中で、と勧めたが、彼はここで充分ですとドアの側の芝の上に腰を下ろした。そのタイミングで立ち去らないのも可笑しいとは思ったが、しかしローデリアは逡巡ののち勇気をだした。


「あの、ヘンスさん。もし良かったら、待っている間、私に、お仕事のお話をしてくれないかしら。その、興味があって」

「肉屋に興味が?」

「え、ええ! そうなの、少し」

「本当、ローデリア様って、変わってるっていわれませんか」


 ローデリアの大嘘に呆れたように笑いながらも、ヘンスは勿論ですよと話し始めてくれた。立って聞いているのも変で、ローデリアは恐る恐る芝の上に腰を下ろす。初めて座った土の上は、ひんやりと冷たかった。



 

 ヘンスの話は面白かった。本心では肉屋になどこれっぽっちの興味を抱いたことも無かったが、彼は話し上手で、仕事内容も日常のちょっとした出来事も、面白おかしくローデリアに話してくれた。時々敬語が崩れて、親しげな言葉が出てきてしまうのが嬉しかった。

 彼とまた話がしたい。

 使用人の休憩が終わって話を打ち切られてから、ローデリアはそう思った。そんなことを人に思ったのは初めてだった。けれども初めてのその感情に逆らえなくて、彼女は会話の中で聞きだした、ヘンスが肉を届けに来る日と集金に来る日、その時間帯になると散策をするふりをして庭に出ては彼を待った。初めこそはまた会いましたねと声を驚いていたヘンスだったものの、数回もたつとローデリアの散策時間だと勘違いをしたのか、そんなことも言わなくなった。

 少しの時間立ち話をするだけだったけれど、ヘンスの話はいつだって面白くて、楽しかった。けれどもある日、思いがけないことが起こった。


「何をしている、ローデリア」


 冷たい声に、背筋が凍った。声の方を振り返ると、アレイズが訝しげな視線をこちらにじろりと向けていた。その出で立ちに身分が低くない人間だと気が付いたのか、ヘンスは一歩下がって頭を下げた。


「何をしている、ローデリア」


 もう一度言われて、ローデリアも小さく礼をした後アレイズのその顔を見た。怒りのこもった彼の声を聞くのは久しぶりだった。

 何が彼の怒りに触れたのだろう。何をしてしまったのだろう。不安になりながらも、事実を声に出した。


「少し、お話をしていただけですわ」

「……そいつは、誰だ」

「彼はヘンスです。精肉店で働いていて、ここには肉を届けに」

「お前は、俺の妻だろう?」

「え?」


 突然の問いかけに、ローデリアは急いで頷いた。


「ならば男と、こんな場所で二人きりになるな」

「その、すません。けれど、本当にあの、偶々、お話をしていただけですから」


 結婚した妻である淑女が男と二人きりになっていたことに、アレイズは怒っていたらしい。それもそうだ。悪い噂が立って、迷惑を被るのは彼だ。自分の至らなさにローデリアは唇を噛む。自分の気持ちを優先して、またアレイズに迷惑を掛けてしまう所だったのだ。

 アレイズの瞳がヘンスに向けられていて、ローデリアは再び、少し話をしていただけですと弁解した。怒りの矛先が彼へと向いてしまうのではないかと焦ったのだ。


「なるほど。ヘンスと言ったか。用が済んだのなら、帰れ」


 心配をよそに、アレイズはそっけなくそう言っただけだった。ヘンスは頭を下げ、しかし立ち去らずに口を開いた。


「恐れながら失礼します。私は、再来週には姉夫婦と共にデリベルトに引っ越します故、こちらにお伺いするのは来週が最後になるかと。ですから、どうかマーディスの肉屋との取引を、続けていただけたらと思います」


 深々と頭を下げたヘンスは、そして立ち去って行った。どうやら自分は居なくなるから、怒っていても店にその矛先を向けないでくれと言いたかったらしい。実直な青年だった。

 しかし今ローデリアはその言葉より、彼がデリベルトに引っ越してしまうという言葉に目を見開いた。知らなかった。彼は話の中で、おくびにも出さなかった。そりゃあそうだろう、ローデリアは店の取引相手の家の人間で、偶々会うから話すに過ぎない、彼にとってはそんな人間なのだ。デリベルトは国の端に存在する、ノーベラルト領からはとても遠い地名だった。



 

 ヘンスがやってくる最後の日、ローデリアは部屋の中にいた。アレイズに怒られてしまったのだから、もう彼とは話すべきではない。理性がそう言っていた。いつもならヘンスと話していた時間帯で、きっともう彼は帰ってしまったのだろう、もう彼に会うことはないのだろうと思いながらローデリアは窓の外を見た。そこをまさに通り過ぎようとしている鮮やかな赤色に、瞳が引きつけられた。


「待って!」


 考えるよりも先に口から声が飛び出した。はっとして口に手を当て、周りを見る。誰もいないことを確認した後、戸惑ったような顔でこちらを見上げるヘンスに、お願いまってともう一度言った。

 それから衣裳部屋に転がり込むと、お目当ての物を見つけ出して駆けだした。使用人に見つからないように注意を配りながらも、出来る限り走って、庭に転がり出る。息を切らしながら自分の部屋の窓の下まで行くと、そこにヘンスはいてくれた。

 走ること自体経験が少ないせいか、息は上がっていた。急がなくてはと大きく息を吸い込んでそれを整える。駆けてきたローデリアを驚いた顔で見ていたヘンスも、流石に不安になったのか大丈夫ですか、と声を掛けてくれた。

 彼の優しさに、嬉しくなった。


 その顔を見る。決して、アレイズのような美丈夫では無かった。ひょろりと背が高く、顔にはそばかすがあり、街では品の無いと言われている赤色の毛。けれどもローデリアは、そんな彼と話をしたかった。彼が遠くに言ってしまう、もう会えないのだと思ったら、胸が締め付けられた。

 彼ともっと話したかった。彼に聞いてみたいことが、知りたいことが沢山あった。その気の抜けた笑顔を見ていたい。その目で見つめてほしい。その手を、触りたい。そんな欲求が、身体中から溢れだしそうになる。




――――これは、恋だった。




 全ての欲望を閉じ込めて、ローデリアは持っていたものを彼に差し出した。これは? と言いながら受け取った彼がそれを確認する前に、声を出す。


「お姉さまの、結婚祝いに」


 結婚式の為の銀色を使った髪紐と、小瓶に詰められた髪油。渡したのはその二つだった。ヘンスは驚いたように、自分の手の中にあるそれを見た。


「受け取れません!」


 彼はそう言って、手を差し出してローデリアに返そうとする。しかしローデリアも、それを受け取る為に手を差し出そうとは思わなかった。


「いらないのなら、売っていただいても、捨てていただいても構いません」

「いえ、そうではなくて、こんな高級なもの、貰えません」


 ヘンスは眉を下げて困ったような顔をしていた。利己を押し付けている事を知りながらも、それでもローデリアは手を差し出さなかった。


「髪紐は、私が結婚式で使用したもので、もう使うこともありません。それにこの髪油は、とても良い香りがするから、式の時に髪につけたら、きっと素敵だわ」

「ですがこんな」

「いいの、受け取って」

「ですが」

「お願い、受け取って!」


 押し問答の果てに、ローデリアは叫ぶような声を出した。途端に、目の前を水の膜が覆う。お願いだから。今度は喉が震えて細くなって、掠れたような声しか出なかった。目の端から滴がこぼれ落ちそうになるのを、必死にこらえた。


「嬉しかったの」


 そう言った。

 

「私、嬉しかったの。私のこと、綺麗だって、褒めてくれたこと。本当に嬉しかったの。貴方の言葉が、とても、嬉しかったの」


 お願い、貰って。

 声は震えていた。

 お願いします、と心の中でも願った。

 お願い、貰って、私の為に。


 私の、思いの為に。


 頬に滴が伝って、下に落ちた。ああ、泣いてしまった。ローデリアは溢れだしそうになる言葉を、必死で抑えつけた。決して言葉にしてはならない感情だ。結婚している。どんな気持ちを抱いていようとも、夫がいる。

 私は貴方に恋をしている。貴方に会えなくなるなんて嫌だ。そう言って泣きわめいて、暴れまわって、全部壊してしまいたい。

 ヘンスは泣き始めたローデリアをぽかんとした顔で見た後、それから見る見るうちに顔を赤くした。こんな風に泣いてしまって、気付かれない訳がない。彼が何か言おうと口を開きかけたのを見て、急いで言葉を制した。


「お姉さまに、おめでとうと伝えてください」


 さようなら。彼の顔を見ることは出来なかった。背を向けて、早足で屋敷の中に戻る。部屋に戻って窓の下を見ると、ヘンスはもういなかった。

 彼は此処に来ることはもうない。泣きだしそうになるのを堪えると、ローデリアは大きく息を吸った。現実はお伽話と違って、彼はローデリアを好きでは無かったし、彼女をこの場所から盗んでくれるようなことも無い。きっとヘンスは、遠いデリベルトの地で、素敵な結婚をして幸せになるのだろう。

 それは酷く、辛い想像だった。


 恋をしたのは初めてだった。

 多くの時間を共有した訳でもない誰かをこんな風に思って、胸が締め付けられるような気持ちになるなんて考えたことも無かった。こんなのってない。こんなことってない。


 こんな気持ちが存在することを、知りたくなかった。




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