ローデリアの結婚①
どうしてこうなってしまったのだろう。
ローデリアは小さく溜息を吐いた。
馬車は舗装された道の上を走り、規則正しく揺れている。柔らかな毛皮の敷き詰められた車内は決して居心地の悪いものではないはずなのに、慣れていないせいかその内装が彼女を苦しめた。
「ローデリア様、ノーベラルト侯爵の別邸まではあと少しにございます」
御者が外から、そう声を掛けてくる。わかったわ、と返事を返しながら、四人掛けの馬車をひとりで占領しているのだからと、腰掛けを二人分占領して寝そべった。
ローデリアの乗った馬車の前後には、嫁入り道具として王家から持たされた物が山のように乗せられた馬車が一台ずつ、連なっていた。ノーベラルト侯爵家の領土に入ってからは嫁入りする王女を一目見ようと領民たちが馬車の周りに列をなし、歓迎の印とばかりに祝福の声を上げたり、領と侯爵家のシンボルであるラルトーナの花が描かれた旗を振ったりしていたものだったが、それもいつのまにか居なくなっている。
がたんと一際大きな揺れがあり、驚いて身体を起こす。馬車につけられたカーテンをずらしそっと外を覘き見ると、どうやら門を潜ったらしかった。侯爵家の敷地内に入ったのだ。
緊張する。
溜息を吐きたくなるのを我慢すると、ドレスの裾の皺を伸ばし手鏡で化粧の確認をする。それがいつも通りであることを確認し、両手をぎゅうと握りしめた。
ローデリアは、つい先日まではこの国――ルージマナリア王国の第三王女であった。とは言っても、彼女自身は己が第三王女であることの自覚は少なく、また周りもそのような扱いをしていたのかと言えば疑問だった。
彼女の母は、元々は正妃付きの侍女だったのだ。
ルージマナリア国王がその道に盛んなのはよく知られたことで、彼には正妃の他に五人の側妃がいる。それぞれがお子を一人から二人生んでおり、王子は五人、王女は四人という周辺国でも珍しい子沢山の王室だ。その事実に喜んでいるのは国王くらいなもので、妃たちは常に、自分の子こそ良い地位にと望み、お互いを牽制しいがみあうような間柄である。そんな危うい関係の中で、侍女が国王の子を孕んだというのだから大騒ぎとなったものだった。しかも分の悪いことに、庶子の生まれ。本来ならば正妃付きの侍女に庶子がなることなど無かったが、運が良いのか悪いのか、働きを認められてそこまで上り詰めた女性だった。努力して掴んだ地位だろうに、侍女はその見目の美しさから国王に目を付けられ、子を授かり、そして産み落とすこととなってしまったのだ。王の子を産んだとして側室に上がったものの、日々の暮らしも貧しい庶子出身の彼女とその娘の立場は、王宮内では酷く脆いもので。
国王がその存在に飽きてしまった後、側室に上がった侍女は壊れてしまった。精神を病み、王は私を愛しているはずと思いこんでいる。部屋に閉じ込められても、王が来るのを待っている。
その娘であるローデリアは、王宮の隅で静かに暮らし、王族としては最低限の教養しか与えられず、十五になった歳に社交界デビューを一度したきり、王主催の舞踏会にさえ出ることは許されなかったのだ。
あのままあそこで、ひっそりと死んでしまうのだと思っていたのに。
ローデリアが暮らしていたのは、広大な王宮の敷地内にある、石造りの小さな家だった。侍女は一人しか付かず、その侍女も仕事をすっぽかすなどしょっちゅうである。彼女が何か上に訴えたとして、聞きいれられないことが分かっていたからだろう。食事だけはきちんと運ばれてくるものの、新しい服を仕立てることなど出来なかったし、刺繍やレース編みのような趣味を持とうとしても材料が手に入らなかった。それほどまでに、不遇されて生きてきたのだ。この家で慎ましく暮らし、心を壊してしまった母親の見舞いに行く時以外は、決して王城に近寄ろうとは思わなかった。
それが一晩のうちにひっくり返ったのは、つい先日の大規模なパーティでのこと。隣国との大きな戦があり、こちらが戦勝国となり有利な和平を結ぶことが出来た、その祝賀会と褒章会を兼ねた催しだった。彼女自身はそんな戦が起こっていたことさえ知りもしなかったのだが、何故だかその日、会に出席するようにと国王からの通達が来た。その通達と同時に家から王城内に連れて来られ、頭から指先まで洗われた後、三年前のデビュー以来の豪勢で美しい服を着せられ、髪を結われ、化粧を施され、何も分からぬうちにパーティは始まった。
そうして義兄弟たちの煩わしそうな視線を受けながらも王族席に腰掛け、目立たぬように小さくなっていた時、事件は起きた。それは、国王からこの戦で戦った貴族たちに向けての褒章が読み上げられている最中のことだ。ノーベラルト侯爵家の名前が読み上げられ、現侯爵とその息子が立ち上がりぴんと背筋を伸ばして褒賞内容を聞いている、その最後の一文。
「また、皆も知っての通り、ノーベラルト侯爵家はこの度の戦において多大なる貢献をしている。その健闘を称え、我が娘、第三王女ローデリアとの婚姻を認めよう」
一瞬、室内がざわついたのは聞き間違いなどではないだろう。けれども貴族たちは皆、そのざわめきを打ち消す様に歓声を上げ、拍手をした。ノーベラルト侯爵家も、感極まったとばかりに「我が息子へのそのような褒美、身に余る光栄でございます」とお礼の言葉を述べていた。
王女を嫁に貰うということは、王家との繋がりが出来るということであり、また王家の血が混じるということでもあり、これまでにも褒賞として王女が嫁ぐことが幾度かあった。だから、字面だけみればこれはごく当たり前の、栄誉ある褒賞なのだ。
けれどそれでも、ローデリア自身は、父親であるはずの国王の言葉が分からなかった。彼女は王宮内での自分の扱いも、立場も、きちんと理解している。そんな彼女は、どう間違えたって褒賞として喜ばれるような存在では無い。
視線を感じて顔をあげると、侯爵家の息子が、睨むようにして彼女を見ていた。
疑問が解けたのは、唯一のお付きの侍女が口も軽くぺらぺらと話してくれたからであった。彼女――名前はミーアと言うが――はローデリアの事を心底馬鹿にしているので、愚痴の捌け口にしたり話したくて堪らない噂話をしたりと、随分と口が回る。
ミーアは、自身の主人が簡素な彼女の家に戻ってくるなり、大層驚いたように目を丸くして、口を開いた。
「ローデリア様、聞きましたわ、ご結婚おめでとうございます。それにしたって、まさか、ねえ、ローデリア様が結婚なさるなんて、私本当に驚いておりますの。だって、こんな家に住まわされて、まさか貴族と結婚、いいえ、結婚なんて望めないと思っておりましたもの」
当然、お喋りに夢中になった彼女の手は止まるので、驚くほどに豪勢な服を脱ぐのも、結われた髪を解くのも自分で行わなくてはならなかった。
「それにしたって、ノーベラルト侯爵家もお可哀そうにねえ。今回の戦で、国に一番の献金をしたのでしょう。国でも有数の貴族であることも変わりはないのですし、他と同じ褒賞にするわけにはいかないと言っても、どうしてローデリア様なのかしら。国王様としては厄介物のローデリア様を追いだせて良かったですけれど、他の王女様のほうがよっぽど喜ばれるでしょうに」
ノーベラルト侯爵家は、ルージマナリア国でもかなり有力な家である。それさえも初耳であったものの、ローデリアは黙ってミーナの話を聞いた。貴族には側室制度が存在しない為、また仮に存在したとしても王女を側妃などにはしないだろうから、ローデリアが正妻となるのだという。
「確か、ノーベラルト侯爵家には、息子も娘もお一人ずつでしたっけ?ということは、あ、すっごい、ずるいわ!一人息子のアレイズ様とご結婚できるんじゃない!ああ、羨ましい、あんな素敵な人と結婚できるなんて!ローデリア様には奇跡のようなお話ですわね!」
話すうちに興奮してきたミーアに、ローデリアは曖昧に頷いた。外の知識など全く無い第三王女にとって、例え自身がどんな言い草にされていようと、情報を貰えるだけでありがたかったからだ。この話で、彼女は夫となる人物が透き通るような金の髪に、輝くような蒼い瞳を持った、美丈夫だと言うことを知った。
「ローデリア様、つきました」
御者の声で、考えにふけっていたローデリアはハッとして顔を上げた。ごくりと一度、唾を飲み込んで了承の意を述べると、外から開けられた馬車を降りる。そこには、住んでいた家の何十倍の広さもありそうな、美しい建物が鎮座していた。王城のように城の形はしていないが、立派で貫禄のある屋敷である。
「ローデリア様、お待ち申し上げておりました」
家の前に立っていた侯爵と、その息子であるローデリアの夫――アレイズがローデリアに近づいてきた。
「わざわざお出迎え、ありがとうございます」
丁寧に頭を下げた。結婚が決まってからまだ、一月と立ってはいなかったが、すでに二日前、式は上げていた。式の間中彼らは表面上笑顔を取り繕ってくれていたが、その心が側に無いことくらい、知っていた。
「私はもう、王宮を出た身にございます。どうぞローデリアと、呼び捨てになさってくださいませ」
そう言い繕ったのは、それが本心であるとかどうとか言う前に、こちらに敵意が無いことを証明しておきたかったからだ。私が貴方達に対して不遜な態度をとったり、王宮出だということをかさにきて威張りちらしたりはしませんよと、伝えるため。
「……お荷物は、それだけですか?」アレイズが聞く。
「はい、全て馬車に積んでまいりました。申し訳ないのですが、何人かお手をお借りして、運んで頂いてもよろしいでしょうか」
「勿論でございます。今、運ばせましょう」答えたのは父親である侯爵だった。
ありがとうございます、とお礼を言うと、す、と側に来たのは侍女だった。
「ローデリア様、お部屋の準備は出来ております」
侯爵家の人々の手前であるからか、侍女、ミーアは猫なで声に偽物の笑顔で話しかけてくる。彼女はローデリア付きの侍女として、一足先に侯爵家に入り、部屋の準備を終えていたのだ。
彼女はローデリアにアレイズの素敵さを一通り語ったあの時、続けてこうも言ったのだ。
「ローデリア様、もちろんミーアを連れて行って貰えるのでしょう?そうですわよね、だって私、これまでずっとけなげに、ローデリア様にお仕えしてまいりましたもの」
それは先程まで散々、ローデリアを馬鹿にしていたとは思えないような口ぶりで、また勿論そうよね、という自信にも溢れていた。仕えてから一年程立っているミーアは、配属されてきた初日、「ちょっとヘマしただけでこんな最低な場所に来るなんて!もう出世できないじゃないの!」という言葉から始まって、それからは仕事をサボったり主人を馬鹿にしたりと忙しなかったが、そんな侍女はもう出世の望めない王宮勤めよりも、有数な侯爵の次期夫人の侍女になるほうが特だと計算したのだろう。
「勿論よ、ミーア」
それでも、ローデリアは頷いた。彼女にとって、悪口を言われることはもう慣れっこであまり気にならなかった。前の侍女のように口では何も言わない癖に裏で馬鹿にしたりされるよりもずっと良かったし、元から侍女に仕事を期待したこともなかった。そして何より、ミーアのそのマシンガントークのような話を聞いているのが嫌いでは無かったのだ。自分が馬鹿にされる痛みはもう感じなかった。辛いのは、一人で退屈を持て余すこと。だからどんな形であれ、言葉を向けてくれるミーアを、勿論好きにはなれなかったけれども、嫌いにもなれなかったのだ。
「いつもありがとう、ミーア」
その言葉に、ミーアは気持ち悪いと言わんばかりに眉を寄せたが、侯爵の手前だからか何か言うことなく頭を下げた。
それからローデリアは、アレイズに向き直り、もう一度頭を下げた。
「どうぞよろしくお願いいたします」
こうして、ローデリアの結婚生活は始まった。