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四門の奥義~鬼の哭く郷~  作者: 墨人
第二章 火
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火の奥義

 どちらからともなく二人は庭に下りていた。庭にも家人の死体がいくつか転がっていたが、それを見ても朱美は表情を変えない。既に蒼次郎との勝負に集中していた。

 紅く染まった空を背景にして、朱美が刀を抜いた。鞘を投げ捨てて構える。

 蒼次郎も抜き身のまま持っていた刀を構え、朱美に正対した。


「訃流、火の奥義『焔』!」


 朱美は改めて宣言した。

 奥義の調息はずっと続けていたが、それは単に呼吸を体に染み込ませるための作業であり、今初めて本格的に練気を始めたのだ。

 その効果は絶大だった。肌にひり付くような感覚を得て、思わず蒼次郎が「ぬう!」と唸って僅かに身を引いたほどだ。


「これが火の奥義か! 燃え盛る焔のごとく気は勢いを増すと言うが……これほどとはな!」


 通常なら人体内を巡るだけの気だから、他者の練り上げたそれが皮膚感覚として感じ取れるはずがない。にも関わらずこうして感じているのは、あまりにも大きくなりすぎた朱美の気が人の体という器に収まりきれずに溢れ出しているからだ。

 表情に緊張の色を浮かべながら、しかし蒼次郎は土の奥義を使わない。これには朱美が怪訝な表情になった。


「どうした? あんたは奥義を使わないのかい?」

「にわか仕込みの奥義をいきなり使っても、貴様には通用しないだろうからな」

「へえ? 随分と私を買ってくれてるみたいだね」

「貴様を侮ればどうなるか、それは知っているからな」


 先に朱美自身が述懐したように、彼女は女であるという一点により剣客としては不当に低い評価を与えられていた。しかし次々とあてがわれる婿候補をことごとく返り討ちにした実績が、彼女に与えられていた評価が過小だった事を示している。

 朱美を侮って返り討ちにあった婿候補と同じ轍を踏むつもりなど蒼次郎には無かった。


「ふうん、ならこのまま始めようか。いざ尋常に……」

「勝負!」


 二人の声が重なり、同時に朱美が地を蹴っていた。

 突進から気合の声とともに打ち込む。一撃ではない。女性らしい柔軟でしなやかな太刀運びによって三連撃となっていた。

 風流の水の技で受け流しを行った蒼次郎だったが、打ち込みの重さと速さに呻いていた。

 剛力を使えば難なく対処できる程度ではあったものの、しかし女性である朱美の細腕が生み出すとは信じられないほどの重みだった。そして疾風などの高速剣には劣るものの剣速自体が並では無かった。


「ふふ、驚いたかい? 焔は他の奥義のように気の使い方を特化するんじゃなく、練気の上限その物を引き上げる。焔って奥義を使いながらこう言うと矛盾しちまうけど、気が潤沢にあれば奥義を使わなくてもこれくらいはできるのさ」


 挑戦的に、と言うよりも挑発するように朱美は言った。

 そもそも訃流剣術は気の働きによる身体能力の向上を主眼に置いており、限られた気をいかに効率よく使うかを突き詰めたのが奥義と呼ばれる技の数々だ。土の奥義なら筋力、風の奥義なら速度というように、それぞれの能力を極限まで高めるための気の運用方法こそが奥義なのである。

 ところが焔だけは少々事情が異なる。練気能力を強化するだけの焔は、その有り余る気によって全ての能力を満遍なく向上させるのだった。


「確かに厄介ではあるが、それでは所詮器用貧乏だ。奥義には及ばぬし、俺にも勝てん」


 一時の驚愕から素早く立ち直った蒼次郎は不敵に笑った。筋力の強化については土の奥義の方が遥かに上だろうし、速度においても奥義ではない風流の技で匹敵できる程度だ。


「そもそも焔は他の奥義を使うための気を用意するってのが本来の用途だからね。そう言われても仕方の無いところだけど……でも、あんたはこれにどう対処する? 焔無しのあんたは土の奥義を使うだけで精一杯だろう? 同時に剣速を上げるなんてできないよねぇ」


 朱美は自信に満ちている。裏打ちしているのは過去に婿候補を退け続けた実績だ。身体能力において男に劣る女の身でそれを成し遂げたのは、朱美が重点的に練気能力を鍛えたからだった。

 そんな朱美がさらに練気能力を強化する火の奥義を使っている。彼女の自信はけして過信では無い。

 蒼次郎もその点は承知している。厄介だと言ったのは全ての能力が同時に上昇していることであり、また朱美が述べたように蒼次郎自身は筋力と速度の両方を同時には強化できないということだ。土と風の技を同時に使うには、蒼次郎の練気能力は足りていない。


「どうするも何も無い。俺は俺のやりようを貫くだけだ!」


 言い捨てて蒼次郎は大きく踏み込んだ。放つのは速度重視の高速剣『疾風』。

 その速度に驚愕の声を漏らしながらも、朱美は的確に刀を操って連撃の全てを弾き返していた。疾風は連撃の速度こそ凄まじいものの一撃ずつは軽い。焔を使っている朱美の力なら容易に弾き返せるのだ。

 蒼次郎は弾かれた勢いを利用して体ごとの旋回を行う。瞬間的にも敵に背を向ける危険を犯すが、それだけに敵の意表を突く『旋風』であるが、これも朱美は弾いていた。


「甘いよ!」


 反撃の打ち込みをかける朱美。しかし蒼次郎は弾かれた刀を強引に止めて迎撃していた。


「甘いのは貴様だ!」


 大きく弾かれたのは朱美の刀だった。不十分な姿勢からの迎撃は予想できないほどに強烈で、柄を握る両手に物凄い衝撃を受けた朱美は刀を取り落とさないようにするのが精一杯だった。

 この一瞬の機を逃さず、蒼次郎はさらに刀を反転させて斬りつける。狙いは朱美の刀だった。

 澄んだ音がして朱美の刀は三分の一ほどを残して斬り飛ばされていた。

 咄嗟に後退して間合いを取り直した朱美は追撃を警戒して素早く身構えた。が、絶好の機会とも言える場面で蒼次郎は追い打ちをかけてこない。その場にとどまったまま息を整えているのだが、幾分苦しそうでもあった。

 そんな様子を見て、朱美は得心がいったとばかりに頷いた。


「ははあん、なるほどね。訃流の前身、風流には風の名を冠した技が多かったらしいけど、つまりはそういうことかい。さっきの打ち込みはやけに速かったけど、あんた風流を使ってるね? 手引書がどこかにあるとは聞いていたけど、源川を倒した秘密がそれかい」


 言いながら、朱美は短くなってしまった刀に目を落とす。


「風の技の剣速、土の技の膂力、そしてこの刀を斬ったあれはただの斬鉄じゃない。刀に気を流しこんで切断力を強化する『気の刃』だね。焔無しで同時に使うなんてできないだろうから連携か……まあ、それにしたって随分な無茶に変わりは無い。それじゃあ体がもたないだろうに」

「貴様の知ったことか!」


 全身を走る鈍い痛みを堪えながら蒼次郎は吠える。

 蒼次郎がやった無茶、それは技を意図して不完全に使うことだ。

 能力を大幅に上昇させる訃流の技は、同時に使用者の体にかかる負担も大幅に増加させる。訃流の技は能力の向上と、それによって増加する負担から気の働きで体を守る事の双方で成り立っているのだ。

 蒼次郎は限られた気を用いて技を連携させるために、負担の軽減を最低限にして技を使っていた。だからこそ疾風、旋風、金剛、気の刃という連携を実現し、朱美の刀を殺す事には成功した。支払った代償に見合う成果といえるだろう。


「気の刃は使う必要なかったんじゃないのかい? 普通に斬鉄でもあんたなら刀を斬るくらいはできただろうに。まあ、そこまでしなきゃならないと考えてくれたなら嬉しい限りだけれどね。ところでね、火の奥義にも気の刃があるんだよ。体の外に気を放出するのは、本来なら練気能力を強化する焔があってのことだからね」

「……ならば先に使っておくべきだったな。今となってはもう遅い。言っておくが敵に塩を送るつもりなど俺には無いぞ」


 言われて、朱美はもう一度自分の刀を見、辺りを見回した。周囲には蒼次郎が斬った家人達の死体と彼らが使っていた刀が転がっている。

 朱美がそれらの刀を拾おうとすれば、それは大き過ぎる隙になる。蒼次郎はそれを見逃さないと宣言したのだ。


「塩は必要ないんだよ。あんたの使う風流の気の刃と、火の奥義の気の刃は違うからね」


 短くなった刀で朱美は構え、その刀に気を流し込み始めた。


「刀身に気を流しこんで強靭さと切断力を強化するのが風流の気の刃。奥義の気の刃はね、その名のとおり、気だけで刃を作れるのさ」


 朱美が気を流し込み続けるうち、収まりきれなくなった気は刀から溢れ出し、収束し、一本の刀身として形を整えていた。本来目に見えないはずの気が青白い光として視認できているのは、それが余りに高密度で存在しているからだろう。


「どうだい? これが奥義の中で最も攻撃的と言われる火の奥義の真髄さ」

「刀を再生したくらいで勝ったように言うな」


 くらいと言ってもそれが容易ならざる技であるのは蒼次郎にも判っている。気を体外に放出して自在に形を与えるとなると、単に刀身に気を流し込むだけの気の刃とは根本的に違うのだ。

 とは言え、それが尋常でない技だけに、消耗する気もまた膨大であるはずだ。朱美は刀の再生と引き換えに身体能力の向上に使うべき気を失っているはずだ。


「真髄だと言ったろう? 再生しただけじゃないんだよ」


 気の刃から青白い尾を曳きながら朱美が斬撃を放った。

 それはやはり先ほどまでと比べると遅くなっている。並みの剣士と比べるなら遥かに速いのだからさすがと言うべきだろうが、風流の高速剣を基本にしている蒼次郎から見れば「遅い」と形容できる程度でしかない。

 これを流して反撃につなげればと、そう考えて受け流しの体勢に入った蒼次郎だったが、手に伝わった異様な感触に慌てて飛び退いていた。いや、正確には受け流しの為に朱美の斬撃を受けようとした刀からなんの感触も伝わって来なかった異様さが原因だ。

 朱美がにいっと笑みを浮かべる。


「良い反応だね。あのままだったら刀ごと斬ってやろうと思ったんだけど、一瞬の違和感を感じ取ったんだね」


 蒼次郎の刀には小さな切れ込みが入っていた。先ほど刀が触れあった瞬間に朱美の気の刃が斬り込んだ跡だ。しかも蒼次郎の手になんの感触も与えないほど無抵抗に。


「刀の切断力は刃が薄いほどに高まるけれど、普通に刀を鍛えるなら限界がある。薄けりゃ折れやすくなる道理だからね。でも気の刃なら……ご覧、薄紙一枚の厚みも無いだろう」


 立てて見せた朱美の気の刃は正面からでは一筋の線にしか見えない。そこまで薄く収束させながら強度は通常の刀剣以上なのだ。


「もっとも攻撃と言われる理由、判ってくれたかい?」


 これは切断力によって受け流しを許さないというそれだけを指しているのではない。あの刃で攻撃を受けられれば、それだけで蒼次郎の刀は殺されるだろう。防御すらも相手の刀を殺す攻撃となるのだ。


「ぬうう……」


 蒼次郎は呻き、やがて意を決して大上段に振りかぶった。全身の筋肉が一回り太くなっているのは、土の奥義金剛が発動しているからだ。そして大上段からそのまま打ち下しを放った。


「血迷ったのかい!?」


 朱美は叫ぶ。戦いの始まりに「にわか仕込みの奥義をいきなり使っても」と言ったのは蒼次郎自身だ。先ほどのように攻防の中に組み込めばともかく、単発で撃ってくるなら土の奥義がもたらす膂力も対処は難しくない。

 迫力は十分でも速度に欠ける打ち下しを、朱美は気の刃で迎え撃つ。このまま蒼次郎の刀を殺し、返す刃で蒼次郎自身を斬るつもりだった。

 しかし気の刃は蒼次郎の刀の手前で見えない何かによって止められていた。

 蒼次郎が放ったのはただの打ち下しではなく、土の奥義『山津波』だった。刀身が纏う剣圧が気の刃を受け止めていた。気の刃が軋むような音を立てる。

 この時朱美の脳裏には源川玄蔵の屋敷で見た庭の陥没痕が蘇っていた。膂力頼みの単なる打ち下しだと判断したのが朱美の失敗だった。もう回避できる段階は過ぎている。


「お……おおおおお!」


 朱美はさらに気を流し込み、気の刃を強化していた。気の刃が砕かれれば地面を陥没させる圧力の塊が朱美を圧し潰すだろう。

 再び気の刃が軋むが、今度は追加された気がさらに収束して強化された音だった。

 両者の刀身が接近していく。極限まで研ぎ澄まされた気の刃が山津波の剣圧をさえ切り裂いていく。これは蒼次郎が隻腕だからだろう。例えば源川玄蔵が撃った山津波であれば、いかに気の刃であろうとこうはならない。蒼次郎の山津波は腕一本足りない分で威力が落ちているのだ。

 不完全な山津波と完全な気の刃のぶつかり合いは、やはり気の刃に軍配が上がった。

 剣圧を突破した気の刃はそのまま蒼次郎の刀を斬っていた。

 やった、と朱美が思ったと同時、蒼次郎が遅滞なくさらに一歩を踏み込んでいた。すると斬られて短くなった刀の分も間合いが埋まり、打ち下しは朱美の胸を深々と断ち割っていた。


「がっ!? はあっ!」


 割られた胸から気道にも血が回り、朱美の口から鮮血が吐き出される。呼吸が乱れ、気の刃も消えた。

 よろよろと後退した朱美は自分に何が起こったのか理解すると、既に致命傷を受けていると承知しているはずなのに笑みを浮かべていた。


「最初からこれを狙ってたね……奥義を見せ技にして、二段構えとはね……」

「気の刃の攻撃力、まともにやっては太刀打ちできんからな」

「は、はは……こりゃあ、まいったねぇ」


 血を吐きながら、朱美は笑っている。出血とともに生気を失い、もはや死相と言っても良い。なのに実に晴れ晴れとした笑顔だった。


「良い勝負だったねぇ……うん、良い勝負だった」

「……そうだな」


 蒼次郎がそう答えると、朱美はもう一度満面の笑みを浮かべ、そしてそのまま崩れ落ちた。

 その傍らで、蒼次郎は立ち尽くしていた。

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