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残り三人

 夜が明けて、源川の屋敷には訃流の関係者が集まっていた。

 発見されたままの状態、つまり死んだ時そのままの状態で源川玄蔵の死体があり、それを仁志、瀬田、有馬という分家の当主達が囲んでいる。

 まず一人目は風の奥義書を所持する仁志八雲。そろそろ三十代に手の届く歳だが、実際の年齢以上に落ち着いて見える。剣客というよりも学者と言った方が似合う風貌と雰囲気が、彼を何歳も老けてみせていた。

 二人目は火の奥義書を持つ瀬田朱美。二十代の半ば、妙齢の女性剣士だ。凛々しさが先に立つにしても「類稀なる」という表現を使っても差し支えのない美貌の持ち主である。

 三人目が有馬晴信。水の奥義書を所有している。まだ若く、十六歳という年齢に似合い容貌には幼さを残しているものの、当主らしく堂々とした物腰をしていた。

 三人は微妙に距離をとって立っていた。


「しかし……これは想像以上の有様だな」


 仁志が言った。見ているのは源川の死体ではなく屋敷の庭だ。

 以前は森宗家に住みこんでいた源川は、二年前の事件以降に自分の屋敷を建てた。庭もその時に造られたのだが、武骨な源川の性格を反映してかもともと凝った造園はされていなかった。それが今では荒れ野のごとき様相を呈している。

 灯篭や庭木は粉砕され、地面も所々が大きく抉れている。


「実際凄いもんだねえ……普通こうなるかね、剣の戦いでさ」


 瀬田は呆れ気味だ。


「源川のおっさんは馬鹿力だからね。土の奥義を使えばこれくらいはできるんでしょ」


 応えた有馬も小馬鹿にしたような口調になっている。


「刀を用いながら斬るのではなく砕く。さすが土の奥義というところだが……不器用な源川らしい」

「それじゃあ馬鹿力じゃなくて力馬鹿だよ」


 言って、瀬田はくすくすと笑った。

 両腕を切断され、片目を潰された源川の死体が目の前にあるというのに、誰も彼の死を悼んでいる様子は無い。

 それも当然だ。奥義書を分け合い、島崎郷を共同統治していた四人だが、そもそも仲は良くない。源川がそうであったように、彼ら三人も他の奥義書を虎視眈々と狙っていたのだ。

 だから有馬は言った。


「問題なのはこれを誰がやったのかって事だよね」


 それを聞いて瀬田も真顔になった。


「家人は一太刀で斬られているし、なにより源川を殺ったんだ。並みの使い手じゃないね。あれって奥義の跡だよねえ? 二発、奥義を撃って……それでも源川は負けた」


 瀬田が「あれ」と言ったのは山津波による二つの陥没痕だ。地面には他にもいくつか穴が開いているが、土砂を撒き散らしたそれらとは明らかに違う。

 仁志は屈みこんで陥没痕に指を這わせた。


「他のように砕くのではなく、押し潰すようになっている。剣圧というやつだな。力馬鹿だなどと言って侮れる技ではない。瀬田、並みの使い手ではないと言ったが、それどころではないぞ」

「そうだね。奥義持ちの剣客を斬れるのは、同じく奥義を持った剣客だろう」

「そりゃ……そうだろうねぇ」


 有馬と瀬田が頷く。二人とも自分が持つ奥義の強さを知っている。並みの剣士など歯牙にもかけないし、それぞれの家人である訃流の使い手達が束になっても敵ではない。

 それほどに訃流の奥義とは凄まじいのだ。訃流の奥義に敵し得るのは、同じく訃流の奥義のみ。

 場の空気が微かに軋んだ。年若い有馬が剣気を抑えきれなくなっている。


「慌てるな。生き残った屋敷の者に事情を訊いている。いずれ誰がこれをやったのかは知れるだろう」


 いつも通りの落ち着いた口調で仁志が有馬を宥める。そんな様子を苦笑交じりに瀬田が見ている。

 瀬田から見れば、剣の腕は別として有馬などはまだまだ子供なのだ。

 そこに仁志の従兄である仁志早雲がやって来た。源川の家人から話を訊いていたはずだ。


「なにか分かったのか?」


 仁志が問うと、早雲は頷いた。仁志に似た風貌は僅かに翳りを帯びている。


「源川玄蔵を斬った犯人を見た者がいました」

「へえ。で、それはどっちなんだい」


 瀬田は視線で仁志と有馬を指しながら言った。


「いや、どっちでもない」


「じゃあ誰なんだい!? 他に源川を斬れる奴なんていないだろう!?」

「俺の勘違いかも知れないから、見た奴の話をそのまま伝えることにする。『庭に篝火があったが影になっていて顔ははっきり見えなかった。しかし犯人には左腕が無かった』と、そう言っていた」

「左腕……!」


 瀬田と有馬が絶句する。一人、仁志だけは得心がいったように頷いた。


「蒼次郎か」

「俺もそう思いました」


 早雲も頷きを返す。


「なるほどな。源川の左目、妙だと思っていたが相手が蒼次郎となれば話は分かる。あいつの左目を潰したのは源川だった」


 言われて他の三人も赤黒い穴と化した源川の左目を見た。

 源川の左目は斬られたのはではなく突かれている。しかも目を潰すだけの浅い突きだ。

 目は人体の急所の一つだから、戦いの中では無意識にも庇っている。斬られるならばともかく、突かれれば反射的に避けるだろうし、避けられないならばそのまま脳髄まで貫かれているはずだ。

 だから源川の目は戦いの中で潰れたのではなく、戦いが終わった後に潰されたと考えられる。その点に仁志は疑問を持っていたのだが、やったのが蒼次郎だとなれば納得できた。


「ふむ、早雲、お前は他に見ていること、聞いていることがないか、その家人にもっと詳しく話を聞いてくれ」


 早雲を再び送り出して、仁志は軽くため息を吐いた。


「蒼次郎か……厄介なことになったな」


 しかしそこに有馬が待ったをかけた。


「ちょっと待って。片腕、左目。確かにそこだけ見れば蒼次郎だと思えるけど……でもあいつは殺しただろ? 二年前にさ」

「片腕を落とされて片目を潰されて……そんな有様で川に飛び込んだんだ。それで生きてりゃ奇跡だけど、結局死体は上がらなかった。奇跡は起こったんだろうね」

「だろうな」


 学者然とした仁志が頷くと妙に説得力があった。それでも有馬は納得できない。


「でもさ、さっきも言ったじゃないか。訃流の奥義を破れるのは同じく訃流の奥義だけだって。仮に蒼次郎が生きてたとしても無理だろう? 宗家の跡取りのくせに奥義の継承を危ぶまれていたような奴にはさ」


 小馬鹿にしたような有馬の口調だったが、瀬田は同調せず、仁志は「やれやれ」というふうに首を振った。


「なんだよ、何か言いたそうじゃないか」


 言われて仁志はもう一度やれやれと首を振った。


「言いたくもなる。蒼次郎の剣の才は本物だ。腕だけで言うなら二年前の時点、あいつの方が俺よりも上だった」

「でもそれだけだろ? それでもあんたが候補者になったんだから」

「あの坊やはなんでも器用にこなしていたけど、向いてなかったからね。優しすぎたよ。優しい男ってのも悪くないけど、剣客としちゃあね。技は身についてもあれじゃあ駄目だ。人の斬れない剣客なんて……」


 瀬田は途中で言葉を飲み込んだ。喋りながら仁志の言おうとしていたことに思い至ったのだ。

 蒼次郎が奥義の継承を危ぶまれた結果として仁志が候補に上がったのは、けして蒼次郎の腕が未熟だったからではない。仁志自身が言っているように剣の腕ならば蒼次郎は仁志の上を行っていた。二年前時点では、宗家当主の白州斉を除けば最強の訃流剣士だったのだ。

 ところが蒼次郎は性格的に向いていなかった。争いを好まず、人を傷つけるのを嫌う優しい性格が後継者として相応しくないと判断されたのだ。

 瀬田が途中まで言ったように、人を斬れない剣客など無価値だ。

 だが。


「分かったようだな。二年前、あいつは剣客としては致命的な欠陥を抱えていた。それでさえ最終的に白州斉は蒼次郎を継承者に選んだのだから、あいつの剣の才がどれほど期待されていたかも知れるだろう。そして……いくら蒼次郎でもあんな目にあえば俺達を殺したくもなる。人を斬れないというあいつの唯一にして最大の欠点は、もう無い」

「復讐心か。それは少し履き違えているんじゃないか?」


 仁志の言に否定的な返答をした有馬。しかしそれをさらに瀬田が否定した。


「履き違えているにしたって、それで坊やが人を斬れる剣客になったのは確かなのだろうね。となれば……これは手強いよ。坊やが一人前になる手伝いをしちまったのかね?」

「結果だけ見ればそうなるか。まあ有馬の言うとおり履き違えてはいるのだろうが……しかも今となっては蒼次郎も奥義を持っていることになる」


 実際のところ、彼ら三人がここに集まっているのは源川玄蔵の死そのものよりも、彼が持っていた土の奥義書が気がかりだったからだ。剣客ならば誰もが欲するであろう奥義書だから、源川を斬った者がそれを奪わないはずはないと思えるが、万が一にも奥義書が残されているかもしれない。

 各人が己の家人を連れて屋敷の捜索に当たらせている理由がそれだった。

 しかし蒼次郎と知れれば話は別だ。万が一にも奥義書を見逃す筈がない。


「人を斬れるようになって、奥義書も手に入れた……あの坊やが……」


 呟いた瀬田は幾分顔色を失っていた。

 四人の剣客が一冊ずつの奥義書を持っている。この点だけを見れば状況は昨日までと何も変わっていない。変わっていないのだが、土の奥義書の持ち主が源川玄蔵であるのと、森蒼次郎であるのとでは脅威度がまるで違うのだ。奥義を持たないまま、奥義を持つ源川を斬ったほどなのだから。


「ふふ、蒼次郎が怖いのかい?」


 有馬がいくらかの嘲笑交じりに言った。


「良いじゃないか。あいつを倒せば土の奥義書が手に入るんだ。だったら次は僕の所に来て欲しいくらいだよ」

「おい、蒼次郎を甘く見るなよ。源川のようになりたいのか」


 若い慢心を諌めるように仁志が言うが、有馬は聞き流していた。以前なら仁志は分家筆頭、有馬は分家第三位という上下関係があったが、今となってはそれも無い。年長者だろうがなんだろうが、奥義を持つ者同士対等だと有馬は考えている。

 そんな様子を見ていた瀬田が「話は終わったね」と踵を返した。


「帰るのか?」

「奥義書が無いならこれ以上調べても無駄さね。それに相手が坊やとなれば私もおちおちしていられない。修行をやり直すよ」

「ふうん。随分と蒼次郎を買っているんだね」


 蒼次郎を強く意識している瀬田に対して、有馬は馬鹿にしたような視線を向けている。しかし子供の有馬がどんな態度をとろうとも眼中に無いのか、瀬田は気を悪くした様子も無い。


「誰が次なのかは分からないけれど、あんたらもせいぜい気をつけるこったね」


 それは主に慢心気味の有馬に向けられていた。

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