仇は四人
訃流という剣術がある。この昇陽の国で最強と呼ばれる剣術だ。
島崎という男によって創始された剣術は、当時は同じ「ふりゅう」という読みながら「風流」と表記されていた。
昇陽の伝統的な剣術に大陸渡りの気功を組み合わせたのが風流の特徴だった。
気功によって体内の気が充実すると身体能力が向上する。これは特に気功を学んでいなくとも、武術の類を齧ったことのある者なら容易に実感できるだろう。調子の良し悪しと表現されることもあるが、それこそ気が充実しているか否かによっている。
風流はこの身体能力の向上を速度面に活用していた。
初期の風流の要綱は単純である。
敵より速く攻撃し、反撃の隙を与えぬ速さで攻撃し続け、反撃されたのならさらに速く避ける。
徹底した速度重視の剣術と言える。
その後年月を経ると共に風流は発展し、改良され、速度だけでなく様々な技が編み出された。
そして表記を風流から訃流へと変える。
剣術としての完成度が高まり、あまりに強くなりすぎたために、死を報せるという意味の文字へと変えたのだった。
これと同じ時期に訃流の奥義書が編纂された。
訃流は強すぎるから、最上位の技を「奥義」として訃流から切り離し、一子相伝としたのだ。
それでさえ訃流は昇陽最強であり続けた。奥義を除いた後に残る技だけでも、他の剣術流派の追随を許さなかったのだ。
編纂された奥義書は技の性質によって「土」「水」「火」「風」の四つに分類され、四門の奥義と名付けられた。
二年前まで訃流は奥義書を所有する宗家と三つの分家からなっていた。
宗家は森、分家筆頭は仁志、分家第二位が瀬田、分家第三位が有馬。
当時の宗家当主は森白州斉。老いてなお最強の名に恥じない実力者であり、蒼次郎の祖父でもあった。
蒼次郎の父と兄は既に他界しており、筋から言えば次に奥義書を受け継ぐのは蒼次郎であるはずだった。しかし白州斉は蒼次郎への奥義伝授をせず、新たな候補者として分家の仁志八雲を選び、宗家に師範代として招いている。
そして正式に奥義継承者を発表するとして関係者全員が宗家に集合した夜、白州斉は殺された。
手を下したのは森蒼次郎。継承者の座を仁志八雲に奪われると考えた蒼次郎が白州斉を殺害、奥義書を奪おうとした。そこを仁志、瀬田、有馬の分家衆と、宗家高弟の源川に発見された。奥義書奪取に失敗した蒼次郎は逃亡を図るも四人の追撃を受けて激しく交戦、この時に左目と左腕を失った。その後川に飛び込んだ蒼次郎の行方は杳として知れなかった。
死体は発見されなかったが、飛び込んだ時点でかなりの重傷を負っており、そのまま溺死して死体は川に流されたものと判断された。
この騒動が鎮まった頃、蒼次郎の妹である森葉末が他界している。祖父が殺害され、その犯人が兄であるという状況に耐えかねての自害だった。
その後、奥義書は仁志、瀬田、有馬、源川の四人で分配された。
白州斉は継承者を発表する前に殺されてしまったから、候補者としてあげられていた仁志も所有権を主張できず、一人一冊の奥義書を持つことで力の均衡が保たれたのだ。
これが世間に知られている二年前の出来事だ。
だが、真相は逆だった。
本来奥義書を伝授されるのは蒼次郎のはずだった。
仁志ら四人が奥義書奪取を図り、それを蒼次郎が阻止しようとした。しかし多勢に無勢、それは果たせず、逃走するしかなった。
「まずは源川を斬り、土の奥義書を取り返す。御爺様を殺し、奥義書を奪い、その罪を俺に被せた奴ら……そのために葉末は自害した。俺は絶対に奴らを許せない」
蒼次郎は刀の柄を握り締め、虚空に向けて吐き捨てた。
真相を知るのは蒼次郎自身と鮎と、この二年間身を隠していた風向寺の住職だけだ。
風向寺は古くから森宗家に縁のある寺で、鮎はそこで育てられていた孤児だった。だから以前から蒼次郎や葉末、白州斉とも面識があった。
二年前、寺に転がり込んできた半死半生の蒼次郎から事の真相を知った住職は蒼次郎を匿い、鮎とともに献身的な看護を行った。
そうして一命を取り留めた蒼次郎は、こうして帰って来た。
復讐と、奥義書奪還のために。
そんな蒼次郎を鮎は痛ましく思う。
あの事件より前の蒼次郎は明朗快活な青年で、鮎にも優しく接してくれていた。温和な中にもどこか怖いものを感じさせる白州斉と違って、本当に根っから穏やかな青年だったのだ。
その蒼次郎は今や復讐の剣鬼と化している。
傷が癒えて後、これまで身を隠していたのも、今や奥義書所有者となった四人の仇に打ち勝つために剣の修業をしていたからだった。
「今夜源川の屋敷に乗り込む。今度は大人しく待っていてくれよ」
蒼次郎の手が鮎の頭に乗る。優しく撫でる手から頭にかかる適度な重さと、仄かに感じる温かさが鮎の心を満たす。剣鬼と化した蒼次郎も鮎にだけはこうした優しさを見せてくれる。
だから鮎は寺を出て蒼次郎に着いてきた。
自分がいれば、蒼次郎は優しさの最後の一欠片を失くさないでいてくれる。
そう思えるから。




