あのこはいない
本編前の正規ルートになります。
●16歳
「……」
血の海に沈む、物言わぬ死体を抱き締める光輝の姿を、それぞれの親たちはもう、見ていられなかった。
あの光輝が、泣いている。
美奈が息絶えるまでは何時も通りだった彼は、美奈の瞼が恐怖に引き攣ったまま閉じられるのを見て、その息が止まるのを感じて、その心臓が動きを止めた瞬間に涙を零した。
彼の父は、母は、そして美奈の父母は、知っていた。
確かに彼の愛情は執着とも言い換えられるものだったが、それでも、美奈の意思を尊重はしていた。
4人は光輝が美奈にしている事は知らないが、それでもその愛情の真っ直ぐさに打たれて、好きにさせてやろうと思っていた。
光輝の母は光輝が幼い頃に、既成事実でも作ってしまったらと先に謝ったが、体を繋げるどころか唇にだけは口付けのひとつもしなかった事を知っている。
不器用なのだ。
迷いなく突き進んでいるようで、けれど、傷つける以外には愛を伝える術を知らなかったのかもしれない。
それを知る前に美奈が居なくなったことは、けして彼にいい影響を与えはしないだろう。
光輝は、亡骸の唇にそっと口付けた。血の味がする。
ぽたぽたと涙が美奈の頬を滑り落ちていく。
その光景は陰惨で、退廃的で、そして何より、哀しかった。
◆
愛の注ぎどころを失って、光輝はまるで人形のようになった。
まず最初に表情が消えた。美奈の体が火葬場で焼かれるのを見て、すうっとその表情がなくなっていくのを、沈痛な面持ちで彼の親は見た。
言葉の抑揚がなくなった。美しい声だというのに、殆ど揺れない平坦な声になった。
そして無気力になった。学校に通い、ただ授業を受けるだけだった。自宅では延々と美奈の写真の入ったアルバムを眺めていた。それでもテストは決まって学年で1番だった。
もう、猫を被ることすらやめていた。
剣道部では厳しいながら気遣いの出来る人間と通っていたが、既に気遣いは無くなった。元より美奈以外に興味がゼロだったのだが、美奈があまりに周りを気にしろと言うので従っていただけなのである。
光輝の世界は美奈だけだった。
美奈が居なくなれば、世界など無いも同然なのである。
やがて進級し、最高学年になり、気づいたら生徒会長に祭り上げられていたが、全く心は動かない。事務的に仕事を進め、ただ最短距離だけを選び取る彼は、気づけば氷の男だと言われていた。
ただ、美奈の写真を眺めているときだけは、ほんの僅かに表情が和らいだ。
――そんなある日のことだ。
気づいたら、彼は上下左右見渡す限りの暗闇に包まれていた。
常人ならば取り乱す光景。暗闇の中に自分の体だけが見えているのだ。しかし光輝はぴくりとも表情を動かさず、ただ無感動だった。
(……ああ、もしかして、死んだのか? 美奈と同じ場所に、行ければいいけど……)
そう考えた時には少しだけ口元が歪んだが、どうも動きはなく、このままずっとこうなのかと思うと再び無表情に戻った。
(美奈、美奈、美奈、あいたい)
願うのはそれだけだ。ここの所、ずっとそう思う。あの頃得られていた心の揺れは心地よかった。美奈の一挙一動に揺れていた心がひどく懐かしい。
美奈の息の根だって、自分の手で止めたかったのに。
美奈を殺した女に、嫉妬すら覚えた。
(美奈……)
そっと目を閉じる。
――そのときだった。
「いやあ、流石だ」
全方向から聞こえてくるような奇妙な声に、ふと顔を上げる。
しかし回りには何も無い。
「あ、すまんすまん、今出るから――」
ずる、と。
空中に切れ目が入ったように、片足が突き出た。
サンダルのようなものを履いた、ややごつごつとした男の足だが、色は白い。
光輝はなんの感動もなく、ただ眺めていた。
「よいしょっと」
出てきたのはくるくるとカールした茶髪の、やや童顔な青年だ。
ギリシャ神話にでも出てきそうな服装で、容姿はとても美しい。……といっても光輝は一ミクロンたりとも心を動かされはしないのだが、大抵の女性なら見た瞬間抱きつきたくなるような魅力が発せられている。
「ちーっす、どうも、愛の神様だ」
「……」
「え、もうちょい反応しない?」
光輝はどうでもよさそうに再び目を閉じる。
が、次の言葉に目をカッと開いた。
「折角愛しの美奈ちゃんに会えるチャンスなのに!」
次の瞬間、愛の神は地面に思い切り叩きつけられていた。
「俺以外が……美奈の名前を、呼ぶな」
焼ききれそうなまでの憎しみをぶつける。獣のような殺気に、愛の神はにやりと笑った。
「そうそうそう、その目だその目。いいねえ、最近じゃ珍しいよ、お前みたいなやつは」
「うるさい」
「俺が見たいのはそういう愛なんだよ。愛ってのは生易しいんじゃ駄目だよな、あんなお遊びみたいな愛じゃつまんねーよ。お前みたいな奴が沢山いればいいのになあ」
「うるさい!」
ガンッ、と靴底を顔に叩き付ける。しかし愛の神は愉快そうに笑うだけだ。
「会いたいか? 全てを捨てても、会いたいか」
「当たり前だ」
「おう、それでこそ!」
意味が分からない。
足をどけると、愛の神は汚れ1つつかない顔を払って立ち上がった。
「おめでとう、幸運の神に好かれてるぜ、あんた。運良くお前の愛する人が居る世界から、召喚される事になった。それで、だ」
「……」
「――向こうに彼女は居る。だが、姿は別人だ。……愛の神が約束しよう、それでも彼女を見つけ出せたなら、永遠に、生まれ変わっても共にあれることを」
視界が白く染まる。
「見つけろよ。そんで、一生離すな」
言われなくても、と光輝は呟いた。
(16歳→IF集)
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