星のかなたへ 上
転生数十回目。
SF風味、宇宙戦争のような何か。それを期待するとがっかりすると思いますが、ようはSFの皮を被ったいつものヤンデレです。ではどうぞ!
屈みこんで、一本の短剣を引き抜いた。
「――母さん」
ゆっくりと頬を伝う涙は、焼け焦げ渇いた地面を潤していく。
ぼんやりしていると、ふと馴染みの魔力を感じる。
目を向けると、石が落ちていた。
きらきらと輝く、角度によって銀に輝く透明の石。こぶし大のそれは、半分近く黒い靄が侵食しているため、金にはなりそうも無いけど――
自分にとっては、たとえ金塊を山と詰まれても差し出さないであろう、ただひとつの宝。
拾い上げたそれを大事に仕舞い、あたりに残されていたぼろぼろの武具も拾い集め、全ての痕跡を纏めて土に埋める。
最後に、炎の短剣を地に突き刺す。
「父さん」
大嫌いだ。
◆
時代は移り変われど、認識票というのはあまり変わらない。昔のそれは金属板だったが、今のこれは宇宙空間でも劣化しない特殊な素材で作られているだけで、形も内容もさほど違ってはいないそうだ。何故かと言うと、複雑にすればするほど壊れやすいからだろう。
私の認識票には、こう書かれている。
――ルミーナ・F・ハルゼルトーザ
XXXXXXX 精霊β7種・精霊王使徒
かつて大陸全土で信仰されていたソーマ教。大災害により大陸の殆どの国が滅びた際には人々のよすがとなり、やがては法王の血筋を皇族とした国が出来上がった。それがリーベル帝国という。惑星リーベルの名を冠したこの国は、最終的には惑星を統べる大国になった。この頃漸く精霊たちから齎された知識により、人間の間に地動説が浸透し、この星は“地の球”――地球という別称で呼ばれるようにもなった。それに伴って皇帝を指す別名、“天皇”が生まれたというのは今となっては真偽の分からない逸話である。
それから数千年、人間は母星を飛び出して星の海へ旅立った。ゆっくりとした進歩ではあるものの、精霊は気長に見守った。そして人間に干渉しない神々と、人間と共に歩む精霊の対立は深まり、人間たちは信仰を捨て目に見える精霊を友として歴史を刻む。
――やがて宇宙を舞台に神々との戦争が始まる。宇宙空間での戦いに活躍したのは戦艦だけではない。なんといっても花形は機動装甲を操る“鋼の騎士”――縮めて“騎士”と呼ばれる者たちであった。彼らは勇猛果敢に神々に挑み、伝説を残した。
そして大戦は、まだ終わってはいない。
私は認識票に記された通り、ルミーナ・ファランダ・ハルゼルトーザと言う。騎士なのであまり指揮を取ることはないが――軍服の襟元に付いたバッジや胸の階級章を見れば分かる通り、階級は大佐である。
「……っぐ、ちょ、やめ――!」
その認識票やバッジが今、毟り取られかけているのだが。
◆
騎士になった事に大きな理由はない。精霊王や仲間に薦められたから、だろうか。
だが、思いがけず機動装甲にハマってしまい、星の海を駆け回る毎日に時間を忘れて――まあ大体、50年くらい経っただろうか。精霊である私にとって、その時間は大きなものではない。周りの仲間は老いたり死んだりもするが、そういうものだと思いつつ見送ってきた。
3ヶ月前から私はとある任務に出ていた。半年ほど前に信神派と使徒の集団に82人の乗った小型艇が襲われ、全員が浚われている。以来居場所を探してきた。
そして漸く見つかったので、これから救出に行く。
「どうやら使徒が3名と、竜人の護衛が居るようです。竜玉を握られているのかは不明ですが」
竜人は古代の竜の血を引く人種。体に竜玉を持ち、それを奪われれば従うしかない。割られると命に関わるからである。使徒とは神に仕える立場の神のことだ。場合によっては低級の神そのものを指すこともある。
「出来れば確認して保護する。後は?」
それにしても硬めの口調で話すのも疲れるなあ。
私は出撃のために格納庫へと歩きながら、ラーエ副官の報告を受ける。それにしても82人を1人で救出してこいとか――内心愚痴りつつ、愛機ハルベルンの黒い装甲を撫でる。
「頑張ろうね」
古代の勇者の妻となった精霊の名を冠する機体。黒のボディに銀色のラインが入り、まるで宇宙に流れる天の川のようだと言われている。――機体名の由来であるミーナ・ハルベルン同様、私も黒髪に銀の瞳の無の精霊だ。だからこの機体を与えられたのかもしれない。
整備士を労いつつ搭乗すると、足元から水が迫ってくる。なんとかかんとか溶液と言って、確か開発者の名前が付いていた。この溶液の中では私のような人型を崩しにくい精霊でも霊体を拡散させる事が出来る。
これを利用し、精霊用の機動装甲はより直感的で繊細なコントロールを実現した。故に精霊騎士は戦場で最も強いとされている。
足元に設置されたレールに沿って機体が動き、壁まで到達すると今度は上へ。それが止まった所で前を見れば、もう前方には美しい宇宙の煌きが覗いている。
『ご武運を!』
満たされた水は限りなく透明で、そこに液体がある事すら分からないほどだ。軍服は水の中だとぴったりと体にくっ付くが、出れば水分が残らない優れものである。
モニターの端に写るラーエ副官の生真面目な顔に、私はにっこり笑って応える。そして――宇宙へと勢い良く飛び出した。
神の作った造星はすぐ前方に見えた。
規模もさほど大きくはなく、スタンダードな島型のそれは半球形の結界を載せて浮かんでいる。その中には大気が詰まっているのだ。島の上には恐らく捕らえた人々を収容しているのであろうドーム型の灰色の建物があり、3人の使徒が既に武器を構えて立ち、その横には件の竜人らしき者も居た。周囲には光の球体が浮かんでおり、幻想的に見えるが間違いなく攻撃用である。
早速飛んできた攻撃を片腕に持った盾で受けながら、真っ直ぐに進む。――真っ直ぐに直進しろ! と新兵時代の私に命じたのは誰だったか。上官殿、直と真っ直ぐは同義です。
『そこの使徒! ただちに武器を捨て降伏せよ、さもなくば攻撃する!』
腹の底から声を上げる。意味のないことだと分かっていても、言うのが規定なのでしょうがないのだ。私としてはとっとと戦いたい。
「来たか――行けッ、ハイゼレン!」
こちらの言葉を全く聴かず、一番偉いように見える使徒が叫んだ。
大蜥蜴――神が使う竜人の蔑称である。この手の言葉はやたら多く、飼い犬に手を噛まれた神々の屈辱感がなんとなく伝わってくる。
そして、ぼんやりと立っているように見えた竜人の目が、ぎらりと輝いた。
口を利けないのか何なのか返事は無いが、ばさりと背から出た翼は黒く大きい。黒髪の合間から角が勢い良く突き出て、手足に鱗が浮かび上がり、黒かった筈の瞳は赤く染まる。
『古竜人……!』
機体にあるカメラを通してそれを見た司令室の面々が驚きの声を上げた。
竜人は竜人だが、今の時代、竜としての特徴が残る者は少ない。人間の血というのは思いのほか強く、今はどの種族も徐々に人間に近づいている。
だが稀に特徴が強く出る者も居る。彼らは種族名に“古”を付けて呼ばれ、手厚く保護されているはずだ。
「――面白い!」
私は『保護! 保護を!』と叫ぶ副官をスルーして加速した。古竜人と戦える機会はそうそう無い。本来は皇宮の奥深くに保護されるか、強いならばそれこそ皇帝の護衛だから、……謀反でも起こしたら戦えるだろうけど。
穏健派に見えるが、精霊騎士はほぼ全員例外なく戦闘狂なので仕方ない。これでもおとなしい方だけど、やっぱり技を試してみたい気持ちが勝る。本能、かもしれなかった。
そして私が接近していくと共に、竜人はゆっくりとその脚を少し曲げていく。飛び掛る寸前の獣のような姿勢が視界に映り――次の瞬間だった。
この先、一万年近く続く長い長い大戦中、最初で最後の出来事。
後の歴史書には記されなかったが、あまりに衝撃的であり、忘れられることはなかった。
――古竜人、機動装甲を押し倒す。
「――っ!?」
何が起こったか一瞬理解できなかったが、力強く引っ張られ、そして背中が叩きつけられる感覚。モニターに移り込んだ古竜人の姿に、背筋に寒気が走る。
押さえつけられたといっても、そもそものサイズが違うのだから意味がない。起き上がりざまに、近づいてきた使徒を右手に装着されている剣でぶった切り、左手で古竜人を引き剥がそうとするが――離れない。
精霊用の機動装甲は人間用に比べ小型である事が多い。ハルベルンも身長3メートルちょっとくらいだし、ぎりぎり首に抱きつけるのは分かるけど――いや、何で抱きつくの?
『離れなさい』
「……?」
マイクを通して叫ぶと、古竜人はひょこんと首を傾げた。いや、可愛くないから。怖いから。
残った2人の使徒が神語か何かで叫び散らして命令しているようだが、全く意に介さずに抱きついている。何がしたいのこの人。
そして私は抱きつかれたまま敵国軍使徒2名と戦った。魔力光が剣を包み、斬った軌跡がそのまま衝撃波となって敵に襲い掛かる。……動くたびに視界で古竜人の尻尾が左右に揺れて地味に邪魔だったけど、なんとかやった。やってやったぞ、私!
戦闘はあまり面白味もなく普通に終わり、とりあえず捜索を始める。
浚われた82名は造星の上に立つ建物に詰め込まれていた。洗脳はまだ最終段階ではないようで、これならカウンセリング程度で己を取り戻せるだろう、多分。
一度母艦に戻って手頃な小型艇を誘導して戻り、更に母艦まで護衛して帰る。
その間くっ付いていた古竜人は、一応捕虜扱いになり、拘束用のリングを装着されて漸く離れる。その隙に漸く機体から降りた私は――
「ふぎゃっ」
――誰ひとり制止できない速さで、思い切り飛びつかれて地面に転がった。
近くで見ると、その顔立ちが非常に整っている事が分かる。既に人間と変わらない姿に戻ってはいるものの、古竜人である事をはっきり感じさせる力の強さ。
というか――折れる!
「いっ――だだだだだだだだだ! ちょっ、お、折れ」
「大佐ああああ!」
ぎちぎちぎちと音がしそうな勢いで締め上げられ、肺から息が搾り出される。材料は違うが、人を模した精霊は造りも人間に近い。折れたりしても人間のように損傷するのとは少し違うのだが、痛いものは痛いし苦しいものは苦しい。
そして――
「ひぎゃああああああああああ!」
ボキッ、と音がした。
◆
そして――目が覚めると共に、首にチェーンで提げた認識票が引きちぎられんばかりに引っ張られ、ついでに服を脱がされかけていた事に気が付いた。
精霊出身技師謹製のリングが力を抑えているお陰で、特殊素材の軍服が千切れる事はなんとか免れたらしい。しかし既に階級章であるバッジがひとつ部屋の彼方へ飛んでいた。
「このっ……やめっ、やめなさい! やめて! 本当に! ちぎれる!」
一言も口を利かない、一応捕虜の古竜人。何で私に任されてるんだと思いながら必死に抵抗するが、力の差は激しい。魔術まで駆使して引き剥がした頃に、通信が入った。
艦長であり司令官である人物がスクリーンに映る。にこにこと微笑んだ初老の男――デルヘレムス中将は、簡潔に告げた。
『今回の任務、ご苦労だった。捕虜40225号に関しては全てハルゼルトーザ大佐に一任する。以後出来る限り随伴するように――それから、2ヶ月の休暇を与える。ゆっくり療養するように』
「…………!?」
返事をする暇もなく通信がぶちりと切れ、書類が転送されてきた。
起き上がるなり後ろから抱き付いてくる古竜人を振り払おうとしていた私は、呆然として固まり、うっかり折れていた左腕に力を入れて呻いた。
要は面倒ごとは押し付けて現場にも出しませんって事か。へー……いじめか、いじめなのか!
捕虜40225号。
捕虜とはいえ流石に普通は名前で区別されるのだが、名前欄に何も書かれていない。……つまり名前が無いのだろう。出生地はどこか知らない星だが、卵のうちに戦火に巻き込まれて浚われ、神の元で孵化した。神兵として育てられる過程であらかじめ喉を潰され、言語に関しては赤子同然だそうだ。――年は19歳、私より遥かに年下。古竜人だからなのか洗脳が効きにくいようで、一部除いて聞き分けはいい。
一部、というのが私のことだ。というか、どう考えてもそれ以外の方が一部じゃないだろうか、と思えるほど懐かれている。
いや、懐く、なんてかわいらしいものじゃない。
現在進行形で腕折れそうだし。
「あだだだだだだ誰か助けてえええあうぐぇっ!」
助けを求めたら力が強まった。何だこの人間万力痛い痛い痛い痛い!
っていうか締めすぎてだんだん海老反りというか酷い状態になってるような気が――いだだだだだだ! ちょ、折れる、脊髄とか色々折れそう!
「……怪我中に格闘技ですか? 精霊の方にはよくある事なんですか、大佐」
「ないないないないないない――無いから! 助けて!」
副官のアノリが隣室から食事のプレートを二枚持って、行儀悪く足でドアを開けて入って来た。可愛い娘だが、文官なのにやたらと腕っ節が強い。魔力がスカスカだから文官になったそうだけど、正直言って彼女のために腕力で動かせる兵器を開発すべきだと思う。
ラーエ副官は男だけどひょろいし弱くて、アノリとは対照的だ。見た目は普通にイケメンなのに、なんというか現実は厳しい。
「了解であります。よいしょ」
……よいしょ!?
ひょいと軽い動きで古竜人は腕を纏め上げられ、新しいリングでベッドの端に固定され――バキッと音がして留めた棒の部分が折れた。アノリは半目になりながら、ポケットから何やら取り出し、握り締めて勢い良く壁に突き刺す。
「技術部の新製品だそうです。壁が傷つきません」
コの字型であろう金具が壁に刺さっていた。アノリはリングをそれに固定し、今度こそ外れないし壊れないので満足したように頷いた。
「それにしても、とんでもない犬を拾われましたね」
「拾ったんじゃなくて……」
「マウンティングされて、そのまま引っ付かれたんですよね?」
「……上手く否定できないんだけど、違う!」
断じて違う。違うと思いたい。
びくびくしながら拘束された古竜人を見る。表情は相変わらず無いが、ほんのり起こった雰囲気が伝わってくる。だから、怖いって。
「とりあえず、呼び名だけでも付けませんか?」
「名前……ああ、そうだった。戸籍には?」
「残念ながら。該当する惑星が襲撃された時点で卵だった竜人は21名。その状態では普通の竜人か古竜人かは分かりませんし、随分と辺境でしたので生体データもありません。卵の色や紋から4人に絞る事は出来ましたが、このどれかの名前を与えては?」
そう言って端末を手渡してくる。映っているのは四人分の戸籍データであった。
いずれも生死不明だが、名前はある。といっても幼名……卵を呼ぶための仮の名前だが。
ハイヴ、レデリカ、イーゼロ。――そしてコウキ。
コウキ、というのは古代の英雄の名だ。ミーナ・ハルベルンの夫であり、異界から来た勇者。彼らの死因が神との交戦の末の心中であるため、この時代になって再び見直され、新たに神として祀るような動きもある人物だ。精霊王ですら認める本物の“英雄”である。
史実と伝説にはかなり差があるそうだが、とにかく本物だ。
……昔から何故か、コウキと聞くと本能的に恐怖を感じるんだけど、何でだろう。とにかく、よく使われる名前だ。知り合いにも結構いる。
「じゃあ、コウキで」
「分かりました。登録しておきます」
「うん。苗字は……どうしようかな。どういう扱いになるの?」
「捕虜ですが、どうしようもありませんし。いずれは兵扱いにするのでは? あ、保護は無理です。皇宮に近づけるのは危険との事で、リーベルには今の状態では入星すらできません」
「……そこまで!?」
何をしたんだ、何を。
そう思いつつ、後ろ手に拘束されて大人しい古竜人改めコウキを見る。
……どうしよう、これ。いつまでも拘束しておく訳にもいかないだろうけど、離すと命の危険だ。
「それと、こちらを」
「何それ」
「新型の抑制リングです。大体四つで人並みに出来るそうです。付けておきますか?」
「お願い……」
怖くて近づけないので、アノリに付けてもらった。これで安心である。
――そうして、とんでもない捕虜と私の戦いが始まった。
◆
私の一日は、隣室のベッドにがっちり拘束されたコウキを開放する所から始まる。
こうしないと寝ている間にというか寝る前からしがみ付かれる。性的に襲われる訳ではないが、嗅ぐわ舐めるわ噛み付くわやり放題で、私は犬のおもちゃかと言いたい状況に陥るのでアノリに頼んで引き剥がしてもらう。
人並みの腕力にまで落としても、私の抵抗は殆ど通用しないのだ。古竜人こわい。
足を外し、首を外し、腕を外す。寝返りを打てるように拘束具に余裕を持たせているが、大抵は仰向けのまま微動だにしない。表情もないし口も利かない、全く心の読めない人間だ。
かといって――心を覗くのが得意な精霊もいるのだが、覗いた瞬間に顔を真っ青にして倒れ、起きたと思ったら吐いて、何を見たのか聞くと思い出したのかまたぶっ倒れた。
私も出来なくはないが、あの時の精霊の様子を思い出すと怖いのでやっていない。
「おはよう」
引きつった顔で声を掛ける。コウキは起き上がると、ガラス玉のように感情の窺えない黒い瞳をこちらに向けて、ゆっくりと手を伸ばした。
抵抗すると腰あたりからバキッと逝きかけるから、抵抗するのはやめた。というか怖い。何でか分からないけどものすごく怖い。う、動けない訳じゃないんだからね!
保護者としてこれでいいのかと思うが、どうしようもない。偉ぶった精神科医がこの前「刷り込みのようなものでしょう」云々と言っていたが、親として見ているだなんて誰が見て思えるんだ。
「……」
私より背は高いので、正直くっ付かれると邪魔なのだが、そこはもう諦めよう。
べったり引っ付いたまま食堂に行く。これでも大佐なのでみんな挨拶はしてくれるが、最近哀れみを含んだ目を向けられている気がしてならない。
「おはようございます、大佐。休暇はいかがですか?」
「……楽しいように見えるの?」
「楽しそうですね」
こいつ本当に私の部下か、と言いたくなるような態度で挨拶してくるのはラーエとアノリに続く3人目の副官、マゼナグ。ちなみに副官は大体5人くらいずつ付いている。私は4人だけど。
「いえ、本当にいつになく楽しそうですね。どうしたんですか、そのゆるい口調」
「疲れてるんだってば……」
普段はもっとキビキビした女軍人で通ってる筈なんだけど、キビキビするのも疲れる。そもそも精霊ってゆるい性格の生き物だから。
「そうですか」
「決めた。休暇中、寝るから」
「お盛んなことですね」
「殴るよ」
言い切る前に殴ったが、堪える様子はない。
というかこちらの手が痛いほどだ。見た目こそ普通だが、犀あたりの獣人の血を引いている。
「さておき、確かに大佐は少々働きすぎでした。明日にはセントラルから臨時の騎士が配属されて来ますので、存分にお休みください」
「……誰が来るの? そもそも次の任務、何だっけ」
「幸いにも、暫くはただの哨戒ですよ。それに臨時といってもですね――」
マゼナグはその顔にきらきらとした色を浮かべた。そ、そんな顔初めて見たんだけど。
「――“伝説”です! 驚きましたよ。まさかミツキ・ヤシロが来るなんて。あ、言っちゃった」
一瞬、食堂が静まり返った。
そして爆発するような歓声。兵たちが声を上げ、あっという間にマゼナグが囲まれて見えなくなる。私は呆然としながら、手に持っていたスプーンを取り落とした。
ミツキ・ヤシロ名誉騎士。帝国軍においての地位は少将だが、それはあくまで彼が地位に興味を示さず、また望まなかったためであり、本来ならば軍のトップに居てもおかしくはない人物だ。
半精霊であり――コウキ・ヤシロとミーナ・ハルベルンの息子でもある。まさに生ける伝説で、精霊王の信もある。女嫌いで有名だが、迫られたり秋波を送られたりしなければ普通である。
盛り上がる食堂で、隣で黙々と食事をするコウキを見て、ふと思った。
……コウキなんて名前を付けた矢先にミツキ・ヤシロが来るなんて、なんという偶然だろう。
「コウキ、は……終わったね。片付けて来ようか」
どんなに階級が高くても、軍では自分で食器くらい上げ下げするのが普通だ。食べ終えた食器を重ね、一まとめにして持つ。立ち上がると当然のように抱きついてくるので、数日前からこうなった。歩き易いように。
まったく切ないことに、適応し始めている自分が居る。
これではいかんと重いつつ食器を返して、ずるずる帰る。熱狂状態の食堂を抜けて、とりあえず……トレーニングルームに向かった。
やることないし。
「そうそう、上手い上手い」
だんだん子守になってないか? と思いつつ、的を正確に撃ち抜いていくコウキの腕前に感心した。というか冷や汗が出る。練習用魔弾に殺傷力は無いが、ちょっと末恐ろしいというか。
魔力カートリッジに充填し直して渡すと、見事に端から端までど真ん中を撃ち抜く。銃は向こうには無いから何だか分かっていない様子だったが、やってみせると簡単にこなした。
才能があるのだろう、と思いつつ色々試させてみる。
……どれも私より上手かった。古竜人って怖い。
「……まさか、これもかな」
機動装甲操縦シュミレーション装置――精霊用。人間用と違って高度な知識は必要ないが、感覚で操作するのはなかなか難しい。あくまで装置だから人間でも使えるし、体験用という意味合いもある。
中に入り、一通りの動きを見せてみる。モニターの中で撃破されていく敵と私を交互に見ながら何かを学ぶような目をしていたコウキは――やはり、私を上回る得点を残した。
才能って理不尽だと思った。
◆
翌日、今日ばかりは出ない訳にはいかないので軍服をきっちり着込んで、コウキには……とりあえず様になりそうなのを適当に選んでもらって着せた。
非戦闘員用の正装は軍服とはまた違うが、ピシッとしたのが似合うなあ。私も一応精霊だからそれなりには整っていると思うけど、コウキと比べると凡人だ。
「行くよ」
相変わらず表情の変化が薄い。有能な部下たちの調査によれば、その力を封ずるために視覚と嗅覚以外は殆ど封じられた状態で、操られながら戦いを強要されていたらしい。
実の所、こちらの言葉もほとんど理解出来ていない。味を感じたのもこちらに来てからだ。哀れではあるものの、出会いから今に至るまで色々と衝撃的すぎておちおち同情もしてられない。
お偉いさんが来るという事を頑張って理解してもらい、手を繋ぐだけに留めてもらった。力の加減が出来ていない所為でかなり痛いけど、が、我慢。忍耐だ、ルミーナ・F・ハルゼルトーザ!
「大佐、おはようございます。大丈夫ですか?」
ラーエ副官が気遣わしげに言う。……柱の影から。え、そんなに怖い? 怖いけどさ。
「大丈夫だ。ヤシロ少将閣下の到着は?」
「やや早いようですが、問題ありません。出迎えの方は――」
「予定通り、私が出る。準備は?」
万全です、とやはり柱の影から言う。彼は副官の中でも弱い方だし、割と気が小さい。
ちなみに、一番肝が据わっているのは四人目の副官、ディアファナだ。かつて大陸を支配したエレゲイア帝国の王族の血を引いているそうで、なかなか頭も切れる。
私はコウキの手を引いて、艦内をすたすたと歩いた。階級が上であるヤシロ少将を出迎えるので、絶対という訳ではないが私が出なければいけない。まあ、礼儀の問題だ。
「大人しくしててね」
「……」
分かっているのかは怪しいけど、頷いてはいる。徐々に距離を詰めてくるのが気に掛かる所だが、情緒不安定で離れられないと報告してあるので文句を言われても大丈夫……と思えば少しは気が楽だ。
初めて見るヤシロ少将の機体は、ほとんど人間に近いサイズだった。機体名はレーヴィン、色合いは藍色から黒のグラデーションだ。
宇宙空間と艦内を隔てる結界の膜を通り抜け、鎧を着た人間のようなシルエットが滑り込む。滑らかな表面はどこか生物的だが、光を受けて硬質な輝きを見せていた。
このサイズだから、殆どきぐるみを着るような状態になる。まず頭が後ろに外れて、それから胸部が左右に開き、ひょいと中からヤシロ少将が飛び降りた。
艶やかな黒髪に、銀色の瞳。そういえば私と同じ色合いだ。
コウキといい勝負の美しい顔立ちに、均整の取れた完璧な体。纏うのは名誉騎士専用の軍服で、黒地に銀色の刺繍がたくさん入っていて、よく似合っている。
ミツキ・ヤシロ。
生ける伝説とはまさに彼の事だ。精霊も半精霊も不老だし、古代から生きている者も珍しくはないが、彼ほど有名な者もなかなか居ない。精霊王と張れるほどだろう。
ごくりと唾を飲み、無意識にコウキの手を握り締める。流石に緊張しつつ言葉を発――そうとした所で、不意に眼前が黒に染まる。
「母さん!」
こんな大きな息子を生んだ覚えはないんですけど――いや、待って、何? っていうか、あれ、もしかしなくても抱きつかれてる?
訳の分からないまま固まっていると、片手を握り締めていた手が離れて――視界の端で燐光が煌き、漸く私は我に帰った。
コウキが、戦闘態勢に入っている。
「コウキ!?」
「威勢がいいなあ。その様子じゃ記憶もなさそうだけど、三つ子の魂百までって奴?」
何が!?
唖然としたまま固まる私の前で、本気のバトルが開始のゴングを鳴らす。パキンと音を立てて拘束リングが全て弾け飛び、ざわりと両手から首、頬の一部にかけて鱗が浮き出る。背から飛び出した翼が力強く羽ばたき、弾丸のように飛び出していった。
ヤシロ少将は唇を歪め、障壁を張りながら息をするような軽さで魔弾をばら撒いたかと思えば残像を残してコウキの背後に出現した。しかし野生の勘恐るべし、振り向かないまま広げた翼と尾で攻撃を加えるが、それも避けられ――じゃない、実況してる場合じゃない!
……何でここでドンパチ始めるの!?
訳の分からない状況に色々と肝が冷えるけど、とりあえず流れ弾の処理に集中した。
精霊か竜人でなければ普通に死ぬようなものを乱発しないで頂きたい。
――数分後、どうやら決着はついたらしい。地に這い蹲ったコウキと腕組みして立っているヤシロ少将に、何故か「やっぱり勝てなかったか」と少しだけ残念な気持ちが沸いて、首を振った。
我ながら、そんな不謹慎な。
「変だな」
ヤシロ少将は首を傾げながらコウキを見下ろしている。その表情は腑に落ちないような感じで、……えっと、本当にどういうご関係で。
「記憶が無くても、こんなに弱い筈ないんだけど……もしかして、頭弄られてる? まいったな。そうか、神に捕らえられてたんだっけ。流石の父さんでも卵じゃ抵抗できないな。出来たら怖い」
でかい独り言が聞こえてくるけど、理解できる事項がひとつもない。いや、何が父さん?
「しょうがないな。これじゃあ困るから、戻してあげよう。うん」
余人置いてきぼりの独り言タイムが終わり、ヤシロ少将はぱちんと手を打ち鳴らした。気合を入れるためらしい。
そしてコウキの額に手を当て、何か魔力を発したかと思うと――
壮絶な悪寒が走った。
「やあ、父さん。いつ振りかな?」
軽い調子で投げかけられた声。コウキがゆっくりと起き上がり、口元に初めて見る笑みを刷いて――少し喉に触れてから、言った。
「知らないよ。そろそろ死んだら」
少し、ヤシロ少将にも似た声たが――声音は正反対に冷たい。凍傷どころか指がもげ落ちそうな極寒の声は、とんでもない言葉を紡いでいるのにやたらと美しい。
不敬にも程があるのに、私はやはり動けずに居た。
……なんというか、この場から逃げた方がいいような気がしてくる。
そしてヤシロ少将の体が壁際まで吹き飛ばされた。魔法なのか、それとも手足が出たのか、それすら分からない速度の攻撃だった。いって、と気の抜けるような声。コウキは興味を失ったように背を向けて、こちらに歩いてくる。
何故かデジャヴを感じる威圧感。蛇に睨まれた蛙のように固まっている私に歩み寄ったコウキの瞳には、深みのある知性の色。無表情であっても、前とはどこか違う。
伸びてくる腕が、加減を知らない強さで抱きしめ、そして黒い翼に包まれる。
「久しぶり」
鳥肌が立つようなねっとりとした囁きが耳に流し込まれた。
薄い唇がそのまま耳朶を食み、背筋を汗が伝う。得体の知れないとはまさにこのことで、ひとつも理解できないのに、感覚だけが鮮明だ。
「美奈」
投げかけられた名前は、自分ではないのに自分のように感じられた。
◆
「……それで、き、記憶が戻ったってこと?」
「そういう事になるね」
「そんな、馬鹿な……いやあの今のは言葉のアヤだからね!」
「分かってるよ」
自室のベッドに何故か拘束されながら、私はコウキの事情を聞いていた。
彼はコウキ・ヤシロの何度目かの生まれ変わりであり、私はその妻ミーナ・ハルベルンの転生体である。ただし、私の方に記憶はない。――2人同時に生まれ変わるのは確実だが、記憶はどちらかにしか残らないそうだ。
だが、無防備な卵の状態で神による強烈な洗脳を受けて、コウキの方も記憶が消えていた。それでも本能で私を――というかミーナ・ハルベルンを嗅ぎ分けられるのだから、すごい粘着質だ。
……っていうか、本当に私がその、ミーナ・ハルベルンなのだろうか。ものすごく信じがたいというか、信じたくないんだけど。
とりあえず、この拘束具、どうにかしてくれないかな。駄目かな。駄目ですか。あ、はい。
「……さて、どうしようかな」
無防備に曝け出された腹を指先でなぞられ、鳥肌が立つ。というか、何で既に脱がされてるんだろうか。支給品のぴったりした下着だけ着てるけど。
「リーベルに戻って暮らそうか。それともどこか良い星でも見つけようか……どちらにしろ、準備が必要になるね」
「は、はあ」
「でも面倒だな。いちいち神なんて相手してられないし――」
いやいやいや、と思った所で部屋の電気が一段階暗くなり、代わりに赤いランプが点灯した。そして非常事態を示すブザーが艦内に鳴り響く。
焦燥と恐怖を煽る音。その鳴り方は――
「これ、何?」
「……け、警報! かっ、か、神が来るっ」
この艦に神が接近している事を示していた。
それも――危険度はS。神のランクは下・中・上の分け方とF~SSSの分け方があるが、どちらにしろこの艦隊で対応できるレベルを遥かに超えている。
この場合、私たちに求められるのは足止めと時間稼ぎだ。
元々この艦に精霊騎士は私しかいない。自分の機体を持つ騎士も、ディアファナを含めて2人しかいない。量産機もあるから、いざとなれば免許を持つ登録騎士が出るだろうし、他の武器も十分に搭載されているのだが――メインの攻撃手段は、やはり機動装甲なのだ。
「そ、その、これ取って……! 行かなきゃいけないからっ」
「却下」
――奮闘空しく、あっさりコウキは部屋を出て行った。そこで放置か、放置プレイなのか!
まるっと一時間かけ、室内に張られていた恐ろしく厳重な結界を解いて助けを呼び、開放された私は猛ダッシュ――どころか飛行までして格納庫へ向かっていた。
機体はそこにあった。それはそうだ、いくら何でも生体認証を無視して分捕っていくような事が出来るはずもない。出来たら怖い。
急いで搭乗して出撃し、そして私は信じがたい光景を見た。
危険度S、古の英雄を心中に追い込んだことで有名な愛の女神。
地に降り立てば足元に触れるであろう長い金髪は虚空に舞い、とても身を守れるとは思えない布を巻いただけのような服から長い脚が除いている。
向かい合うのは2人の影。方や藍から黒へのグラデーションが美しい機動装甲、方や――翼を広げ、立派な尾を揺らしながら戦う古竜人。
……いや、確かに、古竜人は宇宙空間での生身の戦闘に最も向くと言われてはいる。
彼らの祖先である竜は、そもそも恐ろしく強い生き物だった。なんとまあ、生身で宇宙に居られたらしい。結界も張らずに、だ。肉体を持つ生物として色々と間違っている。
その血を引くのだから、当然強い。そして人外どころか生物から外れた特性が多数ある。
――でなければ、宇宙で殴り合いなんて出来るか!
精霊ですら、宇宙ではふらふらとしてしまう。体調の問題ではなく、上手く移動できない。無理ではないし練習すればいいのだが、やはり重力というものは便利である。自分が吹っ飛んでしまうので、そのあたりの制御がしっかりした機動装甲でも使わないとやっていられない。面倒で。
「っていうか、出る幕無い!」
『大佐、そんな事より二時の方角から弾き飛ばされた小隕石が接近中です!』
「そんな事!?」
確かに、苦戦している、という感じはない。
本当に無茶苦茶だ、本当に。強いとかどうとか、そういうレベルは既に超越している。
むしろ、神ってあんなに弱かったっけ。
よく考えたら彼らにとっては仇なのだろうか。コウキにとっては己と妻を――ヤシロ少将にとっては両親を死に追い込んだ、相手。
リベンジに燃える性格には見えないけど、やっぱり忌々しいのかな。
そんな事より、私は艦に出来るだけ流れ弾がいかないように処理しなければ。
いくら結界で守られていても、壊れる時は壊れる。ぶつかったものが大きすぎると、結界ごと押しやられてその先の障害物にぶつかる事もあるし。
そんな矢先だった。
「ボクは! ボクはそんなの認めない――!!」
豊満なボディとは裏腹な口調で、美しい声が届いた。
至近距離から。
「はい? ――ぎゃあ!」
力技でこじ開けられた搭乗席から、溶液が球体となって飛び出す。害はないけど、宇宙空間のこの独特の感じが苦手だ。動きづらいし。
顔にへばりつく溶液に気を取られている間に、そして両腕を捕まれて引きずり出される。私は漸く魔力で溶液を全て引き剥がし、自分の置かれた状況に気づいた。
――人質いいいいい!!
「いいかげんにしてよ!」
こっちの台詞だ!
「人間なんてだいっきらいだ! ボクが折角っ、せっかくっ、う、うううっ」
いや、何で泣くの!? そこで泣くの!?
訳のわからないまま黙っていると、右頬にものすごい衝撃。え、今の何?
「恩知らず! 恩知らず恩知らず恩知らずーっ!!」
もう一発、左頬に。……え、もしかして今のビンタ? 小惑星でもぶつかったかと思った。
というか愛の女神のビンタ、わりと本気で痛い。意識が飛びそうなのにもう一発食らわされて朦朧としていると、がくんと大きく頭が揺れた。
「――っきゃああああああ!」
光の粒子が視界に舞う。神の血は人の血のような液体ではないと、聞いた事があった。
何事だと思ったら、ぐい、とまた引っ張られて頭が揺さ振られて気持ち悪い。精霊とはいっても肉体に近い密度の体だと、こういうところが不便だ。
「あーあ、命知ーらず」
「いやああああ! いや! なにっ、なにこれ――きゃあああああ!」
何が起こっているのかはちょっと知りたくないが、抱き上げられて支えられているのがひどく楽で、安心するような気がした。
ちらりと頭に、何かが過ぎる。
美しい女神が、長い髪を靡かせている。美しく残酷な蹂躙に、容赦なく死に追いやられるシーンだ。満身創痍のまま放置されて、そして――
燃え盛る女神が見えた。
悲鳴はもはや不明瞭だ。どうやら舌を引きちぎられたらしい。獣のように叫んで、必死に暴れながら炎から逃れようとしているが――宇宙でも更に燃え上がる炎が、普通の炎である訳がない。
死ぬだろうな、と思った。
「美奈」
「へ、あ、はい……はい?」
「今回は許してあげるけど――」
――俺以外に傷を付けられるなんて、本来ならお仕置きものだよね。
低い声が耳に届くと同時に、ひりひりする両頬にひんやりとした手の感触。心地よくもあるけど、恐怖が遥かに勝った。
ゆっくりと弧を描く唇が顔の横を通り抜け、左の耳たぶに鋭い痛みが走る。噛まれた、と一瞬の後に理解した。
「次やったら、こうかな」
「ひいいいいいいいい!」
首に手を添えられて軽く力を込められ――軍人やってウン十年、一番情けない悲鳴を上げてしまった気がする。
しかしそんな事を悔いる暇もなく、恐怖と疲れに意識を失った。
つづきます