「一滴の水も出せないお前に水の公爵家の当主になる資格は無い!」と婚約破棄されました。確かに一滴の水は出せませんがそれが何か?
きらびやかなシャンデリアが照らす王立学園の卒業パーティー会場。
その中心で、光を反射する金色の髪を持つ麗しき第六王子ヴィンセントは、勝ち誇ったような笑みを浮かべて声を張り上げた。
「レティシア・オーシャス!一滴の水すら出すことが出来ないお前に、水の公爵家の当主になる資格は無い!マチルダこそが次期当主にふさわしい!お前との婚約は破棄し、俺はマチルダと婚姻する!」
ヴィンセントの傍らには、オーシャス家の分家であるレーク伯爵家の令嬢、マチルダがいた。
彼女は学園の魔法実技でトップの成績を修めた卓越した水魔法の使い手だ。水の一族らしい水色の髪と瞳を持つ可愛らしい令嬢で、いまも庇護欲をそそるような、涙目の潤んだ瞳でレティシアを見つめている。
周囲の生徒達は、一斉に疑惑と侮蔑の視線をレティシアに注ぐ。
「やはり魔力が無いことを隠して次期当主になろうとしていたのか」という囁きが広がる。
レティシアが学園の魔法実技の授業をすべて免除されていたのは有名な話だ。
この国では、直系かどうかよりも、体内の魔力の量が重要視され、次期当主が決定されることが多い。
例え嫡子でも、魔力が分家の子よりも劣っていると判断された場合、容赦なく候補から外され、当主の座を奪われる。
それは、強い魔力を持つ者の血を多く残すことが目的である。魔力の質や量は遺伝されるのだ。
さらに、魔力が多い者が当主となれば、並び立つ他の属性の一族から一目置かれる。
そんな中で、レティシアが魔力が無いのに直系というだけで次期当主になろうとしているならば非難の的になるというわけだ。
オーティス公爵家を頂点とした水の一族は、レティシアの父マーカスの魔力が火の一族の長であるフレイン公爵家当主にわずかに劣っているため、現在の序列は二位となっている。
フレイン公爵家の次期当主には膨大な魔力を持つ嫡男に決まっており、火の一族の天下はこの先も続くだろうと言われている。火のフレイン公爵家だけでなく、風のシルフィア侯爵家、土のアースラ侯爵家などの魔法の名家に対抗するためにも、少しでも魔力の多い者を当主に据えるべきなのだ。
しかしレティシアは、ただ静かに微笑んだ。
「婚約破棄は承知しました。ですが、次期当主は私です」
「ハッ!往生際が悪いぞ!」
ヴィンセントが声を荒らげる。
「魔力無しのお前にそんな資格は無い!マチルダの魔力に嫉妬し、陰湿な嫌がらせをしていたこともすべて分かっているんだ!潔く次期当主の座を譲れ!」
「い、嫌がらせなんてされていません!」
マチルダが涙目で必死に否定するが、ヴィンセントはその肩を優しく抱き寄せた。
「あんな女を庇わなくていいんだ、マチルダ。レティシアが君を罵倒したり、私物を取り上げたりしている姿を、何人もの生徒が目撃している」
「証言は揃っています」
ヴィンセントの横から、侍従が追従した。彼の後ろには証言者としてヴィンセントの取り巻きの生徒達が立っている。彼らはレティシアを睨むように見ながら頷いている。
マチルダは首を激しく横に振り続けるが、ヴィンセントは「君は優しすぎる」と言って聞く耳を持たない。
その時、レティシアのすぐ後ろに控えていた、マチルダの双子の兄であるマリウスがレティシアを守るように一歩前に出た。
その青い瞳には、レティシアを侮辱されたことへの激しい怒りが燃えている。
「殿下、我が君への度重なる不敬、一族の者として見過ご」
「下がりなさい、マリウス。噛みつくほどの価値もありませんわ」
レティシアが静かに制すると、マリウスは一瞬で「はっ…!」と直立不動になり、素早く元の位置に戻った。
「畏まりました、レティシア様。差し出がましい真似をいたしました。お許しください」
そう言って頭を直角に下げるマリウス。
相変わらず大げさな人ね、とレティシアは小さくため息をつき、静かにマチルダの名を呼んだ。
「マチルダ」
「ぴゃい!」
マチルダがまるでバネでも仕込まれているかのように飛び上がり、姿勢良く気を付けの姿勢をとった。
「私があなたを罵倒したことがあったかしら?」
「ありません!!」
「私物を取り上げたことは?」
「ありません!!!」
「レティシア、マチルダを怖がらせるな!」
ヴィンセントが遮るように怒鳴るが、レティシアは不敵ににんまりと微笑んだ。
「私はマチルダから怖がられるくらいがちょうどいいのです。ね? マチルダ」
「はい!!お師匠様!」
「…師匠?」
ヴィンセントが呆然と声を漏らす。
マチルダは大きな瞳をきらきらと輝かせながらレティシアを見る。
「はい!レティシア様は私の魔法の師匠です!」
「魔力無しのレティシアが、か?確かに座学はトップだが、魔法は実技が重要だ。理論が分かっていても、使えなければ意味がないのだからな!」
わかったようなことを言っているが、ヴィンセント自身は実技も座学も成績はそこまでよくはない。
マチルダはヴィンセントを涙目で鋭く睨みつけると、声を大にして叫んだ。
「レティシア様は魔力無しではありません!!いつも言ってますよね!!?」
「それならなぜ魔法実技を免除されている!魔力無しだとバレないように、公爵家の権力で学園に圧力をかけているんだろう!」
「…我々が不正をしていると?それは心外ですな」
重厚な声とともに、人混みを割って現れたのは、かつて王宮魔術師団長だった経歴を持つ学園長だった。長い白髭をさすりながら、鋭い眼光でヴィンセントを射抜く。
王子とはいえ、伝説の魔術師を前にヴィンセントは一瞬怯んだ。
しかし、後に引けず手元にあったグラスを掴み掲げる。
「そ、それなら、いまここで魔法を使ってみせろ!ほら、このグラスに魔法で水を注いで見せろ!」
「無理ですわ」
レティシアは即答した。
「ほらみろ!みんな聞いたか、無理だと…」
「だって、水圧でグラスが割れてしまいますもの」
しんとした会場に、レティシアの涼しげな声が響く。
「グラスだけじゃなく、グラスを持つ手もはじけ飛んでしまいますし…この建物も、最悪倒壊してしまうかもしれませんわね」
レティシアがちらりと学園長に目をやる。学園長は深く頷き、ヴィンセントを見据える。
「修繕費用は王家に請求すればよろしいですかな?それとも殿下個人に?」
「な、そ、そんなハッタリが通じるとでも…!」
そう言いながらも、ヴィンセントのグラスを持つ手はぶるぶると震え出した。耐えかねた彼は、隣の侍従へグラスを押し付ける。侍従も顔を真っ青にして、近くのテーブルへとグラスを放り出した。
「はぁ。仕方がないですね。マリウス、私の後ろに」
「御意」
マリウスは迷うことなく素早くレティシアの指示に従い、完璧な身のこなしで退避した。
ふう、とレティシアが小さく息を吐いて右手を前に掲げた。
ぴゃっ!と音を立てて飛び上がったマチルダは、ヴィンセントの手を振りほどくと素早い動作で走り出し、レティシアの背後へと隠れる。
それを見て、聡い生徒達や教員達は慌ててレティシアの後方に移動する。
と、その瞬間、レティシアの眼前に、床から天井に届くほどの巨大な魔法陣が出現した。
轟音。
次の瞬間、魔法陣から放たれたのは一滴の水どころか、すべてを押し流す膨大な水の奔流だった。
まるで決壊したダムの如き洪水が、グラスの置いてあるテーブルを瞬時に粉砕。
悲鳴を上げる間もなく、ヴィンセント、侍従、そして取り巻きの生徒たちを一呑みにした。
大量の水は彼らを巻き込んだまま、開け放たれていた大窓から外へと激しく噴出していく。
静寂が戻った会場の、ほとんど原形をとどめていない窓から外を覗けば、中庭の地面にびしょ濡れで倒れ、呆然と天を仰ぐヴィンセント達の姿があった。
腐っても王族であるヴィンセントは一回だけ身を守ってくれる魔道具を持ち歩いている。その魔道具の結界のおかげで彼らは五体満足でかすり傷一つない。
ただ、魔道具でも完全には防ぎきれないほどレティシアの水魔法の勢いが強すぎたため、押し流されてびしょ濡れになってしまったのだ。
そこへ、とことことマチルダが走り寄り、彼らを見下ろしながらにっこりと微笑む。
「レティシア様の魔力は膨大過ぎて、制御がとても難しいのです!いまの水の量は最弱の水魔法ですね!レティシア様のダムの水のような量の魔力に比べたら、私のような一般人はグラス一杯程度の魔力しかないのです。ようやくわかっていただけました?」
「マチルダ」
レティシアがたしなめる。
「もう当家と関係のない方に、わざわざ内部情報を教えなくてよろしい。あなたはもっと考えてから話す癖をつけなさいと、いつも言っているでしょう」
「す、すみません!!」
マチルダは勢いよく頭を下げた。
しかし、すぐに唇を尖らせながら不満げに声を漏らす。
「…でも、レティシア様に文句ばかり言って、入り婿になるくせに偉そうだし。頭を撫でてきたり手を繋いできたりするせいで愛人の座を狙ってるのかと噂を流されるし!レティシア様からのありがたいご指導を罵倒とか言うし!使いすぎて折れた杖と新しい杖を交換してくれたのを取り上げられたとか言うし、レティシア様に近づけないようにガードされるし!でもレティシア様の夫となる方だから文句も言えなくて!!とにかくムカついてたんです!!」
「王子殿下なのだから、偉いといえば偉いでしょう。公爵家への婿入りが無くなったから、卒業後はどうなるか知らないけれどね」
座学も魔法も剣術も特に秀でているわけでもないヴィンセントは、王となる異母兄を支えるために王宮に残ることは難しい。そもそもこの婚約は、ヴィンセントの将来を心配した国王に頼み込まれて仕方なく結ばれたものだ。
親心を踏みにじった彼には明るい未来は残されていないだろう。
側妃である母譲りの美貌を武器に帝国を統べる女王の後宮に送られるか、辺境の王領をもらって領主となるか。
最悪、修道院に入れられて生涯神に祈ることになるかもしれない。
「レティシア様、馬車の準備はいつでも整っております」
濡れた床を避けるように、マリウスが素早くレティシアの前に跪き、そっとエスコートの手を差し伸べた。その手際の良さに、レティシアは小さく笑う。
「会場がこれではもうパーティーも中止だものね。帰るわよ、マチルダ、マリウス」
「はい!レティシア様!!!」
「御心のままに」
颯爽と歩き出すレティシアの隣をマリウスが歩き、レティシアを挟んで反対側の斜め後ろをマチルダがぴょこぴょこと嬉しそうについていく。会場に取り残された生徒達はただ静かにその背中を見送った。
中庭で泥水の滴るヴィンセントの元に、学園長がゆっくりと歩み寄る。
「修繕費は後日請求させていただきますので」
学園長は冷ややかに言い残し、背を向けた。
その後、ヴィンセントの有責で婚約を破棄したレティシアはマリウスを婿に指名し、正式にオーシャス公爵家を継いだ。
「レティシア様をお義姉さまと呼びたい!」という私欲のためにマチルダが兄をごり押ししたのも大きいが、候補の中で婿としてもっとも相応しい能力を兼ね備えているのは彼だと一族の長老達が認めた。
当然、マリウスに異存などあるはずもなかった。というか、一族のほとんどの者が、規格外の魔力を持つレティシアを神のように崇拝しているのだ。
「レティシア様!本日もあなたは誰よりも美しく、そして尊い!私はあなたのためなら、この命も魔力もすべて捧げる覚悟です!」
「…うん…ええ、ありがとうマリウス。それで、今日の紅茶は何かしら?」
「はっ!レティシア様の健康を願って東大陸から取り寄せたハーブティーでございます!」
婿に指名されたときに部屋の床に額をこすりつけて泣いて喜んだマリウスは、結婚後、レティシアに尽くして尽くして尽くしまくる、愛が重い夫となった。
朝の着替えから仕事の補佐、休憩中のお茶の準備、夜の寝支度まで、すべてを自分がやりたがるほどの溺愛ぶりである。
傅かれ慣れているレティシアでも若干ひくほど。
「お義姉さまー!先日の魔物討伐遠征の成果です!すべてはお義姉さまの栄光のために!」
そこへ、公爵家の魔術師団に入団して日々バリバリ魔物狩りをしているマチルダが元気に飛び込んできた。
「こら、マチルダ!レティシア様の執務室へ入る時は三回ノックをして、心を静めてお祈りしてからだと言っているだろう!」
「お兄さま、堅苦しい!そんなんだからお義姉さまにちょっとうざがられてるのよ!」
「なっ…!う、うざがられていない!!……ない、ですよね?レティシア様…!?」
騒がしい兄妹を前に、レティシアはふっと微笑んで、マチルダとマリウスの頭を優しく撫でた。
「よくやったわ、マチルダ。あなたもマリウスも、本当に頼りになるわね」
レティシアのその一言で、マリウスとマチルダは同時に顔を輝かせ、「はい!!!」と声を揃えて返事をするのだった。
レティシアが当主となって序列一位となった水の公爵家は、圧倒的な当主への深い崇拝と愛と若干のうざさに包まれて、この上なく平和である。




