第三十二話
翌朝。
王立グランセル魔導学園の空は、白く曇っていた。
雨は降っていない。
けれど、空全体に薄い布をかけたような光で、校舎の石壁も、中庭の芝も、どこか色を抑えて見える。
風は弱い。
噴水の水音だけが、いつもより近く感じられた。
レオン・ヴォルツは、寮の部屋で制服の襟元を整えていた。
鏡に映る自分は、いつも通りだ。
灰色の制服。
銀糸の徽章。
乱れのない髪。
上位クラスに在籍する伯爵家の次男として、何一つ崩れてはいない。
だが、胸の内側は静かに重かった。
今日は、特別評価課題の日だ。
救援護送型総合演習。
負傷者役二名。
一名は生徒。
一名は重量人形。
自力移動不可。
時間経過で状態悪化。
妨害役、第七班。
分断壁。
視界制限。
外圧音声。
目的は、制圧ではなく護送。
昨日、第五班は受けると決めた。
怖いまま進むと決めた。
だから今日は、もう迷う日ではない。
やる日だ。
それでも、怖さは消えない。
むしろ、昨日よりはっきりしている。
頭の中で何度も場面が浮かぶ。
負傷者役を見つける。
状態を見る。
運ぶ。
妨害される。
分断される。
誰かが遅れる。
誰かが判断を迫られる。
その時、自分は何を選ぶのか。
守るものが増えるほど、剣は重くなる。
以前、手帳に書いた言葉が蘇る。
今日は、その言葉が現実になる。
レオンは机の上の手帳を見た。
開かない。
昨日書いた言葉は、もう読まなくても胸にある。
怖いままで進む。
一人では無理だった。
だが、第五班なら考え続けられる。
レオンは鞄を持ち、部屋を出た。
◆
寮の廊下は静かだった。
朝の足音が石床に響く。
いつもなら、生徒たちの会話がもう少し聞こえる時間だ。
だが今日は、どこか声が抑えられていた。
特別評価課題の話は、学園中に広がっている。
今日、第五班が受ける。
妨害役は第七班。
救援護送型総合演習。
詳細を知らない者もいる。
だが、“難しい課題”であることだけは伝わっているのだろう。
廊下の角で、二人の生徒が話していた。
「今日だろ、第五班」
「ああ」
「救援系って聞いた」
「失敗したらきついな」
「でも、成功したらかなり評価上がるんじゃないか」
「見たいよな」
見たい。
その言葉が、朝の空気に混ざる。
レオンは歩みを止めなかった。
見られる。
それはもう、避けられない。
ならば、見るべきものを間違えない。
周囲ではない。
第五班。
負傷者役。
課題。
そして、自分の判断。
◆
中庭へ出ると、フィーネ・ルークがいた。
いつもの噴水の近く。
彼女は両手で教本を抱えていたが、今日は開いていない。
ただ胸元に抱え、噴水の水面を見つめている。
レオンに気づくと、彼女は顔を上げた。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
フィーネの声は落ち着いている。
だが、顔色は少し白い。
眠れなかったのだろう。
「眠れたか」
レオンが聞く。
フィーネは少しだけ苦笑した。
「少しだけです」
「俺もだ」
その返事に、彼女は小さく息を吐いた。
「レオンさんも、やっぱり怖いですか」
「ああ」
即答だった。
フィーネは目を伏せる。
「私、昨日までは“怖いまま進む”って言えました。でも、今朝になったら、やっぱり怖くて」
「当然だ」
「はい」
一拍。
「でも、逃げたい怖さではないです」
その言葉は、昨日より少し強かった。
「逃げたい怖さじゃなくて、ちゃんと見なきゃいけない怖さです」
レオンは黙って彼女を見た。
フィーネは変わった。
怖いから下がるのではなく、怖いから見る。
そう言えるようになった。
「それでいい」
レオンは言った。
「今日、お前の声は重要になる」
フィーネの肩が少し揺れる。
「はい」
「見えたものを言え。見えないものも言え。迷ったら迷っていると言え」
「はい」
「正解だけを出そうとするな」
フィーネはゆっくり頷いた。
「状態を共有するための声、ですよね」
「ああ」
フィーネは教本を抱える手に力を込めた。
「忘れません」
◆
次に来たのは、アルト・レイヴンだった。
今日は走ってこなかった。
ゆっくり、けれどまっすぐ歩いてきた。
鞄の中に手帳が入っているのだろう。
いつものように手には持っていない。
「おはようございます」
声は震えていない。
少し硬いが、届いている。
「ああ」
「おはようございます、アルトさん」
フィーネが返す。
アルトは二人の顔を見て、少しだけ笑った。
「今日、手帳は鞄に入れてきました」
「読まなかったのか」
レオンが聞く。
「読みました。でも、一回だけです」
「そうか」
「昨日書いたこと、覚えてるので」
アルトは自分の胸に手を当てた。
「怖い。でも、一人じゃないから考えられる」
フィーネが柔らかく笑う。
「良い言葉です」
「ありがとうございます」
アルトは照れたように笑った。
だが、その笑顔はすぐに少し緊張へ戻る。
「俺、今日たぶん何度も怖くなります」
「ああ」
「支援を出す前に、手が止まりそうになるかもしれません」
「その時は言え」
「はい」
「強くしすぎそうなら言え。弱くなりそうでも言え」
「はい」
「支援は、お前一人で完璧に調整するものじゃない。フィーネが見て、ユーリスが受けて、俺が道を作る」
アルトの目が揺れる。
「第五班で、ですか」
「そうだ」
アルトは息を吸う。
そして、しっかり頷いた。
「はい」
◆
最後にユーリス・ベルクが来た。
いつもの軽い笑顔はある。
だが、その笑顔は少し薄い。
隠しきれない緊張が、肩の動きに出ていた。
「おはよう」
「ああ」
「おはようございます」
「おはようございます」
ユーリスは三人を見て、軽く息を吐く。
「みんな、いい顔してるな」
「どんな顔だ」
レオンが聞く。
「怖いけど逃げない顔」
フィーネが小さく笑う。
「ユーリスさんもです」
「俺も?」
「はい」
ユーリスは肩をすくめた。
「なら、第五班全員そういう顔ってことだな」
少しだけ笑いが生まれる。
重い朝に、小さな隙間ができた。
ユーリスは噴水に目を向ける。
「昨日、考えたんだけどさ」
「ああ」
「俺、今日たぶん軽口減る」
「言っていたな」
「でも、完全になくすのも違うと思った」
ユーリスはゆっくり言う。
「負傷者役が怖がってるなら、必要な時に軽くする。班が硬くなった時も、必要なら軽くする」
一拍。
「でも、逃げるための軽さにはしない」
その言葉に、レオンは頷いた。
「良い」
「お、褒められた」
「茶化すな」
「今のはちょっと必要な軽さ」
ユーリスが少し笑う。
フィーネも、アルトも笑った。
レオンも、ほんの少し口元を緩めた。
◆
四人は、しばらく噴水の前で立っていた。
誰もすぐに歩き出さなかった。
それぞれが、自分の怖さと今日の課題を胸の中で確かめている。
やがて、レオンが言った。
「確認する」
三人がこちらを見る。
「今日の目的は、勝つことではない」
一拍。
「救うことだ」
空気が締まる。
「制圧数でも、速度だけでもない。負傷者役二名を安全地点まで護送する。それが目的だ」
「はい」
「了解」
「はい」
「第七班は妨害役だ。ハルトは手を抜かない。だが、潰すためには来ない」
ユーリスが頷く。
「適切な負荷、だな」
「ああ」
「でも、厄介ですね」
アルトが言う。
「厄介だ」
レオンは認めた。
「だからこそ、課題を見る」
フィーネが深く頷いた。
「救うことを、見る」
「そうだ」
それが今日の合図になった。
課題を見る。
その中でも、今日は特に。
救うことを見る。
◆
東棟へ向かう道では、視線が集まった。
いつも以上に。
上位クラスだけではない。
中位、下位の生徒たちも、第五班を見る。
「今日だ」
「第五班だ」
「アルト、顔硬いな」
「フィーネも」
「レオンは落ち着いてる?」
「ユーリス、いつもより静かじゃない?」
「第七班が妨害役なんだろ」
「見学できるのかな」
見られている。
明らかに。
アルトの足が少しだけ遅れた。
フィーネがそれに気づき、歩幅を少し合わせる。
ユーリスは何も言わず、二人の少し後ろを歩いた。
レオンは前を歩きながら、その気配を感じていた。
もう、誰か一人が引っ張る形ではない。
自然に調整している。
班として。
そのことが、少しだけ心を落ち着かせた。
◆
上位クラスの教室に入ると、すぐに空気が変わった。
昨日までのざわめきとは違う。
今日は、はっきりと“本番前”の空気だ。
教師はまだ来ていない。
だが、生徒たちはレオンを見る。
第五班を見る。
ハルト・グレイナーは自分の席に座っていた。
腕を組み、目を閉じている。
カイル・ローダンもいる。
彼は静かにレオンを見たが、何も言わなかった。
レオンが席へ向かう途中、ハルトが目を開ける。
「来たか」
「ああ」
「確認しておく」
ハルトは立ち上がった。
教室の視線が、二人へ集まる。
「俺たちは手を抜かない」
「わかっている」
「妨害役として、全力で邪魔をする」
「ああ」
「だが、潰すためではない」
「昨日も聞いた」
「もう一度言っておきたかった」
ハルトの声は真剣だった。
以前の彼なら、こういう言葉を人前で言うことはなかっただろう。
だが今は違う。
第七班もまた、変わり始めている。
「俺たちも評価される」
ハルトは続けた。
「適切な妨害ができるか。第五班をただ潰しに行かないか。課題を理解して負荷を与えられるか」
「そうだな」
「だから、こっちも課題だ」
その言葉に、レオンは頷いた。
「なら、お互い課題を見る」
ハルトは少しだけ口元を歪める。
「お前のその言葉、だいぶ聞き慣れた」
「使えるからな」
「腹立つが、使える」
教室に小さな笑いが起きた。
重い空気の中に、ほんの少しだけ緩みが生まれる。
◆
一限目。
教師が入ってきた。
黒板へ向かい、短く書く。
救援。
その二文字だけで、教室が静まり返った。
「本日、第五班は特別評価課題を実施する」
教師の声は淡々としていた。
「救援護送型総合演習。妨害役は第七班」
一拍。
「これは、制圧課題ではない」
教師は強く言った。
「倒すことが目的ではない。勝つことが目的でもない。救うことが目的だ」
レオンの胸に、朝の言葉が重なる。
救うことを見る。
「戦場において、敵を倒す力は重要だ。だが、倒すことに慣れた者ほど、守るべき対象を置き去りにすることがある」
教室が静まる。
「救援とは、相手を運ぶことではない」
一拍。
「相手を生かしたまま、必要な場所へ届けることだ」
重い言葉だった。
負傷者を物として扱うな。
昨日の説明と繋がる。
「ヴォルツ」
「はい」
レオンは立ち上がる。
「今日の第五班の目的は何だ」
「負傷者役二名を安全地点まで護送することです」
「それだけか」
レオンは一瞬考えた。
そして答える。
「負傷者役を物として扱わないことです」
教室が静まる。
教師は続けろと言わなかった。
だが、レオンは続けた。
「標識を運ぶのとは違います。状態を見て、声を聞いて、負担を考える必要があります」
一拍。
「助ける対象として扱います」
教師は静かに頷いた。
「良い」
次に、教師はハルトを見る。
「グレイナー」
「はい」
ハルトが立つ。
「第七班の目的は何だ」
「第五班を失敗させることではありません」
彼ははっきり答えた。
「救援護送に必要な判断を引き出すため、適切な妨害を行うことです」
教師は頷く。
「良い」
そして全体へ向く。
「見学する者も同じだ。ただ成否を見るな。何を優先し、何を捨て、何を守るかを見ろ」
教室の空気が重く沈む。
だが、その重さは必要なものだった。
◆
午前の通常課題はなかった。
特別評価課題の準備時間に充てられた。
第五班は、第一訓練棟の控室に案内された。
控室といっても、簡素な石室だ。
壁には演習区画の簡略図が貼られている。
机の上には、基本ルールを書いた紙が置かれていた。
四人はその前に立つ。
レオンが紙を読む。
救援対象A。
生徒役。
軽傷想定。
自力移動不可。
声で状態伝達あり。
救援対象B。
重量人形。
中等傷想定。
状態表示札あり。
時間経過で悪化。
安全地点は区画南側。
開始地点は北側。
市街地型区画。
障害物多数。
分断壁一回以上作動。
視界制限あり。
外圧音声あり。
妨害役、第七班。
直接攻撃は制限付き。
進路妨害、誘導妨害、時間遅延は許可。
レオンは紙から目を上げた。
「最初にAとBの位置は不明」
フィーネが言う。
「探索からですね」
「ああ」
ユーリスが地図を見る。
「市街地型なら、路地が多い。標識移送より視界が切れるな」
アルトは手を握る。
「支援、広げすぎると見えない場所に影響しそうです」
「その通りだ」
レオンは頷く。
「今日は広域支援より、細かい支援が重要になる」
「はい」
フィーネが地図を見ながら言う。
「私は、まず音と声を拾います。救援対象Aは声を出せるなら、近くに行けばわかるかもしれません」
「Bは状態札か」
ユーリスが言う。
「見つけないと状態がわからない」
「どちらを先に救うかは、位置と状態次第だ」
レオンが言う。
「決め打ちはしない」
三人が頷いた。
そこで、沈黙が落ちる。
全員、わかっている。
どれだけ作戦を立てても、始まれば崩れる。
その時にどう戻るか。
それが本当の課題だ。
「最後に確認する」
レオンは言った。
「救うことを見る」
フィーネが頷く。
「はい」
「負傷者役の状態を共有します」
アルトが言う。
「支援は細く、必要な分だけ。怖くなったら言います」
ユーリスも。
「抱え込まない。運ぶ時も、支える時も、声を出す」
レオンは頷いた。
「俺は、倒すより道を作る。必要なら倒す。だが、目的を忘れない」
四人は顔を見合わせた。
怖い。
だが、立っている。
◆
訓練棟の中央区画。
普段とは違う形に組み上げられていた。
石造りの壁。
低い建物を模した障害物。
狭い路地。
瓦礫に見立てた木材。
視界を遮る布幕。
奥には、魔法装置がいくつも配置されている。
まるで小さな市街地だった。
見学席には、生徒たちが集まっている。
上位クラスだけではない。
中位、下位もいる。
教師たちも複数人。
空気は重い。
ただの演習を見る空気ではない。
第五班が、特別評価課題を受ける。
その瞬間を見ようとしている空気だ。
第五班が入場すると、ざわめきが広がった。
「来た」
「第五班」
「アルト、顔硬い」
「フィーネ、落ち着いてる?」
「レオンは……いつも通りか?」
「ユーリス、今日は静かだな」
声が降る。
外圧音声は演習中にもある。
だが、始まる前からすでに外圧だった。
反対側から、第七班が入ってくる。
ハルトを先頭に、彼の班員たちが並ぶ。
防御役。
槍役。
魔法支援役。
妨害役。
全員、表情は真剣だった。
ハルトがレオンを見る。
「やるぞ」
「ああ」
「手は抜かない」
「抜くな」
短い会話。
それだけで十分だった。
◆
教師が中央へ立つ。
「これより、第五班特別評価課題、救援護送型総合演習を開始する」
訓練棟が静まり返る。
「第五班の目的は、区画内に取り残された救援対象二名を発見し、安全地点まで護送すること」
一拍。
「第七班は妨害役。第五班の判断を阻害し、遅延させる。ただし、課題の目的を破壊する行為は禁止」
ハルトたちが頷く。
「制限時間は明示しない。ただし、時間経過による状態悪化判定あり」
フィーネの手が少し動く。
アルトが深呼吸する。
ユーリスは周囲を見ている。
レオンは前を見た。
「第五班」
教師が言う。
「準備は」
レオンは三人を見た。
フィーネ。
アルト。
ユーリス。
三人とも怖い顔をしている。
だが、逃げる顔ではない。
レオンは前を向いた。
「できています」
「第七班」
ハルトが答える。
「できています」
教師の手が上がる。
訓練棟の空気が、一瞬で張り詰めた。
「開始!」
◆
鐘が鳴る。
レオンたちは北側入口から区画へ入った。
すぐに視界が狭くなる。
左右に壁。
前方に二つの分かれ道。
遠くから、魔法人形の駆動音。
さらに、微かな声が聞こえた。
「……誰か……」
フィーネが反応する。
「左奥、声です。小さいですが、人の声」
「Aか」
ユーリスが言う。
「可能性が高い」
フィーネは目を閉じるように集中した。
「でも、右奥にも駆動音。魔法人形がいます」
「救援対象Aの可能性を優先する」
レオンが言う。
「左へ進む。ユーリス、後方。アルト、支援準備。フィーネ、声を拾え」
「はい」
「了解」
「はい」
左の路地へ入る。
狭い。
二人並ぶのがやっとだ。
レオンが先頭。
フィーネがすぐ後ろ。
アルト、ユーリスの順。
その瞬間、外圧音声が響いた。
『急げ』
『遅い』
『助けを待っている』
『判断が遅れれば悪化する』
魔法装置から流れる声。
冷たい。
焦らせる声。
アルトの肩が揺れる。
フィーネの呼吸も浅くなる。
レオンは短く言った。
「拾うな」
ユーリスが続ける。
「班の声だけ」
アルトが頷く。
「はい」
路地を抜けると、小さな広場に出た。
そこに、救援対象Aがいた。
上位クラスの生徒が負傷者役として座り込んでいる。
足を押さえ、移動できない想定。
顔色は演技だが、声は震えていた。
「た、助けて……足が……動けない……」
フィーネがすぐに近づこうとする。
だが、レオンが手で制した。
「周囲確認」
フィーネははっとする。
「右、瓦礫裏に魔法人形一体。軽量型です」
ユーリスが低く言う。
「救援対象を餌にした配置か」
「そうだ」
レオンは木剣を構える。
「アルト、軽量型の足元。土、狭く」
「はい」
アルトの土が走る。
狭い。
良い。
瓦礫裏から飛び出そうとした軽量型の足が遅れる。
レオンが前へ出る。
倒せる。
だが、先に救援対象の安全確保。
木剣で軌道を流し、壁側へ押し込む。
「ユーリス、Aへ」
「了解」
ユーリスがAの側へ膝をつく。
声の調子が変わる。
いつもより少し柔らかい。
「大丈夫。動かす前に状態見る。痛む場所は足だけ?」
負傷者役の生徒が答える。
「右足……あと、少し怖い」
その返事に、ユーリスが一瞬だけ表情を変える。
だが、すぐに微笑む。
「怖いのは正常。今、迎えに来たから」
軽すぎない。
だが、硬すぎない。
真面目に軽い声。
レオンはそれを聞きながら、軽量型を抑える。
フィーネが声を出す。
「A、右足負傷想定。恐怖あり。移動時は右側を固定してください」
「アルト、風で体重軽減。弱く」
レオンが言う。
「はい!」
アルトの風がAの周囲に薄く流れる。
強すぎない。
負傷者役の身体を浮かせるのではなく、ユーリスが支えやすいようにする。
ユーリスがAを肩で支える。
「立てる? いや、立たなくていい。俺が支える。痛かったら言って」
「う、うん……」
Aを確保。
だが、その瞬間、奥で壁が動いた。
分断壁ではない。
通路封鎖。
来た道の一部が塞がる。
見学席がざわつく。
教師は何も言わない。
レオンはすぐ判断する。
「戻り道は使えない。右奥へ抜ける」
フィーネが周囲を見る。
「右奥、魔法人形の駆動音。あと、遠くに金属音……第七班かもしれません」
「ハルトが来るか」
ユーリスが呟く。
「来るだろう」
レオンは言う。
「Aを運びながら進む。Bの位置はまだ不明。急ぎすぎるな」
『遅い』
『もう一人が悪化する』
『先に進め』
『置いていけ』
外圧音声が響く。
アルトの顔が歪む。
「置いていけ、なんて……」
「拾うな」
レオンが言う。
だが、フィーネが続けた。
「でも、Bの状態悪化は本当の可能性があります」
「わかっている」
レオンは頷く。
「だから急ぐ。だが、Aを雑に扱わない」
「はい」
救うことを見る。
第一の救援対象を確保した。
だが、ここからが本番だった。
◆
Aを支えたユーリスを中心に、第五班は右奥の通路へ進む。
レオンが前。
フィーネが横で状況を見る。
アルトが後方支援。
ユーリスがAを支える。
移動速度は遅い。
当然だ。
負傷者役を抱えている。
そこへ、通路の先に人影が現れた。
ハルト・グレイナー。
第七班の前衛。
木剣を構え、通路を塞いでいる。
「来たな」
ハルトが言う。
「どけ」
レオンが返す。
「妨害役だ。簡単には通さない」
ハルトの後方には、防御役の生徒がいる。
狭い通路で防御役を置かれると厄介だ。
戦えば時間を食う。
だが、無理に突破すればAへ負担がかかる。
ハルトはそれを狙っている。
正しい妨害だ。
レオンは一瞬で判断する。
「フィーネ、別路は」
「左に細い抜け道。ただし瓦礫多め。Aを運ぶには危険です」
「正面突破は」
「第七班防御役あり。時間がかかります」
ユーリスがAを支えながら言う。
「Aをいったん下ろすか?」
A役の生徒が震える声を出す。
「お、置いていかないで……」
演技だ。
だが、刺さる。
アルトの顔が揺れる。
レオンは言う。
「置かない」
短く。
A役の生徒が少し息を呑む。
「ユーリス、Aを壁側へ。フィーネ、Aの状態を見る。アルト、防御役の足元へ水。薄く。滑らせるだけ」
「はい!」
「俺がハルトを外す」
ハルトが笑う。
「来い」
レオンが踏み込む。
ハルトも動く。
剣がぶつかる。
狭い通路。
大きく振れない。
レオンは倒すためではなく、位置をずらすために剣を使う。
ハルトもそれをわかっている。
正面から押し返す。
「強引には通さない!」
「ああ」
レオンは受け流す。
アルトの水が防御役の足元へ薄く入る。
防御役が少しだけ体勢を崩す。
フィーネが叫ぶ。
「今、右側に隙間!」
「ユーリス!」
「了解!」
ユーリスがAを支え、壁沿いに進む。
Aが小さく悲鳴を上げる。
「痛いっ」
ユーリスが即座に止まる。
「ごめん。右足触ったな。持ち替える」
止まった。
通路突破の途中で。
時間がかかる。
だが、止まった。
負傷者を物として扱わない。
レオンはハルトを抑えながら、その判断を受け入れる。
「アルト、風でAの右側を軽く」
「はい!」
フィーネが声を出す。
「A、痛みあり。右足接触。持ち替え必要」
情報が共有される。
ユーリスが持ち替える。
「今度はどう?」
「大丈夫……」
「よし、行く」
その間、ハルトは攻めすぎなかった。
だが、通さない程度に圧をかけ続ける。
適切な妨害。
レオンは思う。
本当に厄介だ。
だが、ありがたい。
ユーリスがAを連れて抜ける。
フィーネも続く。
アルトが水を切る。
最後にレオンがハルトから離れた。
ハルトは追ってこない。
「まず一人目か」
ハルトが言う。
「まだ安全地点ではない」
レオンが返す。
「そうだな」
ハルトは笑わなかった。
「急げ。Bは待ってくれないぞ」
その言葉は挑発ではない。
課題の現実だった。
◆
通路を抜けた先で、視界制限が発動した。
白い霧が広がる。
市街地型区画の一角が、ぼんやりと霞む。
フィーネがすぐ声を出す。
「視界低下。三歩先が見えにくいです」
アルトが不安そうに言う。
「風で払いますか?」
「弱く試せ」
レオンが言う。
「強く払うとAへ負担が出る」
「はい」
アルトの風が薄く流れる。
霧は少し薄れる。
だが完全には晴れない。
「全部は無理です」
「十分だ」
ユーリスがAへ声をかける。
「霧が出てる。少しゆっくり行く。怖かったら声出して」
「うん……」
その時、遠くから鈍い音がした。
金属が落ちるような音。
続いて、魔法装置の声。
『救援対象B、状態悪化』
訓練棟がざわつく。
フィーネの顔が青くなる。
「B、悪化判定です」
「ああ」
アルトが焦る。
「急がないと」
「急ぐ」
レオンは言う。
「だが、Aを崩さない」
難しい。
Aを安全地点へ先に運ぶか。
Bを探しに向かうか。
Aを連れたままBを探せば遅い。
だがAを途中に置けば危険。
安全地点まではまだ距離がある。
ここで選択。
守るものの優先順位。
レオンは地図を頭に浮かべる。
現在位置は中央東側。
安全地点は南。
Bの音は西奥。
Aを連れて西へ向かえば遠回り。
Aを安全地点へ送るには南へ抜ける必要がある。
分断壁はまだ本格作動していない。
なら。
「二手に分かれる」
フィーネが息を呑む。
「分断、ですか」
「意図的に分ける」
レオンは言う。
「ユーリス、アルト。Aを安全地点へ運べ」
ユーリスが目を細める。
「レオンとフィーネ嬢は?」
「Bを探す」
アルトが不安そうに言う。
「でも、二人で……」
「Bは重量人形だ。見つけても二人では運びにくい。だが位置確認と状態確認が先だ」
フィーネが頷く。
「Bの状態を確認して、必要なら合流要請ですね」
「ああ」
ユーリスは一瞬考えた。
そして頷く。
「了解。Aを安全地点へ」
「アルト、支援はユーリス優先。Aへの風は弱く。魔法人形と遭遇したら倒そうとするな。遅らせて抜けろ」
「はい!」
アルトの顔は不安で硬い。
だが、返事は出ている。
「フィーネ」
「はい」
「Bを探す。声ではなく音と状態札だ。焦るな」
「はい」
A役の生徒が不安そうに言う。
「みんな、離れるの……?」
ユーリスがすぐ笑った。
「大丈夫。俺とアルトが送る。レオンとフィーネはもう一人を迎えに行く」
「……うん」
その声を聞き、レオンは頷いた。
「行くぞ」
第五班は、二つに分かれた。
◆
レオンとフィーネは霧の中を西へ向かう。
視界が悪い。
足元には瓦礫。
遠くで魔法人形の音。
外圧音声が響く。
『分かれた』
『少人数では危険』
『判断ミス』
『Bが悪化する』
『Aを置いていくのか』
フィーネの呼吸が乱れかける。
だが、彼女は自分で言った。
「聞こえています。でも、拾いません」
「良い」
レオンは前を進む。
霧の中で、音を聞く。
右奥、魔法人形。
左前、瓦礫。
そして、さらに奥。
鈍い魔力反応。
重量人形か。
「フィーネ」
「左奥に重量物の反応。たぶんBです」
「同じだ」
二人は進む。
途中、魔法人形が現れた。
前衛型。
レオンは即座に受ける。
倒すか。
倒せる。
だが、時間がかかる。
いや、倒した方が早いか。
目的はB確認。
ここで足止めされる方が悪い。
レオンは木剣を振る。
一撃で核を打つ。
制圧。
フィーネが言う。
「制圧確認。前方安全、今のところ」
「進む」
霧の奥。
重量人形が倒れていた。
人型の訓練人形。
肩に状態札。
黄色から赤へ変わりかけている。
フィーネが駆け寄る。
「B発見。状態札、黄色から赤へ移行中。中等傷想定、悪化中」
彼女は声に出して共有する。
レオンは周囲を見る。
Bは重い。
二人では運べなくはないが、遅い。
しかもここから安全地点までは距離がある。
ユーリスとアルトを呼ぶ必要がある。
だが、彼らはAを安全地点へ運んでいる最中。
安全地点へ到着したかどうかは不明。
その時、遠くから鐘が小さく鳴った。
安全地点到達の合図。
A護送完了。
見学席がざわつく。
レオンの胸に安堵が広がる。
だが、すぐに切り替える。
「A完了。合流要請」
「はい!」
フィーネが声を張る。
「ユーリスさん、アルトさん! B発見、西奥、状態悪化中! 合流をお願いします!」
霧の中で声が響く。
返事はすぐには来ない。
代わりに、別の声。
「そう簡単に合流させるか」
ハルトではない。
第七班の槍役。
霧の向こうから現れ、通路を塞ぐ。
さらに、魔法支援役が後方に見えた。
分断された二人への妨害。
正しい。
だが厄介だ。
フィーネが息を呑む。
レオンは木剣を構えた。
「フィーネ、Bの側へ。状態を見続けろ」
「はい」
「俺が通路を開ける」
槍役が構える。
「通しません」
「だろうな」
レオンは踏み込んだ。
◆
一方、ユーリスとアルトはAを安全地点へ送り届けていた。
安全地点に入った瞬間、鐘が鳴る。
A役の生徒がほっと息を吐く。
「ありがとう……」
ユーリスは笑う。
「どういたしまして。右足、もう触らないから安心して」
演習中なのに、A役の生徒が少しだけ本当に笑った。
アルトも安心しかけた。
だが、その瞬間、フィーネの声が届く。
「ユーリスさん、アルトさん! B発見、西奥、状態悪化中! 合流をお願いします!」
アルトの表情が変わる。
「行かないと」
「ああ」
ユーリスが頷く。
その時、進路にハルトが現れた。
木剣を構え、通路を塞ぐ。
「ここで足止めだ」
アルトが息を呑む。
「ハルトさん……!」
ユーリスが前へ出る。
「厄介な場所にいるな」
「妨害役だからな」
「通してくれたりは?」
「しない」
「だよな」
ユーリスは笑う。
しかし、その目は真剣だった。
「アルト、焦るな」
「はい」
「俺がハルトを引きつける。お前は抜け道を見る」
「抜け道……」
「戦うだけが突破じゃない」
アルトは周囲を見る。
通路。
壁。
左に狭い瓦礫の隙間。
人一人なら通れそう。
ただし、ユーリスは厳しい。
アルトなら行ける。
「左、俺なら抜けられます」
「よし」
ユーリスがハルトへ踏み込む。
ハルトが受ける。
その間に、アルトが左へ走る。
ハルトは気づく。
「行かせるか!」
だが、ユーリスが止める。
「悪いな。今日は俺も妨害する側じゃなく、通す側なんだ」
ハルトの剣とユーリスの短剣がぶつかる。
アルトは瓦礫の隙間を抜ける。
狭い。
制服が擦れる。
怖い。
でも、進む。
「レオンさん、フィーネさんのところへ……!」
アルトは走った。
◆
レオンは槍役と対峙していた。
狭い通路で槍は厄介だ。
距離を取られる。
後方の魔法支援役が詠唱を始める。
フィーネが叫ぶ。
「後方、魔法支援。足止め系です!」
「わかった」
レオンは槍を受け流す。
距離を詰めたい。
だが、詰めると魔法支援が飛ぶ。
Bの状態札は赤に近づいている。
時間がない。
フィーネがBの状態を見ながら言う。
「B、赤に移行寸前。早く動かす必要があります」
「アルトたちは」
「まだ見えません!」
レオンは一瞬、迷う。
フィーネと二人でBを動かすか。
だが、フィーネがBを持てば状態共有が弱くなる。
レオンが持てば戦えない。
無理に動かせば負担が大きい。
その時、左の瓦礫隙間から声がした。
「来ました!」
アルトだった。
息を切らしている。
だが、来た。
フィーネの顔が明るくなる。
「アルトさん!」
「ユーリスさんはハルトさんを止めてます!」
「よく来た」
レオンが言う。
アルトは頷く。
だが、槍役と魔法支援役がいる。
Bを運ぶにはユーリスも必要。
しかし、アルトの支援があれば動かせる可能性はある。
「アルト、Bの重量軽減。風と水、どちらがいい」
アルトはBを見る。
重量人形。
状態札。
周囲の瓦礫。
少し考える。
「風だけだと揺れます。水で下に薄い膜を作って、滑らせる方が安定するかもしれません」
レオンは一瞬で判断する。
「やれ」
「はい!」
アルトが水を薄く広げる。
床に沿って、Bの下へ。
フィーネがすぐ言う。
「B、動かす角度注意。左肩側に状態札、負担をかけないでください」
「了解」
レオンは槍役を押し返す。
「フィーネ、Bを押せるか」
「少しなら」
「無理はするな」
「はい」
アルトが水の膜を調整する。
Bが少しだけ滑る。
動く。
だが遅い。
その間、槍役が妨害に来る。
レオンが止める。
魔法支援役が足止め魔法を放つ。
アルトが叫ぶ。
「フィーネさん、右へ!」
フィーネが反応し、Bの側を離れずに避ける。
足止め魔法が床に広がる。
危ない。
水の膜が乱れる。
アルトの顔が歪む。
「水が……!」
「戻せ!」
レオンが言う。
「はい!」
アルトが再調整する。
怖い。
手が震える。
だが、止まらない。
フィーネが声を出す。
「アルトさん、水、今の強さで大丈夫です! Bは安定しています!」
その声で、アルトの目が戻る。
「はい!」
◆
そこへ、遠くからユーリスの声。
「遅れて悪い!」
ハルトを振り切ったのではない。
ハルトも後ろにいる。
だが、ユーリスが合流した。
額に汗。
息が荒い。
それでも笑っている。
「重い方、俺の出番だろ」
「遅い」
レオンが言う。
「ハルトがしつこくてさ」
後方でハルトが言う。
「妨害役だからな」
「知ってる!」
ユーリスがBの側へ入る。
「アルト、水維持。フィーネ嬢、状態見て。レオン、道」
「わかっている」
レオンは槍役を押し込む。
ハルトも追いついてくる。
第七班が再び圧をかける。
ここからBを安全地点へ運ぶ。
時間は少ない。
状態札は赤になった。
悪化。
見学席がざわつく。
『B、状態悪化』
『救援失敗寸前』
『急げ』
『遅い』
『もう間に合わない』
外圧音声が響く。
アルトの顔が青くなる。
フィーネも唇を噛む。
ユーリスの表情から笑みが消える。
レオンの胸も冷える。
だが。
「間に合わないかは、俺たちが決めることじゃない」
レオンは言った。
三人が見る。
「運ぶ」
短い言葉。
それで、全員が動いた。
ユーリスがBを支える。
アルトが水で滑らせ、風でわずかに重さを軽減する。
フィーネが状態と道を確認する。
レオンが前で道を作る。
ハルトが妨害する。
槍役が横を突く。
魔法支援が足元を乱す。
市街地型区画の狭い通路で、全てが重なった。
レオンは斬る。
いや、斬らない。
道を作る。
ハルトの剣を受け、流し、壁側へ押し込む。
槍役の突きを弾き、魔法支援の射線を身体で切る。
倒すより、通す。
守るより、運ばせる。
救うための一歩は、斬るための一歩より重い。
レオンはその重さを、全身で感じていた。
◆
安全地点まであと少し。
だが、最後の分断壁が作動した。
床から石壁がせり上がる。
レオンとハルトが前方。
フィーネ、ユーリス、アルト、Bが後方。
分断される。
レオンが振り返る。
「フィーネ!」
「大丈夫です!」
フィーネの声が返る。
壁の向こう。
姿は見えない。
だが声は聞こえる。
「B、状態赤。移動継続可能。ユーリスさん、右側を支えて。アルトさん、水を切らさないでください!」
「了解!」
「はい!」
レオンは壁を見る。
解除装置はおそらく前方。
ハルトがそこに立っている。
「ここからは、お前の役割だな」
ハルトが言う。
「道を開ける」
レオンが答える。
「開けてみろ」
ハルトが構える。
真剣だった。
潰すためではない。
だが、通すためには越えなければならない。
レオンは踏み込む。
剣がぶつかる。
強い。
ハルトは強くなっている。
以前より、班を見ている。
妨害役として、ただ勝ちに来るのではなく、レオンに必要な負荷をかけている。
だからこそ厄介だ。
レオンは焦る。
壁の向こうで、Bが運ばれている。
状態赤。
時間がない。
早く解除装置へ行きたい。
だが、焦ればハルトに止められる。
落ち着け。
課題を見る。
救うことを見る。
ハルトを倒すことが目的ではない。
解除装置へ行くことが目的。
レオンは大きく踏み込むと見せかけ、ハルトの剣を誘う。
ハルトが反応する。
その瞬間、レオンは剣をぶつけず、半歩横へ滑る。
ハルトの重心がわずかに前へ出る。
そこを押す。
倒さない。
外す。
道を作る。
「っ!」
ハルトが体勢を崩す。
レオンは抜けた。
解除装置へ走る。
後方からハルトの声。
「行け!」
敵の声ではない。
妨害役として、負荷を終えた声だった。
レオンは装置を叩く。
壁が下がり始める。
◆
壁の向こうでは、三人が必死にBを運んでいた。
フィーネの声が響く。
「あと少しです! ユーリスさん、左に寄せて! アルトさん、水、もう少し弱く!」
「弱くしたら重い!」
アルトが叫ぶ。
「でも滑りすぎます!」
「わかった!」
アルトが調整する。
ユーリスが歯を食いしばる。
「重いな、ほんと……!」
「でも進んでます!」
フィーネが言う。
その声は震えている。
でも止まらない。
壁が下がる。
レオンが合流する。
「残り距離」
「十歩!」
フィーネが叫ぶ。
「レオン、前!」
ユーリスが言う。
最後の魔法人形が、安全地点前に起動した。
防御型。
巨大な障壁を広げる。
通れない。
倒すか。
いや、時間がない。
押し通るか。
Bがいる。
無理はできない。
レオンは防御型へ走る。
障壁を叩く。
硬い。
ハルトたち第七班は追ってこない。
最後は魔法人形による試練。
レオンは一瞬で判断する。
「アルト、風は残っているか!」
「いけます!」
「Bじゃない。俺に」
アルトが目を開く。
「レオンさんに?」
「ああ。踏み込みを軽くしろ。一瞬でいい」
「はい!」
フィーネが叫ぶ。
「防御型、障壁中央が厚いです! 右下、薄い!」
「聞いた」
ユーリスがBを支えながら言う。
「俺たちは止まらないぞ!」
「止まるな!」
レオンが叫ぶ。
アルトの風がレオンの足元に入る。
軽い。
速い。
レオンは右下へ踏み込む。
木剣を振る。
防御型の障壁の薄い場所へ、一点集中。
砕く。
完全には壊れない。
だが、隙間ができる。
「通れ!」
ユーリスがBを押し込む。
フィーネが支える。
アルトが水を切り、風で最後の重さを軽くする。
Bが安全地点へ入る。
鐘が鳴った。
大きく。
訓練棟全体に響いた。
救援対象B、護送完了。
特別評価課題、達成。
◆
しばらく、誰も声を出さなかった。
見学席も。
第五班も。
第七班も。
ただ鐘の余韻だけが残っている。
ユーリスが膝をついた。
アルトもその場に座り込みそうになる。
フィーネは両手を震わせながら、Bの状態札を見ている。
レオンは木剣を下ろし、ゆっくり息を吐いた。
終わった。
助けた。
いや、演習だ。
けれど。
確かに、救った。
その感覚が胸に重く残る。
見学席から、遅れて拍手が起きた。
小さく。
それが広がっていく。
大きな歓声ではない。
どこか、静かな拍手だった。
見ていた者たちも、ただ成功したから騒ぐ気にはなれなかったのだろう。
この課題の重さを、少しは感じたのかもしれない。
教師が中央へ歩いてくる。
第五班と第七班が整列する。
全員、息が荒い。
教師はしばらく四人を見た。
そして言う。
「第五班」
空気が締まる。
「特別評価課題、達成」
フィーネが目を閉じる。
アルトが肩の力を抜く。
ユーリスが小さく笑う。
レオンは静かに頷いた。
「評価は、上」
ざわめき。
しかし教師は続ける。
「ただし、満点ではない」
四人が顔を上げる。
「A護送時、右足接触があった。ユーリスの持ち替え判断は良いが、初動で負傷部位の固定が甘い」
「はい」
ユーリスが頷く。
「B発見後、合流判断は適切。ただし、フィーネの状態共有が一部遅れた場面がある」
「はい」
フィーネが頷く。
「アルト。水による重量人形移送は良い判断だ。だが、足止め魔法で水膜が乱れた際、再調整に遅れあり」
「はい!」
「レオン。分断後、ハルトを倒さず外して解除装置へ向かった判断は良い。最後、防御型への一点突破も良い」
「はい」
「だが、B発見時に一瞬、二人で動かすかどうかの判断に迷いがあった」
「はい」
その通りだった。
教師は静かに言う。
「迷いは悪ではない。だが、救援では迷った時間も対象の負担になる。覚えておけ」
「はい」
教師は次に第七班を見る。
「第七班。妨害役として評価、良。ハルト、通路封鎖、分断後の負荷、いずれも適切。ただし、A護送中の圧が少し強い場面あり。負傷者役への影響をもう少し見ろ」
「はい」
ハルトは真剣に頷く。
「全体として」
教師は全員へ向き直る。
「今日の演習で見るべきは、第五班が成功したことだけではない」
一拍。
「救援とは、敵を排除することではない。対象を運び終えることでもない。対象の状態を見続け、班の状態を見続け、目的を見失わずに進むことだ」
訓練棟が静まり返る。
「第五班は、怖さを消していなかった」
教師は言う。
「だが、怖さで止まらなかった」
その言葉が、レオンの胸に深く刺さった。
「それが今日の最大評価だ」
◆
演習後。
第五班は訓練棟の端に座り込むように集まった。
さすがに全員、疲れていた。
身体だけではない。
心が疲れている。
ユーリスが天井を見上げる。
「……重かった」
「はい」
アルトが呟く。
「水、乱れた時、頭真っ白になりかけました」
「でも戻した」
フィーネが言う。
「フィーネさんの声があったからです」
アルトは素直に言った。
フィーネは少しだけ目を伏せる。
「私も、何度も声が詰まりそうでした。でも……みんなが返事してくれたので」
ユーリスが笑う。
「俺はAの足、触っちゃったの反省だな」
「あれは持ち替えた」
レオンが言う。
「でも最初から避けたかった」
「次の課題だ」
「そうだな」
次。
自然にそう言えた。
それが、少しだけ不思議だった。
この重い課題を終えた直後なのに、もう次を見ている。
アルトが手帳を取り出す。
しかし、開いてすぐ止まった。
「……今は、まだ書けないかもです」
レオンは頷いた。
「無理に書くな」
「はい」
フィーネも言う。
「私も、今日は少し時間を置いてから書きます」
ユーリスが苦笑する。
「俺も。今書いたら“重い”しか書けない」
「それも事実だ」
レオンが言うと、三人が少し笑った。
その笑いは、疲れていて、弱くて、でも確かに温かかった。
◆
放課後。
課題の正式な結果はすぐに学園中へ広がった。
第五班、特別評価課題達成。
評価、上。
第七班、妨害役評価、良。
救援護送型総合演習を達成した班。
その事実は、大きかった。
食堂でも、廊下でも、中庭でも、話題になった。
「成功したって」
「すごいな」
「負傷者役二名でしょ?」
「しかも第七班が妨害」
「アルトの水が役に立ったらしいぞ」
「フィーネの状態共有も」
「ユーリスが負傷者役を支えてたって」
「レオン、最後障壁抜いたらしい」
「第五班、本物じゃん」
本物。
その言葉が、レオンの耳に入る。
重い言葉だ。
嬉しいより先に、重い。
本物と言われれば、もう偶然では済まされない。
だが、今日の第五班は、その重さを少しだけ受け取れるようになっていた。
四人は中庭を歩いた。
夕暮れの光が、芝を淡く染めている。
噴水の水音が響く。
朝と同じ場所。
だが、朝とは違う四人がそこにいた。
「終わりましたね」
フィーネが言う。
「ああ」
「成功、したんですよね」
アルトが確認するように言う。
「した」
レオンが答える。
ユーリスが笑う。
「したな。めちゃくちゃ疲れたけど」
沈黙。
その沈黙の中で、四人は同じことを感じていた。
怖かった。
本当に怖かった。
でも、進んだ。
救った。
演習だけれど。
それでも、確かに。
「レオンさん」
フィーネが言う。
「何だ」
「今日、怖いままで進めましたね」
レオンは少しだけ目を閉じた。
「ああ」
「本当に、怖か




