11月4日(火)
この前お世話になっている就労支援センターで心理テストをしてもらったのですが、そのなかで「小説などを読んで頭の中に映像が浮かぶタイプですか?」という質問がありました。
自分は「浮かばないです」と答えたのですが、なんだか気持ちがもやもやとして、その後いろいろと考えてしまいました。
個人的な意見なのですが、言葉は、自分のヴィジョンをそのまま投影するというより、その言葉に含まれているイメージを活用するもの、のような気がしています。
赤色といっても、人によって思い浮かべる色は違うかもしれません。色は具体的なようで、意外と抽象的なイメージのように思います。ただ、「赤」と言えば、「緑」とは区別できます。「青」とも区別できます。そんな風に、漠然としたイメージにどんどんフィルターをかけていくのが、言葉でイメージを伝えるということなんじゃないか?
と、苦し紛れにそんな持論を考えていました。
例えば「血のような赤」という表現。自分はなかなか頭に浮かべることができません。ただそのことを母に話したら「女の人は生理があるから自分の血は見慣れている」という返事がかえってきました。なるほど。性別によっても「血」に対するイメージ力は変わってくるんだなと思いました。
またこの間、訪問看護の看護婦さんが来たときに、父が「ご飯を食べていると吐いちゃう」と言っていて、自分は言葉通りに「吐き戻してしまう」のをイメージしたのですが、看護婦さんはその辺のニュアンスを汲み取っていて「ああ、咽ちゃうのね」と理解していました。
言葉も、その人の経験によっても、受け取り方は変わってくるのだなと、気付かされた瞬間でした。
そうなるとやはり、その人が持っている記憶、思い出によっても、言葉によって掘り返される情景は違ってくるような気もします。雪国に生まれた人は、「雪」に関する表現に対しての感性も鋭敏で、よりイメージしやすいのだろうなと。自分の場合は、内陸部に住んでいるので、「海」はわかっても、やはり漠然としています。なんとなくカモメの鳴く声が……遠くで汽船が鳴り響き……などなどと書いてみても、やはり本当のイメージとは乖離したものなのだと思います。
そう考えると、やはり経験するというのは大事なのかなという思いが結果的に強まりました。
実は少し前まで秋のコンテストの「友情」をテーマにしたものを書いていたのですが、あまり上手く書けず、断念してしまいました。もともと友達が少なく、唯一遊んだりもしていた中学からの友人も、つまらないことで無くしてしまい、本当にいまは「友情」というものに縁がありません。それが描けない理由にはならないかもしれませんが、やはり経験が薄いものは書きにくいのかなとも感じました。
脳による映像化の能力も、個人差があるのかもしれませんが、それを考えても仕方がないので、まずは様々なことを経験し、豊潤なイメージを言葉に蓄積したい。
と思う、今日この頃です。
いろいろ書いてしまいましたが、計算して書くよりも自然に出てきたものがより良いものの場合が多いので、言葉というのは難しいです。
頭の中にすでに浮かんでいたイメージよりも、書いているうちに「聴こえてきた」その場の風景を書くことが大事なんじゃないか、と思うこともあり……やはり文章表現は一概に言えないものだなと思います。




